先週から生家がある福岡北九州市に行き、昨日東京に戻ってきました。
北九州市の八幡で養護施設に入っている母親との面会のため、毎月福
岡に行っています。
今回の帰郷で気づいた、山の名前に関わる面白い推論。
八幡には帆柱連山という山地があり、どこからでもその山容を見るこ
とが出来ます。
その中で一番高い山を皿倉山と言いますが、そこにケーブルカーが通
っています。以前から帆柱ケーブルとよばれていました。
皿倉山に有りながら帆柱ケーブル、ちょっと変ですよね。
その名前が最近、皿倉ケーブルに変わったとのこと。
山の名前と整合性が取れたんですね。
しかし八幡で育った私としては何となく解せない気分でした。
北九州市は50年くらい前、北九州に有った5つの市が合併してでき
ました。
その一つが八幡市、近代製鉄所の発祥の地として有名です。
その八幡市の市の歌がネットに残っていました。
そこに帆柱山の名前が出てくるのです。
(うまく貼り付けできませんが「旧八幡市歌」でひけます)
http://homepage3.nifty.com/tsumumaru/furusato/md_Qyahatashika.htm
通常、市の歌に山の名前を入れる場合は、市で最高峰の名前を入れるでし
ょう。
そうです。現在の皿倉山は、昔帆柱山とよばれていたのです。
もうひとつ思い出した、山名由来の伝説。
小学生の頃、聞かされた、仲哀天皇と神功皇后の朝鮮征伐のお話し。
神功皇后は、遠征中に折れた船の帆柱を修理するため、山に登り帆柱
を切り出しました。それで、その山を帆柱山と名付けました。
帆柱を切り出した後、山を下るとき、日が暮れてさらに暗くなったため、
その山を更暗山、皿倉山と名付けました。
この伝説を信ずれば、高いほうが帆柱山で、その西にある低い山が皿倉山と
いうことになります。
ということで、今の皿倉山が、昔は帆柱山で、今の帆柱山が昔は皿倉山だっ
た。
山名がどこかで入れ替わったのではないか、というのが今回福岡で出した
推論です。
なぜ名前が入れ替わったのかは、面白い課題で、さらに考察を必要とします。
しかし、旧八幡市の市歌、すごいですね。公害等気にせず、日本の産業を発
展させた時代のすさまじさがうかがえます。
長々と失礼しました。