定年は荒野を目指す

Elderly be ambitious! おつりの人生楽しもう!

3.11.

2021-03-10 16:36:30 | 日記
早いもので、もう10年たってしまいました。明日は3.11.

亡くなられた方、甚大な被害を受けられた皆様、あらためてお悔やみ、お見舞い
申し上げます。
まだまだ復旧への道は半ばかと推し量りますが、できるだけ早く、以前の姿に戻
ることを心からお祈りしております。

そして私にも3.11.がありました。記憶は鮮明に残っています。
10年前のあの日、私は上野のお客様を訪問し、事務所に戻るため、上野広小路
の地下鉄プラットホームに立っていました。
午後3時前、突然大きな揺れ、ホームに入ってくる直前の地下鉄が止まるのが見
えました。

駅員さんが、すぐに地上に出るよう誘導、ホームから出口に上りました。
当時はホームの上は上野松坂屋さん。
大変な混雑、騒ぎでした。阿鼻叫喚ともいえるデパートの1階でした。
デパートから中央通りに出ましたが、通りには近くのビルから逃げ出してきた人
たちが、不安そうに肩を寄せ合っていました。

事務所が神田だったので、とりあえず神田を目指しました。
途中余震が続き、電線が大きく揺れていたのを思い出します。
外出中だったので、当然ヘルメットは持っておらず、ヘルメットをかぶって避難
されている方々をうらやましく思いました。

神田近くは旧い家も多かったので、ガラスが割れ、家の中がかなりめちゃめちゃ
になっているお家も多く見受けられました。

何とか事務所に帰り着き、パソコンや机の上の書類などが床に落ちている姿に、
愕然としましたが、当時10名ぐらいいた社員全員の安全を確認、一息つきました。
一息ついたところで、食料、飲料を確保しようと、数名の社員に買い出しに行って
もらいましたが、しばらくして帰ってきた人たち、「何にも残っていません」

そのころには家に帰ることができない社員も泊りを覚悟していましたので、何とか
食事を、と近辺を当たることにしました。
当日お客様との会議を予定しており、会議後の会食を近くのお店に予約していた社
員がいました。

お店に期待もせず聞いたところ、営業してます。予約大丈夫です、とのこと。
全員で夕食を取ることができました。

事務所に泊まることに決めた社員もまだ余震が心配でしたが、ここが当面は一
番安全だろうということで、安全第一をお願いして、自分は世田谷の自宅に戻
ることにしました。

自宅に残した、愛犬が心配で都内に出ていた妻と東京駅で待ち合わせ、丸の内
から世田谷まで歩きました。世田谷通りの歩道は黙々と歩く人であふれ、道路は
渋滞の車が動けずにいました。

妻との連絡は、携帯がつながらず、当時ロンドンに駐在していた長男を経由して、
待ち合わせ場所をきめ、無事会うことができました。衛星通信のおかげでした。

自宅に着いたときはもう明け方。走っている小田急を見て、電車走ってたんだ、
とがっくりし、さすが日本の電鉄会社と感心したことを思い出します。
幸い、自宅は家具の倒壊もなく、愛犬も無事でした。

東京でもそんな状況でしたので、震源に近いところの被害、ご心配いかばかりだっ
たことでしょう。

東京の震度は5強でした。自然災害、これからも避けられません。
災害列島に住むものとして、常に対策を考えていなければなりません。
コメント
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