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忘年会今昔

2009-12-16 | 世間のうごき
昨日、職場の忘年会がありました。



出席者は22名で、23歳から70歳まで、幅広い層が出席しました。


先週の金曜、「下見」と称して職場の最寄り駅の居酒屋を回りましたが、数店あるチ
ェーン系は全て満席で入れませんでした。

そのとき、「こんなに不況でも、やっぱり忘年会はやるんだなア…」と、我が国
の忘年会文化の奥深さに感じ入ったものです。



年末に「その年の苦労を忘れるため」に宴会を開くのは東アジア(つまり、中国、
韓国、日本ですが)に共通する文化だそうです。

英語文化圏に於いては、日本の「非宗教的で奇妙な拘束力にあふれる」忘年会
は、英語に訳しようがなく、そのまま‘Bounennkai’と表記されることも多いそう
です。



その中でも、もっとも「忘年会」らしいのは職場の忘年会でしょうネ。

私が初めて職場の忘年会に参加したのは、もう四半世紀も前のことです。
私は大学を出て社員200人ほどの印刷会社に勤め、営業部に配属されました。

直属の上司が酒好きだったため、午後九時頃仕事が終ってから、よく一杯つきあわ
されたものです。



私は当時全くの下戸でしたが、当時は「パワハラ」とか「アルハラ」という弱者を保護する概念がなかったため、誘いを断ることはもちろん、上司が自分が飲みたいために私のグラスにビールを注ごうとしたものなら、即座に飲み干さなければならなかったのです。

私は、しばしば居酒屋のトイレで吐いてから、最終電車で家に辿りついていました。

当時の企業は、「吐けば吐くほど強くなる」「男は酒が飲めて一人前」といった「肉食系=体育会系」文化がまだまだ強く、私は酒が弱い自分の体質を真剣に呪いました。



女性社員は女性社員で大変だったと思います。

まず彼女たちは「女の子」と呼ばれていました。
そして、「女の子」たちは、ホステスさながらにビール瓶やお銚子を持って男性社員に注いで回らなければなかったのです。

普段の酒席でもそうですから、社長や取締役、営業部長などのお歴々が臨席される忘年会に於いてをや…。
女性社員はいつもよりめかし込み、エライ人や好きな先輩にとっときの笑顔を作って「お酌の旅」にでたものでした。

しかし、それもせいぜい二十代までです。

そもそも当時の女性社員には「二十代のうちに結婚し、同時に退職する…」という絶対の不文律がありました。

数少ない三十歳過ぎても独身の女性は、ふだんからあからさまに揶揄と対象になってましたから、色んな理由をつけてこういった席には出ることがなかったのです。



これは私が中小企業にいたせいでしょうか?

決してそんなことはないと思います。
むしろ日本企業の一般的な姿だったと思うのです。

それが、昨日の忘年会は、全く様変わりしていました。


そもそも「後輩や女性が酌をする」という伝統芸が、ほぼ絶滅していました。
まあ「飲み放題コース」だったということもありますが、みな好き勝手に飲んで食べる。
そして、女性たちの酒の強いこと、飲むこと!

「パワハラ」「アルハラ」に続いて「セクハラ」概念もすっかり職場に定着して、
ことに「今が旬」の、酒にも人にも仕事にも強い若い女性たちは、場を仕切りまくっていました。



日本にも、ついに性別や年齢を超越した民主主義が、少なくても忘年会の席には訪れたんだなア…。

私は、文字通り隅っこの席でチビチビと飲みながら、そんな思いに耽っておりました。





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