食いしん坊ケアマネ の おたすけ長屋!

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隻眼人生

2010-06-22 | わたくしごと
昨夜は職場で「新人歓迎会」があり、今日が休みなこともあって、ずいぶんと飲んでしまった。





今朝は八時近くまで寝ていたが、体がダルくてなかなか起き出せない。

洗濯機を回してから、十時近くになってようやく起きて、近くの医者に行った。

尿酸値を下げるクスリをもらいに定期的に通っているのだ。







血圧は正常だった。

先生は「相変わらず、おサケは飲んでますか?」と、尋ねた。

私が苦笑しながらうなずくと、先生も笑いながら、

「断つのは難しくても、量を少しずつ減らして下さいね」と、言った。

「あの、最近はまず『今日飲む分』を量って、別の容器に入れて、それ以上は飲まないようにしています」

私は、言い訳するような口調で答えた。

「それも方法ですね。あと、ツマミはあまり用意しないほうが良いですよ」

「は?」

「いや、ツマミがたくさんあると、おサケが進みますからね」

私は、先生もかなりイケルほうだな…と思った。







その後、マッサージに行った。今日は院長先生が施術をしてくれた。

「首の右側が特に凝ってますね。…視力はどうですか?」

「左目は、ほとんど見えないんです」

「ははア。それは、関係あるかもしれないですね。視力に差がある人は、頭痛を起こしやすいですしね」

このヤリトリが、今日の私にはとても「入って」きた。







私は、ガチャ目なのである。右は今でも1.0近くあるが、左目は学校に上がる前からほとんど見えなかった。

ガチャ目は「差別用語」とかで、最近は言わなくなったが、当事者が使う分には良いだろう。

ガチャ目のことを、医学的には「不同視」と言うらしい。

でも不同視なんて言葉は誰も知らないし、そのアンバランスが人生に与える悲哀を表すには、「ガチャ目」のほうがずっとピッタリ来る(もちろん、他人からそう言われたらムカツクだろうが)。







私は極端に手先が不器用である。そして、ありえないほどの方向音痴だ。

3D映画なども立体的に見えないので、最近のブームは面白くない。

これは、左目が見えないことが大きく関係しているに違いない。

反面、子供の頃から、文章はいくらでもかけるところがあった。

三十代くらいまではいつも頭の中で文章を喋っていたので、それを紙の上に置き換えればいいだけだったからだ(最近はこの「お喋り」が減ってきたが、これも老化だろうか?)。

これは、右目だけで生活している影響だろう…と、確信している。







もちろんこれらの考えは「左脳=言語脳」「右脳=イメージ・空間把握脳」という俗説に依っている。

でも、「腑に落ちるなら俗説も大事」…と、私は思う。

人生にはそういうのが必要だからだ。







私は、片目の視力が低かったからこそ、人の痛みに共感できるようになり、今の仕事に活かせている…と、信じているのである。












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