食いしん坊ケアマネ の おたすけ長屋!

困ったら、悲しかったら、ツラかったら、
「長屋付き合い」を始めようよ!
現代版人情長屋に寄っといで!

センセイの演説

2009-08-30 | ケアマネジャー
今日はケアマネージャーの専門研修というものに行ってきました。



ケアマネって、資格を取って五年以内にいくつかの研修を終らせないと、仕事が出来なくなるんですね。
私は来年の五月で五年目なのにまだ研修が終っていない。
で、「ヤバイ!」と必死に行ってきました。

このところ色んな資格が「更新制」になってますが、今や「資格研修ビジネス」というのも、大変な産業になりつつあるそうです。
それはそうでしょう、今回の研修料金だっていくらだと思いますか?…というようなナマぐさい話は、まあ、措くとして。

朝九時半から夕方五時半まで、びっちりの研修でしたが、最後に少し時間が余り、団塊の世代と思われる女性講師が、「研修のまとめ」と称して、演説をされました。

結局、それがいちばん面白かったのですが。



講師の先生は、二十六年間高齢者介護の世界で働いてきました。
1998年、コイズミ厚生大臣のとき、介護保険法が成立し、そのときは内心で、強い昂ぶりをおぼえたそうです。
「この日本で、高齢者介護を社会保険で支えるなんて!マジかしら?」と。

2000年に制度が始まった当初は、とにかく参入業者を確保しようと時間当たりの単価を(今思えば)、かなり良い設定にしました。
案の定、「こりゃもうかるかも」と考えた畑違いの人々が次々とこの業界に喰らいついてきた。
でも、コイズミ元厚相が総理になった2001年以降は、社会保障政策は後退に後退を続けてきました。

今から考えると、それは全て計算済みだったようにも思えます。

急激に増え続ける要介護高齢者の介護力を確保する手段として、介護保険法の約十年前に介護福祉士という国家資格を作りましたが、それは結局、国家資格という肩書きで釣ることで、介護労働者という官製ワーキング・プアを確保する方策だったように思えるのです。
しかしその思惑は外れ、今や、せっかく学校に通って介護福祉士資格を取った若者たちも、あまりに劣悪な労働条件を嫌って、高齢者介護の分野で働こうとしないのです。


と、まあ、この辺までは「当たり前の話」でした。

ここから、かなり独自の世界になっていきました。



私(講師の先生です)が以前に勤めていた施設には、高学歴の入居者がたくさんいました。六大学の出身者ばかり、つまり、東大、京大、一ツ橋、慶応の経済、早稲田政経、中央の法科…。

(こういう「六大学」のくくりを初めて聞きました。しかも、後半の三私大に関しては学部指定までしているのが、妙に生々しい。
ひょっとして、この先生は、こういった学校学部出身の男性に特別な感情を抱かざるをえない「何か」があったのではなかろうか…。)

先生のお話は続きます。


高齢者介護関係の市場は、住宅なども含めるとすでに二十兆円を越えた…という試算もあります。今やこの業界は、日本経済の支柱のひとつなのです。

しかるに、介護労働者の待遇は、三十年前四十年前の「寡婦対策事業」の頃と大差がありません。政治家も官僚も経済人も、「いかに安上がりに家政婦を確保しようか」という感覚で止まっているのです。

今日、新しくある政党が衆議院の過半数を占めることでしょう。
でも、その政党のマニフェストを読んでも、具体的な数字は保証されていません。
それは当り前のことです。Z民党にしてもM主党にしても、議員のほとんどは金持ちの二世三世か、勉強だけは極端に出来る中央官庁の出身者です。
そんな人たちに、一般庶民の生活実感が分かるでしょうか?ましてや介護従事者の「明日の見通しが立たない」生活など、眼中にもないでしょう。

声をあげましょう!私たちが声をあげなくて、誰があげるのですか?
エラい人たちがどんな理屈を言おうと、要介護の高齢者がこれから一千万人、一千五百万人と増え続けてゆく現実を変えることはできません。

そして、エラい人たちは「逃げ切る」「子供に継がせる」ことばかり考えていて、「汚れ仕事」を自分で引き受けることなどできないのです。
だからこそ、私たちの意見は無視できないハズです。彼らに対して卑屈になる必要は、全くありません。
キチンと現実を伝え、要求していきましょうよ!



先生の演説には、理想と希望、怒りと私怨がないまぜになっているように思われました。
でも、こんなにナマの言葉で演説する講師は初めてで、何だかとても愉快でした。
それもこれも、今日は歴史的選挙の日だ…という昂ぶりがもたらしたのかも…と、感じられたのであります。




にほんブログ村 介護ブログ 高齢者福祉・介護へにほんブログ村