「家に帰ります」「外に出して下さい」
職員にそう訴えるご入居者様は多いですが、ほとんどが認知症状のある方です。
認知症状がある程度強まると、今自分がどこにいるのかも判らなくなります。
だけど、何にも知らずに入ったホームに対する「ここは自分の居場所じゃない」という意識は、なかなか消えません。
昨日の文章と矛盾するようですが、老人ホームがご入居者にとっての「本当の家」になるのは、そうとう大変なことなのです。
そして、その「帰りたい家」は、必ずしも入居される前に住んでいた家だとは限りません。二十年前、三十年前の家だったり、遥か八十年以上前の生家だったりします。
そうやって、しばしば時期や場所が万華鏡のように交錯するご入居者の自分史を拝聴するのが、私はかなり好きです。
ご家族の面会は、たいていのご入居者はとても喜ばれます。涙ぐむ方もいる。
そういう姿をみると、どんなに献身的なケアをしても、家族にはかなわないのだなア…という感慨を抱かざるを得ません。
ところが、ご家族が面会した日に限って、しばしば気持ちが乱れる…この業界でいうところの「不穏になる」方は少なくありません。
帰宅欲求がことさらに強まったり、夜間に感情失禁を起こしたり…。
ご家族が「会いに来てくれた」のは本当の喜びでしょう。その喜びが強ければ強いほど、「自分をここに置いて帰ってしまった」ことが、心の奥底から、淋しさや悲しみを突き上げさせるのではないでしょうか。
面会があった夜、多くの方の辛そうな表情を見るたびに、私はそんなことを感じます。
ホームの自動ドアの前に置かれたベンチに座り、黙ってずっと外を眺めている方がいます。
その方は強い帰宅要求はされません。その代わりに、自分の娘時代の話を…いかに素晴らしい叔父さんがいたか、などなど…、さかんにお話しされるのです。
「ウチに帰りたい!」と言われるご入居者たちが本当に帰りたいのは、実は物理的な場所ではなくて、「あのころの私や家族」という「時代」なのではないか…と、私は思うのです。
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職員にそう訴えるご入居者様は多いですが、ほとんどが認知症状のある方です。
認知症状がある程度強まると、今自分がどこにいるのかも判らなくなります。
だけど、何にも知らずに入ったホームに対する「ここは自分の居場所じゃない」という意識は、なかなか消えません。
昨日の文章と矛盾するようですが、老人ホームがご入居者にとっての「本当の家」になるのは、そうとう大変なことなのです。
そして、その「帰りたい家」は、必ずしも入居される前に住んでいた家だとは限りません。二十年前、三十年前の家だったり、遥か八十年以上前の生家だったりします。
そうやって、しばしば時期や場所が万華鏡のように交錯するご入居者の自分史を拝聴するのが、私はかなり好きです。
ご家族の面会は、たいていのご入居者はとても喜ばれます。涙ぐむ方もいる。
そういう姿をみると、どんなに献身的なケアをしても、家族にはかなわないのだなア…という感慨を抱かざるを得ません。
ところが、ご家族が面会した日に限って、しばしば気持ちが乱れる…この業界でいうところの「不穏になる」方は少なくありません。
帰宅欲求がことさらに強まったり、夜間に感情失禁を起こしたり…。
ご家族が「会いに来てくれた」のは本当の喜びでしょう。その喜びが強ければ強いほど、「自分をここに置いて帰ってしまった」ことが、心の奥底から、淋しさや悲しみを突き上げさせるのではないでしょうか。
面会があった夜、多くの方の辛そうな表情を見るたびに、私はそんなことを感じます。
ホームの自動ドアの前に置かれたベンチに座り、黙ってずっと外を眺めている方がいます。
その方は強い帰宅要求はされません。その代わりに、自分の娘時代の話を…いかに素晴らしい叔父さんがいたか、などなど…、さかんにお話しされるのです。
「ウチに帰りたい!」と言われるご入居者たちが本当に帰りたいのは、実は物理的な場所ではなくて、「あのころの私や家族」という「時代」なのではないか…と、私は思うのです。
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そんな風景をよく見ます。
コメントの返事おくれてすみません。
今月から始めたブログですが、使い勝手がまだ良くワカリマセン。
訪問美容は、とても喜ばれています。
これからも頑張って下さいね…。
あ、私の名前は「文七」です。