第185話. スポーツ一般における勝負を決める要素と相撲道について-隙を突くと言う事-白鳳と稀勢

2018-10-08 12:07:09 | スポーツが与えてくれる力
湖畔人です。

今日は何かの結論を言いたいと言うより、ボクシングの井上尚弥選手の勝利を受けて、スポーツ一般と相撲の違いについて、何かモヤモヤしている気持ちを吐露してみます。

先日、貴乃花親方が相撲協会の幹部役員を辞めましたね。きっと辞めた理由は色々あるのでしょうが、想像では、不満の一つには、モンゴル勢の取る勝負に拘る相撲姿勢と、貴乃花親方が相撲に期待する相撲道と言うか、特に横綱に期待する品格の在り方に関して、多分モンゴル勢のやり方と大分乖離があって、それに対し不満があったのではないかと勝手に推察をしています。(違ったらごめんなさい)それが正しいとすれば、確かに、相撲は神事であり、心においても潔さや邪念を排すべきと言った心持の在り方をも身に付けるべき鍛錬の対象とすべきなのかもしれません。
一方、世にある殆どのスポーツは、ボクシングであれ、サッカーであれ、卓球であれ、テニスであれ、野球であれ、剣道であれ、柔道であれ、相手の裏をかく事、相手の隙を突く事、または意図的に相手に隙を作る事をして勝敗を決めています。勝負を決める要素には、力の強さ、速さ、技をコントロールする技術力、それを制御するメンタル、勝負時に決め切れるメンタルの強さ、判断の速さ、等、色々なファクターがありますが、相手の裏をかくことも勝負を決める重要な要素になっているはずです。昨日の井上選手も、相手の意識を意図的に操作して僅かな隙を作り、そこに速いパンチを入れ、相手をぐらつかせ、そこに強くて速いストレートを入れて勝負を決めています。そこには、相手に意図的に隙を作らせる知性と(後から聞くと、どうも本能的な動きだったようですが・・・)、隙にパンチを入れて当てる技術力と、パンチの強さと速さと重さ、ここぞと言う時に決め切れるメンタルの強さ等が勝敗を決めている要素だったと思います。サッカーのメッシも相手の裏をかいてディフェンスをすり抜けてキーバーの逆を突いてゴールを揺らしています。そこには、速さと、相手の裏をかく知性(狡さ)とボールを操る技術力と決め切る強いメンタルがあるはずです。大坂なおみさんも同様です。速いサーブと、意図的にラリーで相手に意識付けをし、相手の意識がコートの片側に寄る事で隙が出て来たら、心を決めて、高い技術力で、相手の意識とは反対の厳しいコースに、強くて速いショットを入れ点を取っているかと思います。技術もメンタルもパワーもスピードも、相手の隙を作る事もしているはずなのです。
では、この相手の隙を作る、相手の裏をかく作業は、横綱には許されない“卑怯”な行為なのかどうか、と言う点が本日問いたいポイントです。
上記のように殆どのスポーツには相手の隙を突く事を勝つための重要な要素としています。上級者は意図的に誘導したりして意図的に相手に隙を作ることをもします。これだけ様々な競技で要求される共通項目なのですから、多分、きっと、相手の裏をかく事、相手の隙を突く事、逆に言えばそうされないように隙を減らす事は、スポーツを通して神様が我々に修行項目として改善と向上を期待されている部分なのでは無いか?と勝手に思うのです。あくまで想像ですが、隙がある事と言う事は、警戒が不十分であり、様々なケーススタディが出来ておらず、何か起きた時に直ぐに対応が出来ないことを意味し、何かが起きてから慌てふためくのではなく、常時から様々に起こりうるリスクを想定しておき、それに対応できるシミュレーションをしておくべきなのかと存じます。それが組織のリーダー達に必要なリスク管理であり、人としての必要な成長項目なのかもしれません。だから“スポーツを通して、隙を減らすことを学びなさい。”と、神様も思われているのかも知れません。(ホントのところは判りませんが・・・・。)ですから、多分きっと神様は、“スポーツを通し、より速く、より強く、よりうまく体をコントロールする技能力とそれを可能にするメンタル、勝負を決める強い心を身に付けなさい、そして、相手の隙を誘発できるほど賢く、したたかであり戦略的でありなさい、そうやってライバルとも切磋琢磨しなさい”、と望んでいるのかもしれません。判りませんが、そんな気もするのです。だって全てのスポーツに共通する項目、鍛錬の対象なのですから、多分きっとそう言う事なんだと思うのですよね・・・。

仮にそうだとすれば、やはり、神事である相撲においても、相手の裏をかく事、隙を突く事、その状況を意図的に作る事も、卑怯な事と言わず、立派で必要な勝負の要素の一つとして、正規の身に付けるべき鍛錬項目として向き合っても良い気がします。白鳳を見ていると、凄く勝つ事に拘りが強く、勝つためには何でもやりそうな雰囲気があります。彼は立ち合いの変化や、張り手、肘打ち、等、横綱らしからぬ行為をする事で時々批判に晒されますが、これらの技も相手の裏をかいているだけ、とも言えなくはないかもしれません。でも、個人的には、やはり確かにそれらの技は、横綱としての、どっしりとした風格に合わない、威厳が足りていない、セコイ、ギミック的な小手先の行為のようにも見えてしまうのも、否定できない気持ちです。だから、横綱には、あまりそう言った小手先の小技や奇襲はやっては欲しくはないのは本音ですね。ただ、少なくとも横綱には下位力士にそうした技をかけられた時には、それらに対応できるだけの準備やら技の引き出し位は持っていて欲しい所です。白鳳は自分でやるくらいですから多分対応は出来るでしょう。ただ、稀勢の里にそうした引き出しが十分にあるのかと聞かれれば、若干の不安が残りますね。

相撲の素人ではありますが、その素人の自分が本日思う所としては、白鳳と言う力士は、力士として理想的な体型を持ち、上半身が長く、重心が低く、手も長く、相手の廻しは取り易いが相手からは廻しを取られ難く、理想的な体の柔らかさ、体幹の強さも持ち、瞬発力もあるように見えます。その上、勝ち気で、瞬時の集中力と、判断力、勝ち切るメンタルの強さがあり、且つ勉強熱心で、相手がどうやったら体勢を崩し不安定になるか、そのケーススタディ、相手に仕掛ける技の引き出しが沢山あり、意図的に相手に仕掛けて相手を不安定化させる状況を作る事が出来るように見えます。一度、相手の体勢が不安定になれば、その後どうすれば、そこから倒すなり、土俵から出すなり仕留める事が出来るのかについても技術と知識の引き出しが多くて、それらが稽古を通して体に染みついているようにも見えます。彼は相手がグラついてから仕留めるまでのスピードが物凄く速いです。本当に理想的な最強の力士のように見えます。ただ、時々勝気が勝って品格の所で多少問題が出ている事があるように見えます。その点がたまに傷です。朝青竜もその点が極端に出ていましたよね。もし白鳳が、立ち合いの変化や、張り手、肘打ち、等をしなくなって、私生活の醜聞も聞こえて来なくなってくれば、彼は本当に非の打ち所のない完璧な横綱になるように見えるのです。
一方、稀勢の里は、多分、心持ちは清廉で立派な横綱道の心持を持ち、邪心もなく、ただ、大物横綱のように、下位力士の繰り出す様々な技を受け身で受けているだけのように見えます。(間違っていたらすいません)多分それは貴乃花も望んだ横綱の理想の姿なのかもしれないですが、でもそうした大横綱の受け身の態度は、あらゆる力士の繰り出す、あらゆる攻めやあらゆる技を熟知していて、それらへの対応も熟知しており、かなりの確率でそれら全てをいなす事が出来る、だから悠然としていて、心無にして受け身で横綱相撲が取れるのだ、と思うのです。その為には単純に力士として力も強く、基本がしっかりしていて、技や型への理解や対応もしっかり出来る、そうしたオールマイティーさが前提として必要かと思うのです。
でも稀勢の里がそれら全てを身に付けているかどうかについては、若干の不安が有るのです。(間違っていたらすいません)稀勢の里は、体は大きいですが、足が長く腰の位置が高いので、状態が立ちやすく、重心が高いために相手に胸に入られるとバランスを崩されて負けやすくなる身体的弱点があるように見えます。その弱さを横綱だと言うのに、まだ鍛錬によりカバーしきれていないように見えるのです。心根は、清く正しく潔いが、相手の体勢を崩すために自分から仕掛ける事も余りないように見えますし、それらに関する知識や技としての引き出しも余りないように見受けられますし、相手が不安定になる状況を意図的に作る事も余りせず(多分卑怯と思っているから)、そこから仕留める技術や知識についても当然引き出しが余りないように見えるので(間違っていたらすいません)、勝つ為のレパートリーがかなり限られているように見えるのです。それが故に、全勝優勝をした事が無いように見えるのです。精神的には既に立派な大横綱なのかも知れないけれど、勝つための知識や研究、技術の引き出しが不十分なように見えるのです。勝負時の無心は結構ですし、様々な技を覚えても、最後は、研ぎ澄まされた集中と無心が重要なのは事実ですが、その前に通るべき基本がまだ不十分なように見えるのです。体の仕上げ方も不十分、戦いにおける知性、技、ケーススタディ、またどうやったら勝てる状況を意図的に作れるかに関する研究も不十分です。それらを考え続ける事、研究する事を怠ってはならないと考えます。稽古においてはそこを様々に想定してケーススタディを十分に試し、自らの技として身に付けて置き、技の引き出しとして持っておくべきです。そこが無いと、後進の指導にも不安が残ります。もっと、技への対応の仕方を研究家やオタクのように数多く拾って身に付けてほしいのです。そして、相手を不安定化させ仕留めるケーススタディも汚いなどと思わずに沢山しっかり身に付けて頂きたいのです。横綱として勝ちにもっとこだわる必要があると考えます。勝つためのケーススタディをもっとする必要があるように見えるのです。白鳳と比べると、心の持ち以外は全て劣っているように見えます。(間違っていたらすいません)
よって、稀勢の里は、まず、体、体勢を低くする稽古を積み(四股で十分?)、体幹の強化もし(ヨガ?)、相手を如何に不安定化出来るかに関する為の研究を重ね(白鳳の相撲のビデオ研究?)、更に相手を不安定させてからの仕留め方に関する研究ももっと深め(白鳳の相撲のビデオ研究?)、勝てるレパートリーを増やす事が重要かと思います。それらが出来れば、白鳳と同じ大横綱になれると考えます。心持は既に大横綱ですが、技術と体がまだまだのように見えるからです。後どの位力士としての寿命があるのかは存じませんが、後二年位で、研究を急ピッチで深めて、白鳳の少し下くらいまでの境地には辿り着いて欲しい所です。
一方、白鳳は、私生活を改善し、相撲が神事と再認識し、品格を持って、立ち合いの変化や、張り手、肘打ち、を止めれば、もう完璧な横綱、と言った感じでしょうか。

今日は、スポーツによく見られる相手の隙を突く、相手の裏をかく作業は、横綱には許されない卑怯な作業なのかどうか、ちょっと素人なりに考えてみました。今日なりの答えとしては、横綱として、立ち合いの変化や、張り手、肘打ち、等、あからさまに品の無い行為は慎むべきだが、如何に相手に隙を生み、体勢を不安定化させ、如何にそこから相手を仕留められるかに関する技術的研究はしっかりと深め、身に付けておくべきで、多くの技の引き出しを持って横綱としての勝てるレパートリーを数多く持つべきである、また、横綱として柔軟でケガをしない体、強い瞬発力を生む強い体幹、低い重心の体に鍛え仕上げておくべきだと思います、と言ったあたりで、本日の答えとしたいと思います。稀勢の里には、期待が大きいが故にきつい事を言ってしまいましたし、素人の勘違いなのかも知れませんが、更に後、二段、三段とレベルを上げて頂きたいので、色々申しました。ファンとしては、後もうひと踏ん張り、後ふた踏ん張り位して欲しいのです。是非、頑張って頂きたいのです。心から応援をしております。

湖畔人


コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。