山登り・里歩きの記

主に関西地方を中心とした山登り、史跡巡りの紹介。要は”おっさんの暇つぶしの記”でんナァ!。

竹内街道ひとり歩き (その 2)

2014年08月22日 | 街道歩き

 旧街道  



車を気にしながら国道を四、五百メートル歩くと、左手前方にフェンスが巡らされた「上池」という池があり、その横が分岐点になっている。併走しているので国道を歩いても同じだが、左側の山道に入っていく(8時35分)。これが本来の旧街道・竹内街道なのでしょう。これでうっとうしい車ともお別れだ。




旧道といっても路面は広く舗装され平坦なので、山道を歩くという感じはしない。周辺は雑木林や杉林に囲まれ、直ぐ横を小川が流れ気持ちよく歩けます。小川のせせらぎと、山間から盛んに聞こえる「ホー、ホケキョー」の鳴き声が清々しい。私以外誰一人見かけない。好天気の日曜日なのだが、竹内街道といえこんな所まで踏み込むハイカーはいないようです。近くを国道が平行して走っているので、時々車の音が聞こえてくる。




正面に階段とトンネルが見えてきた。標識を見ると、どちらも行き先は同じようです。左の階段を登れば近道のようだが、右側のトンネルをくぐりスロープを進んでみた。





短いスロープを抜けると、再び国道166号に出会う。この国道を横切った正面に小さな公園があり、一休みできるようになっている。花が植えられ、休息するベンチも用意されている。山越えするハイカーにとって丁度良い休憩場所になるようです。ただしトイレはありません。
公園の奥に細い道があり、右下の国道を歩かなくてもよいようになっている。ここは竹内街道を残し、右側を掘り下げて国道を建設したらしい。ところでこの公園が竹内峠なのだろうか?。なんかよく分からない、周辺図面でも掲げてほしいものだ、奈良県様!、大阪府様かナ?。

 竹内峠  


右下に国道を見下ろしながら少し進むと、道の傍らに三つの碑が並んでいる。手前の石碑には「鶯の関跡」とあり、
”我思ふ 心もつきぬ 行く春を 越さでもとめよ 鶯の関”
の歌が刻まれている。判読しづらいその文章内に「ここ竹内峠ほど歴史の余韻が漂う峠は少ない・・・」と書かれているので、ここが竹内峠らしい。古くは「鶯の関」とも呼ばれ、昔からウグイスの名所だったという。文によればこの峠を、古代には大陸の文物が、中世では大和武士たちが、近世では伊勢・長谷参詣の旅人が、そして松尾芭蕉が、吉田松陰が、天誅組が越えていったという。

真ん中の石柱には「従是東 奈良県管轄」とあるので、大阪府と奈良県の境のようだ。よってここで奈良県葛城市から大阪府の太子町に入ることになる。三番目の碑は全く判読できません。しかしこの後訪れた竹内街道歴史資料館に説明図があり、明治19年に建てられた「竹内嶺開鑿碑」のようです。「明治十年から十五年にかけて峠道は拡幅改修され昭和五十年県道から国道一六六号線に昇格・・・」とある。
竹内峠は二上山南麓にあり、標高289m。国道を跨いだ右側が二上山で、この峠を挟んで南側は平石峠、岩橋山を経て大和葛城山がそびえる。ここ竹内峠はこれらの山々を縦断する「ダイヤモンドトレイル」コースと交差する場所でもあります。


正面の道を下っていくと、旧道は消え、また国道166号線と合流する。「左 大和国 右 河内国」の新しい街道標識が建つ。ここから太子町の「道の駅」まで1キロ半ほどは、車の往来の激しい車道の路側帯を歩かされることになる(9時20分)。



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