2017年11月28日(火)
11月末、そろそろ紅葉シ-ズンも終えようとしている。定まらない天気予報が続き、お出かけ日がなかなか決まらない。やっと28日(火)が快晴のようだ。京都の嵯峨野か東山か迷ったが、京都を代表する「紅葉の永観堂」に惹かれ東山山麓に決めました。東山山麓の紅葉の名所には、清水寺、知恩院、南禅寺などもあるが、欲張るのは無理で、「ねね」の高台寺、青蓮院門跡、そして最後に永観堂へというコースにする。
ねねの道・台所坂

八坂神社、円山公園を経て清水寺へ続く道を歩く。この周辺は1998年に、電線を地下に埋め、石畳を敷きつめ環境美化された。そして高台寺までが、今までの「高台寺道」という名称から「ねねの道」という親しみやすい名前に改称されました。何時歩いても心落ち着く小径です。
ところで秀吉の正室を「北政所」というが、本名(幼名)は「ねね」です。天正13年(1585)、秀吉が関白に任ぜられると同時に朝廷から「北政所」の称号をもらったのです。
「ねね」については異説があるようで、Wikipediaには次のような記述があります。
「ちなみにNHKの大河ドラマにおいては高台院が初めて登場した昭和40年(1965年)の『太閤記』以降、長年「ねね」が用いられてきたが、平成8年(1996年)の『秀吉』以降は、『功名が辻』を除いて劇中では「おね」の呼称が使われている。さらに、平成28年(2016年)の『真田丸』では「ねい」(表記は「寧」)が使われた。」

高台寺へ続くこの石の階段は「台所坂」と名付けられています。階段横の「総合案内所」とある小屋は、高台寺の案内所で、お寺の人が常駐し説明や客引き(失礼!)をやっておられます。
この反対側に高台寺の塔頭寺院「圓徳院」がある。ここは秀吉死後、北政所(ねね)が秀吉との思い出深い伏見城の化粧御殿と前庭を移築して住み、高台寺造営に当たった所。北政所は19年間ここで生活し、日々前の階段(台所坂)を登り高台寺の秀吉の霊を弔ったという。そしてここで亡くなられました。
清水寺への道で、ここら辺りまでが和やかな道です。ここから先は、チャイナ語やハングルが飛び交い、修学旅行生が行列をなす雑踏の道で好きになれない。

60mほどの台所坂は、傾斜が緩く、そのうえ段差、段幅とも優しく造られている。後期高齢者(俺も!)も楽に登れます。手をつなぐご夫婦、おばあちゃんの手を引く女子大生風・・・をよく見かけ、本当に心和む坂道です。
春は青葉の、秋には紅葉のトンネルとなり、たとえ高台寺へ寄らなくても、この道順から清水寺へ進むのがベストでしょう。しつこい人力車をも避けられます。
ところで”台所坂”の名はどこからきているのでしょうか?。名前からして由来がありそうですが、調べたが見つかりませんでした。

階段の上で山門が出迎えてくれる

山門を潜ると左に高台寺の伽藍が見える。右に進むと、京都市内を一望しながら産寧坂を経て清水寺へ行けます。
高台寺: 境内図と歴史

正面の建物は庫裏。左側に拝観受付所があります。
高台寺の歴史についてWikipediaを引用すれば
「豊臣秀吉が病死したのは 慶長3年(1598年)であった。秀吉の正室である北政所(ねね、出家後は高台院湖月心尼)は秀吉の菩提を弔うための寺院の建立を発願し、当初は北政所の実母・朝日局が眠る康徳寺(京都の寺町にあった)をそれに充てようとしたが、手狭であったため、東山の現在地に新たな寺院を建立することになった。秀吉没後の権力者となった徳川家康は、北政所を手厚く扱い、配下の武士たちを高台寺の普請担当に任命した。中でも普請掛・堀直政の働きは大きかったようで、高台寺の開山堂には直政の木像が祀られている。高台寺の開山は慶長11年(1606年)で、当初は曹洞宗の寺院であった。寛永元年7月(1624年)、高台寺は臨済宗建仁寺派の大本山である建仁寺の三江紹益を中興開山に招聘。この時、高台寺は曹洞宗から臨済宗に改宗している。
北政所の兄・木下家定は建仁寺及び三江紹益と関係が深く、家定の七男が三江紹益のもとで出家していることも、この改宗と関連すると言われる。なお、北政所は同じ寛永元年の9月に没している。」

造営に際しては、徳川家康が豊臣家への政治的配慮から多額の財政的援助を行い、お寺の規模は壮麗雄大だったようです。しかし寛政元年(1789)2月焼失、その後も何度か火災に遭い、わずかに表門、開山堂、霊屋と茶室の傘亭・時雨亭(いずれも重文)観月台が創建時の建造物として残っているのみです。
臨済宗建仁寺派の寺院で、山号は鷲峰山(じゅぶさん)で、正式名称を「高台寿聖禅寺」という。釈迦如来を本尊とする禅宗寺院です。「高台寺」の名は、北政所の落飾(仏門に入る)後の院号である「高台院」からきている。
★拝観受付所
拝観休止日:なし ※悪天候などによる拝観休止あり
拝観時間:9:00~17:00(受付終了) ※夜間特別拝観期間は21:30(受付終了)
拝観料:大人600円 中高校生250円 小学生以下無料(保護者同伴)
*圓徳院、掌美術館との3カ所共通拝観券900円
高台寺: 湖月庵・遺芳庵(いほうあん)


拝観受付所から奥に入ると、茶席・湖月庵と鬼瓦席がある。この近辺の紅葉も鮮やかで綺麗だ。

湖月庵からさらに裏に回ると田舎屋風の小さな建物が見えてくる。これが茶席・遺芳庵(いほうあん)です。
京都の豪商であった灰屋紹益(はいやしょうえき)が、夫人であった島原の芸妓・吉野太夫を偲んで上京区に建てたもの。明治41年(1908)に紹益の旧邸跡からここへ移築されました。壁一杯に開けられた丸窓が特色で、「吉野窓」と呼ばれている。
高台寺: 方丈と波心庭

境内の中央に位置し、一番大きな建物が「方丈」です。方丈は、伏見城から移築された建物だったが火災に遭い、現在の建物は大正元年(1912)に再建されたものです。本尊の釈迦如来坐像が祀られている。
枯山水式庭園で「波心庭」と呼ばれている。白砂が敷き詰められ、東西に並んだ二つの立砂に波紋が描かれています。正面に見えるのは、大正元年(1912)に方丈とともに再建されたも勅使門。右端に少しだけ見えるのが唐門で、この近辺に植えられている枝垂桜の見事さは春の名所となっている。

高台寺: 開山堂と庭園

方丈の東には、広い池泉廻遊式庭園が広がる。庭園の中央には、偃月池と臥龍池に挟まれ開山堂が建つ。庭園は、小堀遠州の作庭と伝わり、国の史跡・名勝に指定されています。

偃月池を跨ぐように屋根付の廊下が設けられている。その中ほどにある少しだけ飛び出た建物が、秀吉遺愛の「観月台」(重要文化財)。一間四方と小さく、ここだけ檜皮葺きで唐破風造りの屋根となっている。ここから北政所は亡き秀吉を偲びながら月を眺めたそうです。


中門を入り、偃月池と臥龍池に挟まれた道を進めば開山堂(重要文化財)です。慶長10年(1605)に北政所の持仏堂として建てられたが、その後、高台寺に貢献された人の木像を祀る仏堂になっている。
中央奥に高台寺第一世の住持・三江紹益像、向かって右に北政所の兄の木下家定とその妻・雲照院の像、左に徳川家康の命を受け高台寺の普請に尽力した堀直政像を安置している。

開山堂の天井には特色があるといわれるので、外から覗き撮りさせてもらいました。
左側(外陣)の天井は、秀吉が使用していた御座船の天井そのものだそうです。漆黒の格子とくすんだ金色が歴史を感じさせてくるます。右側の内陣の天井は、北政所が使っていた御所車の遺材を用いたものだそうです。
高台寺: 臥龍廊(がりゅうろう)


開山堂から右上の高台にある霊屋へ、屋根付き廊下が通っている。半分は階段になっており、横から見たその形状が龍の背に似ていることから「臥龍廊(がりゅうろう)」と呼ばれる。渡ることはできません。

上の霊屋から見た臥龍廊。全長約60mくらい。この臥龍廊を渡って、秀吉とねねが祀られている霊屋へ登ることができたら、また違った感慨を受けることでしょうが・・・。人が殺到し、構造上耐えられないのでしょう。
高台寺: 霊屋(おたまや)

開山堂東横の高台に霊屋が建ち、臥龍廊で開山堂と繋がっている。霊屋(おたまや、重要文化財)は北政所(ねね)の墓所です。内陣中央の厨子内には大随求菩薩像が安置され、その右に豊臣秀吉の坐像が、左に北政所の片膝立の木像が配されている。北政所は自らの像の約2メートル下に葬られています。
建物は慶長10年(1605)に建てられたもので、屋根上に宝珠を乗せた宝形造檜皮葺きの堂。霊屋は火災に遭わず、創建時のままといわれるが、外見は綺麗に見える。改修を受けているのでしょうか?。屋根裏、棟木などに極彩色の飾り付けがなされ、墓所とは思われないような華やかさだ。

写真には撮れないが、内部の厨子や須弥壇などの堂内装飾に壮麗な蒔絵が施され、「高台寺蒔絵」と呼ばれています。また北政所所用と伝えられている多くの調度品類にも同じ様式の蒔絵が施され、高台寺は「蒔絵の寺」とも称されている。

霊屋前からの眺め、左が方丈、右が開山堂、そして臥龍池。高台にある霊屋から眺めた紅葉が、高台寺では一番綺麗です。池とお堂がより冴えます。
高台寺: 傘亭・時雨亭


霊屋手前に、さらに高台へ登る石の階段がある。登ると「傘亭」と「時雨亭」という二つの茶室が並んでいます。
傘亭は厚い茅葺きの屋根をもつ茶室。茶室にしては頑丈そうに見えるのは、伏見城から移されものだからでしょうか。内部には天井がなく、屋根裏は竹が放射状に組まれており、唐傘を広げたように見えることから「傘亭」と呼ばれている。「安閑窟」が正式名称で、重要文化財指定されている。

傘亭と屋根付きの土間廊下でつながった、もう一つの茶室「時雨亭」。こちらは二階建てで、これも伏見城からの移築といわれる。傘亭同様に重要文化財。「なお廊下は移転時に付加されたもので、両茶室はもともと別々に建っていたと考えられる」そうです。

この高い位置にある茶室からは、遠く大阪市内まで見通せる。大阪城落城のとき、北政所はこの高台寺にいたという。北政所(ねね)はこの二階建ての茶室で、炎上する大阪城をどのような気持ちで眺めていたのでしょうか。そしてこの9年後に、この高台寺で息を引き取ります。
高台寺: 竹林・雲居庵

高台から下へ降りていく途中に竹林の道がある。華やかな紅葉を見てきた後だけに、いっそう清々しい気分にさせてくれます。

竹林の道を過ぎるとお茶席「雲居庵」。これで高台寺境内を一周したことになる。最後はこの茶席で一服。ここの庭の紅葉も素晴らしい。お茶を味わいながらこの美しい紅葉を鑑賞って最高・・・、私は鑑賞だけでしたが。

出口を出てもまだ高台寺の境内です。天満宮や販売店、お茶所が並んでいる。鐘楼の所からの眺めも良い。京都市内が見渡せます。鐘楼には慶長11年(1606)銘の入った梵鐘(重要文化財)が吊るされていたが、老朽化のため2010年に外され、今は二代目が吊られている。
次は青蓮院門跡へ。
詳しくはホームページを