1980年に複数の学園祭を統合して始まった「六甲祭」。ニュースネットなどの記事で歴史をたどると、1980年代、1990年代は、ほぼとぎれることなく「ミスコン」が行われていた。
2002年にいったん外部からの抗議で途絶えたのちに、約10年後の2011年に六甲祭実行委の手で復活。実はこの時点でミスコンの是非についての意見が学内にあったと記事は伝えている。
そして、2002年の「中止」と、2011年の「復活」の“最終決定権”は、ともに大学側が持っていたこともわかった。
<特集「六甲祭を考える」取材班>
※新しい情報が入り次第項目を追加します。
※編集部では、神戸大学関係者からさらに多様な意見を求めています。フォーム https://forms.gle/7LSVVZXWiTo41cCb8 からお寄せください。
▼1980年代の六甲祭初期から続くミスコン
▽応援団総部の「ミス神大コン」から放送委の「ミス六甲祭アイドルコン」へ
▽2011年に六甲祭実行委の手でミスコン復活
▽中止、復活の“最終決定権”は大学側
《六甲祭でのミスコン開催年表》
《関連記事》
(写真:2011年ミスコン復活の初年度。「ミス・アンド・ミスターキャンパス」の終了後にリムジンの前に並ぶ参加者ら。11月12日・六甲台キャンパスで。一部画像を加工しています。撮影=ニュースネット 田中郁考)
医学部医学科の「大倉山祭」、同保健学科の「名谷祭」、海事科学部の「深江祭」と並ぶ学園祭で、神戸大の学園祭のなかでは最大規模。
それまで、経済・経営・法学部が「六甲台祭」を、理・農学部が「ハイツ祭」を行うなど、広い六甲台地区のキャンパスでばらばらに行われていた学園祭を統合し、 全学の“統一学園祭”にすることを目指してスタートした。
当初は、ハイツキャンパスも六甲祭会場だったが、自然科学研究棟の建設で使用できなくなった。さらに教養部(現・鶴甲第1キャンパス)も会場になったことがあるが、次第に会場は六甲台第1キャンパスに集約された。
1995年は、1月に阪神淡路大震災があり、神戸大生39人が亡くなるなど開催が危ぶまれたが、『Heartquake~復活の鼓動』をテーマに開催された。
▽応援団総部の「ミス神大コン」から放送委の「ミス六甲祭アイドルコン」へ
当初、「ミス神大コンテスト」という名称で応援団総部が六甲台グラウンドステージで行なっていた。1985年の第6回六甲祭の記事に「第4回Miss神大コンテスト」がプログラムに入っている。
2000年、2001年は放送委員会が「ミス六甲祭アイドルコンテスト」を実施。学内外から選ぶ形式になった。
ところが、2002年、開催直前に抗議メールが大学に届いて中止に追い込まれる。記事には、「過去の参加者の経歴(実名、学歴、スリーサイズ)が半年以上公開されていたことに対し、参加者の友人から大学に抗議のメールが送られてきたことが要因となった。協議の結果、大学は中止を決定」とある。
▽2011年に六甲祭実行委の手でミスコン復活
ところが約10年間のブランクの後、2011年に六甲祭実行委の手でミスコンは復活する。前年に他大学でミスコンが復活するなどの動きを受け、実行委の企画局長が課外活動支援係と折衝を重ねた末、「男性版も同時開催する」、「神戸大以外への積極的な露出を控える」などの対策を講じたところ、「大学内の関係委員会では反対意見もなく了承された」という。
ミスコンだけの開催を持ちかけたが、ある女性職員から「過去にミスコンが廃止になった社会的経緯を考えると、また同じことをやるのはどうなのか。何か新しいかたちを」という意見が出たことも、当時のニュースネットは伝えている。
▽中止、復活の“最終決定権”は大学側
こうして過去にさかのぼってみると、
▽40年前の六甲祭スタート当初から、ミスコンがあった。
▽運営は応援団総部、放送委、六甲祭実行委と移り変わった。
▽2002年に抗議のメールで中止になった。
▽2011年に復活した時点でミスコンの是非についての意見が学内にあった。
▽2002年の「中止」と2011年の「復活」の経緯を見ると、開催するかどうかの“最終決定権”は、大学側が持っていた。
といったことがわかってきた。
※編集部では、神戸大学関係者からさらに多様な意見を求めています。フォーム https://forms.gle/7LSVVZXWiTo41cCb8 からお寄せください。
「ミス神大」に輝くのは誰か!? ステージ企画
1985年 第6回六甲祭で「第4回Miss神大コンテスト」 メインステージ企画
1986年 「ミス神大コンテスト」 六甲台グラウンド
1987年 「ミス神大コンテスト」 六甲台グラウンドステージ/企画:応援団総部
1988年 「ミス神大ギャルコンテスト」 六甲台グラウンドステージ/企画:応援団総部
1989年 「ミス神大コンテスト」 六甲台グラウンドステージ/企画:応援団総部
1990年 「ミス神大コンテスト」 六甲台ステージ
<1991年〜94年は記事がなく不明>
1995年 「ミス神大コンテスト」
1996年 「ミス神大コンテスト」 メインステージ
1997年 「ミス神大コンテスト」 メインステージ
1998年 「ミス神大コンテスト」 メインステージ
1999年 女装企画 特設ステージ
2000年 「ミス六甲祭アイドルコンテスト」/主催:放送委
2001年 「ミス六甲祭アイドルコンテスト」 ゲストに宮村優子さん。
2002年 「ミス六甲祭アイドルコンテスト」 /主催:放送委(直前に中止)。
<この間ミスコンについての記事がない>
2011年 「ミス・アンド・ミスターキャンパス」として復活/主催:六甲祭実行委
2012年〜2019年 「Ms. Campus KOBE」/主催:六甲祭実行委
2017年 彼氏にしたい神大生を決める「モテコン」
2019年 第1回「神大ボーイズコンテスト」開催
2020年 「Ms. Campus KOBE」、「神大ボーイズコンテスト」オンライン開催に。
1989年 『KUBC PRESS』 11月号
六甲祭の華といえば何といってもミス神大コンテストだろう。毎年応援団の企画運営で、ゲームやインタビューを通じてミス神大を選考。神大のきれいどころが一堂に会して、神大一の美女の座をかけて争う。今年はミスシュプール号が選ばれる。
1990年 『KUBC PRESS』 11月号
あなたも身近な美女を探しに六甲台ステージへ急ごう。ミスシュプール号には旅行券プレゼント。 華やかな祭をさらに華やかなものにするミス神大コンテスト。応援団のノリのいい視界を中心にゲーム、インタビューを交えながら神大一の美女を決めるという企画。
1995年 『神戸大学NEWS NET』 六甲祭 復興パワーで大盛況
11月11、12の両日開かれた第16回六甲祭。初日に小雨がぱらついたものの、二日目は快晴に恵まれ、多くの人でにぎわった。(中略)今年のミス神大コンテストでは、放送委のMさん(発達1年)が選ばれた。(中略)フィナーレを飾る後夜祭は、二日目午後五時から前庭ステージで応援団によって行われた。チアガールの胸には、震災で亡くなった応援団長の高見秀樹さんの遺影が掲げられていた。
https://www.unn-news.com/newsnet/1995/11/12/
(1995年11月12日付)
1996年 『神戸大学NEWS NET』 本紙11月号
「ミス神大コンテスト」は毎年恒例。ゲームを通して容姿のほかに教養・社交性を問うミスコン。
1997年 『神戸大学NEWS NET』 本紙11月号
「ミス神大コンテスト」。ゲームを通して容姿のほかに教養・社交性を問うミスコン。
1998年 『神戸大学NEWS NET』 本紙11月号
神戸大の女性ならだれでも参加できるのが「ミス神大コンテスト」。選ばれるとホテルのディナー券やハウステンボス招待券など豪華賞品がもらえる。
2000年 『神戸大学NEWS NET』 WEB投票受け付け
六甲祭の「ミス六甲祭アイドルコンテスト」(主催=放送委員会)では、WEB投票を受け付けている。最終投票と審査は十一月十二日(日)午前十一時から、六甲祭メインステージで行われる。審査員はABCラジオでおなじみのジャンプ藤井さん、竹内義和さん、板井昭浩さん。
(2000年11月2日付)
https://www.unn-news.com/newsnet/2000/11/02/
2000年 『神戸大学NEWS NET』 六甲祭2000 盛況のうち幕を閉じる
今年は学内だけでなく、卒業生や他大学生など一般公募からのエントリーも。審査員にはジャンプ酒井さん、竹内義和さん、板井昭浩さんを迎え、ステージ前には多くの男性でにぎわった。
「恋人に浮気がばれたら」などのシチュエーションへの対応を見るという審査内容。中には迫真の演技もあり、笑いや拍手がたえなかった。
グランプリを受賞したのはAさん。18歳、山口県立防府高校の3年生だ。清純派のイメージが受け、みごとミス六甲祭に選ばれた。土井さんは「まさか自分が選ばれるとは。遠くから神戸に来て、よかったです。楽しかった」と話した。(2000年11月12日付)
https://www.unn-news.com/newsnet/2000/11/12/
2001年 『神戸大学NEWS NET』 六甲祭プロコンゲスト決定
11月10日14時から行われる講演会にはTBS元テレビプロデューサーの貴島誠一郎さんが、11日に行われるミス六甲祭アイドルコンテストにはタレントの宮村優子さんがそれぞれ招かれることとなった。(2001年9月11日付)
https://www.unn-news.com/newsnet/2001/09/11/
2002年 『神戸大学NEWS NET』 今年度は中止 ミス六甲祭
学内外から参加者を募り、最も魅力的な女性を選ぶ「ミス六甲祭アイドルコンテスト」(主催:神戸大学放送委員会)が今年度中止になった。
同コンテストのホームページに過去の参加者の経歴(実名、学歴、スリーサイズ)が半年以上公開されていたことに対し、参加者の友人から大学に抗議のメールが送られてきたことが要因となった。
協議の結果、大学は中止を決定。11月10日に放送委員会に伝えた。同委員会担当者のBさん(文・2年)は「直前まで来ただけに残念」と話した。(2002年11月8日付)
http://www.unn-news.com/newsnet/2002/11/08/
2011年 『神戸大学NEWS NET』 ミスコン復活の舞台裏 六甲祭2011
秋晴れに恵まれた11月12日と13日、神戸大の秋の名物「六甲祭」が今年も開催された。(中略)特に今年はかつて一度は廃止されたミスコンが復活した。その裏側に迫った。【11月30日 神戸大NEWS NET=UNN】
神戸大にミスコンが復活した。12日の午後、六甲祭メインステージで男女4人ずつの出場者はそれぞれギター、手品、漫才など思い思いのパフォーマンスを3分間披露。観客の投票の末、ミス神戸大はAさん(法科大学院・2年)に、ミスター神戸大はBさん(工・2年)に決まった。
かつて一度は廃止されたミスコン。復活の陰には六甲祭実行委員会(六実)の尽力があった。
昨年12月、六実の屋外企画局長の選定にあたって、「六甲祭に足りないと思っていた」というCさん(経済・3年)がミスコン復活を公約に掲げ、当選。企画がスタートした。実際に動いたのは「ミスコンをやりたくて屋外企画局に入った」という2年生のDさん(理・2年)ら3人だ。
Dさんは「20年くらい前までは六実がやっていたようだが、それ以来タブーみたいになっていた」と話す。ジェンダー問題などから廃止に向かったようだ。
ところが、昨年立命館でミスコンが復活するなど、関西の大学でにわかに復活の兆しが見えている。ここ神戸大でもCさんによると「復活の要望は大きかった」。実際11月4日に大学内にいた学生48人に聞き込みしたところ「開催に賛成」が30人、「どちらでもない」が17人、「反対」が1人と無関心がやや多いものの開催は歓迎されていた。
六甲祭の企画はすべて大学当局の許可を得なければならない。六実と担当職員との折衝をへて、大学内の関係委員会の承認が下ると企画実行が可能となる。
Cさんらとの折衝を担当した課外活動支援係のEさんは「学生のやることは応援したい一方、ネット社会のいま何が起こるか分からない」と複雑な心境だったという。クレーム、ストーカーなどが懸念されたようだ。また当初、Cさんらは女性だけでの開催を持ちかけたが、ある女性職員から「過去にミスコンが廃止になった社会的経緯を考えると、また同じことをやるのはどうなのか。何か新しいかたちを」という意見が出た。
そこで、男性版の「ミスター」も同時開催することにし、また神戸大外への積極的な露出を控えるなどの対策を講じた。「大学はミスコンにありがちな露出を控えてほしいとのことだった。その中で折り合いをつけるのが大変だった」とCさん。数回のやりとりの末、Eさんは太鼓判を捺した。Eさんは大学内の関係委員会へ企画書を提出。そこでは特に反対意見もなく了承された。
「来年度以降はもっと規模を拡大していきたい。学生を刺激できるような企画を」とDさん。さらに「神戸の街へ貢献し、良さを発信していきたい」という。彼らが目指すのは「日本一のミスコン」だ。 (2011年11月30日)
https://www.unn-news.com/newsnet/2011/11/30/
※編集部では、神戸大学関係者からさらに多様な意見を求めています。フォーム https://forms.gle/7LSVVZXWiTo41cCb8 からお寄せください。
(画像 ↑:1995年六甲祭「ミス神大コンテスト」の結果を報じる、11月12日付ニュースネット委員会ホームページのスクリーンショット。一部画像を加工しています。)
(画像 ↑:2000年六甲祭で放送委が主催した「ミス六甲祭コンテスト」投票募集のホームページのスクリーンショット。募集要項の上欄には学内外から応募のあった8人の写真も掲載し、事前のWeb投票を呼びかけていた。現在、写真はリンクが外れている。)
(画像 ↑:2002年六甲祭で「ミス六甲祭コンテスト」中止を伝えるニュースネット委員会ホームページのスクリーンショット。一部画像を加工しています。)
(画像 ↑:2011年六甲祭で行われた「ミス・アンド・ミスターキャンパス」の結果を伝える、11月30日付ニュースネット委員会ホームページのスクリーンショット。一部画像を加工しています。)
※編集部では、神戸大学関係者からさらに多様な意見を求めています。フォーム https://forms.gle/7LSVVZXWiTo41cCb8 からお寄せください。
【関連記事】
▽「緊急特集:六甲祭を考える① なぜミスコン・ミスターコンだけの開催なのか」
https://blog.goo.ne.jp/kobe_u_media/e/8d0418a3ebc49428fe3788df9149a4fd
▽「緊急特集:六甲祭を考える② 1980年代から続くミスコンの歴史」https://blog.goo.ne.jp/kobe_u_media/e/b9bd45a2380d3b19208dd03a7488a013
▽「緊急特集:六甲祭を考える③ ミスコン・ミスターコン自体への賛否」https://blog.goo.ne.jp/kobe_u_media/e/fe7302b37428d5befef46b513be16e09
了
[2020年10月15日 23:38アップロード]
2002年にいったん外部からの抗議で途絶えたのちに、約10年後の2011年に六甲祭実行委の手で復活。実はこの時点でミスコンの是非についての意見が学内にあったと記事は伝えている。
そして、2002年の「中止」と、2011年の「復活」の“最終決定権”は、ともに大学側が持っていたこともわかった。
<特集「六甲祭を考える」取材班>
※新しい情報が入り次第項目を追加します。
※編集部では、神戸大学関係者からさらに多様な意見を求めています。フォーム https://forms.gle/7LSVVZXWiTo41cCb8 からお寄せください。
<目次>
▼1980年に始まった六甲祭▼1980年代の六甲祭初期から続くミスコン
▽応援団総部の「ミス神大コン」から放送委の「ミス六甲祭アイドルコン」へ
▽2011年に六甲祭実行委の手でミスコン復活
▽中止、復活の“最終決定権”は大学側
《六甲祭でのミスコン開催年表》
《関連記事》
(写真:2011年ミスコン復活の初年度。「ミス・アンド・ミスターキャンパス」の終了後にリムジンの前に並ぶ参加者ら。11月12日・六甲台キャンパスで。一部画像を加工しています。撮影=ニュースネット 田中郁考)
▼1980年に始まった六甲祭
神戸大の六甲台地区(六甲台・鶴甲両キャンパス)で行われる学内最大の学園祭「六甲祭」。1980年に始まり、去年が40回目だった。医学部医学科の「大倉山祭」、同保健学科の「名谷祭」、海事科学部の「深江祭」と並ぶ学園祭で、神戸大の学園祭のなかでは最大規模。
それまで、経済・経営・法学部が「六甲台祭」を、理・農学部が「ハイツ祭」を行うなど、広い六甲台地区のキャンパスでばらばらに行われていた学園祭を統合し、 全学の“統一学園祭”にすることを目指してスタートした。
当初は、ハイツキャンパスも六甲祭会場だったが、自然科学研究棟の建設で使用できなくなった。さらに教養部(現・鶴甲第1キャンパス)も会場になったことがあるが、次第に会場は六甲台第1キャンパスに集約された。
1995年は、1月に阪神淡路大震災があり、神戸大生39人が亡くなるなど開催が危ぶまれたが、『Heartquake~復活の鼓動』をテーマに開催された。
▼1980年代の六甲祭初期から続くミスコン
ニュースネット委員会の記事、その前身の放送委員会発行の『KUBC PRESS』の縮刷版(1982年〜1991年)の記事から、六甲祭にあるミスコン・ミスターコンの歴史を拾っていくと、1980年代の六甲祭初期からミスコンが開催されていたことがわかる。▽応援団総部の「ミス神大コン」から放送委の「ミス六甲祭アイドルコン」へ
当初、「ミス神大コンテスト」という名称で応援団総部が六甲台グラウンドステージで行なっていた。1985年の第6回六甲祭の記事に「第4回Miss神大コンテスト」がプログラムに入っている。
2000年、2001年は放送委員会が「ミス六甲祭アイドルコンテスト」を実施。学内外から選ぶ形式になった。
ところが、2002年、開催直前に抗議メールが大学に届いて中止に追い込まれる。記事には、「過去の参加者の経歴(実名、学歴、スリーサイズ)が半年以上公開されていたことに対し、参加者の友人から大学に抗議のメールが送られてきたことが要因となった。協議の結果、大学は中止を決定」とある。
▽2011年に六甲祭実行委の手でミスコン復活
ところが約10年間のブランクの後、2011年に六甲祭実行委の手でミスコンは復活する。前年に他大学でミスコンが復活するなどの動きを受け、実行委の企画局長が課外活動支援係と折衝を重ねた末、「男性版も同時開催する」、「神戸大以外への積極的な露出を控える」などの対策を講じたところ、「大学内の関係委員会では反対意見もなく了承された」という。
ミスコンだけの開催を持ちかけたが、ある女性職員から「過去にミスコンが廃止になった社会的経緯を考えると、また同じことをやるのはどうなのか。何か新しいかたちを」という意見が出たことも、当時のニュースネットは伝えている。
▽中止、復活の“最終決定権”は大学側
こうして過去にさかのぼってみると、
▽40年前の六甲祭スタート当初から、ミスコンがあった。
▽運営は応援団総部、放送委、六甲祭実行委と移り変わった。
▽2002年に抗議のメールで中止になった。
▽2011年に復活した時点でミスコンの是非についての意見が学内にあった。
▽2002年の「中止」と2011年の「復活」の経緯を見ると、開催するかどうかの“最終決定権”は、大学側が持っていた。
といったことがわかってきた。
※編集部では、神戸大学関係者からさらに多様な意見を求めています。フォーム https://forms.gle/7LSVVZXWiTo41cCb8 からお寄せください。
《六甲祭でのミスコン開催年表》
1984年 第5回六甲祭で「スポーツギャルコンテスト」 「ミス神大」に輝くのは誰か!? ステージ企画
1985年 第6回六甲祭で「第4回Miss神大コンテスト」 メインステージ企画
1986年 「ミス神大コンテスト」 六甲台グラウンド
1987年 「ミス神大コンテスト」 六甲台グラウンドステージ/企画:応援団総部
1988年 「ミス神大ギャルコンテスト」 六甲台グラウンドステージ/企画:応援団総部
1989年 「ミス神大コンテスト」 六甲台グラウンドステージ/企画:応援団総部
1990年 「ミス神大コンテスト」 六甲台ステージ
<1991年〜94年は記事がなく不明>
1995年 「ミス神大コンテスト」
1996年 「ミス神大コンテスト」 メインステージ
1997年 「ミス神大コンテスト」 メインステージ
1998年 「ミス神大コンテスト」 メインステージ
1999年 女装企画 特設ステージ
2000年 「ミス六甲祭アイドルコンテスト」/主催:放送委
2001年 「ミス六甲祭アイドルコンテスト」 ゲストに宮村優子さん。
2002年 「ミス六甲祭アイドルコンテスト」 /主催:放送委(直前に中止)。
<この間ミスコンについての記事がない>
2011年 「ミス・アンド・ミスターキャンパス」として復活/主催:六甲祭実行委
2012年〜2019年 「Ms. Campus KOBE」/主催:六甲祭実行委
2017年 彼氏にしたい神大生を決める「モテコン」
2019年 第1回「神大ボーイズコンテスト」開催
2020年 「Ms. Campus KOBE」、「神大ボーイズコンテスト」オンライン開催に。
《関連記事》
1989年 『KUBC PRESS』 11月号
六甲祭の華といえば何といってもミス神大コンテストだろう。毎年応援団の企画運営で、ゲームやインタビューを通じてミス神大を選考。神大のきれいどころが一堂に会して、神大一の美女の座をかけて争う。今年はミスシュプール号が選ばれる。
1990年 『KUBC PRESS』 11月号
あなたも身近な美女を探しに六甲台ステージへ急ごう。ミスシュプール号には旅行券プレゼント。 華やかな祭をさらに華やかなものにするミス神大コンテスト。応援団のノリのいい視界を中心にゲーム、インタビューを交えながら神大一の美女を決めるという企画。
1995年 『神戸大学NEWS NET』 六甲祭 復興パワーで大盛況
11月11、12の両日開かれた第16回六甲祭。初日に小雨がぱらついたものの、二日目は快晴に恵まれ、多くの人でにぎわった。(中略)今年のミス神大コンテストでは、放送委のMさん(発達1年)が選ばれた。(中略)フィナーレを飾る後夜祭は、二日目午後五時から前庭ステージで応援団によって行われた。チアガールの胸には、震災で亡くなった応援団長の高見秀樹さんの遺影が掲げられていた。
https://www.unn-news.com/newsnet/1995/11/12/
(1995年11月12日付)
1996年 『神戸大学NEWS NET』 本紙11月号
「ミス神大コンテスト」は毎年恒例。ゲームを通して容姿のほかに教養・社交性を問うミスコン。
1997年 『神戸大学NEWS NET』 本紙11月号
「ミス神大コンテスト」。ゲームを通して容姿のほかに教養・社交性を問うミスコン。
1998年 『神戸大学NEWS NET』 本紙11月号
神戸大の女性ならだれでも参加できるのが「ミス神大コンテスト」。選ばれるとホテルのディナー券やハウステンボス招待券など豪華賞品がもらえる。
2000年 『神戸大学NEWS NET』 WEB投票受け付け
六甲祭の「ミス六甲祭アイドルコンテスト」(主催=放送委員会)では、WEB投票を受け付けている。最終投票と審査は十一月十二日(日)午前十一時から、六甲祭メインステージで行われる。審査員はABCラジオでおなじみのジャンプ藤井さん、竹内義和さん、板井昭浩さん。
(2000年11月2日付)
https://www.unn-news.com/newsnet/2000/11/02/
2000年 『神戸大学NEWS NET』 六甲祭2000 盛況のうち幕を閉じる
今年は学内だけでなく、卒業生や他大学生など一般公募からのエントリーも。審査員にはジャンプ酒井さん、竹内義和さん、板井昭浩さんを迎え、ステージ前には多くの男性でにぎわった。
「恋人に浮気がばれたら」などのシチュエーションへの対応を見るという審査内容。中には迫真の演技もあり、笑いや拍手がたえなかった。
グランプリを受賞したのはAさん。18歳、山口県立防府高校の3年生だ。清純派のイメージが受け、みごとミス六甲祭に選ばれた。土井さんは「まさか自分が選ばれるとは。遠くから神戸に来て、よかったです。楽しかった」と話した。(2000年11月12日付)
https://www.unn-news.com/newsnet/2000/11/12/
2001年 『神戸大学NEWS NET』 六甲祭プロコンゲスト決定
11月10日14時から行われる講演会にはTBS元テレビプロデューサーの貴島誠一郎さんが、11日に行われるミス六甲祭アイドルコンテストにはタレントの宮村優子さんがそれぞれ招かれることとなった。(2001年9月11日付)
https://www.unn-news.com/newsnet/2001/09/11/
2002年 『神戸大学NEWS NET』 今年度は中止 ミス六甲祭
学内外から参加者を募り、最も魅力的な女性を選ぶ「ミス六甲祭アイドルコンテスト」(主催:神戸大学放送委員会)が今年度中止になった。
同コンテストのホームページに過去の参加者の経歴(実名、学歴、スリーサイズ)が半年以上公開されていたことに対し、参加者の友人から大学に抗議のメールが送られてきたことが要因となった。
協議の結果、大学は中止を決定。11月10日に放送委員会に伝えた。同委員会担当者のBさん(文・2年)は「直前まで来ただけに残念」と話した。(2002年11月8日付)
http://www.unn-news.com/newsnet/2002/11/08/
2011年 『神戸大学NEWS NET』 ミスコン復活の舞台裏 六甲祭2011
秋晴れに恵まれた11月12日と13日、神戸大の秋の名物「六甲祭」が今年も開催された。(中略)特に今年はかつて一度は廃止されたミスコンが復活した。その裏側に迫った。【11月30日 神戸大NEWS NET=UNN】
神戸大にミスコンが復活した。12日の午後、六甲祭メインステージで男女4人ずつの出場者はそれぞれギター、手品、漫才など思い思いのパフォーマンスを3分間披露。観客の投票の末、ミス神戸大はAさん(法科大学院・2年)に、ミスター神戸大はBさん(工・2年)に決まった。
かつて一度は廃止されたミスコン。復活の陰には六甲祭実行委員会(六実)の尽力があった。
昨年12月、六実の屋外企画局長の選定にあたって、「六甲祭に足りないと思っていた」というCさん(経済・3年)がミスコン復活を公約に掲げ、当選。企画がスタートした。実際に動いたのは「ミスコンをやりたくて屋外企画局に入った」という2年生のDさん(理・2年)ら3人だ。
Dさんは「20年くらい前までは六実がやっていたようだが、それ以来タブーみたいになっていた」と話す。ジェンダー問題などから廃止に向かったようだ。
ところが、昨年立命館でミスコンが復活するなど、関西の大学でにわかに復活の兆しが見えている。ここ神戸大でもCさんによると「復活の要望は大きかった」。実際11月4日に大学内にいた学生48人に聞き込みしたところ「開催に賛成」が30人、「どちらでもない」が17人、「反対」が1人と無関心がやや多いものの開催は歓迎されていた。
六甲祭の企画はすべて大学当局の許可を得なければならない。六実と担当職員との折衝をへて、大学内の関係委員会の承認が下ると企画実行が可能となる。
Cさんらとの折衝を担当した課外活動支援係のEさんは「学生のやることは応援したい一方、ネット社会のいま何が起こるか分からない」と複雑な心境だったという。クレーム、ストーカーなどが懸念されたようだ。また当初、Cさんらは女性だけでの開催を持ちかけたが、ある女性職員から「過去にミスコンが廃止になった社会的経緯を考えると、また同じことをやるのはどうなのか。何か新しいかたちを」という意見が出た。
そこで、男性版の「ミスター」も同時開催することにし、また神戸大外への積極的な露出を控えるなどの対策を講じた。「大学はミスコンにありがちな露出を控えてほしいとのことだった。その中で折り合いをつけるのが大変だった」とCさん。数回のやりとりの末、Eさんは太鼓判を捺した。Eさんは大学内の関係委員会へ企画書を提出。そこでは特に反対意見もなく了承された。
「来年度以降はもっと規模を拡大していきたい。学生を刺激できるような企画を」とDさん。さらに「神戸の街へ貢献し、良さを発信していきたい」という。彼らが目指すのは「日本一のミスコン」だ。 (2011年11月30日)
https://www.unn-news.com/newsnet/2011/11/30/
※編集部では、神戸大学関係者からさらに多様な意見を求めています。フォーム https://forms.gle/7LSVVZXWiTo41cCb8 からお寄せください。
(画像 ↑:1995年六甲祭「ミス神大コンテスト」の結果を報じる、11月12日付ニュースネット委員会ホームページのスクリーンショット。一部画像を加工しています。)
(画像 ↑:2000年六甲祭で放送委が主催した「ミス六甲祭コンテスト」投票募集のホームページのスクリーンショット。募集要項の上欄には学内外から応募のあった8人の写真も掲載し、事前のWeb投票を呼びかけていた。現在、写真はリンクが外れている。)
(画像 ↑:2002年六甲祭で「ミス六甲祭コンテスト」中止を伝えるニュースネット委員会ホームページのスクリーンショット。一部画像を加工しています。)
(画像 ↑:2011年六甲祭で行われた「ミス・アンド・ミスターキャンパス」の結果を伝える、11月30日付ニュースネット委員会ホームページのスクリーンショット。一部画像を加工しています。)
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了
[2020年10月15日 23:38アップロード]
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