あのころは、阪神ファンだった。
子供のころは、ずっと阪神ファンだった。掛布のファンだった。いつも背番号31のTシャツを着ていた。左打ちに変えた。サードを守った。優勝したとき、バースに嫉妬した。掛布こそが阪神を優勝に導いたと、せめて自分だけはそう思った。
掛布が引退して、阪神への熱は冷めた。入れ替わりに、ホークスが福岡にやって来た。自分たちの世代にとっては、初めての地元球団だった。そのすぐ後に東京に行くことになったが、地元の誇りとして、遠くから弱小チームを応援した。
そのホークスが、今年、プレーオフでロッテに敗れた。
1985年―阪神が日本一になった年として、永遠に語り継がれている。
振り返ればこの年は、自分にとっても人生の分岐点だった。
2005年―交流戦初代王者、プレーオフの死闘、そして日本シリーズ4連勝。
今後この年は、ロッテの年として語り継がれることになるはずだ。
この年、自分にとってはどういう年として位置づけられるのだろう。
日本シリーズ終了。そして、僕も動き始める。
子供のころは、ずっと阪神ファンだった。掛布のファンだった。いつも背番号31のTシャツを着ていた。左打ちに変えた。サードを守った。優勝したとき、バースに嫉妬した。掛布こそが阪神を優勝に導いたと、せめて自分だけはそう思った。
掛布が引退して、阪神への熱は冷めた。入れ替わりに、ホークスが福岡にやって来た。自分たちの世代にとっては、初めての地元球団だった。そのすぐ後に東京に行くことになったが、地元の誇りとして、遠くから弱小チームを応援した。
そのホークスが、今年、プレーオフでロッテに敗れた。
1985年―阪神が日本一になった年として、永遠に語り継がれている。
振り返ればこの年は、自分にとっても人生の分岐点だった。
2005年―交流戦初代王者、プレーオフの死闘、そして日本シリーズ4連勝。
今後この年は、ロッテの年として語り継がれることになるはずだ。
この年、自分にとってはどういう年として位置づけられるのだろう。
日本シリーズ終了。そして、僕も動き始める。