やま建築研究所

私が感じたこと、気になった建築などを書き留めたノートです。

もう去年の話となってしまいましたが・・・ 福島県会津若松へ行ってきました。

2010年01月04日 01時44分44秒 | Weblog

2009年12月16日から17日にかけて福島県会津若松へ行ってきました。
理由はこのブログのコーナー「建築の歩き方」のネタ探し。
目的地は「大内宿」「さざえ堂」です。
詳しくは更新日未定の「建築の歩き方」を見て頂くとして、今回はちょっとした旅行記です。

12月16日、いつもは終電間際までいる事務所を18時には飛び出して、19時20分発の高速バス乗り場へ向かいました。

しかし・・・ まさかの乗り遅れ。
一旦、自宅へ戻りました。

一年一度の遠征旅行。
そう思って旅行気分を味わえる大浴場付きのホテルを予約していたのですが、キャンセル。
明日の一番電車で行こうかと迷いつつ、インターネットで作戦を練っていると、今夜23時45分発の夜行バスを発見。
しかも出発直前まで予約が可能だったので即決めました。
だって電車だと高いですからね。

新宿発、福島着のバス。
どこでも寝れるたちなのですが、北上するほど寒くなり、この日は今年一番の冷え込みだったそうで、窓から冷気がじりじりと伝わってきて熟睡できませんでした。

福島駅到着は午前4時。
会津若松行きの始発まではいささか時間があるので、24時間空いているマクドナルドかファミレスで時間をつぶそう、出発時はそのように考えていました。

しかし・・・、見通しは甘かった。
辺りにはそれらしきものは何も見当たらず、人っ子一人歩いていませんでした。
寒風吹きずさむ夜明け前。気温も2、3度か。
このままでは死んでしまう・・・。
そう思って夜の福島駅周辺をさまよっていると、「なか卯」が開いていました。
まさに天の助け。
うどん一杯で6時過ぎまで滞在しました。



福島から会津若松まではバスでおよそ2時間。
バスの後は電車、ではなくディーゼル列車で湯野上温泉駅で下車。
ここ湯野上温泉駅は日本で唯一の茅葺屋根の駅舎です。


         湯野上温泉駅

さぞかし古い駅舎なんだろうと思っていましたが、完成は1987年とごく最近。
とは言っても外観も中身も本格的民家風。


         駅舎内の囲炉裏

待合室の囲炉裏には本物の火がともされ、あたたか~い雰囲気をかもし出してます。
屋根裏や梁がすすで黒光りしているのも本格的ですな。


          駅舎内天井

ここから最初の目的地、大内宿へと向かいますが、大内宿については後日、やま建にて報告です!

せっかくの温泉街なので、帰りは駅近くの露天風呂に入ってきました。
この時期は観光客はまばらで貸切状態。
ゆっくりつかることができたので、冷えた体にぬくもりが戻ってきました。


        駅近くの露天風呂

さて、会津若松に戻って「さざえ堂」へと向かいます。
会津の街を見下ろす飯盛山(いいもりやま)の中腹にあり、駅からは歩いて約20分。
「さざえ堂」についてはまた後日として、この山は明治の初めに悲劇の舞台となった場所でもあります。

さかのぼること約140年前の戊辰戦争時
劣勢に次ぐ劣勢で飯盛山に落ち延びた会津藩の少年兵 白虎隊
この高台から見た光景は「お城が燃えている!」
そこは自分達が帰るべき、守るべき城。
実際は城の近くの建物が燃えていただけだったのですが、総勢20名の白虎隊隊士は戦況の先入観により落城による炎上と見間違い、自決を決心しました。


 白虎隊が自決した場所から鶴ヶ城方向を望む


その後、地元の有志により、城が見通せる眺めのよい場所に墓がつくられ、今も会津の街を見守り続けています。

まだ16、17歳くらいの少年兵が、城と運命を共にする純粋なる忠誠心。
この話には外国人も感銘を受けたそうで、飯盛山の白虎隊の墓の近くにはイタリアから贈られた古代遺跡の柱で作られた記念碑があったり、ドイツ人の駐在官から贈られた碑もあります。


イタリアから贈られた記念碑


20年以上前の話ですが、私もドラマで見て泣きそうなぐらい感銘を受けた覚えがあります。

飯盛山から眺めた鶴ヶ城、最後はそこまで歩いていきました。
城の最上階から見た会津の街。
重い雲と合間から射す夕日は山の雪化粧を引き立たせています。


           鶴ヶ城からみた会津若松市街


冬の東北はやっぱり寒かった。
でも、冬しか見れないこの景色。
冬の東北のよさがここにありました。


    


















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