やま建築研究所

私が感じたこと、気になった建築などを書き留めたノートです。

aikoさんのライブ「Love Like Pop vol.15」に行ってきました。

2012年09月25日 14時03分07秒 | Weblog

「Love Like Pop vol.15」
2012年7月19日にaikoさんのライブに行ってきました。




場所は渋谷のNHKホール、大みそかの紅白歌合戦の会場でおなじみです。
そういえば、かつてのAD時代に、スタッフとして舞台裏に来た時がありました。かれこれ15、6年ぶり。
その時私はTBSのレコード大賞の臨時スタッフ。大量の人員が必要なので、他の番組を担当していても年末は掛けもちで駆り出されてました。
当時レコード大賞と紅白歌合戦は同日の生放送。しかも両方に出演する歌手も多かったので、新人ADはNHKホールの舞台袖で待機。紅白の出演が終わったとたん、出番に遅れないようすぐにレコード大賞の会場へ誘導するという役割を任されてました。
大みそかの夜の思い出が残るNHKホール。あの時の舞台裏の記憶が巡る・・・。

座席はC列で一番後ろの列。観客席側から見るのはは初めてで、思いのほか大きいホールだと実感しました。
待ちに待った開演。舞台袖から出てきた小さなaikoさん、距離もあるのでさらに小さく見えました。
小さくてもパワー全開。舞台を右に左に、前に後ろに縦横無尽にかけめぐる。
お約束の「男子ー!」「イエーィ」、「女子ー!」「イエーィ」、「そうでない人!」小さく「イエーィ」。
aikoさんの呼びかけとオーディエンスとの息の合った掛け合いで、ますます一体感が深まる。

アーティストの話を生で聞けるというのもライブの醍醐味の1つだか、「トークショーか!」と突っ込みたくなるくらい長い。でもみんな静かに聞いている。さすが大阪女子、しゃべりが達者だ。

aikoオリジナルの「即興弾き語り」は落語の三題話のようなもの。客からお題をもらって即興で歌詞と音楽をつくる神業的パフォーマンス。これはすごかった!

aikoさんと言えば、私の世代にとっては「カブトムシ」「ボーイフレンド」がテッパンソング。必ず歌ってくれんだろうなと思っていたが、ナシ。最近の曲が多くてついていけないところもあったのは、歳のせいだろうか。


    




木村カエラさんのライブに行ってきました。

2012年03月24日 01時04分18秒 | Weblog


2012年3月6日、日本武道館。
開演は18時30分。
15分前に到着すると、すでに客席はほぼ満席。ぐるっと見渡すと男子と女子、ほぼ半々くらいか。
アイドルではなく女性アーティストという肩書がしっくりくるのは、性別によらず人気がある故か。
カエラさんの曲をよく聞いたのは、営業に向かう社用車の中。10年前の車なので、今どきカセットながら・・・。
でもテンポがよくて気分がのる。聞いてて楽しいだけでなく、しっとりと聞かせる歌もある。「カエラ泣くでー」が耳鳴りのように残るテレビCMや、雑誌の広告でも印象的だ。
そう思っていた半年前、たまたま目にしたチケット先行販売のポスターに促され、これはと思って予約すると、まさかの当選。
ツイていたのか、応募者が少なかったのか。ともあれ嬉しい反面「どうやって仕事を抜け出そう・・・」と、企みが頭をめぐる。

そんな苦労が報われたのか、座席は2階席の一番前の通路側と、眺望この上ない。座っていてもよく見える場所だが、ライブが始まったと同時に観客席も総立ち。一人だけ座っているわけにもいかず、そのまま最後まで立ちっぱなしだった。



ライブのテーマが「スパイダー」だったらしく、黒の衣装は蜘蛛の糸をあしらった大人の装い。
落ち着いた雰囲気をかもし出しながらも、最初からハイテンションな曲とダンスにつられ、会場もヒートアップ。
最初は照れもあって手拍子くらいで勘弁して!なノリの私だったが、なんだか逆に目立つので、みんなに合わせて手を振ったり、ジャンプしたりとはじけてしまった。
カラフルな衣装にチェンジしてのアンコール。結婚式の定番ソングとなった「バタフライ」は自身で作詞したそうだ。
いい曲はこうやって大勢で聞くと、さらにジーンとくる。ライブならではの体験ですな。
開始から終了まで、約2時間半。歌って踊りまくったカエラさん。出産後の体力は、回復どころかさらに強くなったのでは!?
「 ~♪ 靴をならし高く高くジャンプして、いつでもそばで気にかけてる、みんなの笑顔が見たい!~♪」by Magic Music。お客さんへ向けた替え歌のサービスで会場はひとつになる。

気分が晴れ元気になる効果、そして五感へのたゆみない刺激。
大塚愛さん以来、ライブの魅力にとり付かれています。


    


京都大学 鎌田教授の講演会に行ってきました。

2010年12月27日 01時36分54秒 | Weblog

12月16日夜、六本木ヒルズへ鎌田浩毅先生「座右の古典」出版記念セミナーへ行ってきました。
鎌田先生とは、科学をわかりやすく解説することに定評があり、最近ではテレビや雑誌の出演も多い京都大学の先生です。
理学博士で専門は火山学でありながらも、世界の古典を読破し、自身の研究や大学の講義に役立てています。

「古典は読み方次第で、現代のビジネスにも役立つはずだ。」
今までの経験が確信となり、本にまとめることで、より多くの人に古典のよさを知ってもらいたい。
そんな鎌田先生の思いがつまった著作「座右の古典」。

といっても、私はまだ読んでいませんし、買ってもいません。
今回はこの著作の話を聞きたくてというよりか、京都大学で人気No.1の教授とはいったいどんな「話しぶり」をするのか、見て、聞いて、感じたくて参加してきました。
今、私が一番興味があるテーマが、プレゼンの仕方です。

個性的?それとも奇抜?意見が分かれそうないでたちで登場。このファッションは、有名デザイナーの作品だそうですが、これもプレゼンのうちなのかも、という気もします。
早口でしたが、ほとんど気になりません。それより自信に満ちた話し方に引き込まれてしまいました。
先日読んだ「スティーブ・ジョブズ 驚異のプレゼン」に、わかり易く伝えるには例え話が効果的だとありましたが、地層を地球の古文書だと表現するなど、鎌田先生の話の中にも散りばめられていました。

人前で話すことが得意なように見えますが、初めて教壇に立った頃は、散々だったとのこと。
どうにかしなければという思いが室町時代の猿楽師、世阿弥の「自分の姿を客観視することが必要」という言葉にヒントを得ます。
世阿弥と同じ人前に出る立場として、自分の講義をビデオで録画。何度も見て悪いところを直します。
その甲斐あり、難解な火山学の講義でありながら、今では、京大で講義が一番おもしろい先生との評判です。成果の影には古典がありました。

後半は質問タイムです。質問用紙に記入したものが回収され、先生がそれを読みながら即答するというスタイル。
応酬話法と言っていいのかわかりませんが、質問に対する回答が非常に早いことにど肝を抜かれました。

科学の伝道師を自認する鎌田先生。
科学をとおして世の中に貢献することが生き甲斐であり、最後に火山学者として警告しておきたいことがあるとのこと。
なんと、2030年代に太平洋岸で大きな地震が必ず起きるそうです。
そのため東京都心から離れて住むべきだとのことですが、都会好きの私にとって、なかなか踏み切れない警告でした。

     


安藤忠雄先生の講演会に行ってきました at ロイヤルパークホテル

2010年06月07日 03時12分44秒 | Weblog
6月1日、数日前の話ですが、オートデスク社主催のイベントに行ってきました。
目的は安藤忠雄先生の講演会
もう何度も聞きに行っていますが、仕事のモチベーションアップに役立ちます。

「青春とは人生のある時期ではなく、心の持ち方をいう」
サムエル・ウルマンの詩で、どの公演でもお馴染みの鉄板ネタ。
公演に行った数だけ聞いてますが、いつも気持ちが奮い立ちます。

さて、今回の公演で印象に残った話は、

①若いときに読んだ吉川英治著「宮本武蔵」で、真剣勝負というものを学んだ
②日本人は自分の考えを言わない。考えを言わないと、夢は実現できない
③街を自分のもののように使う
④人の意見も聞きながら、自分の意見を言う

それぞれ前後に文脈があっての話ですが、特に印象に残ったコトバをまとめてみました。

夢と好奇心、そしてと還暦を過ぎても尚、衰えぬ野望。

安藤先生にはそんな底知れぬ力を感じました。

    

もう去年の話となってしまいましたが・・・ 福島県会津若松へ行ってきました。

2010年01月04日 01時44分44秒 | Weblog

2009年12月16日から17日にかけて福島県会津若松へ行ってきました。
理由はこのブログのコーナー「建築の歩き方」のネタ探し。
目的地は「大内宿」「さざえ堂」です。
詳しくは更新日未定の「建築の歩き方」を見て頂くとして、今回はちょっとした旅行記です。

12月16日、いつもは終電間際までいる事務所を18時には飛び出して、19時20分発の高速バス乗り場へ向かいました。

しかし・・・ まさかの乗り遅れ。
一旦、自宅へ戻りました。

一年一度の遠征旅行。
そう思って旅行気分を味わえる大浴場付きのホテルを予約していたのですが、キャンセル。
明日の一番電車で行こうかと迷いつつ、インターネットで作戦を練っていると、今夜23時45分発の夜行バスを発見。
しかも出発直前まで予約が可能だったので即決めました。
だって電車だと高いですからね。

新宿発、福島着のバス。
どこでも寝れるたちなのですが、北上するほど寒くなり、この日は今年一番の冷え込みだったそうで、窓から冷気がじりじりと伝わってきて熟睡できませんでした。

福島駅到着は午前4時。
会津若松行きの始発まではいささか時間があるので、24時間空いているマクドナルドかファミレスで時間をつぶそう、出発時はそのように考えていました。

しかし・・・、見通しは甘かった。
辺りにはそれらしきものは何も見当たらず、人っ子一人歩いていませんでした。
寒風吹きずさむ夜明け前。気温も2、3度か。
このままでは死んでしまう・・・。
そう思って夜の福島駅周辺をさまよっていると、「なか卯」が開いていました。
まさに天の助け。
うどん一杯で6時過ぎまで滞在しました。



福島から会津若松まではバスでおよそ2時間。
バスの後は電車、ではなくディーゼル列車で湯野上温泉駅で下車。
ここ湯野上温泉駅は日本で唯一の茅葺屋根の駅舎です。


         湯野上温泉駅

さぞかし古い駅舎なんだろうと思っていましたが、完成は1987年とごく最近。
とは言っても外観も中身も本格的民家風。


         駅舎内の囲炉裏

待合室の囲炉裏には本物の火がともされ、あたたか~い雰囲気をかもし出してます。
屋根裏や梁がすすで黒光りしているのも本格的ですな。


          駅舎内天井

ここから最初の目的地、大内宿へと向かいますが、大内宿については後日、やま建にて報告です!

せっかくの温泉街なので、帰りは駅近くの露天風呂に入ってきました。
この時期は観光客はまばらで貸切状態。
ゆっくりつかることができたので、冷えた体にぬくもりが戻ってきました。


        駅近くの露天風呂

さて、会津若松に戻って「さざえ堂」へと向かいます。
会津の街を見下ろす飯盛山(いいもりやま)の中腹にあり、駅からは歩いて約20分。
「さざえ堂」についてはまた後日として、この山は明治の初めに悲劇の舞台となった場所でもあります。

さかのぼること約140年前の戊辰戦争時
劣勢に次ぐ劣勢で飯盛山に落ち延びた会津藩の少年兵 白虎隊
この高台から見た光景は「お城が燃えている!」
そこは自分達が帰るべき、守るべき城。
実際は城の近くの建物が燃えていただけだったのですが、総勢20名の白虎隊隊士は戦況の先入観により落城による炎上と見間違い、自決を決心しました。


 白虎隊が自決した場所から鶴ヶ城方向を望む


その後、地元の有志により、城が見通せる眺めのよい場所に墓がつくられ、今も会津の街を見守り続けています。

まだ16、17歳くらいの少年兵が、城と運命を共にする純粋なる忠誠心。
この話には外国人も感銘を受けたそうで、飯盛山の白虎隊の墓の近くにはイタリアから贈られた古代遺跡の柱で作られた記念碑があったり、ドイツ人の駐在官から贈られた碑もあります。


イタリアから贈られた記念碑


20年以上前の話ですが、私もドラマで見て泣きそうなぐらい感銘を受けた覚えがあります。

飯盛山から眺めた鶴ヶ城、最後はそこまで歩いていきました。
城の最上階から見た会津の街。
重い雲と合間から射す夕日は山の雪化粧を引き立たせています。


           鶴ヶ城からみた会津若松市街


冬の東北はやっぱり寒かった。
でも、冬しか見れないこの景色。
冬の東北のよさがここにありました。