やま建築研究所

私が感じたこと、気になった建築などを書き留めたノートです。

ある日の夕焼け

2013年02月18日 02時21分17秒 | 今日の夕焼け

去年のことだが、暮れ迫る水曜日に所用で表参道に行った。
時刻は16時過ぎ。冬至間近ということもあり、辺りはすでに日没の様相。
高層ビルに挟まれるように延びる国道246号を歩いていると、谷間のごとく空が開けた駐車場がある。
抜けた視線の先には現代の東京を象徴する風景が広がっていた。

            表参道周辺から

赤味を帯びた夕焼けの中、辺りの平穏を突き破るかのような、六本木ヒルズのメタリックなファサード。約1.5km離れているのに圧倒的な存在感。街の風景を一変させてしまう威力。
同じフレーム内に納まるのは、昭和の象徴「東京タワー」と築年数不詳の民家。各時代の建物が、これだけ強くコントラストされている風景は以外に新鮮だ。


その後代官山へと向かう。
目的地は代官山蔦谷書店 通称T-SITE。ツタヤというと本屋かレンタルCDという思い込みだったが、ここはそんな先入観を打ち破る場所。書店でもありレンタルショップでもあり文具店でもあり、喫茶店でもある。しかも店構えやディスプレイが洒落ていて、文化の発信地としてのテーマパークと言ったほうがしっくりくる。

ここに向かう途中であったが、深紅のグラデーションに染まった空に心奪われ、途中の西郷山公園に寄る。
高低差のある高台からは、渋谷の街を超え遠くまで見渡せる抜群の眺望。しかもマジックアワーと呼ばれる時間帯である。都心を覆う赤く怪しげな空と、遥か先に浮かぶ富士山のシルエットはまさに幻想的。
短い時間だからこそ貴重なマジックアワー。またたく間に夜の帳が落ちてきた。


            西郷山公園から①



           西郷山公園から②

    


aikoさんのライブ「Love Like Pop vol.15」に行ってきました。

2012年09月25日 14時03分07秒 | Weblog

「Love Like Pop vol.15」
2012年7月19日にaikoさんのライブに行ってきました。




場所は渋谷のNHKホール、大みそかの紅白歌合戦の会場でおなじみです。
そういえば、かつてのAD時代に、スタッフとして舞台裏に来た時がありました。かれこれ15、6年ぶり。
その時私はTBSのレコード大賞の臨時スタッフ。大量の人員が必要なので、他の番組を担当していても年末は掛けもちで駆り出されてました。
当時レコード大賞と紅白歌合戦は同日の生放送。しかも両方に出演する歌手も多かったので、新人ADはNHKホールの舞台袖で待機。紅白の出演が終わったとたん、出番に遅れないようすぐにレコード大賞の会場へ誘導するという役割を任されてました。
大みそかの夜の思い出が残るNHKホール。あの時の舞台裏の記憶が巡る・・・。

座席はC列で一番後ろの列。観客席側から見るのはは初めてで、思いのほか大きいホールだと実感しました。
待ちに待った開演。舞台袖から出てきた小さなaikoさん、距離もあるのでさらに小さく見えました。
小さくてもパワー全開。舞台を右に左に、前に後ろに縦横無尽にかけめぐる。
お約束の「男子ー!」「イエーィ」、「女子ー!」「イエーィ」、「そうでない人!」小さく「イエーィ」。
aikoさんの呼びかけとオーディエンスとの息の合った掛け合いで、ますます一体感が深まる。

アーティストの話を生で聞けるというのもライブの醍醐味の1つだか、「トークショーか!」と突っ込みたくなるくらい長い。でもみんな静かに聞いている。さすが大阪女子、しゃべりが達者だ。

aikoオリジナルの「即興弾き語り」は落語の三題話のようなもの。客からお題をもらって即興で歌詞と音楽をつくる神業的パフォーマンス。これはすごかった!

aikoさんと言えば、私の世代にとっては「カブトムシ」「ボーイフレンド」がテッパンソング。必ず歌ってくれんだろうなと思っていたが、ナシ。最近の曲が多くてついていけないところもあったのは、歳のせいだろうか。


    




建築の歩き方は、東京都三鷹市「山本有三記念館」です。

2012年04月20日 00時56分02秒 | 建築の歩き方

西荻窪在住の私にとって三鷹は近くて遠い場所。通勤時の通り道ですが、行きも帰りも素通りです。
休みの日も向かうは都心方面、逆は吉祥寺まで。なかなか三鷹には足が向きません。
三鷹市は東京都のほぼ中央にある閑静な住宅街。派手な歓楽街こそありませんが、「日本のディズニー」と言っても過言ではないスタジオジブリの美術館がある街です。
都心から遠すぎず、それでいて畑や雑木林がところどころに残る自然に癒される。バランスのとれた立地は住むにはいいかもしれません。
そんな雰囲気が作品づくりに適していたのか、山本有三や太宰治、武者小路実篤、瀬戸内寂聴などの大御所作家が居を構えました。
そのうちの山本有三氏が住んでいた家が現存し、公開されているとの情報を聞いて、普段は通り過ぎるだけの三鷹駅で下車。玉川上水沿いを歩くこと約12分。
この辺りはお金持ちが多いのか、どれも豪邸級の家が立ち並ぶ界隈。どこが目的地なのか迷いました。
  
                                 近隣の豪邸

道路に面した大きな広場、木々の間からのぞくクラシックな建物のシルエット、どうやらここが目的地のようです。

             北側前庭から

今回のテーマは「山本有三記念館」。蝉時雨が、かまびすしい2011年8月11日に行ってきました。

北入りの玄関なので、まず目にするのは北側外壁面。


北側は水回りや階段を配置することが多いので、小さな窓が不規則に並ぶパターンは昔も今も、高級住宅も一般住宅も同じようです。
折れ線グラフのような屋根と、岩石のような形をした煙突。現代アートのような不思議な組み合わせです。



オリジナリティーあふれる北面とは対照的に、南側正面はほぼシンメトリー。均整とれた形に風格が漂います。


でもこの形、どこかでみたような・・・。

そう、東京都北区にある洋館「旧古河邸」。両サイドに伸びる切妻のツインタワーは、うり二つ。

               旧古河邸

山本有三邸は大正15年竣工。その頃、すでに建っていた古河邸をモチーフにしたのかもしれませんが、設計者は不明とのこと。
もしかしたら、コンドルの弟子の作品かもしれませんな。


庭園までは無料ですが、入館料は300円ナリ。
メルヘンチックな玄関ドアをくぐると、木とレンガに白熱灯の光という暖色系に満たされた、洋館のイメージそのままです。

        玄関

まず目につくのは玄関ホールの暖炉。そういえば今まで見た中でも、明治大正期に建てられた洋館にはたいてい暖炉がありました。
旧岩崎邸も旧古河邸も、玄関ホールをはじめリビングやダイニングなど人が集まる部屋にずっしりと存在してます。
寒さ対策なのか装飾なのか。確かにこれだけ大きな家を温めるには、何カ所も必要でしょうが、機能性だけでもないような気がします。
一般住宅とはかけ離れた大きな家に住む人も当代一流の著名人。いろんな人が集まって、いろんな会話が繰り広げられるだろうし、時には静まり返る時もあるでしょう。
でもそこに炎があるだけで、会話が途切れても間が持つこともある。
火をつけるのも、燃やし続けるのも手間のかかる暖炉ですが、気まずさが漂わないようにとの配慮もあるのではないでしょうか。

         旧山本邸リビングの暖炉

リビングは、パーティーや演奏会など催し物ができそうな大空間。太陽の光に照らされて、フローリングがピカピカと光っています。
床、壁の大部分を木肌が占めていても重苦しい雰囲気がしないのは、天井まわりの漆喰の白が、木の圧迫感を消化しているおかげでしょう。
  
                                  リビング

リビング東隣の小部屋の
テーマはアーチ
といってもいいほど、窓やドア、壁までアーチで飾られています。
南一面にリズミカルに並ぶ窓からは、陽光豊かで冬でも暖かそう。この小さなサンルームにも暖炉はありました。
客が少人数の場合の応接間か、あるいはリビングで催された会合の休憩室のような使い方だったのか、いずれにしても馴染みやすい一室です。オジサンたちのタバコを吸いながらの談笑が目に浮かびます。
  
                                アーチが連続する


東がサンルームのようなラフな部屋である反面、左右対称の位置にある西の部屋は、リビングと連続したフォーマルな対面の場。格式ある内装の中では、たわいもない話でも重々しく感じられそうです。

               西の部屋

外から見ても、東は曲線を使った窓が並ぶ柔らかさがあり、西は大きな四角の直線的な硬さが感じられ、それぞれの用途の違いが表情として表れています。
  
                                                     東側

階段を上がると、行儀よく並んだ色ガラスから、射しこむ光がまぶしい踊り場。



上りきるとドアが連続して並び、2階は私的なフロアのようです。
  
細く長く続く廊下は床や壁や天井、そしてドアさえも白で統一して、まるで病院のように無機質で、木を多用した自然のぬくもり残る1階とはガラッと異なります。

ところが中央の部屋は和室、しかも本格的な真壁です。床の間に下地窓、飾り棚や書院といった和のエッセンスの盛り合わせに、柱は全て面取りされているという芸の細かさ。建具を閉めきると、洋風建築の気配が全くなくなります。
  

この和室は南に面した中央にありますが、外から見ると幾何学模様の洋風ガラスの窓に覆われ、和室の存在を感じさせません。
2階に和室があること、内側からしか和を体感できないこと。このあたりも旧古河邸と共通しています。

    2階中央が和室

山本有三氏が、この家に住んだのは昭和11年から昭和19年までの約8年間。戦争による疎開で一時は三鷹を離れ、戦後戻ってくるも、進駐軍に接収され退去を余儀なくされます。返還後は国語研究所として国に提供し、再び住むことはありませんでした。

高度成長期を経て、周囲は宅地化、都市化が進んでいきます。

在りし日、近所の子供たちのための図書館として開放したこともありました。土地と建物を気前よく東京都に寄付もしました。
欲とは無縁の奉仕が、地域の人や関係者たちの共感を呼び、当初の姿のまま残り続ける奇跡が生まれた
「人間は人生という砥石でごしごしこすられなくちゃ、光るようにはならないんだ」
とは、氏の著作「路傍の石」の言葉。

時代という砥石でこすられた山本邸、今でも往年の輝きを保っています。


    


木村カエラさんのライブに行ってきました。

2012年03月24日 01時04分18秒 | Weblog


2012年3月6日、日本武道館。
開演は18時30分。
15分前に到着すると、すでに客席はほぼ満席。ぐるっと見渡すと男子と女子、ほぼ半々くらいか。
アイドルではなく女性アーティストという肩書がしっくりくるのは、性別によらず人気がある故か。
カエラさんの曲をよく聞いたのは、営業に向かう社用車の中。10年前の車なので、今どきカセットながら・・・。
でもテンポがよくて気分がのる。聞いてて楽しいだけでなく、しっとりと聞かせる歌もある。「カエラ泣くでー」が耳鳴りのように残るテレビCMや、雑誌の広告でも印象的だ。
そう思っていた半年前、たまたま目にしたチケット先行販売のポスターに促され、これはと思って予約すると、まさかの当選。
ツイていたのか、応募者が少なかったのか。ともあれ嬉しい反面「どうやって仕事を抜け出そう・・・」と、企みが頭をめぐる。

そんな苦労が報われたのか、座席は2階席の一番前の通路側と、眺望この上ない。座っていてもよく見える場所だが、ライブが始まったと同時に観客席も総立ち。一人だけ座っているわけにもいかず、そのまま最後まで立ちっぱなしだった。



ライブのテーマが「スパイダー」だったらしく、黒の衣装は蜘蛛の糸をあしらった大人の装い。
落ち着いた雰囲気をかもし出しながらも、最初からハイテンションな曲とダンスにつられ、会場もヒートアップ。
最初は照れもあって手拍子くらいで勘弁して!なノリの私だったが、なんだか逆に目立つので、みんなに合わせて手を振ったり、ジャンプしたりとはじけてしまった。
カラフルな衣装にチェンジしてのアンコール。結婚式の定番ソングとなった「バタフライ」は自身で作詞したそうだ。
いい曲はこうやって大勢で聞くと、さらにジーンとくる。ライブならではの体験ですな。
開始から終了まで、約2時間半。歌って踊りまくったカエラさん。出産後の体力は、回復どころかさらに強くなったのでは!?
「 ~♪ 靴をならし高く高くジャンプして、いつでもそばで気にかけてる、みんなの笑顔が見たい!~♪」by Magic Music。お客さんへ向けた替え歌のサービスで会場はひとつになる。

気分が晴れ元気になる効果、そして五感へのたゆみない刺激。
大塚愛さん以来、ライブの魅力にとり付かれています。


    


映画「連合艦隊司令長官 山本五十六」を観てきました。

2012年01月24日 02時23分54秒 | 映画

少し前の話ですが、夜に映画を観てきました。
有楽町駅下車。久しぶりといっても約半年ぶりぐらいですが、少し前まで雑多でも情緒ある昭和の面影残る駅前が、再開発により広々と整ってはいるけど、どことなくよそいきな街並みに様変わりしていたことに驚きました。
でも、冬の夜にイルミネーションに飾られた広場を進むと幻想的な夢心地。デートの待ち合わせ場所にはこの上ないスポットです。
さて、そんな広場に面する金券ショップで格安券を買って、丸の内TOEIへと向かいます。


映画の題名は「連合艦隊司令長官 山本五十六」。
「やってみせ、言って聞かせ、やらせてみせ、ほめてやらねば人は動かじ。」今に残る名言を海軍のリーダーとして、人の上に立つ者の心構えを説いた人物です。

五十六が働き盛りだった昭和初期は、世界中で国同士の小競り合いが続くきな臭い時代。日本でも軍備増強、領土拡張の機運が高まり、それに異を唱える欧米諸国に対して、役人や政治家だけでなく国民にまで、反感が強まってきていました。
不快感を抑えきれないアメリカは日本に対して経済制裁を加えます。それが日本中の鬱屈した不満に火を着け、日米開戦と進んでいきます。
そんな時代背景の中、若い頃にアメリカに留学していた五十六は、国際感覚にすぐれ「こんな国と闘っても勝てるわけがない」と、戦争へと大きなうねりとなっていた世論の中で、数少ない抵抗勢力の一人でした。
しかし戦争が避けられないとなると、日本が有利な条件で戦争を終わらせることができる軍事作戦を考案し、実行させます。世に言う「真珠湾攻撃」です。
しかし、大きな実績も得られず、却ってアメリカを本気で怒らせてしまった日本は破滅へと堕ちてゆく。少しでも傷の浅いうちに戦争を終えようと画策する五十六でしたが・・・。


自分が反対していた事でも、方針として決まった事には最善を尽くしてやり通す。そんな組織人としての覚悟に迫力を感じました。
戦争という命がけどころか国の存亡にかかわる判断とは、比較するにはあまりに小さな事ですが、自分の立場に置き換えて考えてみました。
会社の会議で、自分の意見とは反対の意見が通ってしまうことなんて日常茶飯事。そんな時、ふてくされたり、非協力的になってしまったりと、自分勝手な行動をとっていた自分。
会社とは、同じ目標を達成するために個々の才能と技能を提供する集団であるはずだ。
自らを省みて組織人としての自覚のなさに、情けなや。

悲劇のリーダーは山本五十六だけにあらず。上官である南雲中将の作戦に反発を覚えながらも命令に従い、精一杯闘って、沈みゆく艦と運命をともにする阿部寛演じる山口多聞司令官。助かる道もあったのにこの結末。
切なく哀しく勇ましい責任感。後で知ったことだか、山口は大の子煩悩だったとか。心中計り知れず。

優秀な人ほど早く死ぬ、そんな戦争のひどさを痛感する映画でした。