ついにやってきました。
前回、就職の内定が決まった発表をしました。
入社日は11月1日です。
今まで務めていた勤め先もいよいよ明日で退職です。
思い起こせば5年前。建築の道に進もうと決心して専門学校に入学、生活のため勉強のためにどこか建築に関わった仕事がないものかと探していました。
夜は学校なので残業不可。テスト前、課題提出前は休みたーい
オレ流で勉強したCADを使った仕事がいいー
ちょっとは建築にかじった仕事をしておきたーい
夏涼しく冬暖かい室内で仕事したーい
就職決まればすぐ辞めまーす
なんてわがままな奴なんだ、と怒られそうですがこんなわがままを受け入れてくれたのが今の会社でした。
ところが働くうちに仕事のおもしろさ、まわりの人々の個性的な温かさ気さくさにどっぷり浸かってしまい、いつの間にやら仕事が中心になってしまいました。
笑いあり、怒りあり、涙ありの人間関係も魅力的でした。
また学校の卒業、4個の資格取得、4回の海外遠征と私生活でもそれなりに充実していました。
あれよあれよと時が過ぎ、出会いや別れもいくばくか・・・。
ついに私もお別れです。
それぞれ進む道は違いますが、一つ屋根の下、同じ釜の飯を食った仲間達ことは忘れません。
やま建、フランスリポート8日目です。(2007年7月10日)
ついに帰国です。
フランス滞在はわずか8日間ですが、ヴェルサイユ、マルセイユに行ったのは遥か昔の出来事のようです。
今日の帰る日ぐらいはゆっくりしようと思っていたのですが・・・
なんとコルビュジエ作品の中でも最も有名な建築、「サヴォア邸」に行っていないことに気づきました。
パリ近郊にあるのでいつでも行けるという油断で、ずっと後回しになっていました。
さてどうする?
諦めるか強行か。
こんなちょい二択が私にはよくあります。
サヴォア邸はパリ中心から1時間、開館は10時。フライトは14時発。
でもチェックインは2時間前。12時には空港に着かなければなりません。
見学時間を1時間と決めて移動をスムーズにこなせればいける!!。
さっそく向かいました。
電車を乗り継ぎ、小雨のなか少しばかり迷いながらも10時過ぎには到着。
ゲートを抜けると森が茂る
敷地内の森を抜けるとありました サヴォア邸。
サヴォア邸正面
芝生と森の緑のなか、白さがひときわ目立ちます。
細い柱で支えられた2階は、1階外壁が緑ということもあり周囲の植物の色と同化して浮いてるようにも見えます。
正面斜め前から
(入口は後側)
入口から入った正面には2階へと続くスロープがあります。正面に据えているのは斜面を登る「間」を楽しんで欲しいというコルビジュエのメッセージのような気がします。
玄関正面にあるスロープ
でも歩く距離が長くなる分、生活にゆとりや余裕があってのものだと思いますね。
隣に回り階段を設置したのは、忙しいときなどイライラを感じさせないよう移動できる実用的な面を考慮したせいかもしれません。
左がスロープ、右が回り階段
スロープを上りきると広くて明るいリビングです。見た目そのまんまですが開放感抜群です。
2階 リビング
ベランダ側は一面のガラス。空の動き、家族の動きが一目瞭然。
あったか~い家庭が築けそうです。
リビングからの眺め
ベランダからはさらに上へとスロープが続いています。
屋上へ続くスロープ
屋上へと向かう
上りきった正面には風景画が!、いや四角い枠に切り取られた風景が壁に掛かっているようです。
風景を切り取る枠
この時は木が茂って見通しがききませんが、落葉するとセーヌ川が見渡せるそうです。
室内は大部分が白。部屋によっては壁が青や桃色に塗装されています。
2階子供用寝室
2階夫婦用寝室
サヴォア邸はコルビジュエが唱えた近代建築5原則を最も純粋に現した建物といわれています。
その五原則とは?
私なりの解釈を入れた説明ですが・・・
その一 ピロティ
例えると高床式。柱で居室部分を持ち上げることで空いた部分を駐車場や物置にも利用できる。
玄関前のピロティー
その二 屋上庭園
そのまんま。屋根の上のちょっとした草木も生えた庭。屋上緑化の先駆け。
屋上庭園
その三 自由な平面
自由な間取りが可能。
間取りの自由度が高い木造在来工法になじみの深い日本人からするとそんなに斬新なことでもないが、石積み工法のヨーロッパでは壁の配置に制限が多かった。
鉄筋コンクリートはそんなしばりを取り払ってしまった。
自由な平面
その四 横長の窓
壁の端から端まで窓。これも石積みの建物では不可能だったが、鉄筋コンクリートが可能にした。
横長の窓(室内)
夏には縁側の引き戸を全開にして通風をとる日本家屋からするとめずらしくもなんともないことですけどね。
ジャパニーズ横長の窓
その五 自由な立面
柱で支え、壁で仕切る。
構造的に柱と壁は別物となったので壁の配置、デザインの自由度が高くなった。
縁側あり、土間あり、仕切りを外せば大広間。そんなプランが一般的な日本民家は「自由な立面」の先駆けでは
自由な立面
こうしてみると近代建築五原則は建物が石造であった西洋での話しであって、木造文化の日本には一部あてはまらない、というか当たり前のことのような気がしますね。
でもの室内の明るさにかけてはサヴォア邸は別格です。
外に接する壁全ての面に横長の窓が配置されているため、居室だけでなくキッチンも明るい日差に満たされます。
キッチン
そんな感じで見ていると1時間はあっという間。すでに11時を過ぎています。
もの思いにふけっている場合ではない
ゲート横にあるちびサヴォア
重い荷物を背負いながら駅までダッシュ。なんとか11時半の電車に乗れました。
空港に到着したのは13時過ぎ。すでに搭乗手続きがはじまっています。
私の着いた10分後には締め切られていました。
まさにギリギリセーフ。一本電車が遅れていたら飛行機に搭乗できなかったかもしれません。
機内で座席に着いてやれやれ。
日本に戻れる安心感とフランスを去る寂しさが交錯する複雑な気持ちでした。
まずは身のうち話ですが、なんと就職が決まりました。
就職先は某住宅メーカ。一回の面接でしたが内定通知を頂きました。
35歳フリーター。
かなり苦戦を覚悟していたのですが以外にもすんなり決まりました。
こんな私でも拾ってくれるところがあったのはありがたい限りです。
そしてそして8月で退職したいく姫。
いく姫もなんと再就職先が決まったそうです。
先日、面接後に会社にあそびに来ました。久々に「寺内貫太郎一家」の並びでみんなで仲良く飯を食っていたのですがその直後に電話があり決まったそうです。
いく姫、ミキティ、私もそれぞれ新しい船出です。
みんな頑張っていきましょー。
やま建、フランスリポート7日目です。(2007年7月9日)
南に北に、東に西へと縦横無尽に駆け巡ったフランス遠征も、もう終盤です。
泣いても笑っても明日帰国。
コルビュジエ、世界遺産、風景。
テレビ、雑誌、映画、そして歴史の舞台にもなった場所を訪れて勉強になったのかなっていないのか。
どれもここにしかない至宝の数々。また来るぞと思いつつも一期一会の出会だったかもしれません。
そうは言っても最終日。
後悔ないようにのんびりショッピングなんかしてられません。
今日も朝から飯抜き、駆け足、休憩なしでパリ巡りです。
まず最初の訪問地はゴシック様式の教会「サント・シャペル」。
近くのノートルダム大聖堂と同時期の1248年に完成です。
開館と同時に着いたのですがすでに長蛇の列。人気の高さがうかがえます。
それもそのはず見て納得。
周囲の壁には全てステンドグラスがはめ込まれ、四方から差し込む光と色のシンフォニー。日常離れした幻想的な光景に立ち去るのがはばかられます。
サント・シャペル正面
サント・シャペル後のバラ窓
ノートルダムのように薄暗さのなかに輝くステンドグラスには神聖さを感じますが、ここの壁一面のステンドグラスから差込む色づいた光も神秘的です。
中は質素な外観とは対称的です。
サント・シャペル外観
有名どころはほぼ見てきたつもりですが、そうそうルーヴル美術館を忘れてました。
フランスまで行って「ルーヴル行ってません!」とはありえまへん。
ルーブル美術館外観
セーヌ川沿いに建つルーブルはかつては国王の宮殿でした。19世紀初めに美術館となり1980年代には近代的な建築資材と技術を取り入れた大改造が行われました。
その時に作られたのが中庭にあるガラスのピラミッドです。
ルーブル美術館中庭
トム・ハンクス主演の映画「ダ・ヴィンチ コード」でもおなじみですね。
ガラス造と石造の共演には異議ありませんが、正面からみるとピラミッドが大きすぎて既存の宮殿が隠れてしまうので少し残念です。
ガラスのピラミッド正面
メインゲートがこのピラミッドです。ここから下りると巨大な地下ホールが広がり各展示室へとつながります。
地下ホールより
コの字型の美術館なので地下ホールからは三方向に入口がありますが、これは一ヶ所に集まった見学者を分散入場させることで大行列を解消するためだそうです。
地下で三つの翼につながっている
さすが世界のルーブル美術館、どこかで見たことのある芸術作品が目白押しです。
しかも全部本物です
サモトラケのニケ
世界で一番有名といっても過言ではない「モナ・リザ」。
これは特に別格でモナ・リザの間と名づけられた専用の部屋に防弾ガラスケースに入れて展示されています。
レオナルド・ダ・ビンチ作 モナリザ
かなりの人だかりで、押しつ押されつもまれないと最前列までたどり着けません。
絵のことはよくわかりませんが、近くで見ると素人目にも表情の細かさ奥深さが感じられ恐ろしいくらいでした。
展示作品の作者、年代も幅広いです。五千年前の石像やミケランジェロの彫刻、ゴッホやラファエロ、モネ、ピカソといった当代一流の作品がそこかしこに陳列されています。
美術館館内
ミロのヴィーナスとも間近で対面可能です。
ミロのヴィーナス
じっくり見ると数日はかかるといわれるくらいの大きさと量。そんな時間はないので是非ものの作品以外は足早にみてまわりました。
ナポレオン三世の居室
それでも写真なんかで見たことのある絵は自然と目に入り、足が止まります。積もり積もっていつの間にやら閉館時間です。
ルーブルもそうですがパリの美術館はもともとは駅舎や宮殿、民家など最初は違う目的で作られたものを改装してできたものが多いです。
建物はただ保存するだけでなく何かしらの役割を負わせることで存在感も出てきます。
古いからといって取り壊したりせず、模様替えや用途変更で今の時代に合った施設を作っていくことで歴史が積み重なった街になっていくのだろうと感じました。
追い出されるようにルーブルを出て次はというと、そうそうお土産をまだ買っていません。
仕事も長い間休んでいるので手ぶらでは戻れません
ノートルダム寺院の界隈やシャンゼリゼ通りでお土産探しです。
花の都パリならさぞかしいい土産が見つかるかと思いきや、以外に以外。
どこの観光地にもありそうなパッとしなものばかり。
あれこれ探し回って今日もかなり疲れました。
明日はついに帰国です。
なんだか寒くなってきました。
もう10月。そろそろ一年の終わりが歩み寄ってきている気がします。
今年の目標だった就職。過ぎ去る時に尻をたたかれて、そろそろ真剣に動かねばとあせってきました。
よく言えば推敲に推敲を重ね、悪く言えばだらだらと長い時間をかけて書き上げた履歴書片手に会社めぐりです。
異業種の転職活動は初めての体験。
なんだか初々しかった新卒時を思い出します。
先日の面接はとある建築設備の会社。
とおされた部屋は壁にはずらっと絵が掛けられ、豪華な家具が並び、棚には美術品が飾られています。
世界各国を旅する社長。世界各地で買い求めた美術品の話もしてくれました。
ペルシャじゅうたんや陶磁器などいずれも数百万するものらしいです。
まあ、早いこと決まればいいですけどね。
やま建 フランスリポート6日目です。(2007年7月8日)
昨日再びパリに戻って、レピュブリック近くの同じホテルに再び居場所を構えました。
今日はテレビのCMや広告チラシでもおなじみ、フランスでも最も有名な景勝地、
モン・サン・ミッシェルへ向かいます。
パリ・モンパルナス駅からTGVでレンヌ駅まで約2時間。レンヌ駅からはバスで約1時間半で到着です。
湾の砂地に浮かぶ小島に修道院が築かれたのが8世紀初頭。その後14世紀のイギリスとの百年戦争時には軍事要塞、18世紀末のフランス革命からは牢獄として使われ、1863年からは再び修道院となり観光地としても有名になってきました。
1979年には世界遺産にも登録されてます。
モン・サン・ミッシェル
到着間近になるとモン・サン・ミッシェルの威容が見えてきます。平原の中の道を突っ切って、陸と島を結ぶ堤防の道を渡りきったところでバスは止まります。
まだ10時位ですが、すでに大勢の観光客がきてます。
城の門のような入口を抜けると、かつては巡礼者を迎えたであろう建物が、今は土産物やレストラン、ホテルとなって両側に所狭しと立ち並ぶメインストリートです。
入口の門
メインストリート
モン・サン・ミッシェルは岩山の上にかぶさるように建っています。この島自体、岩山なので細いメインストリートはいくつもの坂、階段となり修道院の入口へとつながっています。
こんな道が張り巡っています
修道院入口への階段
経路が複雑なのは日本の城にもよくみられますが、こちらも元軍事要塞。敵の進入を防ぐという目的のなごりではないでしょうか。
モン・サン・ミッシェル 姫路城
姫路城の道 モン・サン・ミシェルの道
ちなみに我が国千葉県にも岩山を覆うように築かれた寺があります。去年の2006年9月23日に訪れて来ました。
笠森観音
笠森観音といいますが、まさに日本のモン・サン・ミッシェル。
いや、「門・桟・見せる」 うまい?寒い?
上へ上へと、高い絶壁のような壁にはさまれた道を進みます。
修道院というよりかは、城そのまんまですね。
こんな道を登ります
登りきるとテラスのようなところに出ます。湾が一望でき、下をみると絶壁の上に建っている事が実感できます。
テラスから湾を望む
下は絶壁
よくまあ、こんなところにこんな大きいもの建てたなあと思いました。
何百年もの間に崩壊と増築を重ねてきた結果ですかね。
頂上の教会は下に広がる回廊や部屋を土台に建っています。
ゴシック様式ですが派手な装飾もなく、窓もステンドグラスではないので採光も多くかなり明るい室内です。
教会外観
教会内部
教会の隣には列柱に囲まれたパティオ(中庭)があります。
交互に立つ二列の列柱は修道士の歩く歩幅に合わせた間隔だそうです。
厳しい修行の合間、修道士達の憩いの場となっていた事が想像できます。
パティオ(中庭) 右の建物は前述の教会
パティオ列柱廊
ここだけに限らずいたるところにちょっとした坪庭があり、密集した狭い空間でありながらも空き地を作って住環境の向上をはかっています。
見学コースは階段を上ってテラス、頂上の教会、パティオそして階下の部屋という順で巡ります。
階下の部屋は僧侶たちの食堂や事務室、応接室になっています。頂上に建つ教会の土台ともなっているため、柱も太く洞窟のような雰囲気です。
地下室
地下室
外から見上げるとまさに断崖絶壁。しかもいい具合にコケむした壁は歴史を感じさせてくれます。
修道院を支える外壁
牢獄として使われいた時代は囚人の食物運搬のためのリフトが設置されていたそうです。
左側の下に伸びる台座がリフトのレール
島のふもとの繁華街からは階段や坂道でアップダウンの激しい細道が巡らされ歩くごとに水平線、地平線、修道院といった風景に変化します。また、城壁の上から街を見下ろすこともできます。
修道院まわりの道
建物の間にも細い道が通る
城壁の上から
堤防からみるとまさに難攻不落の要塞です。
15世紀の百年戦争時、イギリスに劣勢だったフランスですがこのモン・サン・ミッシェルはついに攻め落とされることはなかったそうです。
素人目にも鉄壁の防御ぶり、攻める方も大変だったでしょうね。
モン・サン・ミッシェル全景
午後一くらいには撤収、パリへと戻りました。
夕方には着き、近代的な建物が立ち並ぶベルシー地区を散策しました。
この地区はもともとワイン倉庫が立ち並ぶ界隈でしたが、1980年頃から再開発が進められ今ではデザイン性豊かな建物に彩られた新しい街となっています。
新大蔵省
ベルシー体育館
国立図書館は本を開いて立てたイメージそのまんまです。
国立図書館
(設計 ドミニク・ペロー)
次は7日目です。
いやはや少し更新をさぼってました。
特に忙しいわけでもなかったのですが・・・
でもそろそろ就職活動をはじめていかなければと思い、手始めにアウトソーシング系の会社の面接を2社程受けてきました。
さかのぼること数ヶ月前。就職のための応募書類の作成にとりかかっていました。
転職サイトの履歴書添削サービスなどを利用し、たいした経験もありませんがそこは口八丁、筆八丁
なんとか整ったかたちの履歴書、職務経歴書が完成しました。
でもやはり面接が不安。こればっかしは場慣れするしかなさそうです。
上記の2社は派遣がメインの会社だけあって、志望動機や自己PRは聞かれず、「いつからこれるか?」や「どういった職種を希望しているのか?」といった質問が主でした。
決まる、決まらないにせよじっくり探していこうと思ってます。
やま建、フランスリポート5日目です。(2007年7月5日)
昨夜はマルセイユのホテルで一泊。
今日はリヨン郊外にあるコルビュジエ作品、「ラ・トゥーレットの修道院」へ向かいます。
午前中には到着したかったので、ホテルを朝5時にチェックアウト。
うっすらと青みがかった暁の空の下、薄暗い街を抜けて駅へと向かいます。
街中に人影はまばらでしたが、駅の中は朝の早い旅行客やビジネスマンでにぎわっています。
マルセイユにはもう少し滞在したかったですが、のんびり旅を楽しんでいる間はありません
なにせあと3日。なんとかスケジュールをこなさないと・・・
後ろ髪ひかれる思いで再びTGVへと乗り込みます。
パリに戻る方向に向かって約1時間。リヨン駅に到着。
各駅停車に乗り継いでL'Arbresleで下車。そこからは歩きです。
ゆるやかな斜面に建つ新興住宅街を抜けて、牧場を横切る道に入るとのどかな街並みが見渡せ、かたわらには牛がたたずんでいます。
高台から街を望む
こんな牧場を抜けて進みます
まさに絵に描いたような風景です。
こんなのどかさに包まれながらもなんだか気はあせっています。
しかもなんだか早歩きです。
牧場を抜けると建物があり、そこにいたおばさんに道を尋ねても困った顔で伝わってない様子。
でも「コルビュジエ」と口にしたとたん、表情が晴れ説明してくれました。
コルビュジエはフランス人なら誰でも知ってる有名人なんだと実感しました。
木々の間を抜けるとのどかな牧場風景のなかにどっしりとしたコンクリートの塊、巨大な建物が姿を現しました。
遠目には軍事要塞風で、静かで神聖さただようキリスト教の修道院のイメージとはかけ離れています。
ラ・トゥーレットの修道院
側面の大きな壁が礼拝堂の外壁です。
早速中に入ると・・・
ノートルダム寺院のようなゴシック様式の礼拝堂に見慣れてしまって、ステンドグラスに高い天井、太い柱、過剰な装飾といった先入観があったのですが、この礼拝堂はまったくの別物です。
ノートルダム寺院 ラ・トゥーレット
パイプオルガン、十字架、祭壇といった礼拝堂三点セットは備えつつも、全てにわたってシンプルです。
正面
背後
祭壇と十字架
ただ、いろんな形の天窓や横長のスリット、ロンシャンと同じつくりの天井と壁のすき間から差し込む光は薄暗いながらも派手さがあります。
窓の厚み部分に原色系の塗装がされているので光も色づいているようです。
天窓の見込み部分には原色の塗装がされている
「10%の光」
コルビュジエはラ・トゥーレットの設計に取りかかる前、参考のためフランス国内にある「ル・トロネ」の修道院を訪れました。そこで悟った光の取り入れ方、薄暗さを「10%の光」と走り書きで表わしこの礼拝堂にも用いました。
写真はかなり明るく写ってますが実際はもっと暗いです。
配置を左右対称にしていないのは、礼拝堂特有の重々しさ厳粛さを軽減するためでしょうか。
内装は左右対称ではない
無骨な内装の中、オルガン席の囲いのイラストは和みます。
オルガン
他の部分も見たいと思っていたところ、礼拝堂から他の部屋に通じるドアが開いていました。
そこから入ろうとしたところ「NO!」との叫び声が!
他の訪問者のガイドをしていたフランス人女の子にとがめられてしまいました。
身振り手振り、カタコトの単語を使って交渉してみたのですが宿泊客以外はダメだそうです。
ムカつきましたがかわいかったので許す!!
しょうがないので、外から建物の雰囲気をつかむこととします。
斜面に建っているせいもあり、ピロティ形式になっているので中庭部分まで入る事ができます。
斜面に建っている
ロマネスク様式など古い修道院によくある列柱に囲まれた中庭は、修道士達の散歩や憩いの場となってますが、この中庭は庭に面した部分に自由に出入りできる開口部はなく、建物とは切り離されている気がします。
ピロティ部分から中庭を見る
中庭 (建物からは出入りできない)
中庭俯瞰
古いせいもあり、ピロティの天井部分はコウモリの巣になってました。
ピロティ?床下? コウモリが飛び交う
最上階とその下の階は修道士の部屋だったところです。
全景
昼過ぎには再びリヨンへと戻りました。
リヨン旧市街はルネッサンス時代(15世紀)の街並みが残る街として世界遺産に登録されています。
リヨン旧市街
石畳の道から小路に入り建物をくぐると中庭が開け、そこには人の生活の赤裸々な場があり店が営業し、街全体が生きたテーマパークといったところでしょうか。
でも疲労と暑さでまいってました。
小路を入ったところ
中庭
3時間ほど散策してTGVでパリへと戻ります。
夜8時ごろ到着しましたがパリの夜はまだまだ更けません。
バトー・ムーシュという遊覧船に乗ってセーヌ川の川下りへ出かけました。
一時間ほどの船旅ですが、川から見上げる街並みは地上とは違った視点で見せてくれます。
ルーブル美術館
川岸にたまる人々
セーヌ川にかかる橋は歴史もありデザインも凝ったものが多く、土台や装飾も間近でみれて迫力があり、流れる光景は船ならではの魅力があります。
セーヌ川に架かる橋
東京でも隅田川川下りの遊覧船が出ていますが、一度乗って見るのもいいかもしれませんね。
隅田川にかかる橋もデザインには定評あるので。
晩飯はパリでは行きつけ、ポンピドゥーセンター近くのファミレスです。
この日初めての飯。もう皿からあふれんばかりによそって食べました。
次は6日目です。
今日は台風一過の晴天でした。
久しぶりに布団を干して出勤です。
さておき、近頃住宅の新築着工数が減っているようです。
確認申請の煩雑化が原因の一つだそうですが、そのせいあって仕事の上がりも早くなりました。
今日も5時で終了。しかもミキティと同じです。
ラーメンでも行くかと思ったのですが、そそくさと帰ってしまいました。
そんなこんなの毎日ですが、お待ちかね、
やま建 フランスリポート4日目です。(2007年7月6日)
今日は朝早めにホテルをチエックアウト。
まず行った先は「アラブ世界研究所」。日本では電通本社ビルを設計したジャン・ヌーベルの作品です。
セーヌ川岸の道路からみると普通のビルとなんら変わりがないので、気付かず通り過ぎてしまいましたが中庭にまわると幾何学模様に覆われた外壁に目を奪われます。
この模様はアラベスクといってイスラム文化の装飾です。
セーヌ川からみたアラブ世界研究所
アラブ世界研究所(中庭側)
建物の外壁は写真でみるときれいな模様を描いてますが、現地で生で見ると材質が強調されてなんだかアルミの切絵といった感じがしました。
外壁アップ
でもこの外壁、ただの装飾ではありません。
縦横に並んだ大小の丸い穴。
この穴の室内側にはカメラのシャッターのような機械が取り付けらています。太陽の明るさをセンサーが感知、開いたり閉じたりして室内の採光を調節するハイテク外壁です。
室内側から
室内からみると仕組みの構造がよくわかりますが、全ての穴という穴に取り付けられたこのシャッター、素人目にみても故障が多そうです。
屋上からはノートルダム寺院の後陣部分がよく見えます。
まるでグロテスクな宇宙生物のよう。
ノートルダム大聖堂 後の部分
アラブ世界研究所を後にし、徒歩でリヨン駅へ。
パリ リヨン駅
いまだに高層住宅のお手本となっているコルビュジエ設計のマンション、「ユニテ・ダビタシオン」を訪れるためマルセイユへと向かいました。
フランスが誇る世界最速鉄道「TGV」に乗り込みます。
フランス国鉄自慢のTGV
日本でいうところの新幹線ですが、ホーム、改札、線路とも在来線とは別格の日本の新幹線とは違って、TGVは普通の電車と同じホームに並んでいます。改札もなく出入りも自由です。
お高くとまった日本の新幹線とちがって比較的運賃も安いです。
でも今、ユーロ高なんで・・・
世界最速とあってやはり速いです。振動もそんなにありません。
でも車体の構造上、車両間の移動が制限されますし、座席の広さも日本の新幹線のほうが広いので乗り心地的には新幹線の方が上手でしょうか。
約3時間で到着。パリ周辺は暑い雲が覆っていたのですが、内陸部と地中海沿岸の気候の違いは歴然。次第に薄くなりマルセイユに着く頃は抜けるような青空が広がっていました。
マルセイユ街並み
マルセイユ駅から地下鉄とバスを乗り継いで「ユニテ・ダビタシオン」に到着。
ユニテ・ダビタシオン
新しい高層マンションの多いこの辺りでも見劣りしていません。
住居部分が柱で持ち上げられて、コルビュジエが提唱した近代建築五原則のひとつピロティができています。
ピロティ
現代の高床式住居といったところでしょうか。
高さは5~6mほどあるので風通し、採光もよし。駐車場や自転車置き場にしているのがもったいないくらいです。
梁間(短辺)方向から見ると二本足で建っているようで、なんだか人間的です。
立ってるみたい
このマンションにはホテルも併設されており、是非泊まりたかったのに満室でした。残念
でも、建物の見学は自由との事です。日本では不審者騒ぎの多い昨今、居住者の心の広さに感謝です。方々を見てまわりました。
ホテルの受付と同じフロアにはスーパーや雑貨店、事務所がはいっておりちょっとした商店街通りをつくってます。
商店街通り
住居部分は各部屋ごとに赤、青、黄のドアで区別されていますが、中廊下式でかなり暗いので派手派手しさはありません。
部屋ごとに色分けされたドア
中廊下。かなり暗い。
屋上に出ると、眼前にはマルセイユの港、そして地中海沿岸特有の乾いた岩山がそびえています。
屋上からの眺め
快晴の空。雲ひとつ無し。
このマンションの売りの一つは屋上庭園でもあります。
屋上庭園
プールや保育園、体育館、ジョギングができるスペースもあり、私が行った時は暑い日でもあったのでプールでは子供たちがたわむれてました。
プール。上の部屋は保育園
澄んだ青空を背景に、排気塔をはじめとした屋上の建造物は彫刻作品の展示場のようです。岩山や港を借景としているようにも思われます。
排気塔
エレベータ塔
走り回ったり、影に身を隠したりはしゃぎまわっている子供たちを見て、愛されている建物だと感じました。
その後、マルセイユ中心街に戻り、街を見下ろす丘の上の聖堂へバスで向かいました。
ところが着いてみると閉館時間が過ぎて閉まっていました。引き返そうとしたところ乗ってきたバスが発車。
「Hey! Bus wait !!(待ってくれ~!!)」
しかし声は届かず、戻りの最終バスとなって走り去ってしまいました。
一人取り残されてしまいましたが、市街と港を一望できる眺めは絶景です。
マルセイユ市街
帰りは下り坂なので歩きでも楽に戻れました。そのまま港を散歩。
ローマ帝国時代から続き、今でもフランス最大の貿易港ですがこの旧港周辺は、ヨットが係留され、露店が並び、観光客が散策するのんびりした雰囲気です。
港
ゆったりとした時の流れに身をまかせ、海に沈む夕日を見ながらいままでの旅の記憶を振り返ろうと思ったのですが、もう9時過ぎだというのになかなか日が沈んでくれません。
ゆったりさにイライラしてホテルに帰ってしまいました。
ゆとりのある旅を心がけたいですね。
次は、5日目です。