やま建築研究所

私が感じたこと、気になった建築などを書き留めたノートです。

建築の歩き方は、愛知県犬山市の「犬山城」です。

2011年05月07日 02時06分43秒 | 建築の歩き方

姫路城、彦根城、松本城いずれ劣らぬ天下の名城であり、国宝です。
世界に誇る文化と歴史を持った国、ニッポン。
仏像、絵画、焼き物など、国宝指定は数あれど、見て、さわって、立ち入って、五感で感じることができるものは少数です。
そんな数少ない中でも、最大規模が城郭建築。
日本には国宝に指定された城が4城あります。

①兵庫県姫路市の姫路城、通称「白鷺城(しらさぎじょう)」。
②滋賀県彦根市の彦根城、通称「金亀城(こんきじょう)」。
③長野県松本市の松本城、通称「烏城(からすじょう)」。

上記の三城は、訪れたこともあり、ブログでも紹介済みです。

国宝四城訪問記。最後に訪れたのが愛知県の犬山城。2009年8月16日のことです。
木曽川沿いの丘の上にある白亜の城。通称「白帝城」。
江戸時代の学者が、三国志の英雄「劉備」が没した中国・長江沿いに建つ城に見立てて、「白帝城」と名付けたことに由来します。


木曽の大河と緑の山。風光明媚でロケーションも抜群、さらにこの日は晴天。
青い空ときらめく水面、山の上の古城。
洋画よりも水墨画の世界観にマッチする絵画的美しさ。
犬山城は何百年もの間、この風景のアクセントとなってきました。


北から西へ流れる川を背後に、小高い山の上から周りを見渡すことのできる難攻不落の「要塞」。
この鉄壁と思われる防御を、初めて攻め取ったのが天才武将、織田信長。城を傷つけることなく城主を降参させました。

       織田信長

その後も城を乗っ取られることはあったものの、戦火にさらされることはなかったため、現存する日本最古の城となりました。
築城は1537年というのが通説ですが、天主閣がいつ建てられたのかは、定かでないとされています。
しかし、室町時代の後期に建てられたことは間違いなく、安土桃山時代、江戸時代と何度か増改築を重ねて今の形となりました。

犬山城へは名鉄犬山駅から徒歩で向かいます。
ルートは2パターンあり、1つは木曽川沿いに歩く道
遠回りですが、川に出た途端、視界が開け、自然が創った雄大な光景に息をのみます。

一度はこの道から城を見ることをオススメします。


もう1つは城下町を通って向かう道

昔の街並みが色濃く残る界隈で、両脇に並ぶ江戸時代の建物は、城との出会いを劇的に高めてくれる舞台装置。
土産物屋と観光客でにぎわう、正統派の道順となっています。
しばらく進むと、街並みを見下ろすように建つ城が見えてきました。


姫路城や松本城ほど大きくはなく、彦根城とほぼ同じくらいでしょうか。小ぶりだが、まとまった印象です。

         犬山城正面

どこの城にもある唐破風ですが、犬山城のものは、小さくてこっけいでかわいい。
城というと権威的で威圧感があって馴染みにくいもの。一国の象徴なので、威厳がでるようにデザインしているのでしょうが、犬山城はこの唐破風のおかげで、親しみやすさを感じます。
築城当時はなかったのですが、1687年に城主の成瀬氏が飾りとして付けました。

外からの見た目は三階建。でも実際は地下二階、地上四階建てになっています。
どこの城でも同じですが、バリアフリーとは無縁な急な階段で上り下り。気をつけないと、転げ落ちそうですが、敵の侵入を防ぐにはこれくらい急な方がいいのかもしれません。

        地下部分の階段

当時としては当たり前の漆喰壁が外にも内にも使われています。
みずみずしく、混じり気のない白。耐水と防火に優れて調湿効果も抜群。
日本の木造建築文化と高温多湿な気候に適した、歴史ある材料です。
薄暗い中、白い壁に光が反射し、室内はほのかな明るさです。
この日は8月の夏真っ盛り。外は30度超の蒸し暑さ。
城内は四方に窓があるので風通しも抜群ですが、ジメっとしないのは、漆喰の調湿効果のおかげかもしれません。

       室内。白い壁が漆喰



     外壁。白い壁が漆喰、黒い壁は木


城は巨大な木造建築物。構造材である柱や梁はもちろん、造作材である敷居も鴨居も太く大きいです。
段差もそこかしこにできているので、気をつけないとつまづきます。
城は普段の生活で住む場所でなく、有事に立てこもる場所で、いわば基地。
これも、敵の侵入を阻むための仕掛けかもしれません。

     このような段差がいたる所にある


どの階の間取りも中心部が居室、それを囲むように回廊が配されています。
回廊は巨大な太鼓梁が渡された勾配天井。構造材の力強い木組が頭上に迫ります。

鴨居の上の柱間に回されているのはです。貫とは日本古来の在来工法の部材で、地震の横揺により建物が倒れるのを防ぐためのものですが、今の木造建築にはほとんど使われていません。
昭和25年の建築基準法改正により、現在では筋交いが代わりとなっています。


どこの城もそうですが、最上階からの眺めは絶景かな。
 
最上階は、1620年に増築されたもの。
平屋の上に増築して2階建てにすることは、「お神楽(おかぐら)」と言って現在でもよくある工事です。
でもここは規模が違います。
お神楽にした部分だけでも家一軒ほどの大きさの上、高さは約19mで6階建の高さに相当。足場を組むのも大変そうです。



外から見た時に特徴的だった最上階の火頭窓。でも室内から見ると窓の痕跡がありません。


どうやら、明りや通風をとるための開口部としての窓でなく、枠を付けただけの飾り窓のようです。
時は関ヶ原の戦いが終わって一息ついた、江戸時代初期の寛永文化。同時代の建築は清水寺や日光東照宮、桂離宮など。

          清水寺


       日光東照宮 陽明門


          桂離宮

いずれも一度見たら忘れられないような大胆な構成と斬新なデザインだが、一歩外れればテーマパーク。
でも使い勝手や建てやすさ、工期、建築費はさて置いて、見る者をあっと言わせたい。
平和な時代だからこその遊び心、粋ですね。

天主閣からみる犬山市街。
色とりどり、形さまざま、高さまちまち。不揃いな建物居並ぶ平成の城下町。
背景には、青い空、たなびく雲、ゆっくりと流れる河。
  

太古から変わらぬ風景は、動かざること山の如し。
悠久の時を経た今の姿から、過去の姿を想像するロマンチックなひと時。
・・・と思ったのですが、この後名古屋の友人と会う約束が入っていたので、たそがれる間もなく帰路につきました。
帰り道、急な階段は降りる方が怖いですな。