オレ流建築の歩き方はなんとイタリア。
フィレンツェの「サンタ・マリア・デル・フィオーレ」です。(2006年7月7日)
イタリア
何故、突然イタリアなのかというと・・・
詳しくはこちらを参照→http://blog.goo.ne.jp/ko-yama/e/78a3ecb3306c6f407c7d01f65a579d59
という訳でかれこれ二年前の出来事です。
格安航空券がさらに安くなるのがシーズンの谷間。6月~7月にかけては日本から欧州行きが、往復約10万円ほどで手に入ります。
海外の航空会社の便で座席はもちろんエコノミークラス。
直行便と違って途中で乗り換えがあるので二時間ほど空港で足止め。
早く着きたい気持ちもやまやまですが、狭い機内から開放される貴重な休憩時間です。
イタリアの首都ローマからフィレンツェへはイタリアの新幹線「ユーロスター」で約2時間。
イタリアの新幹線「ユーロスター」
車窓
田園風景の中を抜けて行きます。
降車駅は終点「フィレンツェ・サンタ・マリア・ノヴェッラ」駅。
駅から少し歩くと、道路に沿って建つ高い建物の間からさらにビックな建物が顔をのぞかせています。
その名は、「サンタ・マリア・デルフィオーレ」。
訳すと「花の聖母教会」。ドォーモとも呼ばれています。
イタリア旅行のポスター、チラシには必ずと言っていいほど載っている日本でもお馴染みのイタリアのシンボルです。
サンタ・マリア・デルフィオーレ
(頂部のランタンは工事中でした)
高さは107m、長さ155m、幅90m。
全体像を見るならアルノ川を渡った高台のミケランジェロ広場。
フィレンツェ市街を一望できますが、ここから見ても突出した高さです。
ミケランジェロ広場から
外から見ても巨大だが、中も大空間。
分類上はゴシック様式ですが、けばけばしさは無く装飾は内外ともいたってシンプルです。
外壁材は色大理石。白と緑の色の組み合わせは地味なのか派手なのか?
意外な色使いです。
外観
外観
正面ファサードから中へ入ると真夏の外に比べてひんやり涼しく、汗だらけの熱い体を冷やしてくれます。
正面ファサード
交差リブボールトが支える大空間にシンプルな内装。
聖堂内部
派手な装飾で飾られた多くの教会とは一味違います。しかも側廊のハイサイドライトから入り込む光によって、フラッシュがなくてもブレずに写真が撮れる明るさです。
床のデザインも幾何学模様でモダンです。
床の模様
平面形式は十字架をもじったラテン十字式。
奥の交差廊の上部はフィレンツェの象徴でもある巨大なドームで覆われています。
写真ではスケール感が伝わりにくいですが、人の大きさと比べてみて下さい。
かなり高くて巨大です。
ドーム中腹の回廊から
内壁の壁画のテーマは「最後の審判」。なんだか降ってきそうな錯覚におちいります。
ドーム内壁の壁画
この巨大なドーム。設計は15世紀のルネサンス期の建築家「フィリッポ・ブルネレスキ(1377~1446)」。
広場には石造が築かれ、今も「作品」を見守っています。
フィリッポ・ブルネレスキ
(1377~1446)
石積みのドームとしては現在でも世界最大。
建設当時は前代未聞。この構造物を造るため、ブルネレスキが考え出したのは二重殻構造という工法。
難しいことはわかりませんが、軽くて強い巨大なドームを作るための方法だそうです。
二重殻という言葉どおりドームは内側と外側に分かれており、この間に階段が組まれ頂上へと続いています。
二重壁の間に作られた階段
観光コースとなっているため、だれでも登ることができます。
但し、6ユーロの入場券と463段の急勾配の階段を登る体力が必要です。
中は薄暗くて狭く、すれ違う幅もなし。
所々にある通気と採光用の小窓から見えるフィレンツェの景色と吹き込んでくる涼しい風。
でも、休もうと思っても後ろから人が次々と登ってくるのでなかなか休めません。
風窓に切り取られた風景
ドームの周囲にめぐらさられた通路からは天井の壁画が間近に迫ります。
丸窓の下が通路
建物の規模も前代未聞ですが、建築方法も前例なし。
100m以上の建物なんて今でも高層建築物。ちょっとやそっとじゃ建ちません。
しかも現代のように設計と施工が完全に分かれている訳でもありません。
そのため、ブルネレスキは建築するための方法から工作機械まで自ら考え出さなければなりませんでした。
とは言っても前代未聞の建築物。
勉強しようと思っても教科書なんてありません。
教えてくれる先生だっておりません。
そこでブルネレスキが目をつけたのが、古代ローマの遺跡。
千年以上前の、もの言わぬ先生です。
ローマに滞在し、遺跡を調査することで構造のヒントを得ます。
また、ブルネレスキは時計職人でもあった為、機械作りの経験を生かして今でいうクレーンなどの重機を発明。
さらには、建築資材となる大量の石を運ぶための特殊な船まで考案しました。
まさに一人ゼネコン。設計から施工、工事用の機械まで作ってしまうスーパー建築家、と言うより発明家でした。
この教会の建設が始まったのは1296年のこと。
ここフィレンツェでは伝染病の流行や戦争といった出来事が度々起こった為、中断に中断が重なり十字の廊下の部分をつくるだけでかれこれ122年。
やっとのこと1418年に主ドームの計画がスタートします。
建設母体の大聖堂造営局主催のもと、ドームの設計者はコンペ形式で募集されました。
当時の建築家や彫刻家そして職人などいずれもその分野では大御所といわれた人達からの応募があったなかで、最も現実的かつ画期的な案を提出したのがブルネレスキでした。
今までの常識を覆す案。そのため成功を危ぶむ声も多数ありましたが、他にこれといった方法もありません。
大聖堂造営局もすがる思いでブルネレスキに設計を託します。
一層ずつレンガを積み上げていき所々を木や鉄のわっかで補強しながら進めていきます。
内壁のレンガの積み方
「矢筈積み」といいます
構造計算などない時代、たよりになるのは経験とカンだけです。
命賭けの危険な仕事ですが、特に大事故もなく1436年に無事ドームは完成します。
ドーム内部の階段を登っていると、そんな歴史と工夫と汗がつまった構造体に間近に接することができます。
フィレンツェっ子の悲願、140年にわたる建築作業の末、街をあげて盛大に献堂式が行われました。
その後、最後の仕上げとして頂部にはランタンが設置されますが完成はブルネレスキの死後でした。
前例のない大工事をやり遂げた建築家は今、この教会の下に眠っています。
長くなってしまいましたが建築過程のあらましです。
階段を上りきると地上90メートルの風景。
強い風が汗だらけの体を抜けていきます。
ドーム頂部からみたフィレンツェ市街
一見、展望台のようですが、正確にはこの部分はランタンといってドームの構造を安定させるため、頂点に重しとして載っています。
素材は大理石製。
ランタンを支える柱。大理石製。
(落書きが目立ちます)
ちょっと前には日本人観光客の落書き騒動で有名にもなりましたが、この時も落書きはひどかったです。
人類の宝、大事にしましょう。
隣の一足先に完成したジョットの鐘塔(1387年完成)、高さ84m。ここからは見下ろせます。
ジョットの鐘塔
この鐘塔からの大聖堂も一見の価値あり。
ドームの巨大さをドームと同じ高さの目線で見ることができます。
ジョットの鐘塔から
但しこちらも400段以上の階段ですが・・・。
夕日に染まるサンタ・マリア・デルフィオーレ。
瓦の色とも調和し、最もきれいな瞬間でした。