ヒマジンの独白録(美術、読書、写真、ときには錯覚)

田舎オジサンの書くブログです。様々な分野で目に付いた事柄を書いていこうと思っています。

資金集め商法に人はなぜ群がるのか?

2018年09月11日 17時25分09秒 | なぜ?どうして?
ケフィア事業振興会という会社が9月3日、関連会社3社と共に東京地方裁判所から破産開始決定を受けた、との報道を知りました。
「ああ、またか」というのが私の感想です。かっては豊田商事が近頃ではジャパンライフが同じような手口で資金を集め、預託者に莫大な損害を与えています。

今どきの低金利時代に数パーセント以上の配当を謳った投資など在るわけがないと思うのが普通でしょ!と私などの貧乏人は思ってしまいます。
ですがそれらの資金集め商法に人はなぜ群がるのでしょうか。それに対する危険性を感じないのでしょうか。

これの根源には「今ある資産を少しでも増やしたい、安定した資金の裏付けによる豊かな老後を送りたい」などの希望があるからなのでしょう。

ここで、この事態の法的側面や道義的責任などを無視して、経済学的視点より考えてみましょう。

「手持ちのお金を少しでも増やしたい」と思う事を「資金の増大を願う需要」と考えます。
そして、「資金の増大に寄与するもの」を供給者としましょう。
この需要と供給の上に「資金集め商法」が成り立っているのです。
「お金を増やしたい」という需要が無くまた「お金を増やしてあげようとの供給」が無ければこの事態は起こりえませんでした。

お金を増やしたいと思う「幻想」が「私がそれを増やしてあげよう」という「実体」を生み出し、挙句の果て「幻想」が「実体」により「裏切られた」のがこの事態の本質と考えることが出来ます。

このような事態はこれからも果てしなく起こり得ます。
人々の希望が「幻想」に基づいているからです。

追記

この事態が法律上、詐欺罪などの刑法に抵触するのか、などは私にはわかりません。
「お金を増やしたい」と思う庶民のささやかな願望に付けこみ、預託金の還元が出来なくなった事態の責任は「資金集め商法」の運営者に道義的な責めはあると思います。
ですが、この事態は、「資金の増大を願う需要」がそれの「供給者」を生み出したと考えれば、「損失を受けた人々」の「幻想」が生み出した事件なのです。
世間では<損失を受けた人々>を「被害者」と言います。このような「事件」には「被害者」がいる以上、「加害者」もいるわけです。
被害を発生させた事態の発生源を「加害者」と考えれば、「加害者」は損害を被った「被害者自身」だったのです。










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