ヒマジンの独白録(美術、読書、写真、ときには錯覚)

田舎オジサンの書くブログです。様々な分野で目に付いた事柄を書いていこうと思っています。

近代日本にアイデンティティはあったのだろうか?

2018年09月04日 13時59分46秒 | 独り言
インドネシアのジャカルタでのアジア大会はおわりました。
それに触発されたわけではありませんが、私はインドネシア人の書いた文学作品を読んでいます。また、今年の7月には台湾人の文学作品や映画に触れる機会がありました。

両国とも他国に統治されてた期間が長いという特徴があります。
インドネシアは350年もの間、オランダによる植民地支配を受けていました。その後、日本による軍政が3年半あり、太平洋戦争後はまたオランダとの独立戦争がありました。
台湾は約50年間は日本の植民地でした。

インドネシアの作家の作品につぎのものがあります。
「ナガ族の闘いの物語」をレンドラは書きました。
太平洋戦争の終結後、スカルノによる民族独立運動を経て独立が確立された後に「開発行政」により自分たちの先祖伝来の土地が無くなってゆく人々の心情を「ナガ族の闘いの物語」は描写していました。

また、台湾の場合はこうでした。
太平洋戦争後に台湾はそれまでの日本統治から解放されて中華民国の主権が回復されました。その時中国大陸では「国共内戦」があったのです。これは中国共産党と国民党との内戦です。その内戦に敗れた国民党とその支持者の一部は台湾に逃れていきます。そして国民党政府を台湾に樹立しました。
元々台湾は中華民国領であり、台湾省となっていました。台湾には元から住んでいた「高砂族」などの先住民と国共内戦以前に大陸から移住してきた華民族との多民族社会だったのです。
そこへ国民党がやって来ました。国民党は共産党に敗れたとはいえ、それまで住んでいた人たちに比べれば強大な軍事力と政治組織を持っていました。その台湾における国民党政府は軍事力を背景に戒厳令を敷き独裁政治を行いました。この理由は中国共産党と闘い国民党政権を大陸に打ち立てようとの戦略の為でした。
新たに大陸からやって来た人たちを「外省人」といい、元からの台湾人を「本省人」と言いますが、両者の間での軋轢は当時の台湾社会で大きな社会的問題となっていました。このことを「省籍矛盾」と言います。
元からの台湾住民と大陸から逃れてきた人たちとの混合的な社会には、様々な独自的利益や思惑が渦巻いていたのです。その社会に暮らす人々にとっては日常生活そのものが大変なストレスだったのでしょう。
こうした社会的な背景の元、当時の台湾には自分たちの出目や社会で置かれている位置などを見つめなおす映画や文学が展開していきます。

このようにインドネシアや台湾の文学や映画などの作品には共通の特徴を見ることが出来ます。
それは自国と自民族についてのアイデンティティが広く作品の底流に流れていると思えるのです。

これらの二つの国に比してわが国の場合はどうっだたでしょうか。
明治の文豪、夏目漱石は「三四郎」の中で登場人物の広田先生を通して次のように言っております。
『こんな顔をして、こんなに弱っていては、いくら日露戦争に勝って、一等国になっても駄目ですね。(中略)「然しこれからは日本も段々発展するでしょう」と弁護した。すると、かの男は、すましたもので、「亡びるね」と云った。』


このように見てくると、夏目漱石が三四郎を書いた時にも日本にはアイデンティティなどと言うものがそもそもあったのだろうかと思わざるを得ません。

ヨーロッパのような市民革命も日本にはありませんでした。日本は単一民族国家なので民族解放運動もありませんでした。長く続いた鎖国政策は他国からの文化的、社会的・政治的な進入を防ぐ防波堤の役割をはたしたおかげで他国の植民地になることもありませんでした。さらに鎖国政策は「自国と他国」を同時に考える視点を日本人に与えませんでした。そして、ちゃんとした階級闘争など一度も経験したことも無いのです。
こんな無いないづくしの国家や民族には、そもそもアイデンティティが育つ契機が無かったのだとわたくしには思えるのです。


ここで話は変わりますが、次の歌の歌詞を見ていただきたい。
吉田拓郎の歌を二つ挙げてみます。
一つは「永遠の嘘をついてくれ」です。
この楽曲は中島みゆきが拓郎に提供したものとして知られています。
この中の一節を見てみましょう。
『♬この国を見限ってやるのは俺のほうだと
 追われながらほざいた友からの手紙には
 上海の裏街で病んでいると
 見知らぬ誰かの 下手な代筆文字

 なのに 永遠の嘘をつきたくて 探しには来るなと結んでいる
 永遠の嘘をつきたくて 今はまだ僕たちは旅の途中だと
 君よ 永遠の嘘をついてくれ いつまでもたねあかしをしないでくれ
 永遠の嘘をついてくれ 一度は夢を見せてくれた君じゃないか♬』


さらに一つは『落陽』です。2番の歌詞にこのようにあります。
『♬ 女や酒よりサイコロ好きで すってんてんのあのじいさん
   あんたこそが正直ものさ
   この国ときたら 賭けるものなどないさ
   だからこうして漂うだけ みやげにもらったサイコロふたつ 
  手の中でふれば また振り出しに戻る旅に 陽が沈んでゆく♬』


この二つの拓郎の楽曲に出てくる「この国」は楽曲の作者にとっては、どんな「国」であるのかは明快です。
「見限ってやる、賭けるものなどない」のが「この国」なのです。

一介の歌人(うたびと)にこのように唄われたり、広田先生に「亡びるね」と言われた「国」がどんなものかは言わずもがなです。
そこには守るべきアイデンティティなどはあるのでしょうか?

なんか、悲しくなりますね、この国の国民でいることが。

でも、希望がどこにもないわけでもありません。先日、2歳の行方不明の幼児を発見した人がいました。ボランティア活動に従事している方です。各地の災害地に出掛け、復旧のお手伝いをしている人たちが大勢いらっしゃるのです。

「お隣さんが困っているのなら、自分が出来るお手伝いをするのは当然だ」と思う人たちの基底には、近代の社会と国家を支えてきた理念とは全く別な地平での「市民アイデンティティ」の萌芽があるのかもしれません。








最新の画像もっと見る

コメントを投稿