ヒマジンの独白録(美術、読書、写真、ときには錯覚)

田舎オジサンの書くブログです。様々な分野で目に付いた事柄を書いていこうと思っています。

ピエール瀧の逮捕についての過剰な反応。

2019年03月18日 18時27分40秒 | 独り言
ピエール瀧が薬物使用の疑いで逮捕されたのはまさかの衝撃と世間には受け止められたようです。
彼が属していた電気グルーブの楽曲と映像(CD,DVD,ネット配信)の多くは販売休止と回収、配信停止の処置がとられていくようです。
ここで私は感じることがあります。はっきり言ってそこまでやる必要があるのか、と感じるのです。
ピエール瀧の行為には確かに違法性があると思われるのですが、嫌疑の証明が十分に済まないうちに、彼が関わった表現活動そのものを休止したり削除したりすることは、どうなんだろうかと思うのです。
わたくしの長男はピエール瀧が電気グルーブの創生の頃からのフアンで、ほとんどすべてのCDを持っております。わたくしも聴いたことがあります。
現在彼らのCDの販売と店頭にあるCDが回収されようとしています。それでは今まで購入されたCDについてはどうなんだろうかと疑問を持ちます。罪に問われようとしている人の作品には一切の社会的な存在意義がないのであろうか。
わたくしには電気グルーブが表現してきた「音楽性」を評価する基準は持っておりませんが、仮にそのグループの構成員であったピエール瀧が薬物使用の嫌疑が有罪であったとしても、彼らの表現者としての活動を邪魔する権限は誰にもないと考えます。

ピエール瀧に薬物使用の疑いがある事と、電気グルーブの音楽活動とは分けて捉えるべきこととわたくしは判断します。
犯罪の嫌疑がある彼の行為に対する反応には「世の中の異端者にはとりあえず距離を置いていた方が自分にとって安全だろう」と考える「予防的安全策」が見られると感じられるのです。
これまで電気グルーブのCDやDVDを販売して利益を上げてきた業界のとる態度としてはあまりにも、冷たい仕打ちではないでしょうか。

『ピエール瀧のこの度の薬物使用には同調するものではありませんが、彼の犯罪の嫌疑と音楽表現とは別物であると考えるので、音源の供給は今まで通りに続けます』と表明する販売者がいても良さそうと、私は思うのです。

改めて言います。この度の業界の「予防安全策」は文化を創ってゆこうとするものにとっては思考停止でしかありません。表現された作品には犯罪性などないことは言うまでもありません。
電気グルーブの音楽表現の先駆性を見出した業界人はこのことを忘れてはなりません。



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