ヒマジンの独白録(美術、読書、写真、ときには錯覚)

田舎オジサンの書くブログです。様々な分野で目に付いた事柄を書いていこうと思っています。

読まないほうがためになる「本」

2016年10月03日 19時57分32秒 | 読書
「本を読めば、何かしらためになる」と一般には言われています。
子供のころに、学校の先生や親から「本を読んでおけば、後で必ず何かのためになる」と言われたことは、誰しもあったでしょう。

ですが、読まない方がためになる本と言うのも、世の中にはあるのです。

そんな本の筆頭は西洋では、「マルドロールの詩」でしょう。
著者は「ロートレアモン伯爵」と言います。ロートレアモンは本名をイジドール・リュシアン・デュカスと言う人物で24歳の若さで亡くなっています。
この書の「解剖台の上での、ミシンと雨傘との偶発的な出会い(のように美しい)」という字句が1970年代前後のインテリぶった学生などにもてはやされたことがあったようです。

『ロートレアモン詩集』渡辺広士訳編 思潮社 1968を学生のころに購入したことがあったのですが、今はどこに行ったかもわからなくなっています。

「マルドロールの詩」はアンドレ・ブルトンを初めとするシュールレアリストに多大な影響を与えたとする研究者もおるようです。
サルバドールダリがマルドロールの詩に触発されて、この書に挿絵を描き、1974年に出版された『ロートレアモン詩集』もあったようです。

いずれにせよ、私などには文学でも絵画でも、シュールレアリスムなどというものはさっぱりわかりません。
表現されたものには、必ずやその「表出に至る論理」というものがあるだろうと思うのですが、「解剖台の上での、ミシンと雨傘との偶発的な出会い」にはどんな論理があるのかが想像も出来ないのです。

ここまで書いてきて「お前のいう事は間違っている」と言う声が聞こえてきそうですね。

「論理」を超えているから、「シュール」なんだよ・・・。
はい、ごもっともでございます。僕にもそんなことはわかりますよ。
ですが、「論理を超えたものがあるという事に合点がいかない、腑に落ちない」と思っている陣営に僕はいるものですから。


さて、我が国の著作では埴谷雄高の「死霊(しりょう)」などは解らない本の筆頭でしょうね。

若いころに生意気にもそれらに目を通したことがありました。
マルドロールの詩も死霊も共に難解な書として知られています。
とにかく、それらは読んでも「わからない」のです。解ろうとしても凡人には無理なのです。

凡人の「想像を超えたところにある」ものは凡人が読んでもわからないのが普通なのです。

解らないのはしゃくなことなのですが、世の中にはわからないものが在っても不思議ではない、という事をわかれば良いと思っています。
触らぬ神に祟りなし、なのです。





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