神々の詩
祈りに一人歩きはないのであります。
祈りによって人が良くなることもなければ悪くなる事もないのであります。
祈りとは、手を合わせる事でもないのです。
祈りとは・・・大自然を感じ・・・今の地球を・・・宇宙を感じ取る事なのです。
自我を離れ・・・自然と一つになるときに人々は皆祈っているのです。
己をかえりみるときにこそ、自分のと対話が成就し地球からの振動を感じる事が出来、空間の流れを感じる事が出来るのです。しっかりとした本当の呼吸が出来ることで祈りを体感することができるのです。
何の色も味わいもない所にこそ、真実の己がいるのであり、鏡面の様な穏やかな心の中にこそ感受するものがある。
その様な心身になってこそ祈る事ができ、人々の手助けができるのです。古の昔から祈り人の先人達は自らを律し、自我を捨て去る事で体得してきた目に見えない力を地水火風空の中より導き出し感受することができたのです。これを観見の目付といい、みだりに人前で行う事は、半人前の証拠であり、到底大いなる気付きにはなりえないのです。
私は前文の言葉を何十年も前に私の武道の師であり、祈り人であった御仁から耳にタコが出来るくらいに聞かされていた言葉であります。聞いていた頃は何が何だか解らなかったのですが、最近は、良く解りかけてきています。とても厳しい師で、全ての理を伝授されたのものの未だ修行中の私・・・感得するのも師と同じ位に楽しめなくては感得出来ないのだろうな~と感じております。神道と密教を極めていた師は全ての宗教を否定されていました。神仏は己の中にこそあるものなり・・・これは口癖でしたね!!大東亜戦争で幾多の敵兵と実践を重ねてきた師は本物の武道家であり、私が相伝を受けた武道の中では最後の実戦経験者なのです。その言葉には重みがあり、その経験にはひれ伏すものがあり、見つめられただけで体が硬直し何もかも見透かされている様に感じたものです。その師の言葉が何故か明瞭に思い出された今なのですが・・・祈りという事の大切さと、簡単には出来ない難しさ・・・これを思い出しました。キチンとした形で習得しないと、大変な方向に行ってしまうからなのです。呼吸法から学び、振動の感じ方を学び、楽しさを学ぶ・・・精神的に苦痛となる様な修行は役に立たないばかりか妄想を生んでしまいますのでね・・・妄想を生んでしまうのは頭で考えてしまう癖があるからなのです。ハートで感じるように訓練する事が必要なのです。肉体的に辛くともメンタルは爽やかでハートは熱いものでなければならないという事なんですがね・・・この3つのバランスがとても重要で大切になってくるのです。肉体の鍛錬操体法も昔から受け継がれて来たものほど理に適っております。呼吸法もそうです。昔は秘匿とされてきたものなんですがね・・・私の代になってからは・・・もう~心ある人達にお伝えしています。でも・・・ほんの入り口・・・準備運動程度しかお伝えできていませんが・・・勉強会でしっかりとお伝えしていく予定です。先代も喜んでいてくれている事だと感じております。
振動(波動)が低いと、とても危険な事があるために勉強会に来ていただいている方達はとても真剣に・・・笑いながら練習していてくださるので良い感じです。今月もこちらで勉強会がありますので楽しみです。そして来月には神戸の方で勉強会が開催されますのでそちらも楽しみです。今日は先代の師が大きく羽ばたけっ・・・と激をいれてくれている様に感じて仕方がありませんでした。空間の異質を感じる事も重要な一つなのではありますが、大いなる目付をしなければならないっ!!というようなメッセージも飛び込んで来ていますので肝に銘じておきます。
毎日が何かしらの事柄を出来ました事に感謝いたします。
ありがとうございます。