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三叉 (みつまた)

2014年03月20日 17時46分55秒 | 花の神話と伝説
別 名 「結香の花(むすびき)」



花言葉 「強靱」「意外な思い」「壮健」「永遠の愛」「肉親の絆」

季 語 仲春



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ミツマタ(三椏、学名:Edgeworthia chrysantha)
ジンチョウゲ科ミツマタ属の落葉低木。
中国中南部、ヒマラヤ地方原産。皮は和紙の原料として用いられております。

概要
ミツマタは、その枝が必ず三叉、すなわち三つに分岐する特徴があるため、
この名があり、三枝、三又とも書きます。
中国語では「結香」(ジエシアン)と称しております。

春、葉が出る前に甘い香りを放って花が咲きます。
春の訪れを、待ちかねたように咲く花の一つがミツマタです。
春を告げるように一足先に、淡い黄色の花を一斉に開くので、サキサクと
万葉歌人に詠まれました。
(またはサキクサ:三枝[さいぐさ、さえぐさ]という姓の語源とされております。)

園芸種では、オレンジ色から朱色の花を付けるものもあり、
赤花三椏(あかばなみつまた)と称します。

利用
和紙の原料として重要です。
ミツマタが和紙の原料として登場するのは、16世紀(戦国時代)になってからである
とするのが一般的です。しかし、『万葉集』にも度々登場する良く知られたミツマタ
が、和紙の原料として使われなかったはずがないという説があります。

平安時代の貴族たちに詠草料紙として愛用された斐紙(美紙ともいう)の
原料であるガンピも、ミツマタと同じジンチョウゲ科に属すします。
古い時代には、植物の明確な識別が曖昧で混同することも多かったために、
ガンピもミツマタを原料としたものも、斐紙と総称されて、近世まで
文献に紙の原料としてのミツマタという名がありませんでした。
後に植物の知識も増え、製紙技術の高度化により、ガンピとミツマタを
識別するようになったとも考えられております。

「みつまた」が紙の原料として表れる最初の文献は、徳川家康がまだ将軍になる
前の慶長3年(1598年)に、伊豆修善寺の製紙工の文左右衛門にミツマタの
使用を許可した黒印状(諸大名の発行する公文書)である(当時は公用の紙を
漉くための原料植物の伐採は、特定の許可を得たもの以外は禁じていた)。 

「豆州にては 鳥子草、かんひ みつまたは 何方に候とも 修善寺文左右衛門
より外には切るべからず」とあります。「かんひ」は、ガンピのことで、
鳥子草が何であるかは不明ですが、ミツマタの使用が許可されております。

天保7年(1836年)稿の大蔵永常『紙漉必要』には、ミツマタについて
「常陸、駿河、甲斐の辺りにて専ら作りて漉き出せり」とございます。
武蔵の中野島付近で漉いた和唐紙は、このミツマタが主原料でした。
佐藤信淵の『草木六部畊種法』には、
「三又木の皮は 性の弱きものなるを以て 其の紙の下品
(品質が最低の意)なるを なんともすること無し」
として、コウゾと混合して用いることを勧めております。

明治になって、政府はガンピを使い紙幣を作ることを試みましたが、
ガンピの栽培が困難であるため、栽培が容易なミツマタを原料として研究し、
明治12年(1879年)、大蔵省印刷局(現・国立印刷局)抄紙部で
苛性ソーダ煮熟法を活用することで、日本の紙幣に使用されるように
なっております。それ以来今日まで、ミツマタを原料とした日本の紙幣は、
その優秀性を世界に誇っております。

手漉き和紙業界でも、野生だけで供給量の限定されたガンピの代用原料
として栽培し、現代の手漉き和紙では、コウゾに次ぐ主要な原料となって
おり、現代の手漉き鳥の子和紙ふすま紙は、ミツマタを主原料として
おります。
耐用年数
平成20年度税制改正において、法人税等の「減価償却資産の耐用年数等に関する
省令」が改正され、別表第四「生物の耐用年数表」によれば平成20年4月1日以後
開始する事業年度にかかるミツマタの法定耐用年数は5年となりました。

関連項目和紙
三椏紙
ミツマタ (小惑星):小惑星番号16731番の小惑星。
発見した佐治天文台のある佐治村(現在の鳥取市)名物の手すき和紙・因州和紙が
ミツマタを原料とすることにちなみ命名されました。

《基本情報まとめ》
・沈丁花(じんちょうげ)科。
・学名
  Edgeworthia chrysantha
   Edgeworthia : ミツマタ属
   chrysantha : 黄色の花の
 Edgeworthia(エッジワーシア)は、イギリスの植物学者
 「Edgeworth 夫妻」の 名前にちなみます。
・開花時期は、 3/ 5 ~ 4/10頃。
・原産地は 中国中南部、ヒマラヤ地方。
 江戸時代初期に渡来。
・花芽は、ちょっと不気味な、不思議な形。
・花は、蜂の巣がぶら下がったような形。
・枝が3本ずつ分岐しており名前の由来になんっております。
・樹皮には強い繊維があり、和紙の原料になります。
 しわになりにくく高級で、また虫害にもなりにくいので、
 1万円札などの紙幣や証紙など重要な書類に使われております。
 1876年(明治9年)に、政府印刷局で三叉を原料として紙幣を作ってから、
 三叉の利用度は非常に高くなりました。
 紙幣以外でも証書・地図用紙・コピー紙など各種の紙とその原料として
 幅広く使われております。

・「三椏」とも書き、「椏」は”あ”とも読み、木の股」の意味があります。 
・「赤花三叉(あかばなみつまた)」は、戦後、愛媛県の栽培地で発見され、
 今では黄色花とともに よく栽培されております。

・「春さればまず三枝(さきくさ)の 幸(さき)くあらば
  後(のち)にも逢はむな恋(こ)ひそ 吾妹(わぎも)」
                     柿本人麻呂

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ウィキペディア・その他より掲載
必要に応じて加筆・訂正致します。

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