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唐辛子/とうがらし/たうがらし

2014年10月08日 19時59分38秒 | 花の神話と伝説
別 名 「カプシカム」「チリペッパー」 (Red pepper, Cayenne) 
    「五色唐辛子(ごしきとうがらし)」


   
花言葉 「旧友」「雅味」「嫉妬」「生命力」「悪夢がさめた」
季 語  三秋
  唐辛/南蛮/南蛮胡椒/鷹の爪/ピーマン




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ナス科の一年草。
白い花のあとに青い実をつけます。
秋、真紅に色づくと辛味が一段と増すために、香辛料として用いられます。

唐辛子(とうがらし、唐芥子、蕃椒)は、中南米を原産でする
ナス科トウガラシ属 (Capsicum) の果実から得られる辛味のある香辛料。
栽培種だけでなく、野生種から作られることもあります。

トウガラシは中南米原産の一年草または多年草です。
ペルーなどで古くから栽培され、コロンブスによってスペインに渡ってから世界中に広まりました。
日本には、1542年にポルトガル人によって伝わったとされますが、豊臣秀吉の朝鮮出兵時に伝わったという説もあります。

栽培されている品種は青果用と辛味用、香辛料用、観賞用などがあります。
どちらも実の色が徐々に変化します。
観賞用トウガラシは夏から秋にかけて星形の小さ花が咲き、
果実の色は赤・橙、黄・紫・緑などがあり、園芸品種によっては淡黄白色から黄・赤紅色に変わるものや、紫から紅色に変わるものもあります。

花が少ない夏に重宝な植物で、鉢植えや花壇に、切り花として秋のイメージの演出に、またドライフラワーとしてもよく使われます。草丈は40~60cm。花期は7~10月で鉢の市販期は7~9月頃です。

名前の由来
・属名の「カプシカム、またはカプシクム(Capsicum)」は、ギリシャ語の「kapto(かむ)」という意味で、・トウガラシの苦味が舌を刺すような味がすることから。
・ギリシャ語の「kapsa(容器・袋)」の意で、房の中が空洞によるためとの説もあります。
・和名は唐から伝わった辛子の意味から「トウガラシ(唐辛子、唐芥子)」です。
 ただ「唐」は単に外来を表す意味でも用いられます。

・英名はそれぞれの特徴から「chile pepper(チリ・ペッパー)」
「red pepper(レッド・ペッパー)」「green pepper(グリーン・ペッパー)」などと呼ばれております。
・海外では、トウガラシのことを現在もペッパーと呼んでおりますが、これはコロンブスがアメリカ大陸から持 ち帰ったときに、胡椒と間違えて呼んだことからだそうです。

トウガラシ属の代表的な種であるトウガラシにはさまざまな品種があり、ピーマン、シシトウガラシ(シシトウ)、パプリカなど辛味がないかほとんどない甘味種(甘唐辛子・あまとうがらし)も含まれるが、ここでは辛味のある品種から作られる香辛料について述べる。
 
俳句
すりこ木も紅葉しにけりに蕃椒    宗因 「難波草」
青くても有るべきものを唐辛子    芭蕉 「深川集」
かくさぬぞ宿は菜汁に唐がらし    芭蕉 「猫の耳」
草の戸をしれや穂蓼に唐がらし    芭蕉 「笈日記」
此のたねとおもひこなさじたうがらし 芭蕉 「岨の古畑」
きざまれて果てまで赤し唐がらし   許六 「風俗文選註解」
うつくしや野分の後のたうがらし   蕪村 「夜半叟句集」
年よりの唇いやしたうがらし     召波 「春泥発句集」
唐辛子一ツ二ツは青くあれ      正岡子規 「季語別子規俳句集」
唐辛子からき命をつなぎけり     正岡子規 「季語別子規俳句集」

概要
トウガラシ属は中南米が原産地であり、メキシコでの歴史は紀元前6000年に遡るほど非常に古い。しかし、世界各国へ広がるのは15世紀になってからである

トウガラシ(唐辛子、蕃椒、学名:Capsicum annuum)は、ナス科トウガラシ属の多年草または低木(日本など温帯では一年草)。また、その果実のこと。
メキシコ原産(アンデス地方という説もある)。
果実は香辛料または野菜として食用にされております。

「トウガラシ」は「唐」から伝わった「辛子」の意味。
ただし、「唐」はばくぜんと「外国」を指す言葉で、中国経由というわけではありません。

特徴
草丈は40-60cm。
茎は多数に枝分かれします。
葉は互生。柄が長く卵状披針形。
7-9月ごろ白い花を付けます。
花の後に上向きに緑色で内部に空洞のある細長い5cmほどの実がなります。
果実は熟すると赤くなります。
品種によっては丸みを帯びたものや短いもの、色づくと黄色や紫色になるものもあります。

辛味成分カプサイシンは種子の付く胎座に最も多く含まれております。
トウガラシは胎座でカプサイシンを作り出しております。
トウガラシの種子にはカプサイシンがほとんど含まれていないため、種子だけを食べるとまったく辛味を感じない。カプサイシンは果皮にも含まれるが、胎座ほど多くありません。

ししとうなどの甘い品種は辛い品種と交配が可能です。
甘い品種の雌しべに辛い品種の花粉を交配してできた実は(胎座は甘い品種なので)甘いが、この種子から育った実の胎座は辛くなることがあります。
従って、辛い品種と甘い品種を植えるときはなるべく距離を置くように注意することが必要です。

品種
辛味があり香辛料として使われる品種と、辛味がないかほとんどない代わりに糖度が高く、主に野菜として食される甘唐辛子があります。
香辛料 - 鷹の爪、本鷹、三鷹、八房、ハラペーニョ、スーパーチリ、カイエンペッパー、エスプレットなど
野菜 - ピーマン、パプリカ、ししとう、弘前在来トウガラシ、伏見唐辛子、万願寺唐辛子、ピメント(Pimento)など

ただし、パプリカには辛いものもあり、乾燥させて香辛料としても使われております。
また、ししとうには1割くらいの割合で辛味があるものが混ざっております。

実の形状は、ほとんどが小さく長細いものですが、野生種チルテピンの実は小さく丸い。
ほかに大振り曲状で肩が大きく張り出したもの - 弘前在来トウガラシ
大きく「ベル形」 - ピーマン、パプリカといったものもございます。

主な品種、栽培種
var. glabrisuculum チルテピン
var. angulosum ピーマン、シシトウガラシ(獅子唐辛子)
   ベルペッパー(アメリカ産ピーマン、Bell pepper)
cv. angulosumあるいは、c Cv. gulosumとする説もあります。
cv. Acuminoum トウガラシ(狭義)
cv. Fasciculatum ヤツブサ(八房)
cv. Parvo-acuminatum タカノツメ(鷹の爪)
cv. パプリカ
cv. ホンタカ(本鷹)
cv. ハラペーニョ(30,000-50,000スコヴィル単位)
栃木三鷹(とちぎさんたか)

なお、島唐辛子、タバスコペッパー、プリッキーヌーは別種キダチトウガラシの品種です。
ハバネロも別種です。
香辛料としてなじみ深いが、カラフルな実を楽しむ観賞用の種類も出回っております。

日本には室町時代に伝来したとされ、当初は観賞用だったらしい。

辛味成分「カプサイシン」が、体脂肪の燃焼に有効ということで、ダイエット食品としても注目を浴びております。
米びつに数本入れておくと、虫除けにもなります。

ピーマン、ししとうなどは、辛くないがトウガラシの一種。
これらの「甘い」タイプは、辛いタイプと交配が可能で、交配させた場合、遺伝確率上、実が全て辛くなることがあります。
交配をさけるためには、辛いタイプと甘いタイプは、なるべく離して植えること。

《基本情報まとめ》
・茄子(なす)科。
・学名
  Capsicum annuum
   Capsicum : トウガラシ属
   annuum : 一年草の
 Capsicum(カプシカム)は、ギリシャ語の「kapsa(袋)」が語源。
 (「kapto(かむ)」が語源、との説もある)
 ・南アメリカ原産。
 コロンブスがアメリカ大陸から持ち帰ったときに胡椒(こしょう)と間違えて
 ペッパーと呼んだことから、今でも海外ではペッパーと呼ばれております。
・日本には、16世紀にポルトガルから渡来しました。
 「唐」の名だが中国原産ではありません。
・古くから香辛料や野菜として栽培されております。
 鑑賞用のものも多いそうです。
・夏に白い花が咲きます。
・この赤い実がトウガラシになります。
 辛味種と甘味種とがあります。
 赤トウガラシを乾燥させたものを、その形状から「鷹の爪(たかのつめ)」と呼ばれております。
 
★一味唐辛子(いちみとうがらし)
  唐辛子のみを使用した香辛料。すごく辛い。
★七味唐辛子(しちみとうがらし)
  = 七色唐辛子(なないろとうがらし)とも呼びます。
  = 唐辛子の粉末に


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ウィキペディアその他より
必要に応じ加筆・訂正致します。

秋海棠

2014年10月07日 05時21分37秒 | 花の神話と伝説

別 名  瓔珞草(ヨウラクソウ)・ダンチョウカ
     (Hardy begonia)


 花言葉  片思い・親切・丁寧・可憐な人・繊細・恋の悩み
     未熟・自然を愛す・素朴・可憐な欲望

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シュウカイドウ(秋海棠、学名:Begonia grandis)は、
シュウカイドウ科シュウカイドウ属(ベゴニア属)に分類される多年生草本球根植物です。
和名は中国名「秋海棠」の音読み。
分布
中国大陸(山東省以南)、マレー半島に分布します。
日本では江戸時代初期に園芸用に持ち込まれた帰化植物です。
特徴
夏から初秋にかけて草丈 70cm 前後に生長し、扁心形で左右非対称の葉を互生させる。この葉は長さが 20cm 程度と大きい。
葉にはシュウ酸が含まれております。

花期は 8〜10月。
花期になると茎の頂点から花序を伸ばし、2〜3cm 程度の淡紅色の花を咲かせます。雌雄同株異花で、雄花は花弁が開き黄色く球状に集まった雄蘂が目立ち、小さな花弁が 2枚と、大きな花弁のように見えるのは萼で 2枚。雌花には花弁はなく、大きな萼 2枚がわずかに開きます。

花が終わると、こげ茶色がかり羽が 3枚ある楕円形の実を付けます。
この種子のほか、開花後には葉腋に珠芽を付け、それでも殖えます。

実を付ける頃には地上部は枯れ、球根で越冬します。

日本人とのかかわり
園芸
江戸時代初期に日本に持ち込まれて以降、園芸用として栽培されております。
貝原益軒の『大和本草』に、「寛永年中、中華より初て長崎に来ました。
……花の色海棠に似たり。故に名付く」と記されております。

シュウカイドウ属の中では耐寒性が高く、同属の中では唯一、日本の九州以北に定着し野生化しております。
基本的に丈夫で、繁殖も容易です。
球根を植えれば屋外でも定着し、種子や珠芽を播いて殖やすことができます。
直射日光が当たらない程度に明るく、湿気の多い場所を好みます。

なお、近年は同属の多くの種が持ち込まれ園芸用として栽培されており、それらは主に「ベゴニア」と呼ばれているが、本(亜)種は古くから定着していたため、ベゴニアとは呼ばれておりません。

この他に日本に自生する種としては、沖縄県の八重山諸島にコウトウシュウカイドウ (B. fenicis Merr.) とマルヤマシュウカイドウ (B. formosana (Hayata) Masam.) がある。いずれも森林内の谷間周辺に見られ、コウトウシュウカイドウは茎が立って木立状になり、マルヤマシュウカイドウは茎が短く、葉は根出状になります。

俳句
俳句では秋の季語
「秋海棠 西瓜の色に 咲きにけり」 松尾芭蕉
花言葉の由来
「片思い」はハート形の葉の片方が大きくなるところからといわれております。
和名の由来
花の色がバラ科の海棠(カイドウ)に似ていて、秋に開花することからきております。
別名瓔珞草(ヨウラクソウ)
これは仏像の装飾具である飾り玉の瓔珞にたとえたものです。

《基本情報まとめ》
・秋海棠(しゅうかいどう)科。
・学名
  Begonia evansiana
   Begonia : ベゴニア属
   evansiana : 園芸家「エバンス」さんの
 Begonia は、サントドミンゴ島の総督で、植物学に詳しい
 「Begon ベゴン」さんの名前にちなみます。17世紀の人。
 
・開花時期は、 7/25 ~ 10/25頃。
・中国原産。
・中国名が「秋海棠」で、その音読みで「しゅうかいどう」。
 ”秋到来”という感じの名前。
・晩夏から秋にかけて咲きます。
 真ん中は黄色い花弁です。
 やや下向きに咲きます。
・ベゴニアに似ておりますが、ベゴニアより花の枝が長い。
誕生花|9月 10日
花の特徴淡いピンクの長い花が下向きに咲く。
雄と雌が同じ株で、茎の上に雄花があり下部に雌花がつきます。
葉の特徴葉はゆがんだハート形をしております。
実の特徴花の後にできる実はさく果(熟すると下部が裂け、種子が散布される果実)です。


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ウィキペディア その他より掲載
必要に応じ、加筆・訂正致します。

百日紅(さるすべり)

2014年07月31日 23時20分30秒 | 花の神話と伝説
別 名  (「猿滑」さるすべりとも書きます。)     「ヒャクジツコウ」「サルナメリ」「ハヨウジュ」「クスグリノキ」
英 名(Crape myrtle)

花言葉 「愛嬌」「雄弁」「愛敬」「不用意」「潔白」
    「あなたを信じる」「雄弁なあなた」
季 語 「仲夏」
子季語  百日紅(ひやくじつこう)/紫薇/怕痒樹/くすぐりの木、
 白さるすべり

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サルスベリ(百日紅=ヒャクジツコウ、Lagerstroemia indica)は、
・ミソハギ科の落葉中高木。
形態・生態
・葉は通常2対互生(コクサギ型葉序)、対生になることもありす。
・花は紅の濃淡色または白色で、円錐花序になり、がくは筒状で6裂、花弁は6枚で縮れております。
・8月頃咲きます。
・果実は円いさく果で、種子には翼があります。
分布・生育地中国南部原産。
人間との関わり
花が美しく、耐病性もあり、必要以上に大きくならないため、しばしば好んで庭や公園などに植えられております。種子から栽培する「あすか」という一才物の矮性種もあります。
和名は、幹の肥大成長に伴って古い樹皮のコルク層が剥がれ落ち、新しいすべすべした感触の樹皮が表面に現れて更新していくことによる(樹皮の更新様式や感触の似たナツツバキやリョウブをサルスベリと呼ぶ地方もあります)。
つまり、猿が登ろうとしても、滑ってしまうということで、猿滑と表記することもあります。(実際には猿は滑ることなく簡単に上ってしまう)。
英語名 Crape myrtle は、ギンバイカ(myrtle)の花に似て、花弁がちりめん(crape)のように縮れていることから。
中国では、唐代長安の紫微(宮廷)に多く植えられたため、紫薇と呼ばれますが、比較的長い間紅色の花が咲いていることから、百日紅ともいわれております。
蘇省徐州市、湖北省襄陽市、四川省自貢市、台湾基隆市などで市花とされております。

・サルスベリ属(サルスベリぞく、学名: Lagerstroemia)は、ミソハギ科の属の一つ。
・熱帯・亜熱帯に分布します。
・サルスベリ(Lagerstroemia indica) - 中国南部原産。
・オオバナサルスベリ(バナバ、Lagerstroemia speciosa) - 東南アジア原産。観賞用に栽培するほか、葉を「バナバ茶」として飲用されております。
・シマサルスベリ(Lagerstroemia subcostata) - 日本の南西諸島に自生。
・ヤクシマサルスベリ(Lagerstroemia subcostata var. fauriei) - 日本の南西諸島に自生。
《基礎情報まとめ》
・禊萩(みそはぎ)科。
・学名  Lagerstroemia indica
     Lagerstroemia : サルスベリ属
    indica : インドの
 Lagerstroemia(ラジェルストレミア)は、18世紀のスウェーデンの生物学者で、
 植物学者リンネの友人の「Lagerstroum さん」の名前にちなみます。
・開花時期は、 7/15 ~ 10/15頃。
・中国原産。
・「約100日間、ピンクの花を咲かせる。」のが名前の由来。
 約3ヶ月間、夏から秋まで咲き続けます。
 実際には、一度咲いた枝先から再度芽が出てきて花をつけるため、咲き続けているように見 えます。 花はしわしわの形。白い花もある。
・「猿滑」とも書きますが、”幹がスベスベで、猿も登れない”ところから。
・秋になると、早めに落葉します。
・夾竹桃(きょうちくとう)と同じような時期に咲きます。

短歌・俳句
・「百日紅 ややちりがての 小野寺」   与謝蕪村(よさぶそん)

 「さるすべり 寺中おほかた 見えにけり」 炭太祇(たんたいぎ)

 「散れば咲き 散れば咲きして 百日紅」  加賀千代女(かがのちよじょ)

 「炎天の 地上花あり 百日紅」   高浜虚子(たかはまきょし)

『俳諧初学抄』(寛永18年、1641年)に所出。
「足引のやまのかけぢの猿滑りすべらかにても世をわたらばや」
               藤原為家『夫木和歌抄』

「袖に置くや百日紅の花の露」   貞室 「玉海集」
「籠らばや百日紅の散る日まで 」  支考 「菊の香」
「散れば咲き散れば咲きして百日紅」 千代女 「松の声」

伝説
朝鮮半島に一つの伝説があります。
旅の王子が、竜神の生贄にされていた生娘を救うため、勇敢に闘って竜神を退治したのち、その娘と恋に落ちますが、使命を終えるまでは暫しの別れと、百日後の再会を約束して旅を続けることになります。
ところが、待ちわびた約束の日を目前に、あろうことか娘は亡くなってしまい、帰還した王子は嘆き悲しみます。
やがて娘のお墓からは一本の木が生えて紅色の可憐な花を咲かせ、いつまでも咲き続けたため、百日もの間恋人を待ち続けた娘の生まれ変わりに違いないと、村人達はこの花を百日紅と名づけました・・。

「猿も木から落ちる」の諺を思わせる少々滑稽な名前とはうらはらの、こんな物語を背景にした「百日紅」の名前だったのです。

百日紅には、「愛嬌」の他、「不用意(これは、うっかり滑ったお猿さんの事でしょうか?)」、「世話好き」、「雄弁」、「活動」など様々な花言葉があるようです。

夏、枝先に群がり咲くサルスベリの花。花言葉の「雄弁」は、その華やかな咲きっぷりに由来します。

サルスベリは、百日紅(ヒャクジツコウ)とも呼ばれます。それは、サルスベリが夏の盛りに百日近く咲き続けることに由来するといわれます。また、ある王子が恋人に百日後の再会を約束して旅立ったものの、戻るとすでに恋人は亡くなっており、埋葬された場所からこの木が生えたという伝説によるともいわれます。

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ブーゲンビリア

2014年07月26日 19時53分25秒 | 花の神話と伝説
別 名 「筏葛(いかだかずら)」「九重葛(このえかずら)」(Bougainvillea)

花言葉 「情熱」「あなたは魅力に満ちている」「あなたしか見えない」
季 語 「常夏」
    「ブーゲン花」「筏かづら」     

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ブーゲンビリア(Bougainvillea)は、
オシロイバナ科ブーゲンビリア属に属する熱帯性の低木。
・原産地は、中央アメリカ及び南アメリカの熱帯雨林。
・ブーゲンビリアという名前は1768年にブラジルで木を見つけたフランス人の探検家
ブーガンヴィルに由来します。
・花の色は赤から白まで変化に富み、ピンクやマゼンタ、紫、橙、黄のものもあるように見えます。しかし、実際の花はいわゆる花の中央部にある小さな3つの白い部分になります。
色づいた花びらに見える部分は花を取り巻く葉(包葉)であり、通常3枚もしくは6枚です。
※俗に魂の花とも呼ばれております。
代表的な種として、Bougainvillea buttianaやBougainvillea glabra、Bougainvillea peruviana、Bougainvillea spectabilis があります。

インドのアーユルヴェーダでは、ブーゲンビリアの葉に含まれるピニトールが糖尿病に効果が有るとされ民間療法に用いられておりました。

《基本情報まとめ》
・白粉花(おしろいばな)科。
・学名
  Bougainvillea glabra
   Bougainvillea :イカダカズラ属
   glabra : やや無毛の
 Bougainvillea(ブーゲンビレア)は、18世紀後半ブラジルのリオデジャネイロでこの植物 を発見されました。
 フランスの科学者で探検家の「ルイ・アントワーヌ・ブガンビユ」がこの花を最初に発見し たことから、その名前にちなんで冠されました。
・南アメリカ地方原産。
・熱帯花木の代表。
 夏から10月頃まで開花します。
・「ブーゲンビリア」と呼ばれることが多い。
18世紀後半、ブラジルのリオデジャネイロでこの植物を発見したブーゲンビルは花だけではなく、ソロモン諸島最大の島である「ブーゲンビル島」の名前にもなっているようです。
名前の由来
和名は「イカダカズラ(筏蔓)」と呼ばれておりますが、これは、低木のツル性植物の姿 見たままです。
また、英名「ペーパー・フラワー(paper flower)」これまた、紙細工のような花びら、見たままです。
とはいえ、見たままの単純な名前は、あまり普及はしていないようです。
ブーゲンビリアはブラシルが原産地の熱帯を代表する植物です。
「情熱」という花言葉は、南国をイメージさせ、 明るく華やかなところから、生まれました。
中南米が原産のせいか、 沖縄や東南アジアに、よく植えられています。
沖縄では、庭木としても人気があり「ハイビスカス」とともに、親しまれてる花で。
「あなたしか見えない」という花言葉も南国の青空の下で、目立つブーゲンビリアを表現したものです。
日本では5月~10月が花期になりますが
沖縄のような温暖な気候だと、年中咲いております。
「あなたは魅力に満ちている」という花言葉も、いつも鮮やかな花を咲かせているところからきております。
ただし、ブーゲンビリアは本州に暮らしていると「夏の花」というイメージですが、
もともと南国では、「冬の花」になります。
開花については、あまり暑すぎるのはむしろ苦手で 気温が高すぎる場合は、開花しないこともあります。
沖縄では10月~4月が花の見ごろ。
ペーパー・フラワーとも呼ばれる ワックスペーパーで作られたような質感が独特の ブーゲンビリア花びらなのですが、花は中心部分にみられる、ラッパ状の部分です。
花びらのように見えるのは、葉が変化した「苞(ほう)」になります。
「あなたは魅力に満ちている」というのは花ではありません。
オシロイバナ科には ありがちなパターンです。
苞は、赤、白、ピンクなど美しいものの花である中心の白い部分は、
鮮やかな苞に隠れ、目立つことはありません。
苞の役目は芽や蕾などを保護することなので、それはそれで、目的を果たしてはおりますが、この中心の白い花、1~3本ですが、3本のものはなかなかありません。
そのため、4つ葉のクローバーのように、
見つけると幸運がつかめる」という言い伝えもあります。

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紅花

2014年07月08日 19時56分28秒 | 花の神話と伝説
別 名 「紅花(コウカ、とも読む)」「末摘花(すえつむはな)」
    {サフラワー(Safflower)」「呉藍(くれのあい)」


花言葉 「包容力」「熱狂」「装い」「愛する力」「几帳面」
    「熱狂」「夢中」「情熱」「あなたは特別な人」
    「情熱的な恋」「化粧」「寛大」「雅量に富む」「特別な人」
紅の花(べにのはな)
季 語  「仲夏」
子季語  「紅花」「紅藍花」「末摘花」
関連季語

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・染料や化粧品の紅の原料となる花。
・山形県最上地方が栽培地として有名です。
・古くは末摘花(すえつむはな)といい、源氏物語にも「末摘花」の巻が見られ ます。
・花びらから紅が取れるのでこの名があります。

来歴 『花火草』(寛永13年、1636年)に所出。

文学での言及 『源氏物語』末摘花の巻
くれなゐの末咲く花の道深くうつるばかりも摘み知らせばや 
                     藤原為家『夫木和歌集』
実証的見解 紅花はキク科ベニバナ属の越年草。
原産地はエジプトとされております。
日本にはシルクロードを経て五世紀ごろに渡来したといわれております。
高さは一メートルくらい。
六月から七月にか けて枝先に花径三センチほどの頭状花をつけます。
花は、はじめ紅黄色でだんだんに赤くなります。
葉には棘があり、茎を抱くように互生します。

摘む女わが世をいのれ紅の花   言水 「柏崎八景」
眉掃きを俤にして紅粉の花    芭蕉 「奥の細道」
行く末は誰が肌ふれむ紅の花   芭蕉 「西華集」
鏡なき里はむかしよ紅の花    二柳 「眉の山」
神子村や椿の下の紅のはな    闌更 「半化坊発句集」

ベニバナ(紅花、学名:Carthamus tinctorius)は
キク科ベニバナ属の一年草または越年草。
雅称を末摘花(すえつむはな)ともいう。
紅色染料や食用油の原料として栽培されております。

特徴
エジプト原産といわれ、古くから世界各地で栽培されております。
日本にはシルクロードを経て4 - 5世紀ごろに渡来したといわれております。
(6世紀伝来説もあります)。
古くは和名を「くれのあい(呉藍)」といい、中国伝来の染料との意味です。

高さは1m。
花期は6 - 7月で、枝先に頭状花をつけます。
花は、はじめ鮮やかな黄色で、徐々に赤くなります。

日本での産地
日本では、平安時代に千葉県長南町で盛んに栽培され、江戸時代中期以降は現在の山形県最上地方や埼玉県桶川市、上尾市周辺(桶川宿の頁を参照)で盛んに栽培されました。しかし、明治時代以降、中国産の紅花が盛んに輸入され次いで化学的に合成可能なアニリン染料が普及したことから、こうした紅花生産は急速に衰退しました。
現在では紅花染めや観光用などにわずかに栽培されております。

山形県ではベニバナが県花になっており、同県河北町には、「紅花資料館」があります。
また、千葉県長南町も紅花を町花に指定し、月1回の紅花染め教室を開催しております。

染料
紅花の花を摘んでから発酵・乾燥させたものが、紅色の染料や着色料(食品添加物、化粧品の口紅)の材料となります

紅の分離
ベニバナの花の色は黄色です。
紅色にするには花を摘んですぐに水にさらして乾燥させます。
これを何度も繰り返すと紅色になります。
ベニバナの花の色素は水に溶けやすい黄色の色素サフロールイエロー99%と水に溶けにくい紅色の色素カルタミン1%が混在しており、水にさらすことによって分離するのです。

紅花染め
紅花染めは、水にさらして乾燥させた花を水に含ませて餅つきと同じ方法で杵でついた後、丸餅の形にして乾燥させた状態の紅餅(べにもち)を灰汁の中に入れてかき混ぜた状態にしたのち、衣類を漬け込み(一次染め)水にさらす(灰汁はアルカリ性の液なので苦く、色もオレンジ色に仕上がる)。次に、紅餅入りの灰汁に烏梅を少量加えたものに漬け込み(二次染め)水にさらす(烏梅はクエン酸の多い酸性の液体なので酸っぱく、色も赤みが加わってくる)。さらに、烏梅を少しずつ加えて配合を変えながら何度も染め上げて水にさらし乾燥させると完成します。このような手間をかけるのは、色が中に染み込みにくい特性を持つからです。

そのほかの利用方法
生薬
乾燥させた花は紅花(こうか)と呼ばれ、血行促進作用がある生薬として日本薬局方に収録されている。この生薬は、養命酒などにも含まれる。また、紅花から作った生薬をツボなどの部位に塗る紅灸(べにきゅう)という灸の一種もあります。葛根紅花湯、滋血潤腸湯、通導散などの漢方方剤に使われております。
紅花油紅花の種子を搾った油は紅花油(サフラワー油)と呼ばれ、サラダ油として用いられたり、マーガリンの原料になったり致します。
口紅
紅花から赤色色素を抽出し、陶磁器製の猪口の内側などに刷き乾燥させたもの。良質な紅は赤色の反対色である玉虫色の輝きを放ち、江戸時代には小町紅の名で製造販売されました。
その他
奈良県生駒郡斑鳩町の藤ノ木古墳の有機質の分析の結果、紅花の花粉が発見され、その用途の解明が新たな課題となっております。
《基本情報まとめ》
・菊科。
・学名
  Carthamus tinctorius
   Carthamus : ベニバナ属
   tinctorius : 染色用の、染料の
 Carthamus(カーサマス)は、アラビア語の
 「quartom(染める)」が語源です。
・地中海沿岸、中央アジア原産。
・6世紀に高句麗(こうくり)の僧侶が日本に紹介し、
 推古天皇の時代から、紅色の染料をとるための
 植物として利用しました。
 6世紀の藤ノ木古墳からベニバナの花粉が検出されております。
・花から得られる紅は女性の口紅にされ、平安王朝人の紅や
 桜色の衣装を染め、また、古代エジプトのミイラの
 布の防腐にも使われました。
・源氏物語での光源氏は葵上(あおいのうえ)を弔う
 喪服に使用されました。
・種子からコレステロールを取り除くリノール酸を含む、
 良質の油が採れるので、今では食用油としての需要が
 多い(→ べにばなサラダ油)
 英語では「サフラワー」。
・油のすすは墨(すみ)として使われております。
・花は7月頃咲き、咲き始めは黄色、
 しだいに赤っぽく変わります。
 花は紅色の色素を含み、染料や薬用として使われております。
 紅花の名前もここからきております。
・山形県の県花。
 特に最上川周辺で栽培が盛んです。

・別名「末摘花(すえつむはな)」の云われ
   茎の末の方から咲き始める花を摘み取ることから。

   また、源氏物語に登場する女性で
   末摘花(常陸宮姫)という人がおりますが、
   その姫は鼻が赤いことから「紅鼻」とも呼ばれ、
   同じ読みの「紅花」にちなんでこの花の別名として
   「末摘花」の名前がつけられました。
 
・「紅(くれなゐ)の八塩(やしほ)の衣(ころも)
      朝(あさ)な朝(さ)な馴(な)れはすれども
              いやめづらしも」万葉集

・別名のスエツムハナ(末摘花)は飛鳥時代に中国から朝鮮半島を経て渡来し、咲き始めの管状花を、外側(末)の開いた花びらから順に摘んでいくことからつけられました。
・源氏物語五十四帖の巻名のひとつ、末摘花は、光源氏が紫の上に、常陸宮の姫君の鼻が紅花のように赤いとあざけったことからつけられています。
・花言葉「情熱的な恋」は、黄色から開花が進むにつれて紅くなる花色に対してつけられています。

ベニバナは春にタネを播いて育てると、梅雨に花が咲くので、下葉が枯れてきますが、草丈が高く、切花にして楽しめます。

キク科カルタムス属(ベニバナ属)、
耐寒性一年草、
原産地:インド、エジプト

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南天

2014年07月03日 21時49分44秒 | 花の神話と伝説
別 名  「南天竹ナンテンチク」「南天燭ナンテンショク」
     (Nandina, Heavenly bamboo)




花言葉 「幸せ」「機知に富む」「福をなす」「良い家庭」
    「私の愛は増すばかり」「よき家庭(赤実)」」
    「深すぎる愛」「つのる愛(白実)」
南天の花
季 語 「仲夏」
    花南天
南天の実
季 語 「三冬」
     実南天/白南天

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中部より南の本州、四国、九州の山地に自生し、庭木として植え
られる。六月、茎の頂に小さな六弁花を多数つける。
冬の季語の実の鮮やかさと対照的に、花は地味で目立たちません。
一片ずつはらりと散りゆく風情は奥ゆかしい。
南天の実になる花と思はれず  正岡子規 「季語別子規俳句集」
初夏の頃白い小花を穂状につけるが、これが小粒の球形の実になります。
枝先に群がった実は晩秋から初冬に真っ赤に色づく。
「難を転ずる」に通じることから、鬼門や水周りに植えたり、縁起物と
して正月飾や祝い事に用いられます。
南天や秋をかまゆる小倉山 其角 「焦尾琴」
日当りや南天の実のかん袋- 一茶 「八番日記」


ナンテンは日本、中国、インド原産の常緑低木です。
暖地の野山に自生する高さ2mほどの植物です。
5~6月ころ大形の花序を出して白い花を穂状に咲かせ、
黄色の雄しべが目立ちます。
葉は長さ90cmで先は尖って表面はやや光沢があり、
秋には美しく紅葉します。

果実は6~7mmの球形、最初は緑色から晩秋には鮮赤色に熟し、
花よりもこの実が賞美されます。
観賞期は11月~翌1月頃です。
ナンテンは園芸品種も多く、葉が紅葉せず白色の果実が成る「シロミノナンテン」、鮮紅色の葉をもつ「オタフクナンテン」、果実が淡紫色の「フジナンテン」などがあります。

また南天の実には「南天実(ナンテンジツ)」という咳止めの薬としてもよく知られ、葉には悪酔いや乗り物酔い、口内炎や湿疹あせもなどにも効果もあるとされています。ナンテンは「難を転ずる」として、正月の生け花やお赤飯などの上に葉を添え、毒消しがわりに縁起物の植物として昔から珍重されてきました。

和名は「ナンテン(南天)」で、中国名の南天竹、または南天燭、南天竺に由来し、南天を音読みしたといわれます。
属名の「nandina(ナンディナ)」は日本語の「ナンテン」の意とされ、和名からの命名とされます。
英名は「nandina(ナンディナ)、heavenly bamboo(ヘブンリィ バンブー)」です。

ナンテン(南天、学名:Nandina domestica)は、メギ科ナンテン属の常緑低木。
和名の由来は、漢名の「南天燭」の略。
特徴
高さは2m位、高いもので4~5mほど。
幹の先端にだけ葉が集まって付く独特の姿をしております。
葉は互生し、三回羽状複葉で、小葉は広披針形で先端が少し突きだし、革質で深い緑色、ややつやがあります。
先端の葉の間から、花序を上に伸ばし、初夏に白い花が咲き、晩秋から初冬にかけて赤色(まれに白色)の小球形の果実をつけます。
分布・生育地
中国原産。日本では西日本、四国、九州に自生しておりますが、古くに渡来した栽培種が野生化したものだとされております。
山口県萩市川上の「川上のユズおよびナンテン自生地」は、国の天然記念物(1941年指定)。
栽培
庭木として植えられることが多い。
音が「難を転ずる」に通ずることから、縁起の良い木とされ、鬼門または裏鬼門に植えると良いなどという俗信があります。
福寿草とセットで、「災い転じて福となす」ともいわれております。

江戸時代に様々な葉変わり品種が選び出され、さかんに栽培されました。
古典園芸植物として現在もその一部が保存栽培されております。
錦糸南天等とよばれております。
園芸種のオタフクナンテンは葉が紅葉しやすく真夏でも赤い葉を付けます。
実がつかないのが特徴で、高さも50cm程度しか伸びないので、下草などと一緒に庭園によく使用されております。
葉がやや円形なので別名オカメナンテンとも呼ばれます。

稀に太く育ったものは、幹を床柱として使うことがあり、鹿苑寺(金閣寺)の茶室、柴又帝釈天の大客殿などで見られます。

薬用など
葉は、南天葉(なんてんよう)という生薬で、健胃、解熱、鎮咳などの作用があります。
葉に含まれるシアン化水素は猛毒ですが、含有量はわずかであるために危険性は殆どなく、逆に食品の防腐に役立ちます。このため、彩りも兼ねて弁当などに入れます。もっとも、これは薬用でなく、食あたりの「難を転ずる」というまじないの意味との説もあります。

南天実に含まれる成分としては、アルカロイドであるイソコリジン、ドメスチン(domesticine)、プロトピン(英語版)、ナンテニン(nantenine:o- methyldomesticine)、ナンジニン(nandinine)、メチルドメスチン、配糖体のナンジノシド(nandinoside)などの他、リノリン酸、オレイン酸が知られております。鎮咳作用をもつドメスチンは、多量に摂取すると知覚や運動神経の麻痺を引き起こすため、素人が安易に試すのは危険です。また、近年の研究でナンテニンに気管平滑筋を弛緩させる作用があることが分かっております。また、ナンジノシドは抗アレルギー作用を持ち、これを元にして人工的に合成されたトラニラストが抗アレルギー薬及びケロイドの治療薬として実用化されております。
毒成分 ナンテニン、ナンジニン、メチルドメスチシン、プロトピン、イソコリジン、ドメスチシン、リノリン酸、オレイン酸
毒部位 全株、葉、樹皮、実、新芽
毒症状 痙攣、神経麻痺、呼吸麻痺

文化
活け花などでは、ナンテンの実は長持ちし最後まで枝に残っております。
このことから一部地方では、酒席に最後まで残って飲み続け、
なかなか席を立とうとしない人々のことを「ナンテン組」といいます。
1962年(昭和37年)2月20日発売の6円普通切手の意匠になりました。

《基本情報まとめ》
・目木(めぎ)科。
・学名
  Nandina domestica
   Nandina : ナンテン属
   domestica :国内の、その土地産の
 Nandina(ナンディナ)は、日本語の「ナンテン」が語源。
 ・開花時期は、 6/15 ~ 7/10頃。
・中国原産。
・花は比較的地味な白い花。
 真ん中は黄色。
・秋に赤い実をつける。
 鳥が食べない限り冬中見ることができます。 
  (鳥の大好物のようです)
 実を乾燥させたものには「せき」止めの効き目があります
   → のどあめがあります。
 また、葉には「ナンジニン」という成分を含み、
 殺菌効果があります。
・福寿草の花と南天の実とセットで「難を転じて福となす」という
 縁起物の飾り付けがされることがあります。
 (特にお正月に多い)。
 また、無病息災を願う、「南天の箸(はし)」というのもあります。
 防火・厄除けとして庭先や鬼門にも植えられます。
・京都の金閣寺の床柱は、南天の材を使っていることで知られております。  

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凌霄花 (のうぜんかずら)

2014年06月21日 04時50分33秒 | 花の神話と伝説
別 名 トランペットフラワー (Trumpet creeper)

花言葉 「名誉」「栄光」「名声」「華のある人生」「女性らしい」
     「華やかな」「女性」「崇高」「気高い」
季 語  晩夏
     凌霄の花(のうぜんのはな)
子季語   凌霄、凌霄葛、のうぜんかづら

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ノウゼンカズラ(凌霄花、紫葳、Campsis grandiflora)は
ノウゼンカズラ科のつる性木本。
夏から秋にかけ橙色あるいは赤色の大きな美しい花をつける、つる性の落葉樹。
気根を出して樹木や壁などの他物に付着してつるを延ばします。
花冠は漏斗状。
結実はまれです。
中国原産で、平安時代に渡来したといわれております。
名称ノウゼンというのは凌霄の字音によるといわれております。
古くはノウセウカズラと読まれ、これがなまってノウゼンカズラとなりました。
霄は「空」「雲」の意味があり、空に向かって高く咲く花の姿を表しております。
夏の暑い時期は花木が少なく、枝を延ばした樹木全体に、ハッとするような
鮮やかな色の花を付け、日に日に咲き変るので、よく目立ちます。
花の形がラッパに似ていることから英語では「トランペット・フラワー」、
「トランペット・ヴァイン」あるいは「トランペット・クリーパー」と呼ばれております。
特徴
・茎の先に房状花序をつけます。
・花冠はラッパ型で先が5片に裂けて開きます。
・葉は奇数羽状複葉。
・つるは気根を出し固着しながら伸びていきます。
・幹はフジと同じように太くなります。
・樹勢が非常に強く丈夫な花木であり、地下茎を延ばしひこばえを周囲に
 芽生えさせ、繁殖します。
・落花すると、蜜がたれ周りを湿らすほど。その蜜にメジロや蜂が集まってきます。
 その蜜は毒性があるといわれておりますが、根拠のない俗説・風評。
・花や樹皮は漢方薬では利尿や通経に使われます。
・園芸品種が複数存在し、ピンクや黄色などの花色もあります。
・新梢に房となって花が枝元から次々に咲き、花は毎日のようにすぐに散ります。
・花が終わった新梢をそのままにしておきますと、樹の姿が乱れ、樹勢が衰えるので
 適切な剪定が必要。
・鳥媒花であり、世界でもっとも小さい鳥といわれるハチドリが空中をホバリング
 しながら嘴を花の中にさし込んで蜜を吸います。
花言葉「名誉」
この花は、形がラッパに似ていることから、アメリカではラッパツルクサともいいます。
立派な人の名誉をたたえ、表彰するときにはラッパを吹き鳴らすことから、
「名誉」と言う花言葉が生まれたようです。
近縁種
ノウゼンカズラ属はノウゼンカズラと、アメリカ合衆国南東部原産の
アメリカノウゼンカズラ(C. radicans)、
およびこれらの雑種C. × tagliabuana からなります。
アメリカノウゼンカズラの花は中国系ノウゼンカズラより小ぶりで細長く、
濃い赤橙色。
《基本情報まとめ》
・凌霄花(のうぜんかずら)科。
・学名 Campsis grandiflora(凌霄花)
    Campsis radicans(アメリカ凌霄花)
    Campsis : ノウゼンカズラ属
    grandiflora : 大きい花の
    radicans : 根を生ずる
 Campsis(カンプシス)は、ギリシャ語の「Kampsis(湾曲、曲がっている)」が語源。
 おしべの形が曲がっているところから。
・開花時期は、 6/25 ~ 9/15頃。
・中国原産。
 古くから薬として使われておりました。
 日本には平安時代の9世紀頃に渡来しました。
・オレンジ色の派手な花。
・つるでどんどん伸びていきます。
 いろいろからみついていきます。
・とても寿命の長い木で、豊臣秀吉が朝鮮半島から持ち帰ったといわれるものが
 金沢市にまだ健在のようです(樹齢400年以上・・・)
・古名の「のせう」が変化して「のうぜん」になったともいわれております。
 「凌霄」の音読みの”りょうしょう”が変じて「のしょう」になったとも
 いわれております。
 「凌霄花」は漢名からで、「凌」は”しのぐ”、
 「霄」は”そら”の意味で、
 つるが木にまといつき天空を凌ぐほど高く登るところから、この名がつきました。
・茎、花が甘いらしく、よく蟻(あり)がうろうろしております。
・江戸時代の貝原益軒さんが「花上の露、目に入れば目暗くなる」と記述し
 いかにも有毒の花、というイメージがついておりますが、実際には毒はありません。
作品
凌霄花に秋の通ふか風見ゆる     恒丸
凌霄の咲くや田中の薬師堂      露羔   「東華」
凌霄や水なき川を渡る日に      蒼虬   「蒼虬発句集」
凌霄や木を離れては何処這ん--    桃隣 「古太白堂句選」
のうぜんや真白き函の地震計     日野草城「青芝」
家毎に凌霄咲ける温泉(いでゆ)かな 「正岡子規」「子規全集」

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2014年06月02日 19時54分24秒 | 花の神話と伝説
別 名  「山桑(やまぐわ)」「山法師」「山桑(やまぐわ)」
 花言葉  「知恵」「彼女のすべてが好き」「あなたより生き延びる」
      「ともに死のう」
白実・・・「知恵」
黒実・・・「私はあなたを助けません」
季 語 桑の実(桑苺)  仲夏
季 語 桑 仲春

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蚕の餌となる桑は春、新芽を出し早々と葉を茂らせます。
養蚕農家は、これから秋の終りまで桑を摘み取るために忙しい日々を送ります。
来歴ー文学での言及  
実証的見解 桑は、クワ科クワ属の落葉高木。
日本各地の山地に自生し、また、養蚕のために広く栽培されます。
高さは十メートルから十五メートルにも達します。
葉は互生し、長さ十センチほどの卵形でふちにぎざぎざを持ちます。
雌雄異株で開花は四月ころ、七月ころに赤から黒くなる果実を実らせます。
::*'゜::*'゜::*'゜::*'゜::*'゜::*'゜::*'゜::*'::*'゜::*'゜::*'゜::*'゜:
桑はクワ科の落葉高木。
春に小花をつけ、夏に実を結びます。
熟すと黒紫色になり多汁で甘い。
養蚕が盛んな頃は子供が摘んで食べ、 唇を紫色に染めたが、
最近はあまり見かけなくなりました。

白→赤→赤黒の順で熟れていきます。

クワ(桑)はクワ科クワ属の総称。
カイコの餌として古来重要な作物であり、また果樹としても利用されております。
特徴
落葉性の高木で、大きいものは15mに達するが、普段見かけるのは数m程度のものが多い。
樹皮は灰色を帯びます。
葉は薄く、つやのある黄緑色で、縁にはあらい鋸歯があります。
大きい木では、葉の形はハート形に近い楕円形だが、
若い木では、葉にあらい切れ込みが入る場合があります。

雌雄異株ですが、同株のものがあります。
春に開花します。
雄花は茎の先端から房状に垂れ下がり、雌花は枝の基部の方につきます。
果実は初夏に熟します。
キイチゴのような、柔らかい粒が集まった形で、やや長くなります。
熟すと赤黒くなり、甘くて美味しい。
果実には子嚢菌門チャワンタケ亜門ビョウタケ目キンカクキン科に属する
キツネノヤリタケ(Scleromitrula shiraiana)、
キツネノワン(Ciboria shiraiana)が寄生することがあり(クワ菌核病)、
感染して落下した果実から子実体が生えます。

生薬
ログワの根皮は桑白皮(そうはくひ)という生薬です。(日本薬局方による)
利尿、血圧降下、血糖降下作用、解熱、鎮咳などの作用があり、
五虎湯(ごことう)、清肺湯(せいはいとう)などの漢方方剤に使われております。
また、葉を茶の代用品とする「桑茶」が飲まれていた地域もあり、
現在も市販されている他、若くて柔らかい葉は天ぷらにして
食べることもあります。
桑葉には1-デオキシノジリマイシン(1-deoxynojirimycin; DNJ)が含まれている
ことが近年の研究で明らかになっております。
DNJ はブドウ糖の類似物質(アザ糖類の一種)であり、
小腸において糖分解酵素のα-グルコシダーゼに結合する事でその活性を
阻害します。その結果、スクロースやマルトースの分解効率が低下し、
血糖値の上昇が抑制されます。
クワを食餌とする蚕のフンを乾燥させたもの(漢方薬である蚕砂)も
同様の効果があります。
果実
果実は桑の実、どどめ、マルベリー (Mulberry) と呼ばれ、
地方によっては桑酒として果実酒の原料となります。
その果実は甘酸っぱく、美味であり、高い抗酸化作用で知られる色素
・アントシアニンをはじめとする、ポリフェノールを多く含有します。
旬は4月~5月です。
キイチゴの実を細長くしたような姿で、赤黒くなります。
蛾の幼虫が好み、その体毛が抜け落ちて付着するので食する際には
十分な水洗いを行う必要があります。
また、非常食として桑の実を乾燥させた粉末を食べたり、
水に晒した成熟前の実をご飯に炊き込む事も行われてきました。
なお、クワの果実は、キイチゴのような粒の集まった形を表す語としても
用いられます。
発生学では動物の初期胚に桑実胚、藻類にクワノミモ(パンドリナ)などの
例があります。
養蚕とクワ
地図記号にもなったほど、日本で桑畑は良くある風景でした。
しかし、現在、養蚕業が盛んだった地域では、生産者の高齢化、後継者難、
生糸産業全般の衰退の中で、株を抜いて畑等に転用されたり、
放置された桑畑も多く残っております。
クワの木は成長が早く、大きく育ちますが、幹の中が空洞であり、
若い枝はカイコの餌にする為に切り続けてきたので製材できる部分が少ない。
養蚕業盛んなりし頃は、定期的に剪定等の手入れが行われていたクワ畑ですが
樹木としての利用は前述の様に、幹の中が空洞で製材できる部分が少ない
故に、養蚕以外でのこれといって有益な、あるいは利益の高い利用法が
ありません。放置された結果として、現在、森の様になっている畑も
多くあります。
しかも、こうなってしまった以上、前述の様に高齢化した管理者にとっては、
これを整理することを物理的に更に難しくしております。
毛虫がつきやすい樹種でもある為、憂慮すべきことです。
他方、近年、クワの実が郷愁を呼ぶ果物として、注目を浴びてきてもおります。
ちなみに蚕が食べるのはヤマグワです。
木材としてのクワ
クワの木質はかなり硬く、磨くと深い黄色を呈して美しいので、しばしば
工芸用に使われます。しかし、銘木として使われる良材は極めて少ない。
特に良材とされるのが、伊豆諸島の御蔵島や三宅島で産出される「島桑」で
あり、緻密な年輪と美しい木目と粘りのあることで知られております。

江戸時代から江戸指物に重用され、老人に贈る杖の素材として用いられました。
国産材の中では最高級材に属します。
また古くから弦楽器の材料として珍重されました。
正倉院にはクワ製の楽琵琶や阮咸が保存されており、薩摩琵琶や筑前琵琶も
クワ製のものが良いとされております。
三味線もクワで作られることがあり、特に小唄では音色が柔らかいとして
愛用されましたが、広い会場には向かないとされております。

なお、幕末には桑の樹皮より綿を作る製法を江戸幕府に届け出たものがおり、
1861年(文久元年)には幕府からこれを奨励する命令が出されているが、
普及しなかったようです。

製紙原料
中国広西チワン族自治区来賓市などでは、養蚕に使うために切り落とす
クワの枝を回収して製紙原料にすることが実用化されております。
新たに年産20万トンの工場建設も予定されております。

害虫
カイコガとその祖先とされるクワコ以外にもクワを食草とする
ガの幼虫がおり、クワエダシャク、クワノメイガ、アメリカシロヒトリ、
セスジヒトリなどが代表的。
クワエダシャクの幼虫はクワの枝に擬態し、枝と見間違えて、
土瓶を掛けようとすると落ちて割れるため「土瓶割り」という俗称があります。
クワシントメタマバエ、ゴマダラカミキリもクワの木によく見られます。

神話・伝承
古代バビロニアにおいて、
桑の実はもともとは白い実だけとされておりましたが、
赤い実と紫の実を付けるのは、ギリシャ神話の『ピュラモスとティスベ』
という悲恋によるこの二人の赤い血が、白いその実を染め、
ピュラモスの血が直接かかり赤となり、ティスベの血が桑の木が大地から
吸い上げて紫になったとされております。

ギリシア神話で、バビロニア美青年ピュラモスと
美少女のティスベは、無慈悲な親たちのために引き離されてしまったが、
人目を忍んで会うために、場所を湖畔の白いクワの木の下のしていた。
先に着いて待っていたティスベの目の前に、いま羊小屋で小羊を
食し、口を血だらけにしたライオンが突然姿を現した。驚いたティスベは、
あわてふためきベールを残したまま洞穴に逃げ込んだ。ベールは
ライオンの爪で引き裂かれ、小羊の血に染まっていた。
遅れてやってきたピュラモスは、そんなこととはつゆ知らず、ライオンの
姿を見て、てっきり恋人が食い殺されたと思い込み、ベールが涙で
ぐっしょりになるまで嘆き悲しみ、その場で剣を抜いて自分の喉を
刺してしまった。
洞穴から出てきたティスベは、突然の出来事に驚き悲しみ、ピュラモス
の頭をしっかりと自分の胸に抱きしめた。彼は、薄れ行く意識の中で
最後の眼差しを彼女に向けながら、息たえた。
彼女は「愛と死が私たちを一つに結びつけたのだから、
二人を一つの墓に葬って下さい」と叫んで、彼の手から剣を受けとり、
やわらかな自分の胸に突き刺し、すぐに後を追った。
その血は桑の実を赤く染めた。

桑の弓、桑弓(そうきゅう)ともいい、男の子が生まれた時に前途の厄を
払うため、家の四方に向かって桑の弓で蓬の矢を射た。
起源は古代中華文明圏による男子の立身出世を願った通過儀礼で、
日本に伝わって男子の厄除けの神事となりました。
桑の弓は桑の木で作った弓、蓬の矢は蓬の葉で羽を矧いだ(はいだ)矢。

養蚕発祥の地、中国においては
クワは聖なる木でした。
地理書『山海経』において10個の太陽が昇ってくる扶桑という神木が
ありましたが、?(げい)という射手が9個を射抜き昇る太陽の数は
1個にしたため、天が安らぎ、地も喜んだと書き残されている。
太陽の運行に関わり、世界樹的な役目を担っていた。
詩書『詩経』においてもクワはたびたび題材となり、
クワ摘みにおいて男女のおおらかな恋が歌われた。
小説『三国志演義』においては劉備の生家の東南に大きな桑の木が
枝葉を繁らせていたと描かれております。
日本においても
クワは霊力があるとみなされ、特に前述の薬効を備えていたことから
カイコとともに普及しました。
古代日本ではクワは箸や杖という形で中風を防ぐとされ、
鎌倉時代喫茶養生記においては「桑は是れ又仙薬の上首」と
もてはやされております。
桑原、桑原雷よけの呪いとして広く使われた言葉であるが、
最も知られている由来は桑原村の井戸に雷が落ち、蓋をしたところ雷が
「もう桑原に落ちないから逃がしてくれ」と約束したためという説があり、
これにはクワ自体は関わりがない。
しかし、諸説の中には宮崎県福島村でクワの上に雷が落ち、
雷がケガをしたので落ちないようになったという説、

沖縄県では雷がクワのまたに挟まれて消えたため
雷鳴の折には「桑木のまた」と唱えるようになったという説もあります。

ことわざ・慣用句
クワ畑がいつのまにか海に変わってしまうような天地の激しい流転の意。
神仙伝が出典であり、仙女の麻姑が500年間の変化として話した内容から生まれた。
月日の流れの無常を示す言葉として、唐代の劉廷芝の詩にも使われている。
蓬矢桑弓(ほうしそうきゅう)元々は上記にある中華・日本においての
男子の祭事や神事であるが、払い清めをあらわす言葉の比喩として
万葉集や古事記にも用いられ、「蓬矢」・「桑弓」それぞれ単独でも
同じ意味を持つ。
《基本情報まとめ》
・桑(くわ)科。
・学名
  Morus bombycis(山桑)
   Morus : クワ属
   bombycis : 蚕の、絹の
 Morus(モーラス)は、
 ケルト語の「mor(黒)」が 語源らしい(実の色)。
・山地などに生えます。
・花は4月頃、穂状に咲きます。
・実はとげとげがあり、だんだん赤くいちごのようになり、
 その後黒っぽく変わります。
 甘味があり食べられます。
・材は家具用として使われます。
・古代の中国四川省では桑は神木だった。
・青森県の三内丸山遺跡からは桑の種子が大量に出土しました。
・明治時代、絹は貴重な輸出品で、絹を作り出す
「蚕(かいこ)」のエサになる桑は、重要な存在でした。
 「桑」の名前も「食葉(くは)」または「蚕葉(こは)」が
 語源ともいわれております。
・「足乳根(たらちね)の母がそれ養(か)
ふ桑(くはこ)すら願へば衣(きぬ)に着すといふものを」  万葉集
 「筑波嶺(つくばね)の新桑(にいぐわ)繭(まよ)の
  衣(きぬ)はあれど君が御衣(みけし)しあやに着欲(きほ)しも」 万葉集

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必要に応じ、加筆・訂正致します。

梔子

2014年05月28日 13時25分14秒 | 花の神話と伝説
別 名 「ガーデニア(Gardenia)」「せんぷく」葡(せんぷく)、山梔子(さんさし)
英 名  「Cape jasmine 、gardenia 」


花言葉 「私は幸せ者」「とても幸せです」「優雅」「洗練」
「清潔」「喜びを運ぶ」「幸福者」「夢中」「清浄」
     「楽しい日々」「私は幸せ」「胸に秘めた愛」
季 語  「仲夏」

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本州の中部以南に自生する常緑低木で、高さは一~三メートル。
庭木として多くの園芸種がある。六月~七月、枝先に香りのいい白色の六弁花を
咲かせ、夜にはさらに香りたちます。
アカネ科 クチナシ属
開花期・・・・春~初夏
原産地・・・・日本 台湾 中国 インドシナ
花色・・・・・・白
葉の形状・・照葉 長楕円形 長卵形
草丈・・・・20cmから80cm
花持ち・・・4日程度
クチナシ(梔子、巵子、支子、学名: Gardenia jasminoides)は、
アカネ科クチナシ属の常緑低木。
野生では森林の低木として自生するが、むしろ園芸用として栽培されることが
多い。果実が漢方薬の原料(山梔子)となることをはじめ、
様々な利用があります。
形態・生態
・樹高1-3 mほどの低木。
・葉は対生で、時に三輪生となり、長楕円形、時にやや倒卵形を帯び、
長さ5-12 cm、表面に強いつやがあります。
筒状の托葉をもちます。
・花期は6-7月で、葉腋から短い柄を出し、一個ずつ花を咲かせます。
花弁は基部が筒状で、先は大きく6弁に分かれ、開花当初は白色ですが、徐々に
黄色に変わっていきます。
花には強い芳香があり、学名の種名 jasminoides は「ジャスミンのような」
という意味があります。
・10-11月ごろに赤黄色の果実をつけます。
果実の先端に萼片のなごりが6本、針状についていることが特徴です。
また、側面にははっきりした稜が突き出ます。
スズメガに典型的な尻尾(尾角)をもつイモムシがつきますが、これは
オオスカシバの幼虫です。
奄美大島以南の南西諸島に分布するイワカワシジミ(シジミチョウ科)の幼虫は、
クチナシのつぼみや果実等を餌としております。
クチナシの果実に穴が開いていることがありますが、これはイワカワシジミの
幼虫が中に生息している、または生息していた跡です。
分布
東アジア(中国、台湾、インドシナ半島等)に広く分布し、
日本では本州の静岡県以西、四国、九州、南西諸島の森林に自生します。
人間との関わり
人家周辺に栽培されることが多い。
ただし、クチナシを植えるとアリが来るといって敬遠する例もあります。
品種改良によりバラのような八重咲きの品種も作り出されております。
・果実にはカロチノイドの一種・クロシンが含まれ、
乾燥させた果実は古くから黄色の着色料として用いられました。
・発酵させることによって青色の着色料にもなる。
これは繊維を染める他、食品にも用いられ、サツマイモや栗、和菓子、
たくあんなどを黄色に染めるのに用いられます。
・大分県の郷土料理・黄飯の色づけにも用いられております。
クロシンはサフランの色素の成分でもあります。
・果実は山梔子(さんしし)と呼ばれ、日本薬局方にも収録された生薬の
一つです。煎じて黄疸などに用いられます。
黄連解毒湯、竜胆瀉肝湯、温清飲、五淋散などの漢方方剤に使われます。
八潮市、湖西市および橿原市の市の花です。
黒人ジャズ歌手のビリー・ホリデイはしばしば、クチナシの花を髪に飾って
舞台に立ちました。

《基本情報まとめ》
クチナシ属(クチナシぞく、学名: Gardenia)は、アカネ科の属の一つ
・茜(あかね)科。
・学名
  Gardenia jasminoides(クチナシ)
  Gardenia radicans(コクチナシ)
   Gardenia : クチナシ属
   jasminoides :ソケイ属(Jasminum)に似た
   radicans : 根を生じる
 Gardenia(ガーデニア)は、18世紀のアメリカの医師かつ博物学者の、
 「Garden さん」の名前にちなみます。 
・開花時期は、 6/15 ~ 7/末頃。
 一重ものは早咲きで
 八重ものはやや遅咲き。
・いい香り。遠くからでも香ってきます。
・実(み)はオレンジ色で、薬用、染料になる。
 無毒なので、布以外にも、きんとん、たくあんなどの
 着色料にもなります。
・八重咲きものは実がならないが
 一重咲きものは実がなります。
・実の口が開かないところから”口無し”の名になりました。
 また、実にある突起部分くちばしに見立てた、
 「クチハシ」からの変化、という説もあります。
・「梔子」の漢字は漢名に由来。
・「小梔子(こくちなし)」は八重で「梔子」より少し小型。
 形はほぼ同じ。
・5月6日、7月2日の誕生花
・「口なしの 淋しう咲けり 水のうへ」  松岡青蘿(まつおかせいら)
 「薄月夜 花くちなしの 匂いけり」   正岡子規
 「山梔子(くちなし)や 築地の崩れ 咲きかくし」 堀麦水(ほりばくすい)
  静岡県以西の本州、四国、九州、沖縄、中国南部、台湾の暖帯から亜熱帯に
広く分布します。
高さ2m程になる常緑の低木で、各地で庭木・切り花用として広く栽培されます。
また観賞用としても栽培されております。
・「日本書紀」をはじめ、「古今集」などの古典や「延喜式」、「本草和名」、
「和漢三才図会」などの書物に採り上げられております。
・ボタン、カイドウなどとともに、名 花十友の1つとして採りあげられて
おります。
・ 梔の字は、中国の酒を入れておく器に似たくちなしの果実を巵といい、
これに木偏をつけたもので、くちなしとは果実が熟しても口を開かないから
「口無し」と いわれております。
・将棋盤や碁盤の脚はくちなしの実をかたどっております。
その意味は「対戦する人は無言。
それを見ている人も口だしするべからず」ということ。
・ヨーロッパでは青年が恋人に最初に贈る花とされ、盛んに栽培されました。
キャサリン・ヘップバーン主演の映画「旅情」(1955年 SUMMERTIME)
でもくちなしの花は、話の重要なポイントになっております。
愛の告白の後、もらったくちなしの花(ガーデニアと呼んでいた。))を
運河へ流してしまう。
また、あまりにも有名なラストのシーンでは、列車を追いかける恋人が走りながら
胸から差し出した、くちなしは強烈なイ ンパクトだった。
ガルデニアは学名であるが、よく使われているようだ。この名は最初にこの花を
記録したアメリカの医者で植物学者のA.ガーデンの名にち なんでおります。
もともと日本産のアメリカ園芸品種の大八重梔の花は大輪で甘い酔いしびれる
ような良い香りがするが、果実が出来ないので晩秋にはさみしいし、
薬用にもならない。
この木は乾燥を嫌うので、冬は根もとに落ち葉やワラなどを寄せて
かくしてあげます。
・夏に白六弁の芳香ある花を開きます。
・小雨の降る宵闇など湿気が多くなると、 香りが濃艶に感じます。
だから、夜匂ってうれしいところに植えておくのが、くちなしを植える場所の
ポイントになります。
部屋に置くと匂いは強烈、そのため茶席にい けるのを嫌われます。
・くちなしの熟果は、昔から黄赤色の染料にされました。
永井荷風は、和紙に木版手摺りの、くちなし染めの原稿用紙を造ったと
いわれております。
夏目漱石の漱石山房 用箋もくちなし染めの用箋といわれておりました。
昔の文人には喜ばれたものらしい。また、無毒なので、栗飯、沢庵漬け、
きんとんなどの料理に使われます。
天然色素 なので、量産できなく、最近はほとんど人口着色料に代わって
きております。漢方では消炎、止血剤として使われております。
あまり知られていないが、くちなしの花は食用になります。
やや甘味があり、肉質が厚く、香りもよいので、生のまま刺身のつまにしたり、
茹でて、酢の物や和え物 などに致します。
また花酒にしたり、天ぷらにしてたべます。
国の天然記念物としては熊本市黒髪に「立田山のヤエクチナシ自生地」として
保護されております。
 神話&伝説
・クチナシは、花のカトレアと並んで胸に飾るのに相応しい花です
ほのかな香りでどんな洋服にも似合い清楚です
男性は、ダンスパーティに女性を誘う時、クチナシを贈ります
女性は、ほのかな香りに包まれ幸せな気持ちになるでしょう
名前の由来・果実が熟しても割れないため、
「口無し」という和名の由来となっている説もあります。
・クチナワナシ(クチナワ=ヘビ、ナシ=果実のなる木、
つまりヘビくらいしか食べない果実をつける木という意味)から
クチナシに変化したという説もあります。
・一重咲きと八重咲きがあり 一重咲きがアメリカに渡り改良され
八重咲きになりガーデニアと呼ばれています
ウエディングブーケに良く使われています
しかし実になるのは、一重咲きで中国では、気持ちを落ち着かせる薬効と
されております。
花言葉のいわれ
アメリカでは、男性が女性をダンスパーティに誘う前に彼女に贈る
コサージュ用の花を花屋に届けてもらう場合、クチナシの花を選ぶように
いわれております。
クチナシの花には香水の原料となる甘い香りがあり、昔女性たちは
着物のたもとに入れていたそうです。
中国ではユリ、スイセン、ウメ、キクなどと七香の一つになっています。
みみなしやま【耳成山】
大和三山の一つ。
奈良盆地南部,橿原(かしはら)市にある標高140mの山。安山岩からなり,
円錐形の美しい山容をなす。
《万葉集》巻一に載る長歌〈藤原宮の御井の歌〉に〈耳成の青菅山は 
背面(そとも)の大御門に 宜(よろ)しなべ神さび立てり〉とうたわれた
ように,藤原京の北に位置する山であった。
三山相闘の伝説で著名であるが,歌枕でもあり,〈みみなし〉に
〈耳無し〉の意をかけて,この山に多数自生したクチナシを詠み合わせた
〈みみなしの山のくちなし得てしがな思ひの色の下染めにせむ〉
(《古今集》)などという歌もあります。
天国に咲くといわれているこの花は邪悪なものを追い払うといわれてます。
眺めていると気持ちが落ち着いてくるのは、この花に消炎、
鎮痛の作用があるからです。
★地上に咲いた最初のクチナシの花のお話。
ガーデニアという名の清楚な女性がいました。ガーデニアは白い色が好きで、
家具やカーテンや服やリボンを白い色で統一していました。
ある時、天使がガーデニアのところにやってきました。天使は植物の実をガ
ーデニアに渡し、(これは天国の植物です。大切に育ててください。
そして花が咲いたらキスして下さい。1年経ったらまた来ます。)と言って
天に帰っていきました。
ガーデニアは鉢植えを大切に育てました。
ちょうど1年経った頃、鉢植えの植物は白くて香りのよい花を咲かせました。
この花が地上に最初に咲いたクチナシの花でした。
ガーデニアがクチナシにキスをすると、天使が現れました。
天使は、(あなたこそ私の求めていた人です。)と言ってガーデニアにプロ
ポーズしました。ガーデニアと天使は結婚し、仲良く幸せに暮らしました。
ガーデニアは、くちなしの属名です。天国に咲くといわれているこの花は、
邪悪なものを追い払うともいわれております。 

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石楠花

2014年05月27日 09時06分03秒 | 花の神話と伝説
別 名 【ロードデンドロン(Rhododendron)】【西洋石楠花】

花言葉 「威厳」「警戒」「危険」「荘厳」「注意せよ」「警戒心を持て」
季 語 【初夏】
    石南花 /しゃくなぎ/せきなん

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・もともとは高山性の植物。日本にも数種が自生します。
・古くは神に捧げる木、忌み木とされ、庭木や植栽にする類の花木
ではなかったようです。
・ヨーロッパで改良が進み、明治の末に「西洋シャクナゲ」が渡来し、
一般的になっていきました。
・しゃくなげは”石南花”とも書きます。字音読みでこの字を当てていますが、
中国の「石南」はまったく別の木です。
・一般にしゃくなげとは”あまずしゃくなげ”の事を指し、
高さ 1~3m程の常緑低木で、背丈の低いようすから、
「尺なし(しゃくなし)」→「しゃくなげ」に なったとの説があります。
花言葉の由来
 高山に咲いておりますので、シャクナゲを採りに行くのは危険が伴います。
 ですから、そんな採りに行くために危険が付くという意味で
 「危険」や「警戒」といった言葉が付いてきました。
 高山の奥地に咲いていることから、
 「威厳」、「荘厳」という言葉が使われています。
 ちなみに「高嶺の花」という言葉がありますが、
 この言葉は高山の奥深くに咲いていて手に入れるのが難しい
 シャクナゲから来ていると言われています。
・シャクナゲは元々は高山植物で見たり手に入れたりするのが
とても困難な場所に生えておりました。
・未開の高山のような場所に生える花だったため、
入手には大変な危険を伴う花だから。
・入手困難な上に 綺麗な花を咲かせますので、
 高嶺の花の語源ともなりました。
・実はシャクナゲの葉は有毒で、ケイレン毒を持っているため、
摂取すると呼吸困難や嘔吐・下痢などを引き起こすようです。

ツツジ科の常緑低木。
原産地は北半球。
茎の先端に優雅で柔らかな花をつけます。
ヒマラヤから中国南部の高山地帯で多種が分布し、
たくましい生命力にあふれております。
花の色は、赤、ピンク、オレンジ、紫、青、黄など。
シャクナゲ (石楠花、石南花) は、
ツツジ科ツツジ属 (Rhododendron) 無鱗片シャクナゲ亜属、
無鱗片シャクナゲ節の総称です。
主に低木だが、高木になるものもあります。
また、日本ではその多くのものがツツジと称される有鱗片シャクナゲ亜属のものを
欧米ではRhododendron と呼んでいるので注意が必要です。
ただし、有鱗片シャクナゲのなかでも、ビレア(マレーシアシャクナゲ)の仲間は、
カワカミシャクナゲのように、日本でもシャクナゲと呼んでおります。
分布
Rhododendron としては主として北半球の亜寒帯から熱帯山地までの
きわめて広い範囲に分布し、南限は赤道を越えて南半球のニューギニア
・オーストラリアに達します。
特にヒマラヤ周辺には非常に多くの種が分布します。
特徴
いずれも派手で大きな花に特徴があります。
・花の色は白あるいは赤系統が多いが、黄色の場合もあります。
シャクナゲは葉にロードトキシンことグラヤノトキシンなどの
ケイレン毒を含む有毒植物です。
摂取すると吐き気や下痢、呼吸困難を引き起こすことがあります。
葉に利尿・強壮の効果があるとして茶の代わりに飲む習慣を持つ人が多く
存在しますが、これはシャクナゲに「石南花」という字が当てられているため、
これを漢方薬の「石南(オオカナメモチ)」と同一のもの
(この2つに関連性はない)と勘違いしたためであり、シャクナゲに
このような薬効は存在しません。
・シャクナゲは常緑広葉樹にもかかわらず寒冷地にまで分布しております。
寒冷地に分布する種類のなかには、葉の裏側を中にした筒状にして
越冬するハクサンシャクナゲなどがあります。
・日本にも数多くの種類のシャクナゲが自生しておりますが、その多くは変種であり、
種のレベルでは4種または6種に集約されます。
このほか、園芸用品種として数多くの外国産のシャクナゲが日本に導入されており、
各地で植栽されております。
主な種野生状態でも変種が数多く、また園芸植物としても
数多くの品種があります。そのため、種類数は定義によって大きく異なりますが、
おそらく数百種類はあると思われます。
東アジア広域
キバナシャクナゲ

R. aureum Georgi -シベリア東部・満洲・朝鮮半島北部・樺太・千島列島
・カムチャツカなど東アジアの寒冷地に広く分布します。
北海道から中部地方までの高山帯から亜高山帯上部にかけて自生する高山植物。
淡い黄色の花を咲かせる。
ヤエキバナシャクナゲ
R. aureum Georgi f. senamense (Y.Yabe) H.Hara) -八重咲き品種。
ゴシキシャクナゲ
R. aureum Georgi f. albiforum S. Watan. -花の白い品種。
ハクサンシャクナゲ
R. brachycarpum G. Don
-北海道・本州・四国と朝鮮半島北部の亜高山帯から一部はハイマツ帯まで
分布します。
・花は白から淡い紅色で、内側に薄い緑色の斑点があります。
亜高山帯の暗い針葉樹林内を彩る代表的な花です。
以下のような変種があります。
ネモトシャクナゲ
R. brachycarpum G. Don f. nemotonum (Makino) Hara -八重咲きの品種。
日本
アズマシャクナゲ
Rhododendron degronianum Carriere
-東北地方から中部地方までの山地・亜高山帯に分布しております。
・花は淡い紅色。以下のような変種がある。
アマギシャクナゲ
Rhododendron degronianum Carriere var. amagianum (T.Yamaz.) T.Yamaz.
-静岡県伊豆半島の山地に分布します。
ツクシシャクナゲ
Rhododendron japonoheptamerum Kitam. var. japonoheptamerum
-紀伊半島以西の本州・四国・九州の山地に分布します。
・樹高3~4mで淡い紅色の花を咲かせる。以下のような変種があります。
ホンシャクナゲ
Rhododendron japonoheptamerum Kitam. var. hondoense (Nakai) Kitam.
-中部地方以西の本州と四国の山地に分布します。
・花は赤紫から白まで変化に富んでおります。
キョウマルシャクナゲ
Rhododendron japonoheptamerum Kitam. var. kyomaruense (T.Yamaz.) Kitam.
-長野県南部と静岡県北部の南アルプス南部の山地に分布します。
・花は淡い紅色。自生しているものは環境省レッドデータリストによると
絶滅危惧II類。
オキシャクナゲ
Rhododendron japonoheptamerum Kitam. var. okiense T.Yamaz.
-島根県隠岐島に分布します。
ホソバシャクナゲ
Rhododendron makinoi Tagg ex Nakai
-静岡県と愛知県の山地に自生します。
自生しているものは環境省レッドデータリストによると絶滅危惧II類。
・名前のとおり、シャクナゲの中では葉が細い。紅紫色、または白い花。
ヤクシマシャクナゲ
Rhododendron yakushimanum Nakai
-名前のとおり屋久島の高所に分布します。
・花は淡い紅色。
次の変種があります。
オオヤクシマシャクナゲ
Rhododendron yakushimanum Nakai var. intermedium (Sugim.) T.Yamaz.
-基本種より樹高、葉とも大型。
ヒマラヤ
ロードデンドロン・アンソポーゴン

Rhododendron anthopogon D. Don.
-標高3800m~5000m付近のヒマラヤ高山に自生する小形のシャクナゲ。
文化
南海電気鉄道2300系電車の一編成の愛称がシャクナゲであり、
また2000系電車の一部にもこれが描かれております。
松永安左エ門が1954年(昭和29年)欧米を歴訪した際、
イギリスで3本を購入したうちの2本が、小田原の松永記念館に
植えられております。

《基本情報まとめ》
・躑躅(つつじ)科。
・学名
  Rhododendron
  metternichii など。
  (西洋石楠花を含めると、多数の学名あり)
   Rhododendron : ツツジ属
   metternichii : 採集家「メッテルニッヒ」さんの
 Rhododendron(ロードデンドロン)は、ギリシャ語の
 「rhodon(バラ)+ dendron(樹木)」が語源。 
・開花時期は、 4/10 ~ 5/ 5頃。
・漢字の「石南花」は中国産の別種だが、誤ってこれを用いて
 「しゃくなんげ」となり、しだいに「しゃくなげ」になりました。
  (「石楠花」は漢名)。
 また、背丈がやや低い姿から、「尺なし(しゃくなし)」
 →「しゃくなげ」になったとの説もあります。
・細長い葉っぱの先端に大きな花をつけます。
・本(ほん)石楠花や細葉(ほそば)石楠花、白山(はくさん)石楠花、
 東(あずま)石楠花など、いろいろ種類がありますが、
 ふだん街中でよく見かけるのは「西洋(せいよう)石楠花」かもしれません。
・6月5日の誕生花(石楠花)
・ネパールの国花。
・福島県の県花(根本(ねもと)石楠花)
・滋賀県の県花(石楠花)
 
※ツツジ科の花
 ツツジ(躑躅)  サツキ(皐月)  ミツバツツジ(三葉躑躅)  シャクナゲ(石楠花)  アザレア(Azalea)  カルミア(Kalmia) 
※はて? 巷で見かける石楠花は東石楠花でしょうか?
 それとも西洋石楠花でしょうか? 

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金魚草

2014年05月14日 00時14分57秒 | 花の神話と伝説
別 名  「スナップドラゴン(Snapdragon)」

花言葉 「清純な心」「図々しい」「図太い」「騒々しい」
    「推測ではやはりNOです」「でしゃばり」「予知」
    「快活」「おしゃべり」「おせっかい」「大胆不敵」
    「無作法」「推定」「推理」「傲慢」「欲望」
季 語 「仲夏」

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キンギョソウ(金魚草) とは、
春~初夏、金魚似の小形の花を穂状に多数つけて咲かせます。
ゴマノハグサ科キンギョソウ属の耐寒性多年草
(園芸上は一年草として扱われます)です。
庭先でよくみかける花で、赤や黄、白、橙、桃色の花を咲かせます。
草丈の小・中のものは花壇に、大きいものは切り花に向いています。
秋蒔き、春蒔き、温室用促成品種があり長期間出回っています。

キンギョソウ(金魚草)の花を小さくしたような花を咲かせることから、
リナリア(Linaria) は別名をヒメキンギョソウ(姫金魚草)と言います。

一般名:キンギョソウ(金魚草)
学名:Antirrhium majus(アンテリナム・マユス)
別名:スナップドラゴン(Snapdragon)、コモン ・スナップドラゴン(Common snapdragon)、
アンテリナム(Antirrhium)
分類名:ゴマノハグサ科キンギョソウ属
原産地:南欧~北アフリカの地中海沿岸
草丈:15~30cm(矮小種) 50~60cm(中性品種) 90~150cm(高性品種)
花径:3~6cm 花穂長:10~30cm 
開花期:4~7月(秋蒔き)、8~9月(春巻き)、温室用促成品種
花色:赤・桃 ・白 ・橙 ・黄 ・複色

キンギョソウ(金魚草 Antirrhinum majus)は
オオバコ科キンギョソウ属の植物。
南ヨーロッパと北アフリカの地中海沿岸部を産地とします。
その名の通り金魚のような花を穂状に数多く咲かせます。
花の色は赤・桃・白・橙・黄・複色。

種は微細ですが、性質は強健で、こぼれ種でよく殖えます。
一般的には秋蒔きの一年草で、寒冷地では春蒔きをします。。
本来は多年草の植物であり、年月が経つにつれて茎が木質化します。

・金魚の養殖で有名な愛知県弥富市の市の花にもなっております。

名前の由来
・ ふっくらした花が、尾ひれを広げて群がって泳ぐ金魚のように見えることから。
 波打つような花びらが金魚の尾びれに似ているところから。 
・花が金魚のおちょぼ口に似ているところからこの名前になりました。
・英語では「スナップドラゴン」と呼びます。
 ミツバチが花の中に入って 蜜を吸う様子を、ミツバチが
 ドラゴン(竜)に飲み込まれているような姿になぞらえて表現されました。
  (スナップ = かみつく)
 
カラフルで鮮やかな、金魚に似た花を穂状に数多く咲かせます。
・日本には、江戸時代後期に渡来してきました。
 アメリカに派遣した使節が種を持ち帰ったのがはじまりです。
 春の南房総では、たくさん温室栽培され5月頃が、花の最盛期になります。
 開花期は4月~7月、9月~11月と期間が長く、次々と花が咲くので
 育てやすい花です。
・金魚の養殖で有名な、愛知県弥富市の市の花にもなっています。

《基本情報まとめ》
・胡麻葉草(ごまのはぐさ)科。
・学名
  Antirrhinum majus
   Antirrhinum :
      キンギョソウ属
   majus : 巨大な
 Antirrhinum は、ギリシャ語で「鼻に似た」の意味です。
  花の形から。 
・地中海沿岸原産。
 江戸時代後半に日本に渡来。
・春の南房総ではたくさん温室栽培されます。
・種子からは良質の油がとれます。

・1月8日、12月2日の誕生花。

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とりあえずの掲載です。

※オオバコ科キンギョソウ属の植物と胡麻葉草(ごまのはぐさ)科
調べること
ウィキペディア・その他より掲載
必要に応じて、加筆・訂正致します。

空木(うつぎ)

2014年05月11日 19時54分36秒 | 花の神話と伝説
別 名 「卯の花(うのはな)」「雪見草(ゆきみぐさ)」
    「スレンダー」「(Deutzia)ドイツィア」


花言葉 「古風」「風情」「秘密」「秘めた恋」「夏の訪れ」
     「謙虚」(空木)
季 語  「初夏」
子季語 「空木の花、花卯木、初卯の花、卯の花月夜、卯の花垣 」
関連季語 「箱根空木の花、卯の花腐し 」

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・開花は五月中旬~六月頃。白く清々しい花を咲かせます。
・古歌には月光のようとも雪のようとも詠われております。
・旧暦四月(卯月)ころ咲くことからこの名があります。
・茎が空洞なので空木(うつぎ)ともいいます。
・「夏は来ぬ」の唱歌にも歌われているように、夏の訪れを感じさせる花である。
来歴
『花火草』(寛永13年、1636年)に所出。
文学
・「卯の花の過ぎば惜しみか霍公鳥雨間も置かずこゆ鳴きわたる」
                      大伴家持『万葉集』
 「卯の花を腐(くた)す霖雨(ながめ)の水はなに
        寄る木積(こづみ)なす寄らむ児(こ)もがも」
                      大伴家持『万葉集』
 「卯の花もいまだ咲かねばほととぎす
           佐保の山辺に来鳴(きな)きとよもす」
                      大伴家持『万葉集』

・「ほととぎす我とはなしに卯の花のうき世の中になきわたるらむ」
                      凡河内躬恒『続古今集』
・「夕月夜ほのめく影も卯の花のさけるわたりはさやけかりけり」
                       藤原実房『千載集』
・「ほととぎす来鳴き響(とよ)もす卯の花の
           共にや来(こ)しと問はましものを」
             石上堅魚(いそのかみのかつお)『万葉集』
・「五月山(さつきやま)卯の花月夜 ほととぎす
             聞けども飽かずまた鳴かぬかも」
                       作者不詳『万葉集』
・「卯の花の咲き散る岳(おか)ゆほととぎす
               鳴きてさ渡る君は聞きつや」
                       作者不詳『万葉集』
・「神まつる卯月になれば卯の花の
             憂き言の葉の数やまさらむ」
                      源実朝『金槐和歌集』

・「卯の花をかざしに関の晴れ着かな」河合曽良(かわいそら)

 「卯の花や妹が垣根のはこべ草」 与謝蕪村(よさぶそん)

 「押しあうて又卯の花の咲きこぼれ」 正岡子規(まさおかしき)

・「山里は卯の花垣のひまをあらみ
          しのびねもらす時鳥(ほととぎす)かな」
                         加納諸平
実証的見解
ウツギはユキノシタ科ウツギ属の落葉低木。本州、四国、九州などの山地に自生し、生垣
などにも利用されます。
よく枝分かれし、高さは二メートルくらいになります。
卵形の葉は対生し、縁に鋸歯をもちます。
五月から六月にかけて、円錐花序を多くのばし白い小花を多数つけます。

ウツギ(空木、学名:Deutzia crenata)
アジサイ科ウツギ属の落葉低木で、ウノハナ(卯の花)とも呼ばれております。
特徴
樹高は2-4mになり、よく分枝します。
樹皮は灰褐色で、新しい枝は赤褐色を帯び、星状毛が生えます。
葉の形は変化が多く、卵形、楕円形、卵状披針形になり、葉柄をもって対生しまする。
花期は5-7月。
枝先に円錐花序をつけ、多くの白い花を咲かせます。
普通、花弁は5枚で細長いが、八重咲きなどもあります。
名前の由来
・花言葉「秘密」は、別名のウツギ(空木)の名の由来である中空の幹から連想してつけられています。
・別名「卯の花」(うのはな)、卯月(旧暦4月)に咲くことから。
   「うつぎの花」の略ともいわれております。
・「雪見草」(ゆきみぐさ)は見た目が雪のようなことから。
・花言葉「古風」は、古風な女性を思わせる花姿から連想したものだそうです
・ 属名の「ドイツィア(Deutzia)」は、スウェーデンの植物学者で「ツンベルク」博士の後継者「J.ヴァン・デル・デューツ」博士の名前にちなみます。
・茎が中空なので「ウツギ(空木)」とも呼ばれています。
・あるいは古くから木釘として用いられていたので「打つ木」からという説もあります。
・英名は「slender deutzia(スレンダー ドイツィア)」です。
・空木の花(うつぎのはな)の中間が略された呼び名ともいわれています。
※花に香りはほとんどなく、卯の花の匂う垣根の歌詞は、今にも花の香りが匂ってきそうに、枝をおおって咲きこぼれる小花を見ていて、受けた感じから書かれたのでしょう。
分布と生育環境
北海道南部、本州、四国、九州に広く分布し、山野の路傍、崖地など日当たりの良い場所にふつうに生育するほか、畑の生け垣にしたり観賞用に植えたりします。
下位分類
変種のビロードウツギの他、多くの品種があります。

ビロードウツギ Deutzia crenata Sieb. et Zucc. var. heterotricha (Rehder) H.Hara
シロバナヤエウツギ Deutzia crenata Sieb. et Zucc. f. candidissima (Bon.) H.Hara
オオミウツギ(クマガワウツギ) Deutzia crenata Sieb. et Zucc. f. macrocarpa Nakai
サラサウツギ(ヤエウツギ) Deutzia crenata Sieb. et Zucc. f. plena (Maxim.) C.K.Schneid.
ジクゲウツギ(ケウツギ) Deutzia crenata Sieb. et Zucc. f. pubescens (Makino) H.Hara
ムラサキウツギ(アケボノウツギ) Deutzia crenata Sieb. et Zucc. f. purpurina Honda

《基本情報まとめ》
・雪の下(ゆきのした)科。
・学名
  Deutzia crenata
   Deutzia : ウツギ属
   crenata : 円鋸歯状の
 Deutzia(ドイツァ)は、植物学者ツンベルクさんの後継者の、
 オランダの「Deutz(ドイツ)さん」の名前にちなみます。 (18世紀の人)。
・開花時期は、 5/20 ~ 6/ 5頃。
・髄(ずい。茎や根の中心にある部分)が空洞になっておりますので、
 「空ろ木(うつろぎ)」が変化して「空木」になりました。
・材質は硬く、腐りにくい。
 昔から、木くぎや、神事のときの杵などに使われました。
・”実”は「独楽(こま)」のような形
 やぶがらしの花に似ております。

・ウツギはアジサイ科の落葉低木です。高さ葯1m、樹皮は淡褐色で初夏に短い新梢に総状花序をつけ、白色5弁の小花をたくさん咲かせ株を埋めつくします。日本や中国に分布し、万葉集にも24首の歌が詠まれ、初夏を飾る花として古くから親しまれています。
・ウツギは各地の山野に自生するほか、生垣や庭木として利用されます。材は極めて固いので木釘や楊枝などに使用され、枝葉の煎汁は黄疸に効くといわれます。昔はこのウツギの花が咲く頃を合図に田植えの準備をし、雨が多くこの花が少ない年は凶作、ウツギの花が多い年は豊作だと占っていたそうです。
・ 全体に小柄でウツギよりもほっそりしているので「ヒメウツギ(姫空木、姫卯木)といわれます。このヒメウツギやマルバウツギ、バイカウツギなどを総称してウツギといいます。花期は5~6月で鉢の市販期は4~6月頃です。
・春に芽吹いた葉はさわるとざらつき、晩春から初夏にかけて、よく分枝した枝先についたたくさんのつぼみが次々と開いて、白い5弁の花が花の重みでしだれた枝をおおいます。
・5月22日の誕生花(空木)
・6月3日の誕生花は、唱歌「夏は来ぬ」のウノハナ(卯の花)の匂う垣根の花。

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アジサイ科とユキノシタ科について
アジサイ科・・・
アジサイ科(アジサイか、学名:Hydrangeaceae)は、
双子葉植物の科の1つ。
新エングラー体系では、ユキノシタ科に含められていたが、クロンキスト体系ではスグリ科とともに別科としている。さらに分子系統学的にはユキノシタ科と縁遠いことが明らかになり、APG植物分類体系ではミズキ目に入れられている。
特徴アジサイ、ウツギ(ウノハナ)などの16属約190種を含む。低木または大型の草本でつる性のものも多い。主に東アジアと北アメリカの温帯から亜熱帯に分布する。がくと花弁の数は4または5で、ウツギ属などでは花弁が大きいが、アジサイ属の装飾花のようにがくの方が目立つ場合もある。アジサイ属のほかウツギ属やバイカウツギ属が花の観賞のため栽培される

ユキノシタ科・・・
ユキノシタ科(ユキノシタか、Saxifragaceae)は、双子葉植物に属する科である。ユキノシタやクモマグサ、ヒマラヤユキノシタ、ネコノメソウ、チダケサシ(アスチルベ)などの草本を含む。
新エングラー体系ではアジサイ、ウツギ、スグリなど(主に木本)を含めていたが、クロンキスト体系ではこれらをアジサイ科、スグリ科として分けている。さらにAPG IIIでは、ウメバチソウをニシキギ科、タコノアシをタコノアシ科に分離している。
花は両性花で放射相称または左右相称、花弁は4または5枚で雄蕊はその2倍ある。温帯から寒帯(高山にも多い)に分布し、観賞用に(または山草として)栽培されるものもある。

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ウィキペディア その他より
必要に応じて加筆・訂正等イタシマス・。

薔薇

2014年05月10日 07時45分42秒 | 花の神話と伝説
別 名  「Rose」
 

花言葉 「私はあなたにふさわしい」「内気な恥ずかしさ」「輝かしい」
    「愛嬌」「新鮮」「斬新」「私はあなたを愛する」「美」
    「あなたのすべてはかわいらしい」「愛情」「気まぐれな美しさ」
    「無邪気、爽やか」(薔薇)
    「無邪気、爽やか」(蔓薔薇)
    「特別の功績」(ミニ薔薇)
季 語  「初夏」
子季語  【西洋薔薇、しようび、花ばら、薔薇園、そうび】
関連季語 「茨の花、薔薇の芽、秋薔薇、冬薔薇」

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・薔薇は初夏、美しく香り高い花を咲かせます。
・茎には鋭い棘があります。
・観賞用に植えられるほか香水などにも利用されております。
・花の色も形もさまざまで、園芸登録されているものでも一千種を超えます。
・和名の「ばら」は、棘のある植物「うばら」「いばら」が転訛したものです。

来歴
『毛吹草』(正保2年、1645年)に所出。
文学
我はけさうひにぞ見つる花の色をあだなるものといふべかりけり 紀貫之『古今集』
実証的見解
バラ科バラ属の落葉または常緑樹の総称です。
北半球の温帯地域に広く自生します。
蔓性のものも多く、枝に鋭い棘を持ちます。
葉は奇数の羽状複葉。花びらは通常五枚ですが、園芸種は八重咲がほとんどです。
日本には十数種の野生種がありますが、一般に薔薇といえば、
庭園や公園で観賞用に植えられる園芸種を指します。

バラ(薔薇)は、バラ科バラ属の総称です。
あるいは、そのうち特に園芸種(園芸バラ・栽培バラ)を総称しております。
ここでは、後者の園芸バラ・栽培バラを扱うことに致します。

・バラ属の成形は、灌木、低木、または木本性のつる植物で、葉や茎に棘があるものが多い。
・葉は1回奇数羽状複葉。花は5枚の花びらと多数の雄蘂を持ちます
(ただし、園芸種では大部分が八重咲きである)。
・北半球の温帯域に広く自生しておりますが、チベット周辺、中国の雲南省からミャンマーにかけてが主産地でここから中近東、ヨーロッパへ、また極東から北アメリカへと伝播しました。
・南半球にはバラは自生しておりません。
・世界に約120種があります。

名称
「ばら」の名は和語で、「いばら」の転訛したものです。
漢語「薔薇」の字をあてるのが通常ですが、この語はまた音読みで「そうび」「しょうび」とも読みます。
漢語には「?瑰」(まいかい)の異称もあります。
欧州ではラテン語の rosa に由来する名で呼ぶ言語が多く、また同じ語が別義として「ピンク色」の意味をもつことが多いようです。
6月の誕生花。
季語は夏ですが、(「冬薔薇」「ふゆそうび」となると冬の季語になります)。

用途
現在では鑑賞用として栽培されることが圧倒的に多いが、他にもダマスクローズ(Damask rose)の花弁から精油を抽出した「ローズオイル(Rose oil)」は、香水の原料やアロマセラピーに用いられます。
花弁を蒸留して得られる液体「ローズウォーター(rose water)」は、中東やインドなどでデザートの香りづけに用いられます。 また、乾燥した花弁はガラムマサラに調合したり、ペルシャ料理では薬味として用います。 日本では農薬のかかっていない花弁をエディブル・フラワーとして生食したり、花びらや実をジャムや砂糖漬けに加工したり、乾燥させてハーブティーとして飲用することもあります

栽培の歴史
・バラが人類の歴史に登場するのは古代バビロニアの『ギルガメシュ叙事詩』にあります。
この詩の中には、バラの棘について触れた箇所があります。

古代ギリシア・ローマでは、バラは愛の女神アプロディテもしくはウェヌス(ヴィーナス)と関係づけられており、また香りを愛好され、香油も作られました。
プトレマイオス朝エジプトの女王クレオパトラはバラを愛好し、ユリウス・カエサルを歓待したときもふんだんにバラの花や香油を使用したと伝えられております。

ローマにおいてもバラの香油は愛好され、北アフリカや中近東の属州で盛んにバラの栽培が行われた。クレオパトラと同様にバラを愛した人物に、暴君として知られる第5代ローマ皇帝ネロがいる。彼がお気に入りの貴族たちを招いて開いた宴会では、庭園の池にバラが浮かべられ、バラ水が噴き出す噴水があり、部屋はもちろんバラで飾られ、皇帝が合図をすると天井からバラが降り注ぎ、料理にももちろんバラの花が使われていたと伝えられる。

中世ヨーロッパではバラの美しさや芳香が「人々を惑わすもの」として教会によってタブーとされ、修道院で薬草として栽培されるにとどまりました。

・イスラム世界では、白バラはムハンマドを表し、赤バラが唯一神アッラーを表すとされました。また、香油などが生産され愛好されました。
『千夜一夜物語』などやウマル・ハイヤームの『ルバイヤート』にもバラについての記述があります。

・十字軍以降、中近東のバラがヨーロッパに紹介され、ルネサンスのころには再び人々の愛好の対象になりました。
イタリアのボッティチェッリの傑作「ヴィーナスの誕生」においてもバラが描かれ、美の象徴とされているほか、ダンテの『神曲』天国篇にも天上に聖人や天使の集う純白の「天上の薔薇」として登場します。
またカトリック教会は聖母マリアの雅称として「奇しきばらの花」(Rosa Mystica)と呼ぶようになります。

バラの母ジョゼフィーヌ皇后
ジョゼフィーヌのバラの蒐集はバラの品種改良の基礎となっております。
ナポレオン・ボナパルトの皇后ジョゼフィーヌはバラを愛好し、夫が戦争をしている間も、敵国とバラに関する情報交換や原種の蒐集をしていた。ヨーロッパのみならず日本や中国など、世界中からバラを取り寄せマルメゾン城に植栽させる一方、ルドゥーテに「バラ図譜」を描かせました。

このころにはアンドレ・デュポンによる人為交配(人工授粉)による育種の技術が確立されました。
ナポレオン失脚後、またジョゼフィーヌ没後も彼女の造営したバラ園では原種の蒐集、品種改良が行われ、19世紀半ばにはバラの品種数は3,000を超え、これが観賞植物としての現在のバラの基礎となりました。

モダンローズの誕生
ハイブリッド・ティー(HT)系の誕生
HTの人気品種、鮮やかなピンクが特徴のマヌウメイヤン
1867年にフランスのギョーがハイブリッド・パーペチュアル系の「マダム・ビクトル・ベルディエ」を母にティー系の「マダム・ブラビー」を交配し「ラ・フランス」を作出し、これがモダンローズの第1号となり、品種改良が一層進むことになった。「ラ・フランス」が冬を除けば一年中花を咲かせる性質は「四季咲き性」といわれ、画期的なものでした。英国のベネットはこれに追随し、ティー系「デボニエンシス」とハイブリッド・パーペチュアル系「ビクトール・ベルディエ」を交配し、「レディ・マリー・フィッツウィリアム」を1882年に作り出し、これを新しいバラの系統として「ハイブリッド・ティー」系と命名しました。
ベネットの新品種は整った花容から、交配の親として広く利用されていきました。

黄色いバラの誕生
モダンローズ第1号「ラ・フランス」
当時のハイブリッド・ティー系には純粋な黄色の花はありませんでした。
そこで、黄色のハイブリッド・ティー系の品種を作り出すことが課題とされました。
1900年にフランスのジョセフ・ペルネ=デュシェ (Joseph Pernet-Ducher) が「アントワーヌ・デュシェ」の実生に原種の「ロサ・フェティダ(オーストリアン・イエロー)」をかけあわせて「ソレイユ・ドール」を作出、黄バラ第1号となった。しかし「ソレイユ・ドール」は「四季咲き性」がないので、一層の改良が加えられ、
1907年には四季咲き性の「リヨン・ローズ」、さらに1920年には完全な黄色のバラ「スブニール・ド・クロージュ」を完成させました。
ドイツのコルデスは「スブニール・ド・クロージュ」の子の「ジュリアン・ポタン」から1933年に「ゲハイムラート・ドイスゲルヒ(ゴールデン・ラピチュア)」を作出しました。
これが今の黄色のバラの親です。

欧米での品種改良の進展
コルデスは黄色のみならず、赤バラの改良にも尽力しました。
1935年に「クリムゾン・グローリー」を作り出し、これが後世の赤バラの品種改良に広く利用されることになる。英国では1912年に「オフェリア」を発表、花容、芳香に優れるだけでなく実をつけ易いことから、多くの品種の親になる。このようなヨーロッパでの品種改良は、第二次世界大戦で中断します。
品種改良の中心は、戦火に見舞われないアメリカ合衆国に移ります。
1940年にラマーツが「クリムゾン・グローリー」から「シャーロット・アームストロング」を作り出し、フランスのメイアンの「アントワーヌ・メイアン」がアメリカで「ピース」と名づけられ、1945年に売り出された。「ピース」は大きな花をつけることから、「巨大輪」とよばれ品種改良に利用されるとともに、戦後のバラの流行を作り出すことになりました。

フロリバンダ系(FL)の誕生
フロリバンダの品種の一つ「アンバークイーン」。一枝に房に花をつけます。
デンマークのポールセン兄弟が従来ある「ドワーフ・ポリアンサ系」の花を大きくし、北ヨーロッパの寒さに耐えられる品種を作出しようとしていた。1911年にポリアンサ系の「マダム・ノババード・レババースル」とランブラー系の「ドロシー・パーキンス」をかけ合わせ「エレン・ポールセン」を作り出し、続く1924年にはポリアンサ系の「オルレアンローズ」とハイブリッド・ティー系「レッドスター」の交配で「エルゼポールセン」「キルステンポールセン」などを出し、「ハイブリッド・ポリアンサ系」と命名された。これを受けてアメリカのブーナーなどが改良を続け、この系統は「フロリバンダ系」と命名される。さらにドイツのコルデスが1940年に「ピノキオ」を発表した。ブーナーがこれに追随して「レッド・ピノキオ」「ラベンダー・ピノキオ」を発表し、これがフロリバンダ系の完成と言われます。

その後、フロリバンダ系の改良は色の多様性を求めることに重点がおかれ、1944年にはドイツのタンタウが「フロラドラ」、1949年ブーナーが「マスケラード」を、1951年にコルデスが「インデペンデンス」を作出した。新しい系統であるが、「フロリバンダ系」は切花ではスプレーバラとして利用されるため、多くの品種が作り出されることになり、またハイブリッド・ティーとの交配も試みられ、ますます多様性を強めています。

「奇跡」のブルー・ローズへの挑戦
「シャルル・ド・ゴール」、HT、メイアン(1974)
サントリーフラワーズの青いバラ「アプローズ」(2004)
「青いバラ」は、オールド・ローズの「カーディナル・ド・リシュリュー」などが知られておりまし。しかし、純粋な青さを湛えたバラを作り出すことは、青いチューリップと同様に世界中の育種家の夢であり、各国で品種改良競争が行われた。1957年、アメリカのフィッシャーが「スターリング・シルバー」を出し、「青バラ」の決定版といわれた。しかし、競争はやまず、1957年にはタンタウが一層青い「ブルームーン」を発表しました。それにコルデスが1964年に「ケルナーカーニバル」を出し、1974年にフランスのメイアンは「シャルル・ド・ゴール」を発表と、熾烈な品種改良競争を展開した。日本でも青いバラに対する挑戦は盛んで、今日までに数多くの品種が生み出され、世界でも注目を浴びております。

2008年現在、一般的な交配による品種改良で最も青に近いとされる品種は、岐阜県の河本バラ園が2002年に発表した「ブルーヘブン」、アマチュア育成家である小林森治が1992年に発表した「青龍」や2006年に発表した「ターンブルー」等が挙げられます。

従来、青い色素を持つ原種バラは発見されていなかったため、従来の原種を元にした交配育種法では青バラ作出は不可能とされてきた。そのため、現在の園芸品種にも青色といえる品種は存在しない。また「青バラ」と呼ばれる品種は、主に赤バラから赤い色素を抜くという手法で、紫や藤色に近づけようとしたものである。しかし最近、サントリーの福井祐子らの研究により、青い色素を持たないとされてきたバラから、バラ独自の青い色素が発見された(「青龍」を始めとするいくつかの青バラより)。これはバラ独自のもののため、「ロザシアニン」(Rosacyanin)と命名された([1]、[2])。

しかし、この色素を持つ「青龍」は花粉をほとんど出さないために、交配親としては不向きとされており、遺伝子操作に頼らない青バラへの道は依然険しく長い道のりのままではある。だが、「ロザシアニン」の発見は、純粋な青バラ作出を目指す育種家にとって一つの希望を示したといえます。

日本におけるバラ
日本で作出されたバラの一つ「朝雲(あさぐも)」
近代前日本はバラの自生地として世界的に知られており、品種改良に使用された原種のうち3種類(ノイバラ、テリハノイバラ、ハマナシ)は日本原産です。
古くバラは「うまら」「うばら」と呼ばれ、『万葉集』にも
「みちのへの茨(うまら)の末(うれ)に延(ほ)ほ豆のからまる君をはかれか行かむ」
という歌があります。
常陸国風土記』の茨城郡条には、
「穴に住み人をおびやかす土賊の佐伯を滅ぼすために、イバラを穴に仕掛け、
追い込んでイバラに身をかけさせた」とあります。
常陸国にはこの故事にちなむ茨城(うばらき)という地名があり、
茨城県の県名の由来ともなっております。

江戸時代初期に、仙台藩の慶長遣欧使節副使・支倉常長が西洋からバラを持ち帰りました。
そのバラは、伊達光宗の菩提寺の円通院にある光宗の霊廟「三慧殿」の厨子に描かれたため、同寺は「薔薇寺」の通称で呼ばれるようになりました。

江戸時代には身分を問わず園芸が流行りましたが、バラも「コウシンバラ」
「モッコウバラ」などが栽培されており、江戸時代に日本を訪れたドイツ人ケンペルも
「日本でバラが栽培されている」ことを記録しております。
また、与謝蕪村が「愁いつつ岡にのぼれば花いばら」の句を残しております。

ノイバラの果実は、利尿作用があるなど薬用に利用されました。

紫雲(鈴木省三 1984作、大輪・四季咲き HT)
明治以後このように日本人にゆかりのある植物ですが、バラがいまのように
「花の女王」として愛好されるようになるのは明治以降になります。
明治維新を迎えると、明治政府は「ラ・フランス」を農業試験用の植物として取り寄せ、青山官制農園(いまの東京大学農学部)で栽培させた。馥郁とした香りを嗅ごうと見物客がしばしば訪れたので、株には金網の柵がかけられたといわれております。

まだ、バラは西洋の「高嶺の花」でした。

その後、バラが接ぎ木で増やせることから、優秀な接ぎ木職人のいる東京郊外の川口市の安行や京阪神地域の郊外・宝塚市山本で栽培が行われるようになりました。
バラは皇族、華族、高級官僚といったパトロンを得て、日本でも徐々に愛好され始め、
生産量も増え始めました。
大正から昭和のころには一般家庭にも普及し、宮沢賢治が「グリュース・アン・テプリッツ(日本名:日光)」を愛し、北原白秋の詩にもバラが登場しております。

第二次世界大戦で日本でもバラの栽培より野菜の栽培が優先され、生産が停滞します。

第2次世界大戦以後
しかし、戦後すぐの1948年には銀座でバラの展示会が開かれました。
さらに1949年には横浜でバラの展示会が開かれ、そのときにはアメリカから花を空輸して展示用の花がそろえられたのです。
鳩山一郎や吉田茂などのバラの愛好は、戦後日本でのバラの普及に大いに貢献しました。
このように戦後の高度成長の波に乗り、バラは嗜好品として庶民にも普及していき、日本でも品種改良が行われるようになりました。また、鉄道会社が沿線開発の一環として、
バラ園の造営を行うようになり、各地にバラ園が開園されました。

バラ園の造園
バラの価格が安くなり、一般に普及し始めたとはいえ、花の観賞を楽しむことができるのは、庭を持つ比較的裕福な家庭に限られていた。そのため、私鉄各社は沿線開発の一環として、バラ園の造営を沿線に行い、利用者の増加を図ることになりました。

その嚆矢は京阪電鉄でした。同社は戦前から枚方市で菊人形の展示などをおこなっており、
キクが秋の風物であるなら、春の風物として独自のバラ園でのバラの展示をし、集客を計画した。同社は「東洋一のバラ園」の造園をぶち上げ、当時、日本人ではただ一人の英国園芸協会会員で、バラの導入や品種改良で実績のあった岡本勘治郎をバラ園造営の監督に迎え、
「ひらかたばら園」を開園するに至りました。
その後、社名が京阪薔薇園になりました。

切り花の普及
日本ではバラは花卉としてはキク、カーネーションと並ぶ生産高があり、
ハウス栽培で年中市場に供給されるようになりました。
※薔薇の種類やバラ園は省略いたします。

《基本情報まとめ》
・薔薇(ばら)科。
・学名 Rosa : バラ属
 Rosa(ローザ)は、ギリシャ語の「rhodon(バラ)」や
 ケルト語の「rhodd(赤色)」が語源。
・開花時期は、 5/ 1 ~ 11/25頃。
 春(5~6月)と秋(10、11月)に咲くものが多い。
 
・いろいろ種類があります。
・とげのある木の総称がうばら」または
「いばら」(茨)が、「ばら」に略されました。
 (「茨」は”とげのある、つる草”を総称したもの)
・甘い香り。
 香水の材料にも使われております。
・草丈が20~30cmで、花の大きさが3cmぐらいの
 小さい薔薇を一般に「ミニ薔薇」と呼びます。
 たくさん花をつけます。
・古代から、繁栄と愛の象徴とされました。
 ギリシャ神話では、愛と美の女神の「アフロディーテ」が
 海から誕生したときに、大地がそれと同じぐらい美しいものとして、
 バラの花を作ったとされております。
 ギリシャ時代には、ビーナスに結びついて、「愛と喜びと美と純潔」を
 象徴する花とされ、これが、花嫁が結婚式にバラの花束を持つ風習に
 つながったとされております。
・ギリシャの叙情詩人
 アナクレオンが、紀元前6世紀(2500年前)に、
 「バラなる花は恋の花、 バラなる花は愛の花、バラなる花は花の女王」
 と唄っております。
・ローマ人は、一輪のバラを天井につるしてその下でした話は一切秘密にする、
 という約束を守ったので、「バラの下で」という言葉が「秘密に」という意味に 
 なって今に残っております。
・イギリス王室の紋章になっております”
 チュードル・ローズ”は、王位継承をめぐって
 ランカスター家とヨーク家の間に 起こった「バラ戦争」(14世紀)のあとで
 両家が結ばれて赤バラと白バラを組み合わせた紋章となったもので、
 このバラがイギリスの国花となりました。
・英語の「ローズ」の語源はケルト語の「赤い」という意味に由来します。

・イギリス、ルーマニア、
 ブルガリア、ポルトガル、
 ルクセンブルグ、モロッコ、
 サウジアラビア、    
 イラン、イラク、などの国花。
・茨城県の県花(薔薇)
・1月19日、2月10日、
 3月26日、4月11日、
 5月14日、6月17日、
 7月4日、8月3日、
 9月26日、11月15日、
 12月25日の誕生花
        (薔薇) 
 (色は、
  1月は白、2月赤、
  3月ピンク、4月オレンジ
  5月白、6月ピンク、
  7月黄、8月朱赤、
  9月淡紫、
  11月薄オレンジ、12月赤)

 10月11日の誕生花(蔓薔薇)
 10月22日の誕生花(ミニ薔薇)

 「紅ばらの花ゆくりなくぱっと真紅にひらきけるかも」
                      北原白秋
 「ほいいままという人言はさもあらばあれくれなゐ深きばらを愛でつも」
                      斎藤茂吉
 「くれなゐの二尺伸びたる薔薇の芽のやはらかに春雨のふる」
                        正岡子規
 「薔薇深くぱあの聞(きこ)ゆる 薄月夜」正岡子規 


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ウィキペディアその他より
必要に応じて加筆・訂正致します。

菖蒲(しょうぶ)

2014年05月10日 07時00分31秒 | 花の神話と伝説
別 名 「菖蒲草(あやめ草)」

花言葉  「やさしい心」「忍耐」「あなたを信じます」「あきらめ」 
季 語  「仲夏」
子季語  「白菖、水菖蒲、あやめ、あやめぐさ、菖蒲髪 」
関連季語
「かきつばた、あやめ、花菖蒲、菖蒲湯、菖蒲葺く、菖蒲引く、菖蒲酒」

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解説
・端午の節句になくてはならない水辺の草。
・水中から剣のような緑の葉をのばし、夏に黄緑の小花をつけます。
・葉には芳香があります。
・邪気を払う植物の一つであり、端午の節句には菖蒲湯を立て菖蒲酒を作ります。
・古くは「あやめ」「あやめ草」といわれておりました。
「来歴」 『花火草』(寛永13年、1636年)に所出。
文学での言及
白玉を包みて遣らばあやめぐさ花橘にあへも貫(ぬ)くがね 
                   大伴家持『万葉集』
ほととぎす鳴くや五月のあやめぐさあやめも知らぬ恋もするかな よみ人しらず
                       『古今集』
実証的見解
サトイモ科ショウブ属の多年草。
日本全国の池や沼などに繁茂します。
水中の泥に根茎が横たわり、そこから芳香のある剣状の葉がのびます。
五月から七月にかけて、茎の途中から黄緑色の肉穂花序(棒状の花)を出します。

ショウブ(菖蒲、Acorus calamus)
・池、川などに生える単子葉植物の一種。
・クロンキスト体系ではショウブ科(新エングラー体系などではサトイモ科)の
ショウブ属に属します。
・ユーラシア大陸に広く分布し、日本を含め東アジアのものは
変種 A. calamus var. angustatusとされます。
薬草、漢方薬としても用いられております。
特徴
・茎は湿地の泥の中を短く横に這い、多数の葉をのばします。
・葉は左右から扁平になっております。
・花は目立たず黄緑色の肉穂花序で5月ごろ咲きます。
・花茎は葉と同じ形で、花序の基部には包が一枚つきますが、これも花茎の延長のように伸びるので、葉の途中から穂が出たような姿になります。

菖蒲湯
・中国では古来より、ショウブの形が刀に似ていること、邪気を祓うような爽やかな香りを持つことから、男子にとって縁起の良い植物とされ、家屋の外壁から張り出した軒(のき)に吊るしたり、枕の下に置いて寝たりしておりました。
・日本でも、奈良時代の聖武天皇の頃より端午の節句に使われ始め、武士が台頭してからは「しょうぶ」の音に通じるので「尚武」という字が当てられるようになりました。
(勝負にも通じる)。
また、芳香のある根茎を風呂に入れ、菖蒲湯として用いられております。
漢方薬(白菖、菖蒲根)にもなっております。

同じ「しょうぶ」の名前をもち花の咲くハナショウブと
混同されることもありますが、両者は全く別の植物です。

古くは現在のアヤメ科のアヤメではなく、この植物ショウブを指して
「あやめ」と呼んでおりました。

近縁のセキショウ(石菖)はやや小柄な、深緑色の草で、渓流ぞいにはえます。
根茎は、昔から薬草として珍重されており、神経痛や痛風の治療に使用されました。
蒸し風呂(湿式サウナ)では、床に敷いて高温で蒸す状態にして
テルペン(鎮痛効果がある)を成分とする芳香を放出させて皮膚や呼吸器から
体内に吸収するようにして利用します。

「軒菖蒲(のきしょうぶ)」
端午の節句(5月5日)の頃、屋根の端に菖蒲やヨモギの葉を吊るして
邪気を払う風習。
伝説
葉の香りが強いため、古くから魔よけの効果があるとされ、ヨモギと一緒に
家の軒にさせば、邪気を払ってくれるとか、葉の形が剣にも似ているので、
病魔を退けられると信じられておりました。
    

《基本情報まとめ》
・里芋(さといも)科。
・学名
  Acorus calamus
    var. angustatus
   Acorus : ショウブ属
   calamus : 管の
   angustatus : 狭い、細い
 Acorus(アコラス)は、ギリシャ語の「a(否定)+coros(装飾)」が語源。
 「美しくない花」の意味からこの名がつきました。。
    (他にも諸説あり)
・漢名の「菖蒲」を音読みしたもの。
・「菖蒲」と書いて「あやめ」と読ませることもありますが、本来は「菖蒲」は
 こちらの植物を指します。<参考> 文目(あやめ)。
 ちなみに「花」をつけると花菖蒲。
・沼、川などの水辺に群生します。
・初夏に、うす茶色の花を咲かせます。
 花が咲く場所は変わっていて、 葉っぱの途中に花穂をつけます。
 ちょっと見た目には空中に浮いているように見えます。
・葉は剣状で、かすかに芳香あります。
 端午の節句(5月5日)の日に、菖蒲の葉をお風呂に入れる風習があり、
 薬効と香りによって、邪気を払うといわれる。(菖蒲湯(しょうぶゆ))。
 尚武(しょうぶ) → 菖蒲(しょうぶ)
 <参考> 柚子湯(ゆずゆ) → 柚子(12月)
・「ほととぎす今来鳴き初(そ)む 菖蒲草(あやめぐさ)
  かづらくまでに 離(か)るる日 あらめや」 万葉集 大伴家持

 「ほととぎす待てど来鳴かず菖蒲草(あやめぐさ) 玉に貫(ぬ)く日を
  いまだ遠みか」 (菖蒲草(あやめぐさ) = 菖蒲(しょうぶ))
                        万葉集 大伴家持
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http://www.tcct.zaq.ne.jp/bpbuv603/ayameguea-1.html
花のこと(花の匂う)より
菖蒲草(1)                
万葉集や古今集には菖蒲草(あやめぐさ)がたくさん詠まれている。これは花が綺麗なアヤメやハナショウブではなく、セキショウやショウブである。古代の人はなぜこんな地味な草に興味を示したのだろう。この地味な草を調べていくと、照葉樹林帯に属するわが国の民俗と信仰、とりわけ女の象徴としての意味がそこにあったことに気がつく。以下、何篇かに分けてこの草に象徴された古代の民俗を辿ってみることにしよう。            
    (一) 節句  
 まず、今では男の子の祝いになっている端午の節句が、昔は女の節句だったということから始めてみよう。こう云うと逆説めくが、これが女の節句であったことは、すでに大方の認めるところで、疑う余地はないのだが、その根拠になっているのが、この節句に一貫して使われてきた菖蒲草が、古代は女の祈りにつながる草だったということである。
 
草を調べて昔を知るというとおかしいようだが、これがおかしくないのは、わが国の古代は精霊信仰が行われていた時代で、草や木には霊魂が宿っていて、人々はそういう草木と語り合いながら暮らしていたからである。そして、節句や年中行事などに使われた草には,信仰の跡がまだ残っているからである。
 
節句というと、もう桃の節句か端午の節句ぐらいしか思い出さなくなったが、五節句といって人日(じんじつ)(一月七日)、上巳(じょうし)(三月三日)、端午(たんご)(五月五日)、七夕(たなばた)(七月七日)、重陽(ちょうよう)(九月九日)の五つがあり、江戸時代には庶民が祝う休日に定められていた。もっと前は律令で定めた宮中の行事で、朝廷で祭られていたのだが、次第に民間に下りてきて、江戸時代にはもうすっかり庶民の祝いになっていた。その間、いろいろな風俗が入り混んで、この端午の節句が最もよい例なのだが、意味や祝い方がすっかり変わってしまった。特に、武者人形や雛人形を飾るようになってからは、商業主義が強く反映されて、元の意味が忘れられてしまった。しかし、上巳の桃、七夕の竹、重陽の菊のように、季節の花を節物にすることだけは昔から変わっていない。端午の節物は菖蒲草で、この草から偲べる昔の節句の姿を少し探ってみよう。
 
 節句はもともと中国の祭祀で、暦と一緒にわが国へ渡ってきたものである。古代、宇宙や天体の運行は神秘なもので、暦を定めて季節を祭るのは天子の大切な仕事であった。中国では奉朔(ほうさく)(朔は暦)ということが行われていて、暦を貰った天子は、授けてくれた天子の祭祀を受け入れることになっていた。暦による一種の支配関係である。
 
 わが国でも暦の導入は古くから試みられたが、制度に暦法が組み入れられたのは持統天皇の御世で、節句もその時、律令で定められて宮中の正式な祭祀になった。大和朝廷が祭祀の主要な部分を中国から入れていたことは認めざるを得ない。節句が宮中の行事だったのは、この種の祭祀は天子が祭るものだったからである。
 
 大麻暦というのは伊勢神宮が発行している暦だが、これを見ると神宮の祭祀スケジュールのほかに、農作業の時期と段取りが細かく指示されている。暦は季節の運行を告げるものだから、農耕社会にあっては必然的に農業暦の役目を果たしていたわけで、稲作の社会に、神道と中国の祭祀を携えて立っていた大和朝廷の性格を見る思いがする。
 
 仏教や中国の祭祀が入ってくる前のわが国の信仰は、穏やかな自然信仰であったと思う。かつて、蘇我氏と物部氏の争いを仏教と神道の争いと教わったが、今では政権をめぐる権力闘争だったと見直されているように、わが国の古代には異国の神との争いがない。節句はきわめて穏やかに日本に入ってきた。そして、わが国の風土に融和し、姿を変えて季節の祭りとして定着していった。端午の節句はもっとも親しまれた節句で、早くから庶民化して、さまざまに独自な風俗を作ってきた。

   (二) 端午
 端午の節句、尚武(しょうぶ)(菖蒲)の節句、あるいは五月の節句とも呼ばれるこの節句は、比較的早くから庶民に親しまれて、いろいろな世俗がなかに混じりこんでいる。菖蒲を尚武と勝負にかけて、男の節句に変えてしまったのは武家社会だが、その飾りになった武者人形は江戸時代になってから出てきたものである。蓬(よもぎ)で作った人形(ひとがた)に厄を移して流したのが原型だというが、鎧や兜、幟(のぼり)などが作られて祝いは次第に装飾的になってきた。そして人形作りが町人の職業になると、時代の風俗を映した人形が出現して、節句は商業主義の影響を大きく受けるようになった。武者人形・鯉幟・柏餅などの節句グッズが整い、尚武の奨励は江戸期のみならず、明治の富国強兵の国策下でさらに拍車がかかり、終戦までそれは続いた。
 
 端午は最初の午の日という意味で、午が五に通じるところから五日になり、さらに高じて五月に定着したという。日本へ入ってきた時には、その意味がすでに固まっていたのだが、菖蒲草が節物になったのは、香気の草が、邪気を払い長生きの祈りに使われたからといわれる。
 
 初夏に草花を飾って祈る祭りには、今宮神社の「やすらひ祭」や率川(いざかわ)神社の「三枝(さいぐさ)(百合)祭」がある。そしてその信仰のもとには三輪山の花鎮(しず)め(鎮花祭)がある。花から出てはびこる活霊を鎮めて、病悪や害虫を防ぐために祈るもので、中国思想の影響があるというが、花の多い日本にはまことにふさわしい祭である。この時期の草花には成長の精気がみなぎっていて、端午の菖蒲草や蓬にも、邪気をはらうばかりでなく、草の精気に触れて、生長にあやかる願いがこめられていたのかも知れない。
 節の花である菖蒲草は、この時季の薬草だから、湯に入れたり(菖蒲湯)、酒にしたり(菖蒲酒)、煎じたりして、薬効が広く利用されていた。しかし、本質はこれから述べようとする、これを軒端に挿して祈ったり、蘰(かづら)にして被ったりしたことのほうで、この儀礼が節句の中心をなす信仰と深いつながりをもっていた。 
 菖蒲草は万葉集では十二首に詠まれていて、それを見ると、菖蒲草が端午の節物であったことや、その日にあった行事を知ることができる。
 霍公鳥(ほととぎす)待てども来鳴かず菖蒲草玉(たま)に貫く日をいまだ遠みか
 霍公鳥いとふ時なし菖蒲草蘰(かづら)にせむ日此ゆ鳴き渡れ
 霍公鳥来鳴く五月の 菖蒲草 花橘に貫き交へ 蘰にせよと
 白玉を包みて遣らば菖蒲草花橘に合へも貫くがね
 四首だけ揚げてみたが、特長的なのは、菖蒲草は決して単独では歌われず、必ずなにか他のものと一緒に歌われていることである。他のものというのは霍公鳥(ほととぎす)・花橘(はなたちばな)・蘰(かづら)・珠玉(たま)・蓬(よもぎ)などで、特に、霍公鳥と橘とは密接な関係を持っていた。十二首を調べると、いろいろに枝葉はついていても、内容は「霍公鳥 来鳴く 五月の 菖蒲草 花橘 蓬を珠玉に貫き 蘰にせむ日」に尽きる。
 意味は「霍公鳥が来て鳴く 五月の日に 菖蒲草と花橘と蓬を 珠玉に貫いて蘰にし 頭に被る」ということで、菖蒲草の歌はすべてこの趣旨で一貫している。この五月の日というのが端午の節句で、この日に菖蒲草は橘や蓬と一緒に蘰に作られて、頭に被られたのである。
 初夏の季節信仰だから、この季節のものが歌に登場してくる。時鳥は万葉集では霍公鳥と記されて、この時季に来て鳴く霊鳥であった。また橘も、この時季に咲く常世の国の木であった。いずれも古代の重い言霊を秘めた鳥と木で、菖蒲草はこれらと霊的な関係で結ばれて、信仰の世界で重きをなしていた。
  
   (三)水辺の神
 菖蒲草の仲間を、もっとも親しい時鳥(ほととぎす)から眺めてみよう。時鳥は万葉集では霍公鳥(ほととぎす)と書いて、菖蒲草と橘と卯の花が咲く時季に飛んできた。たまに藤や楝(せんだん)に止まることもあるが、万葉では圧倒的にこの三つに来て鳴いている。霍公鳥には托卵(たくらん)の性質があって、鶯の巣へ卵を生み放して自分では育てない。この特異な習性のほかに、鳴声や姿から、死人の霊魂を運ぶ冥途の鳥で、霊魂を鎮める力を持つと信じられていた。
 次に、橘(花橘)は常世の国から渡ってきて、清浄な言霊をやどし、長寿が祈願された古代随一の霊木であった。また、卯の花は田の神が水田へ降りてくる時の招ぎ代で、田植えの時期や稲の実りを知らせる大切な木であった。いずれも菖蒲草と同じ初夏に咲いて、霊がやどる木として崇められていた。
 霊鳥である霍公鳥はこの時季に渡ってきて、他には止まらず、もっぱら霊魂がやどるこの三つに止まって鳴いたのである。菖蒲草・花橘・菖蒲草・卯の花、このセットはいずれも生命が躍動する五月に咲いて、その中心が端午の節句なのだが、霍公鳥を中心にする霊魂で結ばれていた木と草であった。
 それでは、菖蒲草にはどんな霊が宿っていたのだろうか、日本民俗語大辞典には次のような解説がある。
『宮中ではアヤメの輿(こし)によって、水辺の神を誘い込んで祭ることになっていた。水辺の神は女性によって奉仕されていたゆえに、水辺の花で人間の生殖器に類似型のものがあれば、それを物忌みのしるしとしたり、魔除けに利用した。五月の端午のアヤメグサ・カキツバタ・シャガなど一連の花を、各地の盆歌に「盆ぼんぼんは 今日あすばかり あしたは嫁のしおれ花 萎えた草を櫓へ上げて 下から見れば あやめぐさ あやめぐさ」などと、女性の隠し所の象徴とする理でもあるが、水中根生のものは、物の性格を転向させる呪術用のものであった』 
 つまり、水辺の神を招いて奉仕したのがアヤメの輿にいた女性で、菖蒲草を仰ぐ形を女性の隠し所をみて、生殖と霊転生の呪術に使う草として崇めていたというのである。性器の崇拝は原始社会においては何処でも行われていたもので、豊穣を願う祈りの原型でもあった。菖蒲草が端午の節物だった理由に、ここで見る女性の美と生殖への賛美と、大地母神への信仰があったことは見逃せない。端午の節句が女の節句であったことはこの辺からも分かる。
 次に「球(たま)に貫(ぬ)き 蘰(かづら)にせむ・・・」に移ろう。これは「宝石のように紐に通して 蘰をつくる・・・」という意味である。蘰は草木を巻いて頭に被ったもので、装飾的な意味もあるが、草木に宿る神を崇めるアニミズムの風俗であった。花にこもる神の霊を頂き、その霊力を浴びて、神との合体を願う祈りが込められていた。歌にある白玉は真珠のことで、真珠も花も美しいものは紐に通して挿頭(かざ)したり 首や腕に吊るされた。だが、菖蒲草の花はあまり美しくないので、使われたのは香りが目的で、花のほうは花橘が受け持ったのだろう。
 菖蒲草は蘰になって女ばかりでなく、贈られて男の頭にも被られた。この蘰を作って被ることが、端午の節句の大切な儀式だったのである。           

   (四)薬玉
 菖蒲草は蘰(かづら)になって端午の節句に被られたのだが、薬草としての評価が高かったこの草には、「珠(たま)に貫(ぬ)く」という表現にもう一つ重要な意味があった。それは薬玉(くすだま)のことである。
 この頃「薬日(くすりび)」と呼ぶ日があった。五月五日のことだが、人々はこの日に「薬狩り」と称して、野山へ出て薬草を摘むのを習いとしていた。薬玉は採集した薬草を束ねて、蓬(よもぎ)と菖蒲草を垂らし、香料を入れた小袋をさげ、それを五色の糸で飾った草の玉である。典型的な中国の形で、この習慣が中国から渡ってきたことを示している。
 薬玉は今でも開店や進水式など、物事のスタートを祝うのに使われているが、もともとは不浄を払う香りの高いもので、割った後の形が原型に近い。端午の節句は薬玉を柱など高いところに掛けて、周囲を清める日でもあった。歌にある「菖蒲草 球に貫く日・・」は五日のことで、菖蒲草は深く五月の節句と結びついていたのである。

 「聖武天皇の天平十九年五月、太上天皇(元正帝)詔して曰く、昔、五月の節句、菖蒲草を蘰となし常に用いしが、此の来、このこと已に停む 今より後 菖蒲蘰(あやめかづら)をせぬ者 宮中に入る勿れ」。これは続日本紀にある記述で、かつて行われていた蘰の習慣が緩んできたので、この復活を命ずる朝廷の意向を伝えている。これが女帝である元正帝から出ているのは、菖蒲の殿で水辺の神を祭るのが女官たちの役目で、その祭祀に必要な菖蒲蘰の着用に女帝が特に執心したことを偲ばせる。
 菖蒲草・蘰・女・水辺の神。五月は田圃へ水を入れる大切な月で、水辺に咲く草や花の季節でもあった。この菖蒲蘰着用の令は平安期になってからも発せられたが、次第に理知的になっていく平安の人々に効き目はなく、菖蒲蘰だけでなく、蘰の習慣は次第に衰えていった。
 ここで菖蒲草そのものに触れておこう。当初に述べたように、ここで云う菖蒲草は、今私たちが見ている、花が綺麗なアヤメやハナショウブではない。サトイモ科のショウブ属に分類されているショウブ(菖蒲)とセキショウ(石菖)である。五月頃出てくる肉穂状の花序は花か葉か分からず、お世辞にも美しいとは云えない。同じサトイモ科には、ミズバショウやザゼンソウのような草もあるのに、これは一向に目立たぬ花である。こんな平凡な草に、なぜ古代の人が大切な信仰を寄せたのだろう、理解に苦しむが、眺めてきたように、草から発する香気を尊び、豊穣の祈りにつながる女の生殖をここに見ていたからだろう。
 この時代、花の美しいアヤメはまだない。アヤメ科のアヤメ・キショウブ・ハナショウブが出てくる前である。ハナショウブの原種であるノハナショウブが現れたのが室町期だという。そして江戸時代になるとアヤメもハナショウブも出揃ってくるのだが、これらへの呼称は必ずしも明確ではなく、また「花菖蒲」という表現は、これらの混在を許すのに都合の良い言葉であった。
 したがって、古代・中世の歌に詠まれた菖蒲草はショウブかセキショウである。このことを忘れて古典を読むと、ハナショウブやアヤメが昔から色美しく咲いていたような錯覚に陥るのだが、菖蒲草は美しくなく、あくまで香りか、あるいはこれから述べる根に意味があった草で、信仰の面が強かったことを心に留めておくべきである。

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その他ウィキより掲載
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花水木(はなみずき)

2014年04月28日 22時41分30秒 | 花の神話と伝説
別 名: 「アメリカ山法師(やまぼうし)」
英 名: (Flowering dogwood)

花言葉 「返礼」「私の思いを受けて下さい」「華やかな恋」
     「おだやかな心」「公平にする」
季 語: 「晩春」

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桜が終わると、庭や街路でピンクや白い花のハナミズキが咲き出します。
真っ赤な実や紅葉も鮮やかです。
1912年(明治45年、大正元年)、
東京市からアメリカ・ワシントン市へ3,000本の桜苗木が送られました。
それから3年後の1915年(大正4年)、桜の返礼としてアメリカから東京市へ
白花のハナミズキ苗木40本が贈られてきました。
その後、ピンクのハナミズキも贈られました。

ハナミズキ(花水木、学名: Cornus florida)は、
ミズキ科ミズキ属ヤマボウシ亜属の落葉高木。
名前の由来
ハナミズキの名は、ミズキの仲間で花が目立つことに由来します。
また、アメリカヤマボウシの名は、
アメリカ原産で日本の近縁種のヤマボウシに似ていることからつけられました。

形態・生態
・樹皮は灰黒色。
・葉は楕円形となっている。秋には紅葉する。
・花期は4月下旬から5月上旬で、白色や薄いピンク色の花をつけます。
但し、花びらのように見えるのは総苞で、中心の塊が花序です。
実際の花は、4弁の直径5mm程度の目立たない花が集合して、順次開花します。
・秋につける果実は複合果で、赤い。
分布
北アメリカ原産。
日本における植栽は、1912年に当時の東京市長であった尾崎行雄が、
アメリカ合衆国ワシントンD.C.へサクラ(ソメイヨシノ)を贈った際、
1915年にその返礼として贈られたのが始まりです。
この話は、1981年改訂版の日本の中学生向け教科書『NEW PRINCE』中3版でも
エピソード的に取り上げられております。
なお、2012年にサクラの寄贈100周年を記念して、
再びハナミズキを日本に送る計画が持ち上がっております。

人間との関わり
・庭木のほか、街路樹として利用されております。
・栽培する際には、うどんこ病などに注意しなくてはいけません。
また、アメリカシロヒトリの食害にも遭いやすい。
ハナミズキの深刻な病害であるハナミズキ炭疽病の感染地域では、
感染によってハナミズキの街路樹が枯死すると、
ハナミズキ炭疽病に抵抗性があるヤマボウシまたはハナミズキのヤマボウシ交配品種に植え替える病害対策が行われることがあります。

ハナミズキは英語では dogwood と呼ばれております。
dogwood の語源には諸説ありますが、
一説には17世紀頃に樹皮の煮汁がイヌの皮膚病治療に使用されたためと言われ、
他には、木製の串(英古語: dag, dog)を作る材料に使われる堅い木であったことからとも言われております。ただし、イヌの皮膚病治療に使ったとされる dogwood は、同じミズキ科の植物でもセイヨウサンシュユ(英語版)と考えられており、ハナミズキとは異なります。

《基本情報まとめ》
・水木(みずき)科。
・学名 Cornus florida
    Cornus : ミズキ属
    florida : 花の目立つ
 Cornus(コーナス)は、ラテン語の「cornu(角)」が語源。
 材質が堅いことから。
・開花時期は、 4/10 ~ 5/10頃。
・北アメリカ原産。
・水木の仲間で、花が目立つのでこの名前になりました。
・秋につける赤い実と、紅葉も見事です。
・花水木は、東京市長の尾崎行雄氏がアメリカのワシントン市へ
 桜を寄贈した御礼として、1915(大正4)年にアメリカから贈られたのが最初です。
 その後、全国に普及しました。
・別名は「アメリカ山法師(やまぼうし)」は、アメリカから渡来したときに、
   日本の山法師に似ているのでとりあえずこの名前がつけられました。
・英名では「ドッグウッド」。
 花水木の樹皮を煎じて犬のノミ退治に使ったことから名づけられました。

・東京周辺の見どころ
 <日比谷公園>
   オフィス街の中。
   明治時代からの歴史のある公園。
   花見頃4月下旬~5月上旬。
   千代田区日比谷公園。
   最寄駅は地下鉄日比谷線日比谷駅

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