何だろう…
この癖になる感じ(-"-)
舞台上の左團次さんも素敵だし
TVで、気のない風に話す左團次さんも素敵☆
ずっと見て居たい・・・聞いていたい・・・そんな方です。
『いい加減、人生録 市川左團次』電子書籍PV
何だろう…
この癖になる感じ(-"-)
舞台上の左團次さんも素敵だし
TVで、気のない風に話す左團次さんも素敵☆
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『いい加減、人生録 市川左團次』電子書籍PV
子供の頃、口ずさんだ歌の一つに…。
『案山子』という唱歌がある。
この季節になると、何故だか思いだす。
子供の頃、皆と合唱してる最中
「なぜ?田畑の真ん中で害獣を追い払うために立っている人形のことを歌にしたのか?」
なんて疑問を抱きながら歌ってたのを思い出す。
『案山子(かかし)』の語源については諸説あるが、
一説によれば、獣肉を焼き焦がして串に通し、地に立て匂いを嗅がせて害獣を遠ざける「嗅がし(カガシ)」に由来すると聞いたことがある。
また、漢字の「案山子」は、元々中国の僧侶が用いた言葉で、
「案山」は山の中でも平らな場所を差し、「子」は人や人形を意味するという。
◆K28. 9月案山子 杉並児童合唱団
案山子 武笠三 山田の中の一本足の案山子 天気のよいのに蓑笠着けて 朝から晩までただ立ちどおし 歩けないのか山田の案山子 山田の中の一本足の案山子 弓矢で威して力んで居れど 山では烏がかあかと笑う 耳が無いのか山田の案山子
〈武笠 三〉
明治四年 当地にあ る氷川女体神社の神官 を代々勤めていた武笠 家の長男として
三室 村(現浦和市宮本)に 生れた。
東京帝国大学 卒業後 旧制四高, 埼 玉県第一中学(現浦和 高)
旧制七高で教鞭 をとる。
明治四十一年 文部省によばれ, 十七 年間にわたり国定教科 書の編さんにたずさわる。
「案山子」は第 二学年用として作詞。昭和四年没
♪雪やこんこ~の「雪」、♪出てこい池の鯉~の「池の鯉」なども、武笠三の作詞
鵜舟の篝火赤々と
世にも名高き長良川
その水上の越美線
郡上八幡名にしおう
三百年の昔より
士農工商おしなべて
泰平祝う夏祭り
音頭手拍子面白く
郡上おどり「松阪」
曲の解説によると…φ(..)メモメモ
「まつさか」は必ず最後に踊る曲になっている。これは、「まつさか」は拍子木と歌のみを伴奏にして踊る曲で終わった後は拍子木を懐に入れて帰って行くことができ、片付けの手間がないために「まつさか」が最後に踊る曲となっている。
郡上の「まつさか踊り」の囃子詞にある「ア、ヨイヤナ、ヤートセ」は伊勢音頭の「ヤートコセ、ヨーイヤナ」の変化したものです。踊りの手振りや足の運びかたが比較的単調であるのに、長い伝統をもっているということは、その歌詞が諸種の語り物から、地元の名所案内や、郷土の伝説などにつながる口説節になっていて、多くの人々から愛着をもって迎えられているからでしょう。
やぐら太鼓に
ふと目を覚まし
明日はどの手で 投げてやろ
嫁をおくれよ 戒仏薬師
小駄良三里に ない嫁を
盆じゃ盆じゃと
待つ内ゃ盆よ
盆がすんだら 何を待つ
郡上おどり「郡上甚句」
曲の解説によると…φ(..)メモメモ
江戸時代末期に流行した相撲甚句が地相撲の盛んであった郡上に伝わり盛んに謡われました。土俵入りの動きが曲にうまく納まるというおもしろい特徴ももっている。
甚句という盆踊歌は、地の句が鈍ったものといわれ各地の歌詞にもその地方で唄いつがれたものが多い。詩形は、ほとんど七・七・七・五調からなるもので囃子詞や節回しは、それぞれに異っており郡内でもまちまちです。
呑めよ騒げよ一寸先ゃ闇よ
今朝も裸の下戸が来た
花が蝶々か蝶々が花か
来てはちらちら迷わせる
若い娘と新木の船は
人が見たがる乗るたがる
一夜寝てみて寝肌がよけりゃ
妻となされよいつまでも
郡上おどり「さわぎ」
曲の解説によると…φ(..)メモメモ
元禄時代に流行した騒歌は、遊里で三味線や太鼓を用いて賑やかに唄ったもので、地方での騒ぎは、酒宴などで賑わしく唄い踊ったことをいったものです。また、江戸中期以降には、他所からの出入りを許された旅芸人などによって伝えられたものらしい。郡上では、この踊りに三味線も太鼓も入れないが、派手な手拍子と、ことさらに踏み鳴らす履物の音が勢いよく響いて見物衆を興奮させる。歌詞には、男女の情緒を唄ったものが多いのだとか。