カメラが故障ししばらく投稿できなかったが、ようやくカメラ新規購入で、再度投稿します。
遠山記念館に行ってきました。私の居所桶川から、荒川を挟んで西に約10キロの埼玉の田園地帯のただ中の、川島町に当記念館はある。当地出身の財界人の遠山元一が建てた和風建築と、隣接する美術館からなり、合わせて遠山記念館として公開されている。当記念館の来歴を画像で示す。

一家の貧窮から一旦手放した手放した家屋敷を買い戻し、母親のために、その居所として、現在の資金でおよそ120億円の巨額資金を投じて、和風の邸宅を建ててやり、現在それが遠山記念館として公開されているとの趣旨である。しかもその建築時期が、戦前の昭和5年から7年頃であったが、昭和金融恐慌から昭和恐慌へと打ち続く経済不況の真っただ中であり、こんな時期に巨費を左右しえた人物が埼玉県出身者にいたことに、留意したい。和風の邸宅の方は遠山邸と呼ばれるが、全国から銘木・銘材を取り寄せ、一流の棟梁が蘊蓄を傾け、広大な敷地を自由に使い3棟を渡り廊下で繋ぎ、いわば昭和を代表する和風建築となっている。画像で、おおよその配置図を示す。

中央の棟は中棟と呼ばれるが、そこの大広間に3月ということで雛飾りが展示されてるが、その豪華さが分る。画像で紹介するが、背景の障子板がガラスに映り見にくいが、立派な雛飾りである。


全国から銘木・銘材を取り寄せたといったが、その状況を画像で示す。

遠山邸の総合的な所見は、家族を大事にし、親や子供達を思う心の深さに打たれた。尚、遠山元一の長男は音楽評論家の遠山行一であり、次男は音楽指揮者の遠山信二で、それぞれ社会的に大きな活躍をした。
遠山記念館に行ってきました。私の居所桶川から、荒川を挟んで西に約10キロの埼玉の田園地帯のただ中の、川島町に当記念館はある。当地出身の財界人の遠山元一が建てた和風建築と、隣接する美術館からなり、合わせて遠山記念館として公開されている。当記念館の来歴を画像で示す。

一家の貧窮から一旦手放した手放した家屋敷を買い戻し、母親のために、その居所として、現在の資金でおよそ120億円の巨額資金を投じて、和風の邸宅を建ててやり、現在それが遠山記念館として公開されているとの趣旨である。しかもその建築時期が、戦前の昭和5年から7年頃であったが、昭和金融恐慌から昭和恐慌へと打ち続く経済不況の真っただ中であり、こんな時期に巨費を左右しえた人物が埼玉県出身者にいたことに、留意したい。和風の邸宅の方は遠山邸と呼ばれるが、全国から銘木・銘材を取り寄せ、一流の棟梁が蘊蓄を傾け、広大な敷地を自由に使い3棟を渡り廊下で繋ぎ、いわば昭和を代表する和風建築となっている。画像で、おおよその配置図を示す。

中央の棟は中棟と呼ばれるが、そこの大広間に3月ということで雛飾りが展示されてるが、その豪華さが分る。画像で紹介するが、背景の障子板がガラスに映り見にくいが、立派な雛飾りである。


全国から銘木・銘材を取り寄せたといったが、その状況を画像で示す。

遠山邸の総合的な所見は、家族を大事にし、親や子供達を思う心の深さに打たれた。尚、遠山元一の長男は音楽評論家の遠山行一であり、次男は音楽指揮者の遠山信二で、それぞれ社会的に大きな活躍をした。