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(新)漕ぐ、歩く、走る、我がボート人生徒然草

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学生時代の漕艇部活動を、停年退職後に再度始めた、その日々の記録

有朋自遠方来 不亦楽乎 (とも えんぽうよりきたるあり またたのしからずや)

2023-11-23 13:44:54 | 日記
 昨11月22日午後、都立王子工業高勤務時代の仲間が集まり、旧交を回顧する楽しい会がありました。場所は、東京池袋の東武デパート14階居酒屋御影蔵でしたが、2時間半の予定が余りの楽しさにたちまち時間オーバーして、ようやくおひらきでした。参加は7名で,4年前の前回に比し大分減ったが、コロナ終息すればまた増えそうです。当時は私も20代後半で、他も新卒で初勤務の者が多く、かつ皆独身で、学生時代の付き合いの延長のよな濃密な付き合いの時代でした。若い教員が、たいして年も変わらない生徒にどのように対応したか、教員間のチームワークや葛藤の問題など、教育論・教員間組織論など話題は止まることなかった。
 教育論で口火切ったのはM君でした。彼は、青雲の志抱いて長野の中学から都内高進学だったが、小中を過ごした長野時代の思い出を吐露した。とりわけ小学で4年間担任だった熱血かつ厳しい教師の思い出を、話した。一人の生徒が不始末すると、全員を前に立たせ往復ビンタ食らわせたが、校内外での温かい指導もあり、思い出深く影響も受けたと語った。これにイチャモン付けたのが、体育のS君だ。王子工高信任時代、生徒に舐めらえてはと同様の往復ビンタ食らわせたこともあったが、その後深く反省し、自分の行為を深く分析したと語った。ここから論議は教育問題で数十分にも及んだ。
 まあ、ビールや酒を飲みながらの話だから、硬い話ばかりでなく、話は多岐にわたった。次第に結婚問題などが身近かになると、当時に、如何に対応したかが話題にあがった。男子校で職員も生徒もほぼ男で、女性といえば事務室に高卒の若い女性が入ってくるくらいで、その中ででNさんやFさんが若い教員の憧れの的だった。今だから話せると、とっておきの話もでたが、実際にFさんと結婚にまで漕ぎつけたの体育のS君だけだった。又、当時は学生運動も華やかだったが、若者の間ではスキーブームだった。我らの若い教員も、毎週末はスキー板抱えて上越に、遠くは蔵王くんだりまで繰り込んだ。必ず蒸し返されのが、蔵王のユートピアゲレンデでのリフト端末での私のミスで、毎回赤面至りとなってる。リフト最終時間のミスから、体育S君、M君、英語のH君らとゲレンデを滑り降りることになり、忽ち夕暮れから夜となり、帰着j時間遅れで宿では救援隊出すかな騒ぎになった。酒の肴として必ずこの話が出るが、いい思い出だ。おひらきの時間も忘れ、延々と話しは続き、晩秋の小春日和の一宵を、すばらしく過ごせた。

 
 
 



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曇り後晴れ

2023-11-06 13:55:15 | 日記
 曇り後晴れ、森末さんの事もあり、今一つスッキリしないものを抱えながら、1987年工芸高校印刷科卒組のクラス会が、11月4日夕刻に上野駅前居酒屋“京の利休”で開かれました。森末さんを乗り越え、更に結束を固めていこうの趣旨もあったクラス会であった。参加は、男子8名、女子6名の計14名で、今回もなかなかの参加であった。話しを聞くと、経済不況やコロナ災禍など厳しい状況を乗り越え、皆懸命に生きてる様であった。会社経営してる者、雇われサラリーマンの者、家庭を切り盛りの者等々、その他それぞれが厳しい世情の中で、自分の持ち味を生かし生きてきたわけで、誰もが順風万歩でなかった。
 1987年卒業と記したが、丁度我が国も高度成長が終わり、好景気と好調経済も終わりの頃で、下る一方の経済苦境の30数年であった。K君なども、1日数万食の弁当製造会社勤務だが、コロナ禍の直撃受け、会社の形態や雇用状況なども直撃だったが、乗り越えてきたという。会社経営のS君も、コロナ直撃されたが、会社を大幅に整理して、絵本製造印刷会社として進んでるという。その他、皆それぞれが、厳しい時代を生きてる状況が表明された。最後に私の方から、下記の臨時のクラス通信を配布した。“らいらっく”通信とする名のクラス通信は、入学式日から卒業まで、基本は日刊体制で配布したが、卒業近い1987年2月19日の第305号で終っていた。今回、36年ぶりに306号を出した。

           
らいらっく    №306
2023.11.3
工芸高印刷科クラス通信

                 追悼 森末千晶君

  森末君は、工芸高で全力で学業に取り組み、部活に取り組み、社会人としても成功を収め、良き家庭に恵まれ、良きパートナーにも恵まれ、子供を愛し、地域を愛し、思い残すことない人生だったと思う。打ち込むことがある、愛すべき対象がある、人生の幸せはそこにあるだろう。数年前のクラス会で会い、話を交わし、握手して別れたのが最後であったが、最後の笑顔が焼き付いてる。森末君は、周囲の人々を愛し、また愛され、おおらかな人柄は周囲を和ませ、 森末君の居るところはいつも温かい春風が吹くようだったと思う。1984年入学工芸高印刷科では担任の私がクラス通信を発行したが、これとは別に生徒が週に一回自主的にクラス通信を発行た。
“Friday らいらっく”と名付けていたが、1984年11月30日号を、今回紹介する。森末君の人柄が分る。
 
 
当日のクラス会のスナップ2葉載せる。一枚目は、左から常本さん、岡野さん、藤波君。二枚目は、左から福島君、私、渡辺さん、宮沢さん(旧姓麻岡)である。




  

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千の風になって

2023-08-31 14:39:01 | 日記
 8月30日は悲しい日となった、森末(現姓竹下)千晶さんと別れの日となった。この日森末さんの通夜が、セレモニイホール西新井で夕刻6時よりあり、焼香に行ってきました。微笑んだ遺影は、有難うと声かけてくれてるようであった。彼女は、私が都立工芸高校教員時代に3年間担任した生徒であり、青春時代を共に過ごした忘れ難い生徒の中の一人である。バスケットボール部の中心メンバーとして各種大会でも活躍し、健康そのものがスポーツガールであった。その森末さんとは、卒業後もクラス会などで定期的に会う機会もあり、結婚とか家庭生活のことなども、ときには話した。その森末さんは病のことなど、一事も口に出すことなく、級友の誰もが気づかなかったが、実は10年程前から難病に罹り、それと苦闘してたとのことであった。御主人(中学時代の同級生)が昨日」話してくれたことで判明したが、、この十年は正に転移との闘いであり、大変だったらしい。娘さん(20才)とも同時に話したが、残していく事にさぞかし心残りだったろう。
 昨夕は通夜の会場には、工芸高の級友13名(男子7、女子6)が集まりお別れしたが、涙が止まらない者もいた。工芸高印刷科という、都立校では唯一ここしかない特殊な科だが、それだけに卒業後も結束力は強く、今でもクラス会等で交流深めてる。昨夕通夜会場を出た後西新井駅前の居酒屋で、級友だけの再度森末さんを偲びお別れの会を開いたが、思いでの話が次々出て、2時間という時間があっという間に過ぎた。献杯の音頭は広田君(産経新聞印刷局)がとったが、森末さん分のビールジョッキーを中央に置き声かけたから、多分彼女も一緒に飲んだ気がしてたろう。残暑も全く収まらない真夏葉月8月に、森末さんも喜んでくれたろう。
 集まった級友も、都内印刷業界等の中堅として活躍の者が多く、福島くん(株式会社東和プロセス社長、従業員80名)・杉山くん(同社技術部長)・柴崎くん(いたばし印刷株式会社 社長)等々など、多彩であった。森末さんのことは、我々の心に刻まれ、忘れそうにない。画像は、工芸高校2年の時の会津磐梯山方面の修学旅行時のワンショットで、右端で背を向けてるのが森末さんである。

 
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ローイングマシン購入

2023-07-29 18:03:07 | 日記
 これで充分、本格的エルゴメーターローイングマシンでなくとも、脂肪燃焼型ローイングマシン購入の件である。今回購入して、毎日楽しみながら使用してる。桐友会も長い夏休みに入り、オールから遠ざかる一方で、代替器具に迫られ思い切って購入となった。脂肪燃焼型といってもなかなかで、オールの引きの強さは16段階に設定でき、13~14段階目の強さは、筑波大艇庫の付属高エルゴメータークラスであるから侮れない。その他、スピード・タイム・距離・カロリー・パドル数・500mペースが表示で、結構十分である。  
 集団スポーツの典型のボートだから、単独ローイングマシンを楽しく漕ぐには、工夫がいる。と言うことで、画像に各地漕艇場を映しだし、ヴァーチャルで漕ぎ入れることにした。が、Kinomapアプリなどで有名な世界各地サイクリングやランニングのコースは、アクセス可能だが、ローイングは今のところ殆どない。そこでyouchubeで、ボート関連の映像を選び、歌の画像が多いが、楽しんでいる。一枚目の画像の、正面アプリの映像は琵琶湖だが、琵琶湖周航の歌の一場面である。
 桐友会クルーで琵琶湖遠漕の妄想に駆られるが、時計回りでなく反時計回りも面白そうだ。彦根から長浜くんだりで折り返せば、相当だろう。
            西國十番  長命寺
            汚れの現世  遠く去りて  
            黄金の波に  いざ漕がん
            語れ我が友  熱き心
 
というわけで、マシン購入で寝ても覚めても朝から晩までボート漕ぎが可能となったが、ボート漕いだ後は体調が実によい気がする。値段的にも、安くはないが手頃とも言え、効果を考えればバランスだ。3枚目の画像のように、使わない時は縦置きにできるから、場所はとらない。
 
 
 


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桐友会例会兼昭38年卒同期会

2023-06-22 20:39:51 | 日記
 3.6.22(木)戸田市筑波大艇庫内の土方ホールにて、桐友会例会兼昭38年卒同期会が行われました。ワインはスペインワインコンクール金賞(Won a gold medal at the Wine contest)とかで口当たりよく、飲んでも悪酔いしない逸品でした。日本酒は、当然に出羽桜の吟醸酒で、飲めば飲むほど仲野兄に話題が行き、中央にデンと置かれた出羽桜瓶が例の口調で、オレも話に参加させろと呼びかけてるようでした。画像をアップします。



梅雨の中休みだが、雲も垂れ込む戸田コース際で、気の置けない友と懐旧の談を交わす、なかなかの一時でした。まあ孔子先生も、遠方来不亦楽乎、モエンポウヨリキタルアリマタタノシカラズヤ と言ってるが、ソックリそのまんまの時間でした。孔子先生がここで言ってる友は、単なる飲み友達だけの意味ではないとでしょうが。自分と同じようなテーマ持ち、問題意識持ち、同じように時代を生きている同志がここに居た、その発見の喜びが込められてる気がする。まあ、理屈はさておい て、旨いワインや酒を飲めるのは、幸せであることは変わりない。この日の話題は、仲野兄については言及したが、各自の目下の関心事、趣味、健康、娯楽等々に及び、必ず遥かヒルトンヘッド在住の嶋田先輩にも言及となる。木造建築も築後10年越えると、各所の劣化が進み、メインテナンス費用がかさむ。ウッドデッキの大修理、2Fベランダの補修、シャワー室水回りの維持管理等々である。こうなると、画像中央の沢田兄など福の神に見えてくるが、遥か嶋田先輩の最近の喜捨にも話が及び、頭の下がる思いである。38年卒同期の富安兄は事情で参加できなかったが、次の機会に期待したい。



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