『育つ』と『育てる』の論争。
東大 中原淳氏のブログより引用
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「統合モデル」とよばれるモデルは、「組織側(外部)からの働きかけ」があってはじめて、社会化される人々の能動性が駆動すること」を明らかにしています。その上で「組織側からの働きかけ」と「人の能動的な学習」は交互作用(シナジーをうみだし)、学習を促進する、ということです。
つまり、こういうことです。
「育てる努力」があってこそ、「育つ」ということになりますね。
経験からの学習パラダイムにのった実証研究では、「挑戦を発揮し、経験から学ぶこと(つまり、勝手に自分で育つこと)」を実現するには、当人がどのような職場にいるかに依存することを明らかにしています。
すなわち、「組織側に十分な人のつながりがあり、セーフティネットがある場合、さらには挑戦したとしても、自分の存在自体がおびやかされない風土が確立している場」において、人は、「自ら育つ」のです。
そして、「自らを育もうとする人」を目の前に、他者は「支援」を差しのばすことが明らかになっています、すなわち「自ら伸びようと思う人を、人は育てます」。
育成機会は、常に均等に配分されているわけではありません。リソースも限られている中で、人は自らの育成資源(時間的資源)を、伸びようとする個人に配分します。というか、「自ら伸びようと思わない人」に支援を差し出すほど、暇な人はいません。
****引用終了****
中原氏は,最終的に,この2択の選択自体が疑問だとしている。
また,2択の問いかけ自体を疑問視することを解いている。