切れ切れ爺さんの徒然撮影&日記

主に寺院や神社等を中心に、文化財の撮影と紹介。
時に世の中の不条理への思いを発言していく。

独居癌爺さんのつぶやき・・・朋たち有り近場より来たる、亦た楽しからずや。 2021年10月9日

2021-10-09 23:08:59 | つぶやき


 標題については決してふざけたつもりではありません。しかし世界に名を残した孔子殿に謝っておかなければならないと思います。申し訳ありません。

 コロナの緊急事態宣言が解除されて、早速世の中の動きも慌ただしくなってきた。京都市内を走っていても観光バスが一気に目につくようになった。ニュースでは修学旅行を延期していた小中学校などが、一部再開され始めていると言う。また観光地においては期待する声が高まっている。もちろんこれでコロナが終息したというわけではないが、少なくとも緊急事態宣言が解除されたということ自体は、誰にとっても明るい気持ちになることは間違いないだろう。もちろんそれであっても、密を避けたりマスクをしたり消毒をしたり、最低限のことはしばらく続けなければならない。専門家たちはこの冬に第六派がやってくるのではないかと予想をしている。この緊急事態宣言の解除が一夜の夢に終わらないように、日々の生活に十分気をつけなければならないところだ。

 そして我々老人たちも早速動き始めた。学生時代の友人より、集まろうかと早速連絡あり。今日9日に3人で集まることになった。午前中に集合し伏見の大手筋の中で居酒屋に入り、ビール・串カツなどを頬張りながら、久しぶりの話に明け暮れた、とはいっても私自身は本来、炭酸とアルコールは厳禁の状態。まぁいっぱいくらいはいいだろうということで飲んだ。食べる方も少し食べて満杯という状態。
 この3人が集まると私自身を除いて、あとの二人が超真面目で難しい歴史を中心とした話になってしまう。そりゃそうだ。一人は老人大学院生で修士を目指している。もう一人は現役の中国の大学の先生。日本で小学校の先生を務めながら資格を取って、中国の大学に派遣されている。たまたま日本に帰ってきている時にコロナかが激しくなって、中国に渡れなくなってしまった。それでもまもなく1月には中国に渡ると言う。



 そんなわけで二人ともかなり歴史を中心に、専門的な話をして、しかもよく話が合うようで、堅い堅い話が延々と続く。私はそれを聞いてなるほどなんて思いながら頷く。これがいつものパターンだ。しかしこうしてお互い歳をとりながらも、情熱的にこのような堅苦しい話ができるというのも極めて貴重なことだと思う。本来年寄りが集まってする話といえば、糖尿病がどうのこうの、心臓がどうのこうの、腰が弱くなって歩くのにも杖がいる、どこどこの病院がいいらしいよ何て話ばっかりになるのが世の常だ。
 
 しかしこの3人ではそのようなネガティブ?な話はほとんど出ない。私なんぞ糖尿病も癌も腰痛も前立腺肥大も、いろんなものを持っている。友人の一人も糖尿病もあるし大酒飲みで、タバコも数十本毎日という有様だ。そういった意味ではとても長生きできるような人生ではない。しかしそんなことはお構いなしに、今現在自分自身が情熱を注いで取り組むことができるものを持っているということ自体が、老人であることを思わせない。やはり見た目にも実際にも若いのだ、と思わせるのに十分だ。そういう場にいると必然的に、自らもポジティブになっていくのがわかる。負けてはいられないという気持ちが高まるわけだ。

 居酒屋を出て喫茶店に入る。相変わらず堅苦しい話の続き。しかし同時にゆるゆるの話も出てくる。今ときめく女はいるのか、なんていう話だって出てくる。歳取ってから若い女性に対する好奇心や憧れ、あるいは惹かれるものがあるのかという意味では、正直なところ難しいものがあるのは事実だ。しかし海外では七十歳の老人と30歳くらいの女性が付き合って愛し合うなんていうことは、ごく普通にあると言う。レアケースではないらしい。その辺りはそれぞれの国々の文化的背景や社会的な、あるいは経済的な背景の土台そのものに違いがあるんだろう。ましてイタリアなど情熱的な国になると年齢関係なし、というのは当然の話となるものだと思う。

 日本においては長い歴史の中で、朝鮮半島の方から入ってきた儒教の影響はそこそこに大きく、または権力を握った者による儒教利用の支配というものが行われてきた背景がある。そういった意味で日本人独自の「おくゆかさ」というものが連綿と続いており、そこから抜け出せ切れないというのも一つの事実ではある。現代社会における核家族化・個人主義の是非はともかく、個々人が自分の好きな生き方、考え方をするということが広まってきた社会だとは言えるものの、その一方で犠牲にしているものも多々あるだろう。その辺りはある意味、今の若者が新人類であるという風な言われ方は、既に20年前くらいから行われており、今現在でも該当するんだろうと思う。
 そんな中、我々老人にとってみればある意味羨ましい話なのかもしれない。しかしそういう話ができるというのは、我々3人の数十年にわたる交友関係があったればこそのことだと言える。あくまでも空想に止まるかもしれないが、そういったことが現実の場において、目の前にやってくることだってないわけではないだろう。それを受け入れるかどうかは本人次第ではあるものの、少なくとも上記のようにこうして禁断?の話ができるのも、また楽しからずやと言うべきなのだろう。

 次回の再会がまた楽しみになった。


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