すごく昔は
何も考えずに
悲しい歌ばかりを
切ない歌とか
悲しい歌がなぜだか
引かれて
なんとなく叙情的で
なんとなくセンチメンタルで
切ない歌が好きだった
そんな歌をよく聞いたり
歌ったりしてたけど
この頃ついこないだまでは
そんな歌がなぜだか
なんだかそんな歌を
歌ってるとそんなふうになりそうで
そんな歌を予言しそうで
嫌になってきた
どっちかというと
うたいながらも
避けがちだったり
そらしたりしてただけど
今はその悲しい歌
こそが切ない歌こそが
いつだって緊迫した
いつだっていつ何時
何があるか分からないような
その
生と死の狭間
生き別れの狭間
その緊迫感は
いつだって忘れない方が
もしかしたら良いのかもしれない
浮かれているときに
限ってそれは必要かもしれない
何故かと言えば
多分忘れてしまうから
今この瞬間が
いかに大事でいつ消えて
なくなるかわからないかんけいを、
この今あるこの瞬間を
大事にしたくなるから
いつだって臨終前のいっぽ手前の
この先どうなるかわからない感覚で
走馬灯が
よぎる時のような
そんな感謝でしかない瞬間
どんなこともが
感謝に変わる瞬間がある
その瞬間忘れないためには
いつだってそのギリギリ感覚は
必要なのかもしれない
今はそんな感覚で
悲しい詩
悲しい曲を
かなしい話を
感じている時がある
浮かれすぎないように
なんとなく戒めるように
今瞬間を大事に
いつだってそれが忘れないように
そのために
そうならされている
かのように
なんとなく