Hi!みんな元気?いよいよ沖縄もこれが最後のレポートになるよ。他の記事が投稿できなくて困っていたから、寂しい反面ちょとほっとする。8月15日終戦記念日にNHKで米軍基地の番組を特集していた。米軍が基地を作るために沖縄住民を劣悪な環境の収容所に収容したり、勝手に民家を次々破壊して行ったことなど、全く知らなかった。恥ずかしい思いだ。沖縄の人々が日本政府から見放されたと思っても仕方のない現状だったと思う。このブログでも基地問題に触れないで沖縄レポートは終われないと思った。
観光バスはコースの最後に「道の駅嘉手納」に寄った。道の駅嘉手納は県道74号線沿いにある。74号線を挟んで反対側に極東最大の米軍基地Kadena Air Baseがある。道の駅なので、お食事や買い物は当然できるが、4Fに基地の見渡せる展望台と3Fに学習展示室が設置されている。バスガイドは早速我々を4Fにある展望台へと案内した。
写真は左から順に。
格納庫、裏手には住居地区がある。
嘉手納町の面積の8割は基地に占拠されている。とガイドは説明した。総面積20K㎡,4000m級の滑走路が2本ある。広すぎて1枚の写真に全容をおさめることはできない。
3Fの学習展示室に行ってみた。4Fに比べ人はまばらだ。現在の嘉手納町にあたる地域の戦前の姿を復元した模型。
画像では良くわからないが、戦前はかなり繁栄していた町のようだ。下記の説明によると、戦前までの嘉手納は鉄道が走り、製糖工場や学校等が集中する沖縄島中部で一番賑やかな場所だったそうだ。
嘉手納町のHPによると、戦前嘉手納は県営鉄道の終点であり、県立第二中学校、官立青年師範学校、嘉手納警察署、などがあり、中頭郡における経済、文化、教育の中心であった。さらに沖縄八景に数えられた風光明媚な比謝川には県下各地から家畜を積んだ汽帆船が出入りし、家畜の一大産地としても栄え、人と自然と産業の調和のとれた町として発展を遂げて来た。
しかし第二次世界大戦後、米軍の沖縄本島最初の上陸地となり、砲撃により、住家をはじめ一木一草に至るまで焼き尽くされ1945年(S20)8月15日の終戦を迎えるに至った。
その後朝鮮戦争の勃発等により米軍は嘉手納飛行場を重視、逐年整備拡張が行われ、そのつど、宅地や農地は軍用地に姿を変え、矮小な住居地域を一層狭めていった。膨大な面積を飛行場に接収され、残されたわずかな地域に住民はひしめきあった生活を強いられた。
住居地域が飛行場に近接しているため、爆音、墜落事故、燃料流出、井戸汚染など枚挙にいとまのないほどの基地被害をこうむり、「基地の町」として、嘉手納は沖縄の縮図だといわれてきた。一方、戦後の混乱期には、必然的に基地依存の生活に頼らざるを得ず、就業と稼業の場を求めて人口と各事業所が急増した。と説明している。
映像シアターで見た地図。街の真中を基地が占拠している様子が良くわかる。
そしてこの警告・・・。う~ん。
沖縄の人々がどれだけ我慢強く耐えてきたか。穏やかで辛抱強いと言われる県民性には歴史的背景があるだろうと思われること。昔は沖縄に鉄道があったという事実等発見が沢山あった。知らないことばかりで反省。
さて、バスは終点那覇に到着した。お~懐かしい!市庁舎まえの大木とシーサー。ガジュマル?
那覇市庁舎、えっ!こんなんだっけ??調べてみたら老朽化のため2012年、新築されたらしい。斬新なデザイン!トイレ休憩と資料をもらって。
見慣れた国際通りに出る。道路をはみ出してひかれそうだな。危ない!走ってる自動車も本土とは違うような?
国際通りをぶらぶらしてモノレールで空港まで行くことにする。牧志まで歩くゾ。歩こう、歩こう、私は元気~
民謡ライブか良いな~。那覇でもう1泊必要だったなあ。
お世話になった沖縄ツーリスト、Dさん。この次は南部方面たのもうかなあ。
お土産を買ったお菓子御殿。
泡盛のお店とステーキハウスがやたら多い。
かりゆしウエア(沖縄アロハ)の専門店マンゴーハウス
可愛くて思わず写真を撮ったが、買い忘れた!
このシーサー欲しい。でもよそのお店のだからなあ~。
マンゴーの専門店。残念ながら閉店時間。惜しかった。
沖縄アイスと言えばブルーシール?
ここにも大きなシーサーが。
黒糖屋なんてあるんだね。
子供達のお土産にTシャツを買ったところで、ゆっくりし過ぎたことにはたと、気が付いた。kinoppyはいつもこうだ。アレ~時間だ急げ、急げ。途中で曲がってユイレールの美栄橋駅へ急ぐ。あれなんだ?通りの反対側に一際目立つ建物。シーサー美術館?行きた~い。涙
帰るとなると、「また来てね」とにっこり笑ってくれた琉球村のおばさんを思い出した。沖縄オバサン大賞差し上げます。あなたに会いにキット、また来るよ。
空港に着いたら、飛行機が1時間近く遅れて・・・。え~!!行きたい所があったのに~。気が抜けた。ガックリ。悔しいなあ~。
空港には沖縄らしく至る所に蘭のお花が。はぁ~小一時間ここで過ごすのね。
日がとっぷり暮れてきて、結構きれいだなあ。ANA。
すっごく楽しくって、長い1日だった。みんなもそう思わない?琉球村、座喜味城、ビオスの丘、嘉手納、那覇、これ1日で周ったんだけどなんだか数日間を費やしたようだ。身体中でビンビン感じることが多かった。学ぶことも多かった。暑くて疲れた~。火傷のような日焼けした。お手入れ大変。(笑)
沖縄土産。ほとんど貰い物だけどね。
小さいシーサーを2種類購入。我が家の魔除けとして大活躍?やはりカワユイ、癒される。お気に入り。
みんな、これで沖縄レポートはおしまいだよ。なんだか、寂しいなあ。最後は駆け足になってしまったけど。みんなもお疲れ様。ずっと読んでんでくれてどうも有難う。感謝。感謝。また行くゾ 沖縄。みんなも良かったら一緒にいかない?じゃ またね。
文献、写真参考:沖縄県嘉手納町HP
観光バスはコースの最後に「道の駅嘉手納」に寄った。道の駅嘉手納は県道74号線沿いにある。74号線を挟んで反対側に極東最大の米軍基地Kadena Air Baseがある。道の駅なので、お食事や買い物は当然できるが、4Fに基地の見渡せる展望台と3Fに学習展示室が設置されている。バスガイドは早速我々を4Fにある展望台へと案内した。
写真は左から順に。
格納庫、裏手には住居地区がある。
嘉手納町の面積の8割は基地に占拠されている。とガイドは説明した。総面積20K㎡,4000m級の滑走路が2本ある。広すぎて1枚の写真に全容をおさめることはできない。
3Fの学習展示室に行ってみた。4Fに比べ人はまばらだ。現在の嘉手納町にあたる地域の戦前の姿を復元した模型。
画像では良くわからないが、戦前はかなり繁栄していた町のようだ。下記の説明によると、戦前までの嘉手納は鉄道が走り、製糖工場や学校等が集中する沖縄島中部で一番賑やかな場所だったそうだ。
嘉手納町のHPによると、戦前嘉手納は県営鉄道の終点であり、県立第二中学校、官立青年師範学校、嘉手納警察署、などがあり、中頭郡における経済、文化、教育の中心であった。さらに沖縄八景に数えられた風光明媚な比謝川には県下各地から家畜を積んだ汽帆船が出入りし、家畜の一大産地としても栄え、人と自然と産業の調和のとれた町として発展を遂げて来た。
しかし第二次世界大戦後、米軍の沖縄本島最初の上陸地となり、砲撃により、住家をはじめ一木一草に至るまで焼き尽くされ1945年(S20)8月15日の終戦を迎えるに至った。
その後朝鮮戦争の勃発等により米軍は嘉手納飛行場を重視、逐年整備拡張が行われ、そのつど、宅地や農地は軍用地に姿を変え、矮小な住居地域を一層狭めていった。膨大な面積を飛行場に接収され、残されたわずかな地域に住民はひしめきあった生活を強いられた。
住居地域が飛行場に近接しているため、爆音、墜落事故、燃料流出、井戸汚染など枚挙にいとまのないほどの基地被害をこうむり、「基地の町」として、嘉手納は沖縄の縮図だといわれてきた。一方、戦後の混乱期には、必然的に基地依存の生活に頼らざるを得ず、就業と稼業の場を求めて人口と各事業所が急増した。と説明している。
映像シアターで見た地図。街の真中を基地が占拠している様子が良くわかる。
そしてこの警告・・・。う~ん。
沖縄の人々がどれだけ我慢強く耐えてきたか。穏やかで辛抱強いと言われる県民性には歴史的背景があるだろうと思われること。昔は沖縄に鉄道があったという事実等発見が沢山あった。知らないことばかりで反省。
さて、バスは終点那覇に到着した。お~懐かしい!市庁舎まえの大木とシーサー。ガジュマル?
那覇市庁舎、えっ!こんなんだっけ??調べてみたら老朽化のため2012年、新築されたらしい。斬新なデザイン!トイレ休憩と資料をもらって。
見慣れた国際通りに出る。道路をはみ出してひかれそうだな。危ない!走ってる自動車も本土とは違うような?
国際通りをぶらぶらしてモノレールで空港まで行くことにする。牧志まで歩くゾ。歩こう、歩こう、私は元気~
民謡ライブか良いな~。那覇でもう1泊必要だったなあ。
お世話になった沖縄ツーリスト、Dさん。この次は南部方面たのもうかなあ。
お土産を買ったお菓子御殿。
泡盛のお店とステーキハウスがやたら多い。
かりゆしウエア(沖縄アロハ)の専門店マンゴーハウス
可愛くて思わず写真を撮ったが、買い忘れた!
このシーサー欲しい。でもよそのお店のだからなあ~。
マンゴーの専門店。残念ながら閉店時間。惜しかった。
沖縄アイスと言えばブルーシール?
ここにも大きなシーサーが。
黒糖屋なんてあるんだね。
子供達のお土産にTシャツを買ったところで、ゆっくりし過ぎたことにはたと、気が付いた。kinoppyはいつもこうだ。アレ~時間だ急げ、急げ。途中で曲がってユイレールの美栄橋駅へ急ぐ。あれなんだ?通りの反対側に一際目立つ建物。シーサー美術館?行きた~い。涙
帰るとなると、「また来てね」とにっこり笑ってくれた琉球村のおばさんを思い出した。沖縄オバサン大賞差し上げます。あなたに会いにキット、また来るよ。
空港に着いたら、飛行機が1時間近く遅れて・・・。え~!!行きたい所があったのに~。気が抜けた。ガックリ。悔しいなあ~。
空港には沖縄らしく至る所に蘭のお花が。はぁ~小一時間ここで過ごすのね。
日がとっぷり暮れてきて、結構きれいだなあ。ANA。
すっごく楽しくって、長い1日だった。みんなもそう思わない?琉球村、座喜味城、ビオスの丘、嘉手納、那覇、これ1日で周ったんだけどなんだか数日間を費やしたようだ。身体中でビンビン感じることが多かった。学ぶことも多かった。暑くて疲れた~。火傷のような日焼けした。お手入れ大変。(笑)
沖縄土産。ほとんど貰い物だけどね。
小さいシーサーを2種類購入。我が家の魔除けとして大活躍?やはりカワユイ、癒される。お気に入り。
みんな、これで沖縄レポートはおしまいだよ。なんだか、寂しいなあ。最後は駆け足になってしまったけど。みんなもお疲れ様。ずっと読んでんでくれてどうも有難う。感謝。感謝。また行くゾ 沖縄。みんなも良かったら一緒にいかない?じゃ またね。
文献、写真参考:沖縄県嘉手納町HP