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とんだり はねたり

kinoppyの一日

淀橋第二小学校跡の桜

2025-04-02 | 歴史

HI!みんな元気?木蓮を投稿する2日前kinoppyは新宿にいた。kinoppyの家から一番近い都会?例によって、都庁。お馴染みだね。左の建物は京王プラザホテル。相変わらず外国人が多い。ほんと、最近どこに行っても外国人だらけ。「ここは京都か?」と勘違いしそうだよ。だから、あまり都会には行かないようにしている。

優しいブルーのお花が癒してくれる。

しばらく行くと桜が見えた!ビルの谷間に桜だ!都内ではまだ、あまり、咲いていない頃。3月27日。

道路を挟んで京王プラザホテルのお向かい。写真後方のビルは新宿ファーストウエストビル。昔は上品なカフェが入っていたが、現在ではコメダ珈琲が幅を利かせているらしい。

ここはkinoppyにとっても、懐かしい場所。淀橋第二小学校があった場所だ。義母がまだ教師をしていた頃、京都から淀橋第二小学校に研究?とか会議とか?に出席するために上京して来た。お向かいの京王プラザホテルは、西新宿一の高層ホテルとして1971年オープンしてまもなく、都民にも憧れの存在で、観光しに行くような所だった。当然のことながら、kinoppyファミリーもワクワクドキド初めて(たぶん)高層ビルから副都心(当時はそう呼ばれていた)西新宿一帯を眺めたのだった。そういう意味で我が家にも懐かしい思い出がある。

淀橋第二小学校跡の石碑を発見。淀橋第二小は1986年昭和61年に淀橋第六小に統合廃校とある。

今は亡き義母を偲ぶkinoppyなのです。😿

相変わらず工事中の西新宿駅前。左手は淀橋カメラのビル、その下に新宿中央郵便局、超目立っているのは、モード学園コクーンタワービル。どうやら、繭の形を表現しているらしい。赤と白の重機で、お仕事頑張っている皆さんに敬意を表して。今日はこの辺でbye-bye。


国分寺跡資料館

2018-11-17 | 歴史
Hi!みんな元気?お待たせしました。エッ、待ってない?興味のない人も興味のある人もちょっとだけ一緒に、資料館へ行こうよ。ここら辺は、緑の町国分寺を代表する自然あふれる散歩道。良かったら、初めての人も是非。長屋門をくぐって、資料館前に到着すると、紅の光輝く七重の塔が入館者を招いている。説明のボードを読むと、これはなんと、あの旧市庁舎前にくすんだ色でたたずんでいた、かの七重の塔の模型をペイントしなおして再生したもののようだ。10年以上前kinoppyが初めて市役所に行った時びっくり仰天したあの模型が生き返ったのだった。昔の村役場を思わせる建物の前に、更にくすんだ色のなにか塔のような物が・・・??ってビックリしたことを鮮明に覚えているkinoppyなのだ。リニューアルしてもらって本当に良かったね、七重の塔さん。ここにいる君を見てkinoppyはホットしたよ。塔の高さは60mでその十分の一の模型らしい。





嬉しくなって、意気揚々と資料館に入ると、すでに入館していたお客さんが、武蔵国分寺の模型の前で史跡ガイドさんの説明を聞いていた。とても楽しい解説に引き込まれたkinoppyはそのグループと一緒に資料館を周らせてもらうことにした。



聖武天皇の命により建てられた国分寺僧寺は全国68ヵ国の内、数ヵ国を除いて存在が確認されているが、尼寺は30ヵ国あまり。財政困難な国も多かったらしい。なぜか武蔵国分寺は、一般の国分寺僧寺の3倍の広さであったそうな。模型を見てもその広さが想像できる。



南に国府に続く広い傾斜地、西に南北に貫く東山道武蔵路、北に国分寺崖線を境とする高台、東に崖線の湧水が流れつく多摩川と四神相応の地と呼ぶにふさわしい土地柄だったようだ。



資料は数多くあるが、画像が上手く撮れていないこと(室内灯の反射)、量が多すぎることもあって、今回は瓦について報告するよ。ガイドさんに教わった内容でもある。

軒先を飾る鐙瓦(あぶみがわら)と宇瓦(のきがわら)の文様が諸国最多で、新羅や高句麗からの技術導入がうかがわれるそうだ。当時は朝鮮半島での内戦が続いていて多くの優秀な人もそうでない人も、難民となって日本に辿り着いた。当時は朝鮮の方が文化が進んでいたため、陶器などの技術を広く伝えたと言われている。
 




昔こんなに沢山の瓦の破片が武蔵国分寺跡にはごろごろしていて、子供達は自由に触って遊んでいたらしい。今では遺跡となって大切に保管されている。そういえばkinoppyも小さい頃古銭を掘り当てては遊んでいた思い出がある。アレ、どこに行ったんだろう?



武蔵国は広くて、埼玉、横浜、足立、豊島(隅田川、荒川を含む)広い地域だったようだ。
瓦は主に現在の埼玉県で焼かれたらしい。入間郡、比企郡、郷、都の文字が見える。



高麗郡は現在の埼玉県日高市



荏原は現在の東京都だよね。



植物の文様の瓦も沢山出土している。



kinoppyはこの仏像を紹介したかったんだけど、残念ながら、現在秘仏展?とやらで全国を行脚中らしくレプリカが展示してあったので撮らなかった。ここに載せるためにはレプリカでも撮れば良かったと大変後悔いたしました・・。



縄文時代の土器



(左)阿弥陀三尊画像板碑(祥応寺跡出土)
(右)阿弥陀三尊種字板碑(祥応寺跡出土)



長い事お付き合いどうも有難う。みんな、今日はこの辺で、サヨナラネ。国分寺史跡もまたまた少しづつ工事が進んでいる。タイル張りの囲い?要らないと思う。今までのままそっとしておいた方が、大木もそのままの方が、緑の史跡公園と呼ぶにふさわしいのでは?とkinoppyは思った。



みんな、じゃ、またね!風邪をひかないようにね。

旧本多家住居長屋門

2018-10-30 | 歴史
Hi!みんな元気?ちょっと疲れた時みんなはどこへ行く?kinoppyはココ。↓ 湧水と豊かな緑、タイムスリップしたみたいなココ、後方は国分寺崖線の深い森。



歴史の勉強してて、確かめたいこともあった。解体工事で、しばらく見学出来なかった資料館。今日は都の文化財週間とかで、無料。やった!



何気に通り抜けていた長屋門。国分寺村の名主本多家が江戸時代に建築、後には本多雖軒(すいけん)が医者を開業していたらしい。へぇ~。



見学できるそうだ。折角なので、お邪魔した。1階はこんな感じ。二間あって、外の景色はこんな感じ。

  

         

階段。二階へ上がってみるよ。

          

向かって右側の部屋、窓はkinoppyが開けた。すぐ閉めたよん。



徳利と古ダンスが印象的だったので



振り向くと反対側の部屋には、明治時代日本の農家で盛んだった、養蚕の展示。多摩地区では八王子が有名だけど、国分寺でも盛んに行われたそうだ。

   


美しいシルク!こうしてみるとほんときれいだね。



フト右手に目をやると、何やら古箪笥のよう、ビニールがかけてあって、わかり難い。箪笥の上にはこんな図が どうやら薬箪笥らしい。    

  

謎は解けた。

   

本多雖軒は江戸時代1835年本多良助の4男として生まれる。(本多家では家長は代々良助と名乗っているとどこかで読んだことがある。総本家か?)1861年府中で開業したが、4年後実家に戻り、ここで開業した。教員も経験している。1916年(大正5年)82才で没した。江戸、明治、大正と波瀾の時代を生き抜いた人なんだね。



本多雖軒は、書家としても名高く、近隣から揮毫を求められることも多かった。国分寺七重の塔宝篋印塔、大国魂神社社務所等に書が残されている。

  

どう、みんなも本多雖軒について詳しくなったかな?なかなか面白いでしょう?縄文時代からの歴史かと思ったら先土器時代から人が住んでいた国分寺市、ナウマンゾウを追いかけている原始時代の人々、考えただけで、なんてロマンティック!!国分寺建設に携わった人々や、甲武鉄道の開通に関わってきた人々が、どのような知恵を絞りその時々の国分寺市を建設してきたかを想像すると、とても楽しいのはkinoppyだけ?? 

みんな最後まで読んでくれてどうも有難う。長屋門の紹介にこれだけかかってしまったゴメン。続きはまた今度ね。 

大國魂神社

2017-07-02 | 歴史
Hi!みんな元気?久しぶりダネ。今日は前から約束していた府中大國魂神社をレポートするよ。簡単にレポートしようと思って行ったのに、行ってみると、さすが歴史ある大國魂神社、そうもいかなくなった。今回も少し長めのレポートになると思うけど、楽しんでもらえるかな?

欅並木から見た大國魂神社。並木の真中は市民が自由に止められる駐輪場になっている。

          

いつも思う、この信号、邪魔だな。ご神木は割れている?

           

          

          
          
真っ直ぐ行くと右にふるさと歴史館。

         
          

左に八朔相撲土俵がある。1590年(天正18年)徳川家康の江戸入城を記念して行われた相撲で、現在でも毎年8月1日に行われている。

           

手水舎の龍

           

見えてきたのは随神門 立派な門だね。
          

          

外国のお客さんも多いみたい。
          
          

左手に鼓楼

          

そして中雀門
                     
          

拝殿
          

          

           

          

絵馬
           

お祭りの絵馬可愛い!後方は因幡の白うさぎと大国主の命。
           

入れないけど、拝殿の奥にはご本殿がある。ご本殿には大國魂大神と武蔵野国の一ノ宮~六ノ宮までが祀ってある。

          


ここまで撮ってさっさと帰ろうとしたんだけど、折角来たから、ふるさと歴史館に寄ってみた。右端に武蔵野国府跡の標識がある。

          

入ってみてビックリ!沢山の遺跡から発掘された土器や瓦等々。国分寺の資料館でも驚いたのだけど、レプリカは一つもなく全部本物

これは耳皿と言って箸置き

          

石銙(せっか)、古代の豪族や貴族、官人が使っていたベルトに着ける金属の飾りのこと。後に石や玉でも作るようになった。
          

           

古代の役人が使っていたであろうと思われる硯
            
          

           

          左
          
          右
           

形のゆがんだ土器、製作中に失敗したものと思われる。
          
          

         
多摩寺の名瓦
          

         
          


国衙の瓦と磚   

          

           


江戸名所図会「五月五日六所宮祭礼の図」江戸時代の絵画に描かれた大國魂神社の暗闇祭り、一部をグラフィックデザインの一つとして拡大して展示している。

       

       馬の市
       
        

        

さすが武蔵野国府、資料展示も盛り沢山だ。その他子供たちが楽しめるような国府バーチャルツアー等展示にも様々な工夫がされている。2階には資料室があり、3階にふるさと文化財課がある。そこでは府中市が制作した府中の歴史物語絵本、かるたなどが販売されていた。良いなあ、羨ましいな。kinoppyがずっと言い続けて来た子供達のための歴史紙芝居を我が町でも早く作ってくれないかなあ。と心でつぶやきながら、府中のかるたを買ってきた。

       


昭和47年12月に発行され、読み札の句は市民から公募したもので絵札は昭和55年に国際アンデルセン賞画家賞を受賞された赤羽末吉画伯に描いていただいた。画伯は長く府中にお住まいだったそう。初めて発行された昭和47年には市内小学校3年生から6年生全児童に配布し、その後は毎年3年生へ郷土学習資料として無料配布しているそうだ。近所の町なのに、我が町とのこの差はなんだろう!!kinoppyはお金を払って隣町のかるたを買ってしまったのだった。絵が素晴らしくてすぐに気に入ってしまったの。独断で選んだ絵札、みんなも見てみる?

         

        

         

気分良くなったところで、今日はこのくらいにしておこうかな。最後まで読んでくださってどうも有難う。じゃ、みんなまたすぐ逢おうね                 

伊達秀宗公物語 

2015-09-06 | 歴史
Hi!みんな元気?超久しぶりダネ。夏休み中は超暑い&忙しい日々だった。チロの調子も良くなくて、1日おきに点滴に通ったりして・・・・。やっと、天候も(現在、外は土砂降りだが)、仕事も落ち着いてきたので、みんなに会いたくなったよ。

最近こんな絵本を発見した。とても可愛くて、なんとか手に入れたいなと思っていたら、故郷のブログ仲間のYさんが、わざわざ手に入れて送ってくださった。非売品なので、東京にいるkinoppyには手にはいらなかったと思うよ。感謝感激で~す。故郷の歴史に興味があるのはもちろんのこと、この絵に大変惹かれました。絵本らしい素直な明るいタッチの絵がとてもステキです。
             


著作権の問題もあると思うので少しだけ紹介するね。宇和島藩藩祖の伊達秀宗のせつない(?)物語です。

伊達秀宗は1591年仙台藩の伊達政宗の長子として生まれましたが、4歳になると(幼名)兵五郎は豊臣秀吉に養子として差し出され、秀吉の子秀頼の遊び相手として大切に育てられました。

             


6歳になると、元服し秀吉の1字をもらい、秀宗と名乗りました。ところが、秀吉が亡くなり、徳川家康が天下をとると、12歳の秀宗は徳川家康に人質として差し出されるのです。

             

秀宗24歳の時、伊達政宗、秀宗親子は大阪冬の陣で功績をあげ、秀宗は将軍家康から宇和10万石を与えられ、今から400年前の1615年、家臣1200名あまりを連れて宇和島城に入城しました。

             

話はまだまだ続きますが、ざっと、こんな感じです。kinoppyが感激したのは、この絵本を宇和島信用金庫さんが制作して、お客さんや宇和島市民に無料で配布していることです。本当素晴らしいですよね。制作も大変だと思いますが、作ろうという意気込み、故郷を大切に思う気持ちに打たれました。これからも頑張って欲しいです。

             


宇和島信用金庫さんが昨年立ち上げた「うわしん伊達文化NEXT100プロジェクト」についての記事が下記サイトにあります。ダウンロードするのに少し時間がかかるようですが、是非見てあげてください。

            http://okaeri-project.wix.com/okaeri#!about/c10fk

今年は伊達秀宗入部400年ということで、伊達博物館でも各種催しがあるようです。それでなくても、伊達博物館は企画展を多く開催しているようで、東京などと比べると美術や芸術などに触れる機会の少ない地元のみなさんに多大な貢献をしているようです。頼もしいです。kinoppyが子供の頃はありませんでした、伊達博物館。羨ましいな。
伊達博物館のHPです。興味ある方はどうぞ。 http://datehaku.blogspot.jp/

この絵本の続きを読みたい方、1部本多図書館に寄贈しました。是非飾ってくださるようにお願いしておきましたので、間もなく国分寺市立図書館でも読めるようになると思います。その時はお知らせしますね。Yさんが2部送ってくださったのでkinoppyの手元にも1部あります。興味のある方は知らせてね。

じゃ、みんな、またすぐ会おうね。突然の雨に気を付けてね。