とんだり はねたり

kinoppyの一日

秋祭り

2015-09-19 | 季節
HI!みんな元気?天候も落ち着いてきて、やっと秋らしくなりました。太鼓の音に誘われて、近くの八幡様のお祭りの行列について歩いてみました。小さい踊り子さんが可愛いですネ。

         

       中継地点でしばし休憩の後、神社へ戻ります。お神輿がやってきました。いなせダネ~。町中がお祭り一色!

            

       

       神社へ戻ってきましたよ。先に戻っていた山車の中からピイ~ヒャララお囃子の音色が響いてきます。日もとっぷり暮れてきました。

       


        ムム、電線さえなければあ~~!!良い写真なのに。

         

        お神輿も神殿に向かってGO GO GO!


        

         

神殿の前を掛け声とともに威勢よくぐるぐる何回も回って、見ている私達もあっちへ、こっちへとヒョイヒョイ避けて一緒に走ります。やっと落ち着いたころ外は真っ暗。

          

          

良いな、お祭り。みんなとても楽しそう。お祭りに行って、知らない町内の人とも仲良しに。遠慮して後ろから撮っていたら、おじいちゃんが「わしの孫だ、前から撮りなよ!」って、とってもカッコイイお神輿担いでいた、お若いおじいちゃんでした。でも、ブログに乗せるので、一応後ろ向きで。

         

初めて参拝した八幡様。楽しかったよ。露店でかき氷(シロップはカルピスとメロンとブルーハワイ)を食べました。東北支援の牛タンをお土産に。みなさん有難う。また来年もヨロシク。

        

久しぶりに楽しいお祭りを満喫したkinoppyでした。ほんじゃ、みんな、またね。

ふる里の香り vol 1

2015-09-12 | 故郷
Hi!みんな元気?前回の投稿で故郷でがんばっている皆さんの活動をお知らせして、kinoppyがちょとホームシックにかかっていることが、わかってもらえたかな?この夏懐かしい故郷の皆さんのブログにとても癒されました。そして、がんばっている皆さんにはたっぷり活力をいただきました。

さて、そんな中で、最近鬼城さんと言う方のブログにとても感動、癒されましたので、画像掲載の許可をいただいて、少し紹介します。
http://kijo0621.blog74.fc2.com/鬼城さんのアドレスです。

宇和島市は東は宇和海に面し、西は鬼ヶ城連山(標高1000m位)を背に、開かれた自然豊かな町で、面積418平方キロ、人口8万人弱の小都市です。江戸時代は伊達10万石の城下町として栄えました。kinoppyが子供の頃は人口も10万位あった?と思うんだけど、合併したにも拘わらず現在人口は減少しています。ちょっと、寂しいですね。学生時代は疲れると、部屋の窓から鬼ヶ城を眺め、ぼんやりしたり、朝は目覚めて眺め、元気をもらいました。宇和島市民なら誰でも、こんなふうに親しみを込めて「鬼ヶ城」と呼んでいる山です。鬼城さんはブログにステキなネーミングをされましたね。

季節に関係なく紹介していきますが、宇和島と言えばまず、宇和島城です。美しいですね。見事な写真だと思います。駅前から見上げることができるのかな?kinoppyが子供のころはこんなに良く見えなかったので、1部城山の木を伐採したのだと思います。

現在の地に初めて宇和島城天守が建造されたのは慶長6年(1601)藤堂高虎(とうどうたかとら)築城の時とされています。城の外郭は上から見ると不等辺5角形をしており、随所に築城の名手と言われた高虎ならではの工夫が見受けられます。高虎が今治に転封となって後、奥州仙台藩主、伊達政宗の長子秀宗が宇和郡10万石を賜り、元和元年(1615)に入城。2代宗利の時、天守以下城郭の大修理を行い、寛文11年(1671)に完成。その姿を現在に残しています。現存天守12城の1つです。(宇和島市観光協会より)

            

そして更にお見事なのがこれ。霞がかった宇和島城。幻想的!!お城の後方が鬼ヶ城でしょうか?


            

幻想的になったところで、今回kinoppyが一番紹介したかったイベント、「卯のホタル」を紹介するよ、宇和島市の北約20kmの西予市宇和町卯之町で毎年行われているイベントです。kinoppyは故郷を離れて長いので、こんな素晴らしい催しがあるなんて、全然知らなかたったよ。映画のお蔭で、東京でも卯之町の「開明学校」は話題になったけど、このイベント画像には本当に癒されました。鬼城さんありがとう。

卯之町の街並みについて少し紹介するね。

江戸時代宇和島藩の在郷町・宿場町として栄えていた佇まいを、現代にとどめる情緒ある町並み。白壁や格子窓などが特徴の江戸中期から昭和初期の建築物が軒を並べ、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。伝統的な和風建築のなかにアーチ窓や赤い屋根の教会などの洋風建築もあり、時代の移り変わりの景色を楽しむことができます。現在も江戸や明治時代から続く老舗旅館や造り酒屋、醤油屋などが営業し、地元住民や観光客で賑わっています。町並みを散策していると、往時の様子を偲ぶことができます。(いよ観netより)

最近人気のでている内子町とも似ているね。、地図とポスターを見つけました。四国についてあまり詳しくない方にもわかり易いかと思います。


開明学校へ続く道だそうです。本物のほたるも、もちろん飛び交っていますが、写真には撮りりづらいですね。ほたる。
            

お醤油やさんの展示。毎年変わるのだそうです。
             




メイクアップしたお子さんのキツネの行進?カワユイでしょう?

台風も去って東京地方は秋晴れの良い天気です。外ではお祭りの笛が鳴り響いています。そろそろ宵祭りの始まりです。行ってきます。みんな、今日はどうだった?楽しかったかな?最後まで見てくれてどうも有難う。じゃ、またネ。

伊達秀宗公物語 

2015-09-06 | 歴史
Hi!みんな元気?超久しぶりダネ。夏休み中は超暑い&忙しい日々だった。チロの調子も良くなくて、1日おきに点滴に通ったりして・・・・。やっと、天候も(現在、外は土砂降りだが)、仕事も落ち着いてきたので、みんなに会いたくなったよ。

最近こんな絵本を発見した。とても可愛くて、なんとか手に入れたいなと思っていたら、故郷のブログ仲間のYさんが、わざわざ手に入れて送ってくださった。非売品なので、東京にいるkinoppyには手にはいらなかったと思うよ。感謝感激で~す。故郷の歴史に興味があるのはもちろんのこと、この絵に大変惹かれました。絵本らしい素直な明るいタッチの絵がとてもステキです。
             


著作権の問題もあると思うので少しだけ紹介するね。宇和島藩藩祖の伊達秀宗のせつない(?)物語です。

伊達秀宗は1591年仙台藩の伊達政宗の長子として生まれましたが、4歳になると(幼名)兵五郎は豊臣秀吉に養子として差し出され、秀吉の子秀頼の遊び相手として大切に育てられました。

             


6歳になると、元服し秀吉の1字をもらい、秀宗と名乗りました。ところが、秀吉が亡くなり、徳川家康が天下をとると、12歳の秀宗は徳川家康に人質として差し出されるのです。

             

秀宗24歳の時、伊達政宗、秀宗親子は大阪冬の陣で功績をあげ、秀宗は将軍家康から宇和10万石を与えられ、今から400年前の1615年、家臣1200名あまりを連れて宇和島城に入城しました。

             

話はまだまだ続きますが、ざっと、こんな感じです。kinoppyが感激したのは、この絵本を宇和島信用金庫さんが制作して、お客さんや宇和島市民に無料で配布していることです。本当素晴らしいですよね。制作も大変だと思いますが、作ろうという意気込み、故郷を大切に思う気持ちに打たれました。これからも頑張って欲しいです。

             


宇和島信用金庫さんが昨年立ち上げた「うわしん伊達文化NEXT100プロジェクト」についての記事が下記サイトにあります。ダウンロードするのに少し時間がかかるようですが、是非見てあげてください。

            http://okaeri-project.wix.com/okaeri#!about/c10fk

今年は伊達秀宗入部400年ということで、伊達博物館でも各種催しがあるようです。それでなくても、伊達博物館は企画展を多く開催しているようで、東京などと比べると美術や芸術などに触れる機会の少ない地元のみなさんに多大な貢献をしているようです。頼もしいです。kinoppyが子供の頃はありませんでした、伊達博物館。羨ましいな。
伊達博物館のHPです。興味ある方はどうぞ。 http://datehaku.blogspot.jp/

この絵本の続きを読みたい方、1部本多図書館に寄贈しました。是非飾ってくださるようにお願いしておきましたので、間もなく国分寺市立図書館でも読めるようになると思います。その時はお知らせしますね。Yさんが2部送ってくださったのでkinoppyの手元にも1部あります。興味のある方は知らせてね。

じゃ、みんな、またすぐ会おうね。突然の雨に気を付けてね。