Hi!みんな元気?先日六義園に行った。久しぶり。用を済ませてからなので夕方からのお散歩。桜や紅葉の季節だと、激込みで、入場するまでずらっと並ぶことになるが、平日で何にもないので、爽やかにお散歩できたよ。ヤッホ~。
駒込駅から徒歩10分位かな、すっかり道を忘れてしまい、駅前で交通整理しているおじさんに尋ねた。簡単な道だったけどとっても親切に教えてくれたよ。アリガト~。近頃東京では、「ここの者じゃないので、知りません」と答えられることが多いからね。道路沿いにあるお店を覗きながら軽くステップ、ルンルン。もう着いた。
教えられた通りここを右に曲がると、立派なレンガの壁が続く。明治時代洋式のレンガが使われ、歴史的に貴重なのだそう。
もう少し行くと・・・着いた!
入場料を払って、ワオ!スゴイ!緑の、樹の、匂いだ。角を曲がっただけなのに、空気が澄んでる、冷やっとする。生き返る~。わかる?井之頭公園では味わえない、この感触?森林浴ダネ。
地図をもらったので、貼っておこう。地図を左から右に廻る感じね。
イザ、出発!内庭大門
門をくぐると右手に藤棚、栄養満点に育った藤棚、見上げると、エッ、アレ さくら?、咲いてる?!左上の白い所辺
ズームするとこんな感じ。可憐でしょう?
有名な枝垂れ桜はこちら↓現在花はないけど、案内板が説明してくれてる。夜間はライトアップされるんだね。
先を急ごう
門をくぐり抜けると、美しい庭園、ここは松がきれいだね。
みんな知ってると思うけど、江戸時代徳川綱吉の側用人柳沢吉保が下屋敷に造った池泉回遊式庭園で敷地は88000㎡。画面中央様の小さな橋が庭園随所にかけられ、アクセントになっている。明治に入って岩崎弥太郎の別邸になり、その後東京市に寄贈されたんだそう。
ここの松は芸術的で松葉は若々しく活き活きしている。つい触りたくなる可愛らしさ、松葉の色が画面では表現できていないのが残念だ。
中の島方面を臨む
その対面になる吹上茶屋、早くあそこに行きたい。
道はこんな風にほぼ松に迎えられる。
吹上茶屋と蓬莱島
瀧見茶屋
中はこんな風で窓が額縁のよう
亀さん、そういえばン十年前に来た時、ずいぶん沢山の亀を見た。今日は少ない。
長~い竹の道具でお手入れをしていた庭師さん。かっこ良かった~。竹の長さは途中で切っちまいました。なぜって?
おにいさんの右に並んでいる敷石を伝って、吹上茶屋へ。
お抹茶とお菓子をいただいた。
次はつつじ茶屋に向かう。ちょと疲れて来たのでみんな一休みする?
ほんじゃ、続きはまた、後でネ!また、見てネ!
駒込駅から徒歩10分位かな、すっかり道を忘れてしまい、駅前で交通整理しているおじさんに尋ねた。簡単な道だったけどとっても親切に教えてくれたよ。アリガト~。近頃東京では、「ここの者じゃないので、知りません」と答えられることが多いからね。道路沿いにあるお店を覗きながら軽くステップ、ルンルン。もう着いた。
教えられた通りここを右に曲がると、立派なレンガの壁が続く。明治時代洋式のレンガが使われ、歴史的に貴重なのだそう。
もう少し行くと・・・着いた!
入場料を払って、ワオ!スゴイ!緑の、樹の、匂いだ。角を曲がっただけなのに、空気が澄んでる、冷やっとする。生き返る~。わかる?井之頭公園では味わえない、この感触?森林浴ダネ。
地図をもらったので、貼っておこう。地図を左から右に廻る感じね。
イザ、出発!内庭大門
門をくぐると右手に藤棚、栄養満点に育った藤棚、見上げると、エッ、アレ さくら?、咲いてる?!左上の白い所辺
ズームするとこんな感じ。可憐でしょう?
有名な枝垂れ桜はこちら↓現在花はないけど、案内板が説明してくれてる。夜間はライトアップされるんだね。
先を急ごう
門をくぐり抜けると、美しい庭園、ここは松がきれいだね。
みんな知ってると思うけど、江戸時代徳川綱吉の側用人柳沢吉保が下屋敷に造った池泉回遊式庭園で敷地は88000㎡。画面中央様の小さな橋が庭園随所にかけられ、アクセントになっている。明治に入って岩崎弥太郎の別邸になり、その後東京市に寄贈されたんだそう。
ここの松は芸術的で松葉は若々しく活き活きしている。つい触りたくなる可愛らしさ、松葉の色が画面では表現できていないのが残念だ。
中の島方面を臨む
その対面になる吹上茶屋、早くあそこに行きたい。
道はこんな風にほぼ松に迎えられる。
吹上茶屋と蓬莱島
瀧見茶屋
中はこんな風で窓が額縁のよう
亀さん、そういえばン十年前に来た時、ずいぶん沢山の亀を見た。今日は少ない。
長~い竹の道具でお手入れをしていた庭師さん。かっこ良かった~。竹の長さは途中で切っちまいました。なぜって?
おにいさんの右に並んでいる敷石を伝って、吹上茶屋へ。
お抹茶とお菓子をいただいた。
次はつつじ茶屋に向かう。ちょと疲れて来たのでみんな一休みする?
ほんじゃ、続きはまた、後でネ!また、見てネ!
そうなんですね。天赦園が宇和島藩伊達屋敷の庭園だとばかり思って育ちました。(アリャ)若かりし頃にはあまり歴史への興味がなかったのかも。それにしても宇東辺りまであったとは!もったいないことです。戦争で焼けてしまったのでしょうか?そうでないとしたら、当時の行政の責任ではないでしょうか?新しくすることばかりに目を奪われて、古いものを残さなかったという責任。想像力のなさですかね。