Hi!みんな元気?やっと少し暖かくなってきたネ。雨の天満宮、続きだよ。遅くなってゴメン。これから社務所2階の宝物殿に入ります。みんな一緒に谷保(やぼ)天満宮1000年の歴史を覗いてみようね。
天満宮は、ハケの南端にある。その東側に梅林がある。
梅林からは水田地帯が見渡せる。その先に多摩川があり、
前方の多摩の横山と直面することになる。ここが、この町で
もっとも見晴らしのいい場所とされており、崖の上にベンチ
が置いてある。こぶしや欅の大木がある。梅林から水田に降りる道には椿がある。
「わが町」山口瞳より
この地図は江戸時代のもので、谷保天満宮宝物殿に展示されています。古いものですが、山口さんの語る天満宮そのもののように思えてきます。近代化される神社が多い中、谷保天満宮は昔日の面影ををそのまま残しています。湯島、亀戸とともに関東三天神と呼ばれ、菅原道真公とその三男道武公を合祀しています。道真公の死後村上天皇は祟りを恐れ、京都に北野天満宮を建立しました。それにしてもなぜここに天満宮が?道真公の三子道武公はこの近くに配流され、その子孫である津戸三郎為守が谷保天満宮の神主になったからだそうです。(津戸三郎為守は鎌倉時代に法然の教えを受け出家、叔母は更科日記の作者菅原孝標女です。)なかなかのエート家系です。当時武蔵野国は東日本最大の国でこのあたりは武蔵野国の中心でした。府中は都の中心と言う意味だし、地の利を得て国分寺が建立されたことでも良くわかります。ですから配流と言ってもやっぱりエリートの左遷と言ったところだったのでしょうか?
津戸三郎為守
可愛いものをみつけましたよ。天神人形です。江戸時代土人形として作られ全国に普及したそうです。天神人形の「文」、五月人形の「武」、道真公にあやかって、文武両道の男の子に育ってほしいと願う親心の表れだそうです。天神人形のお祝いはその土地によって、お正月や3月3日、5月5日等様々のようです。
こんな記事を見つけました。(1908)年8 月1 日、有栖川宮威仁親王の呼びかけで、日本で初めてガソリン自動車(タクリー号)のドライブツアー「遠乗会」が日比谷公園から甲州街道の立川を目的地にして行われました。折り返し谷保天満宮で、交通安全を祈願して参拝された後、梅林で立食しました。なかなか面白いですね。昔の皇族の方がおおらか?
こんなのも見つけたよ。知ってた?「皇室」って雑誌。それにしても佳子様、聡明そう、きれいだね。
そうそう、なぜ宝物殿に行ったかというと、ちょうど社務所2階で「谷保天満宮書道展」があったからなの。あまりの寒さに社務所に逃げ込んだというわけ。kinoppyにとって宝物殿は思わぬ収穫でした。kinoppyが一番好きな書「水仙や~」、美しいよね。書道はアートだね。隣の梅花は宮司賞。
最後にもう一つ特選
廊下に張り出してあった子供たちの作品、素晴らしい!!
↑
あそうそう、前回紹介したチャボだけど、もともとは例大祭で行う獅子舞の頭の毛が足りなくなり、いろんな鳥を飼育していたんだって。自然繁殖したんだけれど、2013年にキツネに襲われ30羽が3羽に減ったんだって。チャボの敵は多いんだね。卵はカラスに食べられてるらしいし。その後増えたかどうかはわからないけど、kinoppyが見たのは1羽だけ、それから別の1羽の「コケコッコー」の声を聞いたよ。
入口の座牛の像は道真公が亡くなった時、悲しみ動かなくなった牛車の牛なんだって。(1973年関敏作)牛が大事にされてるんだね。
本当はもう少し国立をレポートしたかったんだけど、残念、時間切れ・・・・。VOL3を乞うご期待・・・してくれるかな?
みんなゴメン。またすぐあおうネ。
<参考文献>国立図書館 くにたち調べ
立川経済新聞
天満宮は、ハケの南端にある。その東側に梅林がある。
梅林からは水田地帯が見渡せる。その先に多摩川があり、
前方の多摩の横山と直面することになる。ここが、この町で
もっとも見晴らしのいい場所とされており、崖の上にベンチ
が置いてある。こぶしや欅の大木がある。梅林から水田に降りる道には椿がある。
「わが町」山口瞳より
この地図は江戸時代のもので、谷保天満宮宝物殿に展示されています。古いものですが、山口さんの語る天満宮そのもののように思えてきます。近代化される神社が多い中、谷保天満宮は昔日の面影ををそのまま残しています。湯島、亀戸とともに関東三天神と呼ばれ、菅原道真公とその三男道武公を合祀しています。道真公の死後村上天皇は祟りを恐れ、京都に北野天満宮を建立しました。それにしてもなぜここに天満宮が?道真公の三子道武公はこの近くに配流され、その子孫である津戸三郎為守が谷保天満宮の神主になったからだそうです。(津戸三郎為守は鎌倉時代に法然の教えを受け出家、叔母は更科日記の作者菅原孝標女です。)なかなかのエート家系です。当時武蔵野国は東日本最大の国でこのあたりは武蔵野国の中心でした。府中は都の中心と言う意味だし、地の利を得て国分寺が建立されたことでも良くわかります。ですから配流と言ってもやっぱりエリートの左遷と言ったところだったのでしょうか?
津戸三郎為守
可愛いものをみつけましたよ。天神人形です。江戸時代土人形として作られ全国に普及したそうです。天神人形の「文」、五月人形の「武」、道真公にあやかって、文武両道の男の子に育ってほしいと願う親心の表れだそうです。天神人形のお祝いはその土地によって、お正月や3月3日、5月5日等様々のようです。
こんな記事を見つけました。(1908)年8 月1 日、有栖川宮威仁親王の呼びかけで、日本で初めてガソリン自動車(タクリー号)のドライブツアー「遠乗会」が日比谷公園から甲州街道の立川を目的地にして行われました。折り返し谷保天満宮で、交通安全を祈願して参拝された後、梅林で立食しました。なかなか面白いですね。昔の皇族の方がおおらか?
こんなのも見つけたよ。知ってた?「皇室」って雑誌。それにしても佳子様、聡明そう、きれいだね。
そうそう、なぜ宝物殿に行ったかというと、ちょうど社務所2階で「谷保天満宮書道展」があったからなの。あまりの寒さに社務所に逃げ込んだというわけ。kinoppyにとって宝物殿は思わぬ収穫でした。kinoppyが一番好きな書「水仙や~」、美しいよね。書道はアートだね。隣の梅花は宮司賞。
最後にもう一つ特選
廊下に張り出してあった子供たちの作品、素晴らしい!!
↑
あそうそう、前回紹介したチャボだけど、もともとは例大祭で行う獅子舞の頭の毛が足りなくなり、いろんな鳥を飼育していたんだって。自然繁殖したんだけれど、2013年にキツネに襲われ30羽が3羽に減ったんだって。チャボの敵は多いんだね。卵はカラスに食べられてるらしいし。その後増えたかどうかはわからないけど、kinoppyが見たのは1羽だけ、それから別の1羽の「コケコッコー」の声を聞いたよ。
入口の座牛の像は道真公が亡くなった時、悲しみ動かなくなった牛車の牛なんだって。(1973年関敏作)牛が大事にされてるんだね。
本当はもう少し国立をレポートしたかったんだけど、残念、時間切れ・・・・。VOL3を乞うご期待・・・してくれるかな?
みんなゴメン。またすぐあおうネ。
<参考文献>国立図書館 くにたち調べ
立川経済新聞
驚きです。
毎回ブログを拝見するのがとても楽しみです。
次回を首長で待っております。