気の広場

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甘さを求める不幸 ⑥ ・・・ 本当の幸福

2010-05-06 15:52:01 | Weblog
 人生の幸福を本当に正しく見ようとするならば、諸々の人生の味わいというもの ・・・ すなわち肉体的苦労にしても、精神的苦労にしても、それは「単なる苦労じゃないんだ、人生の味わいなんだ」と考え、そして死ぬとき、「いろんなことがあったけど、私はありがたいなあ、人の倍も、いや二百年、三百年分の人生を味わって生きてこれたなあ」という思いが持てるような人生の方が、本当の幸福 ・・・ じゃないかと思いますよ。








甘さを求める不幸 ⑤ ・・・ 人生の味わい

2010-05-06 14:37:16 | Weblog
 辛(から)い、苦(にが)いという文字は、辛(つら)い、苦(くる)しいとも読みます。

 辛い味も、苦しい味も、淋しい味も、悲しい味も、人一倍味わい深く、しみじみと味わってきたという人生 ・・・ そういう人生は、不幸な人生でしょうか。
私は、そうは思いません。

 はたから見たら、幸福と思えるような苦労のない人生というものは、実は、甘さしか知らない食生活と同じようなものではないでしょうか。

 この良いものと、悪いものをわけてしまって、自分の幸福を考え、子どもの幸福を考え、あるいは人の相談相手になったとしたら、決して、真の幸福を正しく見た(正見)とは言えない ・・・ と思いますね。









甘さを求める不幸 ④ ・・・ お母さんへ再び

2010-05-06 08:46:54 | Weblog
 辛い味、酸っぱい味、苦い味等々、総ての味を好んで食べる人のことを食通と言います。
言ってみれば、この世にある食べものを最大限に味わって、人並み以上に食べものの喜びを感じていく人というのは、甘さだけでなく、辛い、苦いという味もちゃんと味わえる人なのです。
 (ただ最近は、食通ぶってる人は増えても ・・・ 本物の食通は、とんと少なくなりました)

 もし、自分の子どもに、甘いものは良いもの、辛くて苦いものは駄目なものとより分けて、甘いものだけを与えていたら、この子どもは、せっかくこの世にある美味といわれるもの、素晴らしいと人々が喜ぶ味を、生涯知らずに、単調に暮らしてしまうことになる ・・・ のではないでしょうか。

 これを、舌で味わう味でなく、自分が全身全霊をあげて味わってゆく、「人生の味わい」というものとして考えたら、さて ・・・ 。









甘さを求める不幸 ③ ・・・ 変化

2010-05-06 07:51:49 | Weblog
 子どものときには、ピリピリ辛いワサビを取り除いて、「カラシ、イヤ」とか、「ネギ、イヤ。ニンジン、イヤ。フキ、イヤ。フキノトウ、なおさらイヤ」と言っていた子が、だんだん大人になってきますと、「いやぁ!にぎり寿司は、ワサビが効いていなけりゃあ」などと言って食べたり、「このフキノトウの苦味、なんとも言えん。お母さん、もう一本つけて」となったり、あるいは、アユの腹わたが苦くておいしい ・・・ と こうなるのです。





甘さを求める不幸 ② ・・・ お母さんへ

2010-05-06 06:08:38 | Weblog
 あまいはおいしい、にがいはまずい、からいもまずい ・・・ 現に子どもと一緒ににぎり寿司を食べるとき、「お母さん、この下に入っているからいの取って」と言います。
「ニンジンは体にいいよ」と言いますと、「くさいからイヤ」と言う。
フキノトウなんか食べさせたら、もう三日ぐらい恨まれます。

 だから子どもは、甘いもの、甘みのあるちょっと塩気のあるものというのを、おいしいと言います。
そこで、親が、辛いもの、苦いものはまずいものと考え、子どもを幸福にしてやりたいから子どもが喜ぶ甘いものばかり食べさせていたら ・・・ どうなりますか。

 健康のことはしばらくおいて、この子は、甘いという味しか知らずに、一生が終わってしまうでしょうね。





甘さを求める不幸 ① ・・・ 「うまい」・「あまい」

2010-05-06 05:31:33 | Weblog
 子どもというのは、初めから大人のような味覚は発達していません。
だから、大根おろしだとか、ピリピリしたり、舌ざわりが悪かったりするものは吐き出してしまいますけれど、たいがいのものは食べてしまいます。
だから、小さいときに、親がおいしいものだけ食べさせるということは、好き嫌いの原因になるわけです。
 その子どもの味覚で最初に目覚めてくるのが、甘い味なのです。

 我々の年齢になると、いろんな味がわかってきますけれど、さらにどんどん老化していきますと、また、味が次第にわからなくなってきて、最後に残るのはやっぱり、この甘いという味なのだそうです。
 ですから、お年寄りには、ちょっと甘いめに味つけしてあげると、食べやすいと思います。

 この甘いという味が、いちばん最初にわかり、いちばん最後まで残る、おいしさの一つの味ですので、私の子どものころは、これを甘(あま)いと読むと同時に、甘(うま)いとも読みました。
 今は、そういう読み方はさせていないようですが、昔は、「うまい」ということは、「あまい」ということになっていたのです。