今年8月のお盆に向けて、
大阪でユニークかつ大規模かつ密やかなイベントが進行中です。
題して、
【七墓巡り復活プロジェクト】
2012年8月15日(水)
「七墓巡り」とは江戸時代の大阪町衆の風習で、毎年、盆になると市中郊外の七墓を巡り、有縁無縁を問わず「同じ大阪に住んでいた町衆、先人ではないか」とその霊を慰めたもの。また江戸後期ともなると若い男女のデートコースとしても活用されたようで、町衆は自由闊達に「遊び心」を持って七墓巡りを楽しんだという。
「大阪七墓巡り復活プロジェクト」は江戸期の都市祭礼であった七墓巡りと、町衆の「遊び心」を130年ぶりに復活させようというもので、七墓跡において語りや詩の朗読、演劇、歌、ダンス、音楽といった7つの遊び心溢れるパフォーマンスによって、大阪の町衆の霊を慰めることを企画している。
つまり、この8月15日に、大阪市内各地にある古来の墓場跡にて七組のパフォーマンスが展開。
それを巡って観てまわる。という企画です。
「大阪七墓巡り復活プロジェクト」
http://m.facebook.com/osaka7haka
アサヒ・アートフェスティバル 2012 参加作品
http://www.asahi-artfes.net/program/2012/post-15.html
さてさて、
先日、7月8日には、このプロジェクトにむけての公開リハーサルに参加してきました。
2012年7月8日(日)
【第3回トークセッション&公開リハーサル~葭原墓地編】
木室陽一の担当は、葭原墓地(今の天神橋筋六丁目あたり)。
いまは繁華街のど真ん中ですが、
中世の頃のこの地は、海と河の合流点。岬の先端にあった墓地で、「沖向かい地蔵」というお地蔵さまが今も残り、海の近い土地であった事を示しています。
そこに河からの堆積物がたまり、湿地帯となって一面の葦の原であったことから「あしのはら」。「あし」を「よし」と読み替えて、「よしわら」となりました。
墓場はたいてい、都市と村の境目にあり、また生と死の出会いの場所でもあるため、そこは一種の無法地帯・禁忌をおかすエリアともなり、ここに人びとを案内する役目が今回の趣向。
ルールが通用しない事が肌身に感じとられ、死ぬ覚悟、死を覚悟する。
そこに近づくのに、恐怖と緊張ではなく、遊びと楽しみから導き入る。
縁あるところから、縁なきところへ。
開かれた無縁が、
わたしは、ここで生きて行く
という表明となりはしないか。
ゆえに、無縁仏と向かい合い、供養をする。
さまざまな歴史の表層に折り重なってきた、先人の・先人との供養の営みに触れることで、
ここで生きて行くという表明。
僕としては、
「私達はこれからも生き続けられるでしょう」としている前提に浸りきっている自分に気づき。
さて、そこからどうやって「生き死にに関わる切迫感」を取り戻すのか、が課題。
恐怖や痛みを伴うものでなく、
共感や行動を伴うやり方で。
導き、導かれるような。
なんて事を、
陸奥氏、岸井氏(この日は、Skypeにて参加)、岡本氏、さらに10名ほどのお客様とのトークセッションで感じた次第。
13:00~カマンメディアセンターにて
【公開リハーサル】
さて、その後。
「茶遊び」のスタイルによる公開リハーサル。
陸奥氏がこの日の主人。
用意していただいたのは「梅ようぎ茶」
要は、塩こんぶ茶ですね。さすが大阪。
カマンメディアセンターで、お茶をいただいて、
それから、駅に移動して地下鉄に乗って、
天神橋筋六丁目へと向かいます。
目指すは、「沖向かい地蔵」。
アーケードの賑やかな商店街のひとつ裏手の道。
駐車場と医院とに挟まれた一角に、地蔵さまはいらしてました。
たしか、陸奥氏からのオーダーは、
お客様一人一人にむけてのものでした。
興にふれ、皆に手渡した花の香りと、その朽ちてゆく臭いとが手に残りながらの踊り。
参加者のみなさんとの距離。
狂気をもとめつつ。
ぐるりとまわり、また地をも穿ち。
未解決を残したまま。ひとおどり。
さぁて、どぉだったのだろう?
その疑問を、ゆっくりと8月15日まで噛みしめたいと思います。
陸奥氏からは、「梅ようぎ茶」一袋。
また、参加して下さったお客様から、ルイボスティーを、いただきました!
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