退屈しないように シニアの暮らし

ブログ巡り、パン作り、テニス、犬と遊ぶ、リコーダー、韓国、温泉、俳句、麻雀、木工、家庭菜園、散歩
さて何をしようか

幸福な世界 2

2015-05-10 07:22:01 | 韓で遊ぶ


涙の弁当

今日、彼は放送局に来ています。
ある朝の番組で、長く消息が途切れ、会えなくなった人を探してくれるというのでした。彼は、しわが深くなったであろう恩師に会おうと来ていたのでした。小学校を卒業して30年ぶりのことでした。
「10年と言うと、国も変わるといいますが、30年とは、、。さあ、30年の間、恋しかった先生、、まず、お呼びしましょうか。」
ついに、あんなにも恋しかった先生がゆっくりと入って来ました。
30年の歳月が流れましたが、決して互いに忘れることができなかった師匠と弟子が互いに走りより手を握りました。
「先生、私を覚えていますか。」
「もちろん、覚えているとも。イビョンソク。」
銀髪がきれいな先生は穏やかに言いました。
二人の目にはいつの間にか涙が浮かびました。
「お二人は、互いに贈り物を準備して来ているとおっしゃいましたが。さあ、何でしょうか。」
二人はにっこり笑って自分の贈り物をみせました。
ゆがんだブリキの弁当と綿の蒲団一組。
その特別な場所に年老いた弟子は古いゆがんだブリキの弁当を、先生は綿の蒲団を一組持って来たのでした。
「ブリキの弁当と蒲団一組。お二人も本当に変わった贈り物を持って来たようですが、何か特別な訳でもあるのでしょうか。」
二人は30年前の記憶をたどりました。
先生の記憶の中でビョンソクはとても貧しい子供でした。
子供たちが一ヶ所に集まって弁当を食べる昼の時間になると、ビョンソクはいつも外に出て来て花壇に座っていました。お日様で空腹を満たすように、ビョンソクは毎日そうやって昼の時間を過ごしました。その時、見上げていた空がどんなに青かったことか、、、。
その日も空腹に疲れてコクリコクリと居眠りをしていると、急に空から水が降って来ました。
「あれぇっ。」
ビョンソクはびっくりして立ち上がって上を見ました。
担任の先生が、食事後、弁当をすすいだ水を何気なしに花壇に捨てたのでした。
「これは、濡れちゃったわね。ごめんね、ビョンソク。先生が、ビョンソクがそこにいるとは思わなかった。で、ビョンソクは昼ごはんを食べないで、そこで何をしている。」
「あ、はい、、、そ、、それが、、、。」
ビョンソクは答えることもできず口ごもり、先生におなかから出るグーというという音を聞かれるかと、ただ走って行きました。
次の日の昼の時間、先生が近づいてきて弁当をひとつ差し出しました。先生はその時から毎日、弁当を二つ包んできて、ひとつを彼に渡したのでした。愛がいっぱいに盛られた黄色いブリキの弁当。
翌年、転勤していく日まで、弁当はもちろん、運動会の時には運動靴を、秋になれば手袋を他の子供たちに知られないように準備してくれた先生、、、。
ビョンソクは学校で寝ることもありました。一部屋に8人の家族が寝るのが大変で、教室でこっそり寝て、朝、家に帰ることもしましたが、そうしていて当番に見つかって走り出したこともありました。ところが先生はその時のことも知っていたのでした。
教室で寝ていた弟子の身の上が、忘れられないつらさとして心に残っていた先生は、30年ぶりの出会いに綿の蒲団を持って来たのでした。
つらく、ひもじい頃をよく生き抜いて成長した弟子の前に、先生が持ってきた綿の蒲団は、30年前に弁当を差し出してくれた先生の心のように、暖かくて涙の出るような贈り物でした。
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幸福な世界 2

2015-05-09 05:43:45 | 韓で遊ぶ


雨が降る日の傘

私は雨が降ると、まず心配になります。
私は身体に障害がある子供の母親だからです。
「雨が降ると、いつもよりもっと大変な1日になるのに、、、」
少しでも曇ったりすると、こんな心配な気持ちになりました。その日も雨が降るなり、いつものように子供は駄々をこねました。
「やだ、やだ、行きたくない。あんあんあん、、、、」
身体が思ったように動かなくてかんしゃくをおこす子供を、やっと特殊学校へ送り出しても、私の心配は続きました。
いつも手のかかって大変な子供のかんしゃくは、天気が曇ればよりひどくなって、雨が降る日には、寝転がって泣き続け、疲れきって寝てしまう程でした。だから、雨の降る日には間違いなく子供の出席簿には赤線が引かれ、私は一日中、子供をなだめようと疲れて気力が尽きる、そんな状況でした。
そんなある日のことでした。
何日か天気が良く、学校で行くという団体映画観覧に何の心配もなく送り出しましたが、到着する時間ぐらいに急に夕立が降りだしました。
「お、これは、どうしましょう。」
傘を持ってあたふたと家を出た私は、停留所の近くに車を止めて、子供が来るのを待ちました。
その時、閑散としていた町外れのバス停留所に、人が一人二人と出てきました。皆1,2本ずつ傘を持った人たちで、あっという間にバス停留所の周辺がいっぱいになりました。
その人たちは、皆子供たちを迎えに来た先生たちで、バス停留所は黄色の傘、青い傘、、たくさんの傘で市場のように混みました。
私は涙が出ました。
間もなく子供たちを乗せたバスが見えました。
バスが止まり子供たちが一人二人と降りるごとに、傘を持って待っていた先生たちが、さっと抱いて下りては傘をさしてやりました。
ひどくダダをこねる子供たちを暖かくなだめながらです。
最後にバスから降りる息子にも担任の先生が手を差し伸べました。
息子はうれしそうに笑いました。そして先生にしっかりと抱きつきました。
雨足が強く、傘を持っていても、びっしょり濡れていましたが、私は車から降りませんでした。
先生の愛が、子供を春の雨のように包んでくれていて、どうしても出て行くことができなかったのでした。
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幸福な世界 2

2015-05-08 07:14:33 | 韓で遊ぶ


おじいさんの借金

田舎の村の国有林管理所に一人のおばあさんが来ていました。
管理所の女性が領収書をくれて言いました。
「おばあさん、やっと終わりましたね。はい、領収書。」
領収書を受け取ったおばあさんの目に涙が浮かびました。1,263,000ウォン。それは死んだおじいさんが、山火事を出した罪で国に納めた賠償金でした。
山へ薬草を掘りに行きタバコの吸殻を誤って捨てたのが災いの元でした。
火は瞬く間に広がりました。
「か、、、か、、火事だ。」
そのことがあった後、病んでいたおじいさんは病床についてしまいました。薬草でも掘らなければ返すこともできない借金1,263,000ウォンを、おばあさんに預けました。
「お前が私の代わりに返してくれ。子供たちには何も言うな。」
おばあさんは目の前が真っ暗になりましたが、おじいさんの代わりに借金を返すと約束するしかありませんでした。おじいさんはその頼みを残して亡くなりました。
「あなた、、、あなた、、、」
そうやっておじいさんがなくなって20年。
約束を守るために背中が曲がるほどに仕事をしましたが、子供たちを学校にやったり食べさせたりと、借金はほとんど減りませんでした。
5,000ウォン返す月も、30,000ウォン返す月もありました。1,000ウォン一枚を分けて支払うくらい苦しい時には、何も持たないで行き、ちょっとだけ待ってくれと、必ず返すからどうか待ってくれてと苦しい事情を打ち明けました。
1,263,000ウォンは江原道の奥地、お金を稼げるところのないおばあさんにとっては、とても大きな金額でした。
そうやってお金を返し始めてから2年目の81年に200,000余ウォンを返して、次の5年目の86年に300,000ウォン返しました。おじいさんの遺言のため子供たちには、何の素振りも見せることができませんでした。
成長した子供たちが借金の帳簿を見て何だと聞くたびに慌てて隠すのが常でした。
そうやって20年が過ぎて、とうとうお金を全部返した日、おばあさんは酒を一本と領収書を胸に抱いて、おじいさんのお墓に行きました。おばあさんは領収書を差し出して言いました。
「おじいさん、私がきましたよ。」
「おじいさん、今、全部返しましたよ。私が悪いから、あなたとの約束を守るのに20年もかかって、、」
重い荷物をやっと降ろして山を下りるおばあさんの頭の上に、夕焼けがきれいに、きれいに広がっていました。
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幸福な世界 2

2015-05-07 05:53:09 | 韓で遊ぶ


美しい旅行者

彼の仕事は旅行ガイドです。
彼は仕事として世界を回って10年。彼は若い頃から旅行が好きでしたが、それが仕事となってからは、本当に大変なことが多かったのでした。
特に、嗜好がそれぞれ違う旅行者が10人、20人集まって1週間、10日間旅行するとなると、その間には忘れられない人もいるし、二度とは会いたくない人もいるものです。
そんな彼がパリツアーに行った時のことです。
比較的若いカップルの中に70歳の老夫婦が入っていました。皆、始終その老夫婦の同行を快く思わない気配でした。日程に狂いが生じるであろう事は明らかだったからです。
それに、おばあさんは少し痴呆の症状があって、時々、話にもならないような無理を言ったりし、移動しなければならない時間に来なくてヒヤヒヤしたりもしました。
「あぁ、どうして、ああなのかしら、ちぃっ、、、」
道路の向かい側で、女性たちは不平を並べていました。
「あぁ、日程が狂ってしまったわ。」
一行の不満はだんだん大きくなり、おじいさんは若い同行者たちにすまなくて身の置き場がありませんでした。
一騒動があった日の夕方、おじいさんが一行をある露天カフェに招待しました。面倒だという気持ち半分と、好奇心半分で、ただのコーヒーでも飲もうと集まった一行の前でおじいさんは丁重に頭を下げました。
「実は、私が若かった頃、家内に約束したことがあります。私たちが70歳になった年に、必ずパリに行かせてあげるということでした。」
若い頃にパリ留学を夢見る才媛だったおばあさん。貧しい苦学生だったおじいさんは、そんなおばあさんを愛するあまり、どうしてもパリに行かせることができませんでした。
「だめな夫に出会ったために苦労して生きてきて、余裕ができたら病気になったんですよ。」
おじいさんは話をやめてうつむきました。
「今日は、家内の誕生日なんですが、、、」
おじいさんはそれ以上言葉を続けることがでず、事情を聞いたカップルたちは濡れた目で老夫婦の美しい旅行を、そしておばあさんの誕生日を祝ってあげました。
黄昏のパリ旅行は、ばら色の未来を喜んで捨てて伴侶になってくれたおばあさんに対する、おじいさんの生涯最高の贈り物だったのでした。
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幸福な世界 2

2015-05-06 06:31:12 | 韓で遊ぶ


蒲団一組

夫婦は結婚12年目にして小さな家を手に入れました。
成功した友達に比べれば、とても粗末な鳥の巣のようなものでしたが、世の中のものをすべて手に入れたように胸がいっぱいで、家の中の隅々を掃いて家具を磨き上げて、その夜は遅くまで眠ることができませんでした。
「お前、、、家を持ったことが、そんなにもうれしいか。」
妻は笑いながら答えました。
「もちろんよ、うれしいわ。ずっと夢見ていたことだもの。」
大変だとも思わないで、一日が過ぎていきました。やっと荷物の整理を終えて横になって、他人の家の玄関横の部屋を借りて転々とした頃の事が、走馬灯のように思い浮びました。
「あなた、あの家、覚えている。昔、住んでいたあの玄関横の部屋。」
「あ、覚えているよ。」
「私たち、そこに行って見ましょうか。」
匙一本を持って甘い新婚生活を夢見た、貧しい頃に借りた一部屋。そこは、妻の記憶の中にも鮮やかに残っている思い出の場所でした。夫婦は、次の日、市場に行き、やわらかくて暖かい蒲団を一組買って、新婚暮らしを始めた坂の上の町の玄関横の部屋を訪ねて行きました。
階段を上りながら妻が言いました。
「こんなに高かったかしら。」
夫も同じように言いました。
「こんなに高いとは思わなかったな。」
夫婦が昔住んでいた家に着いた時、空は暗くなってきて、手のひらを二つ合わせたほどの窓から、オレンジ色の光りが漏れて来ていました。オムツがひらひらゆれて赤ちゃんの泣く声が聞こえる家。まるで時間が逆に回ったように思えた夫婦は、持ってきた蒲団をその部屋の縁側にそっと置いて帰りました。その日、その部屋の若い奥さんが見つけた蒲団の包みの中には、蒲団よりも暖かい手紙が入っていました。
「私たちは10年前にこの部屋にすんでいた者です。どんなに寒くても、家に帰って来て蒲団をかければ、この世の中のどこよりも暖かかったものです。」
坂の上の町の階段を下りながら、夫婦は目を合わせて笑いました。
昔の家を訪ねて行き、顔も知らない人たちに蒲団一組をプレゼントして下りてきた夫婦は、改めて悟りました。その蒲団は、玄関横の部屋の家族の冷たい足よりも、夫婦の心をやさしく包みこむ蒲団として生涯、残るものだという事を。
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幸福な世界 2

2015-05-05 06:34:09 | 韓で遊ぶ


美しいキス

その女性は大きな手術を受けて、今、目が覚めました。
左の顔が麻痺し口が一方にゆがんだ彼女の病名は皮膚ガン。乳白色に輝いていた頬の筋肉と神経まで入り込んだガン細胞を取り除くために、彼女は神経を切り取る手術を受けたのでした。
処置をした看護師が病室を出て行くとすぐに夫を見上げて言いました。
「あなた、鏡を見せてちょうだい。」
女性は包帯をほどいて顔がどうなっているのか見たくて鏡を頼んだのでした。夫は何度かためらいながら、ゆっくりと鏡を差し出しました。
「お、、鏡ね、、だけどね、おまえ、、、」
不安の中で、震える手で鏡を受け取った女性、その丸い円の中には、もはや彼女の昔の姿はなくなっていました。
神経を切ったということは回復が不可能だということ、一生この姿で生きていくしかないということを、女性は知っていました。
女性は泣き、夫がなだめました。
「大丈夫だ。お前」
「ううう、、どうしよう、、私どうしよう。」
「大丈夫だって、大丈夫よ。顔は必ず治るよ。」
夫婦は固く手を握りました。
秋の紅葉が、妻を慰める言葉が見つかず心を痛める夫の目に入りました。夫は急いで妻を車椅子に乗せて病室を出ました。
「どこに行くの。」
「お前、覚えているかい。」
夫は車椅子を押して庭の紅葉した林に入って行きました。
「いつだったか、この美しい紅葉を見ながら約束したこと。」
「あなた、、、」
妻は、紅葉した木に囲まれて夫の言葉を聞いていました。
「死ぬ時まで、どんな姿になっても、互いを見ながら一緒に生きていくことさえできたならば、感謝して生きて行こうと言ったことさ。」
夫の言葉で妻の目に涙が浮かびました。
「でも、ちがうよ。ちがう、、、」
妻に対する変わりない愛を、言葉では、これ以上表すことのできなかった夫は、妻のゆがんだ顔をなでてささやきました。
「お前は、私にとっては変わらずに美しい。」
そして言葉の代わりに長いキスをしました。それは夕焼けよりも紅葉よりも美しいキスでした。
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幸福な世界 2

2015-05-04 05:52:34 | 韓で遊ぶ


手紙

雨がしとしと降る日のことでした。
彼は粗末な小さな部屋の中で、妻の写真を心うつろに眺めていました。
妻が長い病気の末に亡くなってから1年、心にしみる恋しさに、絶望の中でもがいていた男はとうとう決心しました。
妻について行くことにしたのです。彼はめちゃくちゃに散らかって、妻のいない場所がより大きく見える家の中をきれいに整理しました。
「なあ、俺だめなやつだろう。すまないな。もうこれ以上は耐える力もない。ううう、、」
彼はがらんとした部屋の中で、妻の写真を見て涙を流しました。
その時、寝ていた息子が目をこすりながら起きて来ました。
「パパ、何してるの。」
父のすすり泣きに目を覚ました息子が、父のそばに近づいてきました。
やっと6歳。父の絶望を、そして絶望の末の選択を理解するには、あまりにも幼い息子です。
「サンウや、おばあさんの言うことを良く聞いて、パパに会いたくても我慢しないとだめだよ。そうすればいい子だ。」
子供はいい子になりたくてうなずきました。
彼は、そう固く言い聞かせた後、出張に行くと言って子供を妻の実家に預けました。
何も知らないおばあさんとサンウは、久しぶりに会えてうれしい気持ちでした。
「サンウ、おばあさんに挨拶しないと。」
「こんにちは。」
ですが、彼の悲しみを読むかのように、空からは強い雨がザーと降っていました。
子供を預けて、重い気持ちで家に帰ってきた彼は、心の中で妻を呼びました。
「なあ、もう少し待っていてくれ。お前のところに、、、お前のところに行くから。」
薬のビンを持ち、男は心の中で話しながら妻の写真の前に座りました。
心の準備を終えた後、妻の痕跡を片付けていた男は、たんすの中、奥深いところに、妻の匂いがしみこんだ日記帳を見つけました。日記帳をひろげようとした瞬間、ポロリと手紙が落ちました。
手紙は、妻が死を予感した後に男に残した遺言のようなものでした。
「サンウの誕生日には写真館に行って写真を一枚撮ってください。そして、化粧台の引き出しにそれによく合う額が入っているので、額に写真を入れて居間にかけてください。同じものを20個買って10個残っているので、20歳になるまでそうしてやってください。戸棚にあるワインはあなたが飲んではだめです。サンウが生まれた年のものだから、新婚旅行に行く時に持たせてください。」
「夏に出勤する時には、日焼け止めを塗るのを忘れないで下さい。そうしないと皮膚が痛んで年よりも老けて見えます。」
「春、秋は虫下しを飲まなければだめよ。あなたもサンウも子犬のようだから。」
「そして一日に一回はサンウを抱きしめて、愛していると言ってやってください。」
ここまで読んで男は涙があふれてしまいました。
妻の言葉は続きました。
「永久歯が出たら、歯科へ行ってフッソ治療を受けるようにしてください。」
「新しい友達ができたらどんな子か、必ず会ってください。」
男の自殺の決心を翻したのは、手紙の一番、最後に書かれた文章でした。
「私が一番、願うことは、あなたが幸福に暮らすことです。」
妻の顔が浮かびました。男は妻の手紙を胸に抱いて、しばらく泣き、そして涙を拭きました。そして、これ以上泣かないと決心しました。男は妻の手紙を心の中に大事に畳んで置き、そしてサンウをつれて写真館に行きました。
写真館のおじさんはサンウの顔をあっちこっちに向けさせました。
「頭を左側に、もう少し、もうちょっと、いいね。そのまま。」
男は、これからは弱い心にならないと決心し、居間の壁にサンウの写真をかけながら明るく微笑みました。
これからは、妻があれやこれやと念を押した事をやってあげないとならないから。男はサンウとその写真を見ながら両手をぎゅっと握りました。
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幸福な世界 2

2015-05-04 05:52:34 | 韓で遊ぶ


手紙

雨がしとしと降る日のことでした。
彼は粗末な小さな部屋の中で、妻の写真を心うつろに眺めていました。
妻が長い病気の末に亡くなってから1年、心にしみる恋しさに、絶望の中でもがいていた男はとうとう決心しました。
妻について行くことにしたのです。彼はめちゃくちゃに散らかって、妻のいない場所がより大きく見える家の中をきれいに整理しました。
「なあ、俺だめなやつだろう。すまないな。もうこれ以上は耐える力もない。ううう、、」
彼はがらんとした部屋の中で、妻の写真を見て涙を流しました。
その時、寝ていた息子が目をこすりながら起きて来ました。
「パパ、何してるの。」
父のすすり泣きに目を覚ました息子が、父のそばに近づいてきました。
やっと6歳。父の絶望を、そして絶望の末の選択を理解するには、あまりにも幼い息子です。
「サンウや、おばあさんの言うことを良く聞いて、パパに会いたくても我慢しないとだめだよ。そうすればいい子だ。」
子供はいい子になりたくてうなずきました。
彼は、そう固く言い聞かせた後、出張に行くと言って子供を妻の実家に預けました。
何も知らないおばあさんとサンウは、久しぶりに会えてうれしい気持ちでした。
「サンウ、おばあさんに挨拶しないと。」
「こんにちは。」
ですが、彼の悲しみを読むかのように、空からは強い雨がザーと降っていました。
子供を預けて、重い気持ちで家に帰ってきた彼は、心の中で妻を呼びました。
「なあ、もう少し待っていてくれ。お前のところに、、、お前のところに行くから。」
薬のビンを持ち、男は心の中で話しながら妻の写真の前に座りました。
心の準備を終えた後、妻の痕跡を片付けていた男は、たんすの中、奥深いところに、妻の匂いがしみこんだ日記帳を見つけました。日記帳をひろげようとした瞬間、ポロリと手紙が落ちました。
手紙は、妻が死を予感した後に男に残した遺言のようなものでした。
「サンウの誕生日には写真館に行って写真を一枚撮ってください。そして、化粧台の引き出しにそれによく合う額が入っているので、額に写真を入れて居間にかけてください。同じものを20個買って10個残っているので、20歳になるまでそうしてやってください。戸棚にあるワインはあなたが飲んではだめです。サンウが生まれた年のものだから、新婚旅行に行く時に持たせてください。」
「夏に出勤する時には、日焼け止めを塗るのを忘れないで下さい。そうしないと皮膚が痛んで年よりも老けて見えます。」
「春、秋は虫下しを飲まなければだめよ。あなたもサンウも子犬のようだから。」
「そして一日に一回はサンウを抱きしめて、愛していると言ってやってください。」
ここまで読んで男は涙があふれてしまいました。
妻の言葉は続きました。
「永久歯が出たら、歯科へ行ってフッソ治療を受けるようにしてください。」
「新しい友達ができたらどんな子か、必ず会ってください。」
男の自殺の決心を翻したのは、手紙の一番、最後に書かれた文章でした。
「私が一番、願うことは、あなたが幸福に暮らすことです。」
妻の顔が浮かびました。男は妻の手紙を胸に抱いて、しばらく泣き、そして涙を拭きました。そして、これ以上泣かないと決心しました。男は妻の手紙を心の中に大事に畳んで置き、そしてサンウをつれて写真館に行きました。
写真館のおじさんはサンウの顔をあっちこっちに向けさせました。
「頭を左側に、もう少し、もうちょっと、いいね。そのまま。」
男は、これからは弱い心にならないと決心し、居間の壁にサンウの写真をかけながら明るく微笑みました。
これからは、妻があれやこれやと念を押した事をやってあげないとならないから。男はサンウとその写真を見ながら両手をぎゅっと握りました。
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幸福な世界 2

2015-05-03 05:26:08 | 韓で遊ぶ


おじいさんの監視

庶民が暮らす賃貸アパートの入り口のところに露天が立ちました。
トッポギのおじさん、野菜のおばあさん、豆腐のおばさん、、、、。皆がそれぞれの板に、いくらにもならないような物を置いて、小銭を稼ぐという人たちでした。私はねぎ一本でも、小奇麗な店で買うよりは、この露天で買うと気が楽でした。ところが、その道をはさんだ向かい側のバス停留所の近くに、この露天の人たちの好奇心を刺激するおじいさんが一人立っていました。
曲がった体、みすぼらしい服装、浮浪者にも見える老人は、朝、市が立つ頃から、夕方、市が終わるまで、立ったり座ったり、その場をぐるぐる回って露天の方を眺めていました。
「あのおじいさん、また来たわね。」
「ボケているのかしら。でなければ何で一日中ああやっているの。」
「きっと、そうだわ。」
おばさんたちは噂をしました。
疑問が解けたのは、私がおじいさんを見つけた1ヶ月後でした。ある日、市場を見て帰る途中、老人と出くわした私は、気になっていたことを聞きました。
「おじいさん、ここに住んでいるのですか。」
おじいさんは、うなずきました。
「あの、、気になることがあるのですが。なぜ、一日中、そこに立っているのですか。」
身体が不自由に見える老人は、不自由な言葉でやっと言葉を続けました。
「露天に家内がいるんだ。私が身体が悪くて商売をすることができないから、、、」
おじいさんは、露天のほうに行きました。
若い頃から苦労をさせたおばあさんを道端に出しておいて、家で楽にしていることがすまなくて、悪い身体を引きずって来て、おばあさんが商売をする姿をそうやって一日中見守っているということでした。
そうやっても何の助けにもならないけれど、苦労を分け合うという老人の執着、それは明らかに愛だったのでした。
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幸福な世界 2

2015-05-02 06:17:09 | 韓で遊ぶ


そうだ、、かわいいねぇ

静かな寂しい週末の朝でした。
一人で暮らしている家に電話がかかってきました。
「お義母さん、午後に伺いますから。」
この前、家族に迎えたばかりの嫁でした。息子夫婦は、毎週、宿題のように家に立ち寄って、私も決まった日課として嫌ではなかったのでした。
「ピンポン。」
息子と嫁が来たのかチャイムがなりました。
「お義母さん、こんにちは。」
「おお、よく来たね。疲れているだろうに。毎週、来なくても、、」
「お義母さんに会いたいから、そうはできないわ。」
口の調子もいい嫁の視線が、私が一人で取り出して見ていたアルバムに釘付けになりました。
先立った夫が海辺で格好よく立っている姿、裸で立っている子供たち。アルバムには家族の曲折の多い半世紀がそのまま入っているのでした。
嫁は何よりも自分の新郎の裸ん坊の写真を見て大はしゃぎでした。
そうしていたら急にアルバムのビニールをはがして写真を取り出しました。
私は驚いて訊きました。
「あら、写真をどうして。」
嫁は当然なように答えました。
「もらっていこうと思って。私たちのアルバムに入れないと。」
瞬間、気持ちがガクンと崩れました。
嫁は写真をカバンに入れ、私は息子を連れて行っただけでは足りなくて、今度は写真まで奪っていくみたいだと、寂しさこの上ない気持ちでした。
息子夫婦がそうやって帰った後、息子なんて子供の頃だけだわと、くどくど繰り返していたある日、嫁が訪ねてきました。
「お義母さんにあげたい物があってちょっと立ち寄ったの。」
「私に。」
笑いながら嫁が出したものは、息子と嫁、二人が生きてきた痕跡がすてきに編集された額でした。
「こんなにちゃんと育ててくれてありがとうございます。私たち一生懸命、生きていきます。」
その短い文章を読んで、暖炉に火をいれたように胸が暖かくなりました。あえてなんでもないような素振りで受け取りましたが、なぜか涙が出て、、、
「そうだ、、かわいいね。、」
私は決して大事な息子となくしたのではなかったのです。賢くてかわいい嫁をもらったのでした。
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