私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

それこそ「ひ つ け え ど」と言われそうですが・・・・

2019-10-26 05:37:20 | 日記
 もう一回だけ「即位礼」について書きますからよかったら読んでみてください。と言うのは22日が雨だったので余りこれも話題に上がらなかったのですが・・・・

 と言うのは、その翌日の新聞報道によりますと仏紙フィガロが伝えたのだそうですが
 「banzaiは文字通りには1万年を意味し、天皇の末永く生きるよう願うものだ・・・
 と解説を加えた」
 とありました。

 この「banzai{万歳}」ですが、我々誰でもが日常によく「ばんざい~」と両手を上げて大声を出して叫ぶように言いますが、その意味を「ちこちゃん」じゃあないのですが、余り深く考えないで使っていましたが、出処はこれだなと生まれて初めて思いました・・・・

 と言うことで、この「萬歳」について即位礼と合わせて考えてみました。
 此の日が晴れの日であったら、その前庭に沢山の幛幡が列立して、そこでも何らかの儀式があったはずなのですが・・・その幛幡の種類も、その立て方もやはり時代と共に変化するのだそうです。奈良平安の昔には
 「中央に銅鳥幢、左右に日月像幢、その左右に四神旛・・・これより南折して萬歳旛、鷹形旛・・・」
 をと「有職故實」にかいてあります。しかし、今回の即位礼では中央両側に立てられている旗は赤地に金糸で刺繍された「萬歳」と書かれた旗で、古来からの「銅鳥幢」等の旗は見ることはできませんでしたした。ここら辺りにも時代の変化が見られるのです。

 とまあ、知ったかぶりをして、今回の即位式について、くどくどと書いたのですが、また、明日からは「古事記」に戻ります。 
       

「天皇即位礼」で疑問に思ったことが一つ・・・・

2019-10-25 06:46:14 | 日記
 皆さんはお気付きかどうか分かりませんが、私はこの即位礼の時着用された服装について疑問に思ったことが一点ありました。まず、写真でどうぞ。先日の式の時の装束は

                

 です。先の天皇の即位式の時(皇太子時代)の装束は

                

 です。
 此の2枚の写真を比べてみると、皇太子時代には、前に平緒<ヒラオ>が垂れ下がっていたのですが、即位礼の時には着けられてはいませんでした。
 どうして、皇太子時代と天皇時代とでは同じ正服である束帯の筈ですが、このような差異があるのでしょうか????ご存じのお方はお教えいただけませんでしょうか。

 なお、連阿口傳抄(永綱装束抄)には束帯(正服)の次第が委しく書かれているそうですが・・・・

今少し「即位の礼」について・・・・

2019-10-24 08:55:49 | 日記
 というのは、即位の礼をテレビで見ていると、あまり話題にも上らなかったのですが、その時、私が特に関心を持ったのが常陸宮様の服装です。人目を引く赤黄色の袍<コロモ>です。天皇の「黄櫨染御袍<コウロゼンオゴホウ>」に比べ、ひときわ目立てます。
 
 さて、このような特別な朝廷儀式の時に着用する服は何時頃から定められたのかと思い例の
           「大宝令」
 を開きます。第六巻 第十九篇 衣服令の中の1条に「皇太子禮服」についての規定がありました。

  “禮服冠。黄丹衣。牙尺笏。白袴。白帯。深紫紗褶。錦織襪。烏皮舃”

 と。
 この「黄丹衣<オウタンイ>」が皇太子の御服です。どのような色かと申しますと、その製法が書かれた本(縫殿寮)が残っていますが、それによりますと
 「紅花・クチナシ・酢・麩の4品で染める」と書かれており、テレビてで見ておりますと、やや黄色を帯びた真っ赤な非常に派手な色に見えました。儀式が行われている正殿の中で唯一人目を衝く色でした。
 此の「黄丹衣」が使われていると云う事は701年に制定された「大宝令」以来の千三百年の此処にも歴史があるのだと云う事が分かります。

              

高御座<タカミクラ>から現代を考えて・・・

2019-10-23 06:47:35 | 日記
 昨日の「即位の礼」をテレビ観戦していたのですが、その中、特に、あの「高御座」の豪華さに目を引きました。何時頃からこのような形式で摂り行われてきたかその起源は分からないのだそうですが、奈良時代の元明天皇の頃からではないかと多くの歴史家は考えているようです。
 その造りは「古事類苑」と言う本によると

 「高御座は三層の継壇の上に八角形の屋形を立て、それには頂上に金鳳、八棟の端にも金鳳と玉幡、軒一辺毎に五面の鏡と唐草の飾あり、屋裏にも鏡がある。上には金銅唐草の帽額と蛇舌の装飾あり、中に繧繝緑畳、大和錦龍鬢土敷の上に大和軟錦毯代、東京錦御茵を敷き、御倚子を置く。」

 とあります。そして、更に、天皇の衣裳についても、

 「天皇袞龍御衣の御禮服で御し・・・」

 とあり、昨日の式で着用された「黄櫨染御袍」とは違う衣裳が元明天皇の時代には着用されていたらしいのですが???
 なお、今朝の新聞に「高御座」は天孫降臨の時から使われていたのだと説明がありましたが、それは間違いで、中国の制度が沢山日本に入ってきた奈良時代ごろから使われたと云うのが正しいのです。
 又、この「高御座」は、上から下を見下げる様になっていて民主主義の制度に反するなどと主張する人もいるのだそうですがこれもいかがなものでしょうか。千三百年の歴史がこの高御座には籠っており、それを日本の伝統として後世までに引き継ぐのも、現代の日本にとっては大切なことではないでしょうか。この制度があるから民主主義の社会が壊されるんて事は決してありません。

 そんなことを今朝から考えております・・・八十三歳のひまな年寄りのしそうなことですが???

[繧繝緑畳、大和錦龍鬢土敷の上に大和軟錦毯代、東京錦御茵]とは

           

 の様な敷物です。

天皇の「即位の令」が・・・

2019-10-22 10:15:52 | 日記
 今日、皇居で天皇の即位式が執り行われました。この式は「神武天皇」の時から始まったと「古語拾遺」に書かれております。それによりますと
 
「天富命が忌部を率いて剱鏡を正殿に奉じ、御璽を掛け、幣を陳べ、天種子命は天神の寿詞を誦し、宮門を祀り、十二の神籬を立て、日臣命は来目部を率いて、宮門を護り、饒速日命は内物部を率いて矛盾を立て、門を開いて天位の尊さを四方の国に見せしめられた。」
 
 とあます。

 このようにして始まった日本独自の「即位式」もやがて中国の天子の即位の様子などを参考にして平安期ごろからその形式が次第に変化して夫々の時代に即して儀式化されてきたのだそうです。
 しかし、明治42年の登極令には、
 「即位式は、必ず、京都御所の紫宸殿で挙行する」
 と書かれているのですが、昭和天皇まではその京都で即位式が行われましたが、先の天皇の時から東京で行われております。それも時代の変化によるものです。
 
 その様子をテレビ観戦したのですが、此の即位式をつらつら考えてみますと、日本のと言う国の伝統的な2600年のも間、神武天皇の時代からですが、と言う事は「縄文弥生の時代」から執り行われていた行事になるのですから、色々な意見はあると思いますが、今日の行事を含めて、種々な伝統的皇室行事を暖かく見守っていくのも日本人としての務めだと思います。それが日本のアイデンテティにもなるのですから・・・

 なお、あの「高御座」が登場するのは、奈良期の元明天皇の時からだそうです???