私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

虚空津日高と分かって・・・

2019-02-04 09:20:22 | 日記
 海神は、その木にいた壮夫<オトコ>が虚空津日高(皇太子)だと分かって、すぐ、

       “即於内率入而<スナワチ ウチニ ヰテイレ マツリキ>”

 「即座に、何はともあれ、その様な樹の上でなく、どうぞ、どうぞ、我が家にお入りください。」
 と、宮殿の中の部屋に案内するのです。
 古事記には、そのもてなしの様子が詳しく記されてあります。まず、

       “美智皮之畳<ミチカハノタタミ>”

 を敷いたとあります。
 これも宣長のお出ましですが、「美智」は、日本書紀には“海鱸<ミチ>”とあり、「あしか」のことだと説明がしてあります。興味あるお方は、大変面白くその「美智」について詳しく説明がしてありますので、お読みください。
 
 宮殿に案内して、そのあしかの皮を八重も敷いて、更に、

    “絁畳<キヌ タタミ>八重敷其上<ヤヘヲソノウエニシキテ>”

 を、これまた、絹で出来た敷き物を八重も重ねて敷き、その上に坐らせたのです。
 なお、「八重」というのは実際に八枚と云う意味ではなく、「それくらい沢山敷いて・・・」と云う位の意味で書かれた言葉です。
 なお、これほどまでに火遠理命を丁重に扱ったのを書紀には、「一書に曰く」として

   “慇懃奉慰<ネモコロニ ツカヘマツル>”

 とだけ書かれてあります。

 まあ、いずれにしても、ものすごく丁寧におもてなしをしたのだと言うことが分かります。「虚空津日高」だったからです。
 ここら辺りのもてなしの様子からも分かるのですが、先の塩椎神<シオツチノカミ>が、前もって綿津見神に、何らかの方法で
 「これから火遠理命をそちらの送り届けますから、どうぞ話を聞いてあげて、お助けいただきたいのですが・・・」
 とか何とか言って連絡していたと思います。そうでなかったならば、事前に大変高価な物まで用意して、座る場所まで準備することは出来てはいないはずですし、海の底にいる海神が樹の上にいる人が「虚空津日高」だと知ることもないと思われますが?????