「今すぐではありませんよ。夜が明けて、そして、やがて夜になるでしょう。そうしたら」
“用波伊伝那牟<ヨハ イデナム>”
「夜になったら、戸を開けて待っていますから出ていらっしゃい。それまでの間にそんなに騒がしく声を荒げないで待っていてくださいね」と諭すように沼河比売は歌います。
ちょっと冷やかし半分に歌った第一章のヒメの歌の内容とは随分な違いがあるように私には感じられてなりません。どうしてこんなにも、その歌の内容がちがたのでしょうかね???私は、此のヒメの後ろに、誰か姥みたいな人は付いて、どう歌えばよいか入れ知恵をしていたのではないかと思われるのですが?????
此処で又、チョット???話が飛ぶのですが、「私の町吉備津」には、古今集に「・・・・吉備の中山帯にせる 細谷川の音のさやけさ」の歌がある小川が流れております。その川に関した面白い話が平家物語にあります。そこに出ている話が、この沼河比売のお話とまんざら関係が無いとも思われませんので、横道へそれるのですが、少々長くなりますが、お聞きください。
古事記を離れて、平家物語は語ります。
時は安元の春のころ、まだ平氏に勢いがあった時です。上西門院の女房で、禁中第一の美女と歌われていた小宰相と云う人がいました。まだ16歳です。上西門院のお伴をして法勝寺に花見に行った時のことです。たまたま、そのお花見の警護をしていたのが平家の若武者「平通盛卿」でした。この人が小宰相を一目見て、その美しさにたちまちトリコになり、下世話に言う「ほれた」たのです。それからというもの、平家物語には、次のように書かれております。
“・・・初めは歌を詠み、頻繁に文を通わせたが、玉章の数が増すばかりで、うけいれられる気配はさらになかった。・・・・」
これが、この話の「はしり」です。もう少々、ちょっとばかりお付き合い下さいな。なお、玉章(たまずさ)とはラブレターの事です。老婆心ながら・・・