私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

「美袋」って知っている

2017-10-10 07:53:06 | 日記

 オホクニは「八上比売」が伯耆に逃げ帰ってしまったものですから、やれやれ安心とばかりに、出雲の国作りに取りかかったのかと思いきやです。「男の浮気心」というものはと、男である私さえ驚くような次なる行動に「オホクニ」は出るのです。

 高志国<コシノクニ>と言いますから、越前越後の名が残る今の福井から新潟辺りにかけての場所です。この神様は昔から随分と旅行が好きだったのでしょうかね。黄泉の国に行ったり、大和に行ったり、此の越の国にいったり、気軽に何処にでも飛んで行きます。これは、その昔、あの八十神の兄達に荷物の運び手として使われていた名残でしょうかね

 記紀等にはないのですが、此の他、「水戸黄門」ではないのですが、オホクニは日本全国色々な所に旅したという言い伝えが各地に残っております。その一つに、私が生まれた処総社市美袋にあります。「美袋」は「みなぎ」と呼ばれている所です。どうして此の地が「美しい袋みなぎ」かと言いますと、オホクニが、「八十神」のお伴をして、ある時、吉備の国にやって来ます。いわずと知れた、兄達の旅行用品を一杯に入れた荷物、そうです「大きな袋を肩にかけ」てです。兄達は先に行ってしまい、遅れて後からついて行きます。日が暮れてしまったのでしょうか、一人その袋を置いて野宿します。その袋を置いた所が大変美しい所だったので、此の地が「美しい袋を置いた場所」ということで、「美袋」とぴう名前になったと言われています。では、「袋」が「なぎ」かと言いますと、最初は「袋」でなく「囊」という字を使っていたのですが、この「囊」という字の書き方が難しいので、同じ「ふくろ}という読み方だった「袋」にしたのだそうです。その「囊」の音読み「のう」ですから、「みのう」が変化して、「みなぎ」になったのだと、古老から聞いていますが???オホクニが野宿した「大国山」も美袋にはありますよ。念のために。

 まあ、兎に角、このようにオホクニは旅が好きだったようです。思い立ったらすぐ何処へでも旅立って行ったのでしょうかね???さて、いったい何をしに、越国まで出かけていたっと思われますか???