”其生子者刺挟木俣而返<ソノ ウミマセル ミコヲバ キノマタニ サシハサミテ カヘリマシキ>”
そんな無茶なことができるものかと思うのですが、八上比売はご自分の子供を木の股に置いて故郷に逃げ帰ったのです。「どうして木の俣になどに」と思わざるを得ません。
どうして木の股なのでしょうか????先に、その父オホクニも、八十神達のいじめで木の中に挟まれまた事件がありましたが、何か上古の世界では、人が生まれ、そして、育つことと、木の俣とが深い関連のようなことがあったのではないでしょうか???兎に角、ここでも木の股が出て来ます。そのことについては「古事記伝」の中では何も説明はありませんが、まあ、それはそうとして、この時代の人々は、木に対して大変な神秘な念を抱いて、そこに何か不思議な神の力があるように感じていたことには間違いありません。今でも、我々のまわりにあるクスやケヤキ等の大木がある場所には、必ずと言っていいほど「祠ほくら」が祭られてあり、神様がお祭されていますし、また、現在でも、お宮などには殆どの所に、樹齢何千年とかの大木があります。これなどから、昔の人達にはこの「木」に対して大変な霊力感じていたことは確かだと思われます。非常に強い生命力が木には宿っていると信じられていたのです。その生命力を我が子にとお思いになられたからでしょうか、母である八上比売は、敢て、子を木の股に置いて、後ろ髪惹かれる思いで、伯耆の国に帰っていたのでしょう。
蛇足ですが、そんなん木に対する思いは。紀州という国名にも見られますし、鰹木や千木等に見られる神社建築様式の中からも、木に対する畏敬の念の表れが色濃く見られます。