ちびたの日常

のんびり息子と猫たち&イギリス人ハニスケと

こ~し(息子)思い出の一言

2013-01-11 | 子育て日記

「なんて素敵なてっぺん!!目・・・・・夜桜の上米公園の丘で。

「喧嘩したら寂しくなるのにどうしてごめんなさいって言わないの?」・・・・・喧嘩して落ち込んでいたとき。

「鼻とか耳とかから、幸せ~って逃げていったね」・・・・・はあっとため息をついたとき。

「もういいよって言うとね おなかの中に花が咲くよ」・・・・・ごめんって言うべき?と聞いたとき。

「あのね頑張ったの。おしりにパンツが挟まってたけど頑張った!」・・・・・太鼓の達人フルコンボの瞬間。

「太陽が梅干しになったね」・・・・・沈む夕日を見て

「え!ダメですか?」・・・・・「お母さんが好きやねえ」とからかわれたとき。

「頂上で食べるお菓子はおいしいだろうなあ」・・・・・生まれて初めての韓国岳登山をしたとき。

「小鳥が食べてたから味見したらおいしくなかった」・・・・・センリョウの実はまずいよというので理由を聞いたら。

「どうしよう。本当に泣けてきた。先生が笑ってたからだと思う。」・・・・・ドラムレッスンで上手に叩けた日の帰り道。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

爆風って夢か。

2013-01-10 | 夢の話
今朝、いきなり自衛隊のひこうきが近くに墜落する夢を見た。
その衝撃で風が吹いて私は手で裂けていたけど立ってみていた。

なぜか目の前に社長が立っていた。

社長も「墜落しちゃったね」と言った。


きっと私の張り詰めた感じがもういっぱいいっぱいですよってことなんだろう。

で、原因は・・・それ以外にないしね。



2本立てだった次の夢は

ある人が死んだと言ってる赤ちゃんを裸のまんま連れてくる。
私は「本当に死んでいるの?」というと死んでるからとまるでゴミでも捨てるように赤ちゃんをその辺に投げてその人は行ってしまった。
「死んでるならせめて火葬くらいしてあげればいいじゃないですか!」
と怒る私を無視していなくなった。
真っ白でまん丸のぐったりとした赤ちゃんを私は拾い上げて布に来るんで抱きしめた。
男の子だと思う。息子の小さい頃に似ていて、もちもちした体を抱きしめて「ほら。起きてごらん。ねえ・・・」とあやす。

すると赤ちゃんが生き返った。

うつろな目がだんだんしっかりとしてきて私は「ほら!目を見て!開いたでしょ。生きてるよみんな!!」と叫ぶと赤ちゃんが小さい声で「マンマ・・・」と言う。
慌ててそばにあったプリンをあけてスプーンですくって食べさせた。
汚れた歯が見えて、その子が世話をしてもらえなかったことがわかって辛い目に遭っていたんじゃないかと思ったところで目が覚めた。

気になって調べると1つめの墜落の夢は想像の通りみたいだ。

赤ちゃんの夢はどうやら何かをやり直すときらしい。


あの赤ちゃんの感触は息子に似ていた。私は12年経ってもまだしっかりと覚えているもんだとそれにビックリする。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

なんでも信じられていた頃

2013-01-09 | 自己啓発日記
3歳になる前の日、じいちゃんが亡くなってその1週間後にじいちゃんを当時住んでいた団地の部屋で見た。
私を見て笑っていた。

じいちゃんは母の枕元にやたらとでていたようで、後にうちの一族などうなるのかその時わかったんだろうか母たち姉妹が拝み屋さんで聞いたら「死にきれない」と言われたようだった。

でもじいちゃんは死んでしまった。

いくら死にきれなかったとしても生き返りはしない。

その後、長くじいちゃんを見なかった。

外から来るのかと、庭に向かってじいちゃんを呼んでみた。

結局小学生になり、じいちゃんは現れなかった。


父がいなくなって5年生になった頃、じいちゃんが机の前に立っていた。
そして私の前にしゃがんで、抱きしめるようなことをした。

そして私の一族はよく喧嘩をするようなことがあり、そんな大人たちのことを見ながらじいちゃんがかわいそうになりなぜ死にきれないと言ったのかわかるような気がした。


その後いろんな波乱がありながら、高校の頃教会へ行くようになった。

いろんな教会があるんだろうけど恩師の薦めだったにしては、実のところ理解していなくて教典も読んだけど3000頁もあって1800頁ほど読んだあたりで疲れて来たのと、1800頁も読んでいるのに良さがわからない自分がいて「こりゃ最後まで読んでもわからないかもしれない」と読むのを辞めた。

でも先生は大好きで宣教師だったこともあって、よく私の頭に手をかざしてお祈りをしてくれた。

それでなにかが変わったりはしなかったけど、先生が味方にいると思った。

今考えると、あのとき先生は私に祈ってくれたけど私は何も起こらなかった。それは先生がすごいことの証だった。

なぜそんな風に思うのかというと、そんなことをされると決まって2日以内あたりでものすごい悪いことが起こる。
階段から落ちたり、変な人に絡まれて警察に頼ったこともある。


そんなこと気がついていなかったから当時は「きっといいことがあるんだろう」と信じていた。

そのうち「よくよく考えてみたらそれは本当か?」と思うようになった。

いろんな知識や知恵がついていくうちに結局原点に返る。

本当に信じていいのは自分。そして歴史あるもの。


昔はなんでも信じていた。目に見えなくてもそうなんだろうと。


じいちゃんを見ていたころは、他人も見えていたし 今では視覚的に見えることはそんなになくて(なんか海でやる儀式があるんです。もし魂を感じて怖い思いをして悩んでいる人は調べるといいかも)普通に過ごせるけれど触られるとやはりわかる。

去年の暮れ、アロママッサージに行ったときに「もしかして亡くなった人とか見たことありますか?」とマッサージの最中に突然聞かれた。

今はそういうレベルではなくなったこととでも触られると相手のなにかを感じてしまうと言った。
彼女は「どおりで。足を触った時に体の中を見られているような感じがありました。体質ですか?」と言われたけど感じているんじゃなくて私が感じようとしてたのか?とビックリして「初めてそんなことを言われました。わかる人にはわかるんですね。私は目には見えないものを信じているけど誰でもは信じません。」

彼女はニコニコ笑って「わかります」と言った。

だけど昔は自分が知らないだけでいろんなことがあるんだろうし、いろんな概念があってもおかしくないからという考えでなんでも信じられた。


こうやって篩にかけられて、私は行き着くところへ行くんだろうと思うようになった。


結局何が大事か、そしてどうしないと行けないのか、いろんな寄り道をしながら私が見るべきものを見るように仕組まれているような気がする。

人間の弱さや幸せの定義がなんなのか見せられているような気がする。

夢の中で直接話しかけられることがある。「西のお寺へ来なさい」「お墓にたまには来なさいよ」などなど受信する私の体質は本当にラッキーだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

初夢が

2013-01-09 | 夢の話
今年の初夢は私が日頃一番苦手な人が二日連続で出てきてしまった。
なんでだ・・・!!!
とか思ってみても、その夢の中の状況は現実に起こっていることで たぶん私が感じているんだろう。

彼女がどういう人間かを書くと、私の心が落ち込むので書かない。

夢の中では彼女は私にそっと手を出そうとしていた。

目の前にはとっても貧しい家に住んでる男性がいて、彼女が彼にそういう仕打ちをしているようだった。
私はその様子を見て腹を立てていて、彼女が私に近づこうとするのをどうやってかわそうかと考えている内容だった。


その様子は実際の出来事で、彼女自身はそんなつもりがないかもしれないが結果的に自分の我を貫くためなら誰かを犠牲にすることも美化してなかったことにする性格をしている。

おかげで行くところ行くところ人の心の内を聞いてしまう。不満いっぱいで嫌な思いをしている人の話が耳に入る。
でも私にいってくれるからいいんだ。
まだ私は聞かせてもらっているからいいんだ。



しばらくしていつも行く神社へ行った。

その後、本当に幸せな夢を見た。あの神社へ行くとそういう夢を見る。
亡くなった人ばかりが夢に出てきたけれど、二人とも私が心から信頼している人だった。
「maki。僕は歌うのが好きだった。だからmakiが歌う時に僕が好きだった曲もリストに挙げてくれ」という私のいとこ。
彼は38歳の時癌で亡くなった。

そしてもう一人
「僕は楽しくやっているよ。シェーカーを引き出しに入れたままにしてないで、美味しい物を作って見せてくれ」とバーのマスター。
彼は父のいなかった私にとって2番目の父と思っていた人だった。

神社の神様は幸福を暗示するような夢を見せてくれたわけじゃないけれど、胸が幸せでいっぱいになるような気持ちにさせてくれた。

これが今年の初夢だったことにしようと思った。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

去年一年

2013-01-05 | 自己啓発日記
去年は地雷続きでこんなに社会的環境からダメージを受けたことがこれまでの人生にあったかと言うほどでした。
だけどおかげで、この年齢で、今動かずにいつ動くんだと背中を押されたような出来事の連続でした。

神様が「こんなにお前に教えているのにどうして不安になるんだ。私がそんなお前のことを許しているから存在しているんだろう。なぜ勇気を出さないんだ」と言っているようで、なんどもなんどもその時の私に必要なことや悩みの答えのような出来事が連続して起こったのに、
私はいつも怖がっていた。

それは私が盲人だからだ。心が盲人だからだ。
目の前が見えないからと杖もつかずにつまずくことが怖くて探ってみようともしなかった。

杖も探そうとしなかった。私は時間が過ぎることが怖かったくせに今の自分に逆らうことが出来なかった。

等々もう後がなくなったな。


やるだけやってみよう。悩むのはそれからだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする