心から好きだったもの。
そういうことを受け入れるのが面倒になって来た。
そんなことがよぎるようになった。
それでも、まわりは私が好きだと思って私に見せつける。
実はもうとっくに嫌になっていて、でもあまりに切っても切れないものを作ってしまったから今更「もう面倒だから近づけないで。」と言えなくなってしまった。
もう勝手にやって欲しいのに。かかわりたいとは思わないのに。
私が難聴になったのは、「聞きたくない」と思うからだったのかもしれない。
きのう、友人から電話が来て私と同じ病気になったと言った。私に病状を言いたくて電話して来たんじゃない。
私に自分が苦しんでいることを気がついて欲しかったのだろう。
私自身は、嫌な気分になっていても認めなかった。
嫌な気分になる自分を許せなくて、もっと大きな心で見れるようになろうとあえてその嫌なことに関わろうとした。
だけど体が拒絶してきた。
私は私のペースでいたい。
もう何も見たくない。
乱されたくない。
どうしてこんなにも苦痛なことになってしまったのだろう。
師匠が、「俺がおまえなら耐えられない」と言ったとき泣いた。
大声で泣いた。
初めてそのことで人の前で泣いた。
いろんなタイプの人がいて、大まかに2つに別れる。
私は自分のタイプとは違う人種の中にいてしまったから、ずっと気分が悪かったんだ。自分の友達といるときはこんなにネガティブにはならない。
宮崎でジュゴンのような優しそうな人と話しをした。
友達の彼氏さんだったんだけど、彼の仕事は人の心や体を癒すことだったようだ。
実際、その人の前に行くと体が揺れるような感じがして「あれ?近づけない」と思ったほどだ。
しばらくしてなれて来て、いろんな話しをしてくれた。
私に「許してあげなさい。自分のことを。自分の体のことも。あなたの思う通りのことを体ができなくてもとにかく今はそのままで完璧。もし、仕事も名誉も子どもも全てなくなって、名前も無くなった一つのただの人間になったとして あなたはそれでも完璧。それなのにあなたは屋根のしたで眠れて、いろんな物を食べられるし話しを聞いてくれる人たちもいるね。とてもありがたいこと」
その人と話していて「いるんだなあこんな人。この人に愛される私の友達はなんて幸せなことだろう」とそう思った。
私が無理してなんになると思うようになったのはこの頃からだ。
近づきたくない。もう見たくない。そう思うなら断ればいい。
そしてまたその気になったら近づけばいい。
そんな風に思うようになった。
私は無理して合わさなくなった。興味が無いから別な方へ歩いて行こうと思った。
私は私なりに。師匠のように大きな人がいて、仲間のように何でも許してくれる人もいて、私はそれだけで恵まれている。
きっと私の耳も、私のことを許してくれる日が来る気がする。