ちびたの日常

のんびり息子と猫たち&イギリス人ハニスケと

Jinを見ていて

2011-06-27 | 雑談

私は西郷家の末裔で、まあ兄弟も多い方だったからどこでつながるのかはわからないけれどJinを見ていると自分のご先祖という感じでいた。

それが次第に戦いのシーンが多くなって、戦争が始まって人が死んでいく。

死に急ぐように拾って貰った命を何度もかけてはまた拾われる。

その繰り返しを見て、そしてその当時の正義感の違い、生き恥をさらすくらいならという考え、そのすべてが「なんて言う時代だったんだ・・・」という思いにかられた。

 

刀で切られる。鉄砲で撃たれる。主君のため将軍のため。それが正義であることが改めて不思議で、なぜかと言えば私が母だからだ。

 

お腹を痛めて産んで、笑った、歯が生えた、一人で歩いた、お母さんって呼んだ、上手に本を読めるようになった・・・・

そうやって大きくするのに刀で切られるんだ。鉄砲で撃たれて、親より家族より 大事だという人のために死のうとする。

誰かの命がたくさん無くなる。

ご先祖はヒーローであって欲しい。でもたくさん殺されもしたけど殺してもいるんだ。

私はその上にある歴史の中にいるんだ。

そう思うと泣けてきてだいぶ昔に戦争で亡くなったイスラエルの友達のことと重なった。

私は「どうしてあんな戦争をしなきゃいけないんだ」と言った。

それをある日本人の男性が「あなたあれは立派な歴史なんですよ」とムキになって言われたことがある。

 

そういう話しじゃないんだ。私は友達を亡くしたんだ。歴史だから続けなきゃいけない理由になるのか?

戦争に正しいとかあるの?せっかくこの世界で生きられる体を手に入れたのに、自然の摂理とは別に同じ人間が殺し合うんだ。

私は現代の日本にいるからそんなことを思う余裕があると言うだけかもしれない。

 

ただ私の前世は何者かどうかより、その時代の生き方をして死んできっと思い残すこともあったかもしれないし、幸せなときや苦しくてたまらないときがあっただろうけど その記憶を私は持っていない。

持っていないから前世に振り回されることなく今生きていられるのだろう。

だけど感じる。

記憶はないけれど意味がわからない感情を感じることがある。

 

それが魂という細胞が積み重ねた経験の反応なんだろう。

 

私は母と父との間に産まれ、いろんなことがあって息子を産んで、その息子があまりに可愛くて「きっと前世でもこの子は私の子供だろう。だってあんまり可愛いから前世の私は次の世でも絶対親子にしてくださいと願っただろう。もし私が次に生まれ変わっても、私にこの子を授けてください」

そんなことを思う。

今まで起こった出会いや大切な人たちのことや、自分の子供のことを一切忘れてしまって次の世に産まれ、ものすごく大切な人たちなのに見つけられなくて会えなくなるとしたら辛くてたまらない。

私にはまだ見つけていない人がいるかもしれない。

だけどそんなことも全部ひっくるめて、今目の前にいる人たちを大切にしなくてはいけない。

 

私が何も思い出せなくても カルマを解消できなくても

生きていけてることに感謝しないといけない。

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頼られること

2011-06-23 | 自己啓発日記

会社からも家族からも良く頼られる。

それはいいことだけど、我に返るときもある。

ママ友だったり 会社の同僚だったりもする。

私にできることならしてあげたいと思う。

みんなそれぞれその人にしかわからない苦労をしていて、つくづくその心に安々と触れて たいした経験値もなく頭でっかちに切り返したりしちゃいけないって思う。

だから私は自分に降りかかる不幸を感じる度に、漠然とだけど「ああ、あのときあの人はこんな気持ちだったんだ。」とか「自分はしないようにしよう」とか嫌な思いのほかに引き出しが増えるのを感じる。

嫌な目に遭わないようにとか、幸せになることだとか、楽しくわくわくすることばかりが永久に続いたら私は誰かを無意識に傷つけても気がつかない人間になるようで、私は受ける嫌なことは私に必要なことじゃないかと思う。

だから誰かが悩んでいると自分を置き換えて考えるクセがある。

置き換えるからこそたくさんの不幸の実体験は役に立っている。

 

そのうちどうあるべきなのが理想かと、望む先を考えられるようになってくる。

そして結果を示して話ができるようになる。

 

そうなるとまわりに頼られるようになる。

 

言葉の裏に何が隠れているのかを読めるようになる。

どうしてその台詞を吐いたのか。どうしてその考えに行き着いたのか。

だから私はどういえばいいのか。

不幸の経験は私のスキルを上げている。

 

いいことを考えてポジティブに生きられるのは、自分に結果を示して説得できるようになっているからだと思う。

目の前の嫌なことの先にどうやったら望み通りになるのかを見つけているから、すぐ正面にある不幸な出来事なんてオプションくらいにしか感じないようになる。

むしろたまにはありがたいとすら思うときもある。

 

どんなにへなちょこでも泣いたり怒ったりしては立ち上がって、自分がどんなにまわりの思われる幸せ者かを感じながら「なんだ私ってすごいめぐまれているじゃない。」とか痛くもかゆくもないことで悩んでいたら、もう一度思い出して「気にするな」と思うようにするとか そうやって願いが叶ったときの達成感に浸ればいいと思う。

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直撃して寝込む

2011-06-20 | 子育て日記

昼過ぎ、人生初の頭を強打して寝込む事件があった。

上からトンカチが降ってきて、頭に直撃。

ジンジンとしばらくは目を開けるのもイヤだった。

犯人は息子。

 

泣きながら「お母さんごめんねごめんね。」と言い、氷を入れたビニール袋を持ってきて、その後30分以上はお尻と頭が逆さまかというほどずっととなりで土下座していた。

 

しばらく寝ていた。

 

触ると痛いけど大したことはなかった。

 

良い機会なので「お母さんにもしものことがあったときの練習」をした。

 

携帯で救急車を呼ぶときの練習。

お巡りさんへ電話して説明する練習。

近所の人へ助けを求める練習。

 

住所を言えるか?お母さんの容態を言えるか?自分のことを説明できるか?

 

親子二人なので協力しなきゃいけない。

 

しかし、頭を強打して死んでしまう人もいるけれど、相当強いんだなとしみじみ感じた。

 

 

「お母さんごめんね・・・まだ痛い?」と真っ赤な目で言われれば、「もういいよ」と言うしかない。

 

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髪の毛が抜けちゃう夢

2011-06-17 | 夢の話

昨日の夜中、久しぶりに背中からくるイヤな感じがあった。

私の場合、それは警告だと言われてきたけど寝ているときによく起こる。

「来た!」っと思ってずっと家に祭っているお札に向かって心の中で呼びかけていた。

それでも足らない気がして「ばあちゃんばあちゃん」と呼びかけた。

そのうち思ったより早く抜けて、いつの間にか眠ってしまった。

 

朝方変な夢を見た。髪の毛がごっそりと抜けてしまう夢で、円形脱毛症になりやすい私は「ああ~また禿げちゃったわ」とあっけらかんとして言っていたけど尋常な量じゃなかった。

後で意味を見てみると体力の低下とあった。

心当たりがあった。

最近ずっと調子が悪くて、多分湿気とか関係があると思うけど頭痛も続いていた。

 

朝もすっきり起きられない日が多くて、体に何かがたまっているなと思っていた。

そう言うことが夢に出たんだな。

どうしたらいいだろう。

 

明日、アロマの先生のところへ行くから何かないのか聞いて見よう。

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この人には

2011-06-14 | 私のお仕事(本業)

いろんな話が飛び交う。

そんなに悪い人にも見えないのにと思えるような人や、逆にこんなに裏表がある人なのにどうして誰も気がつかないのだろうとかいろんなことを思う。

ある上司が私の同僚が頑張っていることにケチを付けた。

私はある意味自分が彼女の上司なのと、彼女が頑張っていることを知っているから精一杯反論した。

それでも彼女が個人的に頑張っていることを「会社に取って得か。マイナスに働いているなら叱らなきゃならない」そう言った。

私は「地域の為に自分の時間を割いてボランティアで働いていることに、徳だとかそんだとかが先煮立つってどういう意味ですか?少しも尽くさずに先に利益を得ることを考えるとはどういう意味ですか?地元があって初めて仕事がもらえるのであって、社員が率先して自分から貢献しようとしていることなのに、マイナスに働いているなら叱るということの意味がわかりません。マイナスってどういう状態ですか?たとえば残業せずに委員会などへ参加することですか?それは1年中続くとでも思っていますか?……」怒濤のごとく言い続けた。

 

ムカついてムカついて、言いながらこんなやつと仕事なんかするもんかと思っていた。

自分の席へ帰ってからも別の課の主任へ「私はね、ここに骨を埋めるがさらさら無くなったわ。社員をまず否定することから始めるような人には従わない。それが気に入らなければ首にでもすればいいのよ」

一人で怒っていると別の上司が来てなんて言われたんだと聞いてきた。

言われたことを全部言った。

すると「あいつは自分もできないことなのにとにかく相手を批判することから始める。俺だって応援しようって言うけどな。よく言ったな。なんか嫌な展開になりそうなら俺が言うから今日のことは心配するな。」

私は以前いた部署でこういう風に上司に守られているという感覚はなかった。

自分のことは自分で守らなきゃいけないと思っていたし、そう言うことが結構辛かったからこそほかの人には同じ思いをさせまいとしてしまって、言えないことを変わりにいってしまうようなところがある。

でも今は前より味方がたくさんいる。一人で闘っているという感覚もない。

最近仲良しの隣りの主任も私と同じだったらしい。

自分で自分を守るという感覚。それが私や私の上司のそばに来てからは、私たちはその彼を一人で立ち向かわせたりしない。

会議の場でもみんなでフォローする。

一人で立ち向かうときもある。でも孤独なことじゃない。

いざとなったら即興で団結するようなチームプレーができるようになってきた。

 

ある日、突然に、会社と家の往復しかしていなかった引っ込み思案の女の子が、地元の為に何かできることをしようとしている。

それを「会社に取ってそれが徳なのか」としか言わない器の持ち主を私は好きになれなくて、私の権限以上の発言をしたと思う。

だけどそれを私の上司と営業の仲間やシステムの主任はわかってくれていて、何より心強いのは役員の半分以上が私を守ってくれるような姿勢でいてくれることだ。

それでも今日、私がムカついて許せなかった人に私がとことん嫌われたらこの会社にいづらいことだろう。

彼以外が私の味方についてくれる気がしても、それでも敵に回してはいけない人なんだろう。

だけど私は曲がったことが嫌い。だから撒かれることもない。

そのときはそのときで私に神様がメッセージをくれてるんだと思うことにする。

自分を信じて行動する。

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