ちびたの日常

のんびり息子と猫たち&イギリス人ハニスケと

自分はどんな人間か。

2013-02-14 | 自己啓発日記

息子は一人っ子でいつも私といっしょにいる。

そのせいか親子のような姉弟のような相方のようないろんなつながり方をしているように見える。

私は小さい頃両親が離婚して、母親と弟の3人家族だったが甘えんぼの弟とちがい、どこかいつも母を冷静な目で見ていた。

思春期のころは母の人間としてどうなのという部分が私に随分突き刺さっていた。
親といえど一人の大人としてどの程度の完成度なのかということを子どもなりに見るような部分が芽生えていたのだ。

母の幼さや甘えたところが私には理解できず、小さい頃から入院生活だのいろいろあって一人でいることが多かった私には「さみしい」という感情が芽生える前にそんな生活が当たり前になっていた。
だからこそ、依存心が強かった母の心が重たくて「情けない人」という風に見えていた部分があった。

それでも仕方がないと思っていた。大人になって、父に再会したころ父が「お母さんはな、大所帯で育ったしお嬢様だったから一人でいられないんだよ。お前は小さい頃から自分の問題と戦うように仕向けられていたし、お父さんもおらんかったしお姉ちゃんやから頼られてばかりで一人でいることが苦痛じゃない。
お父さんはお前と同じような感じで育ったからお前の気持ちが良く分かる。でもお母さんは分からないんだよ。お前はな「さみしい」という感情が育つ程周りにちやほやされてない。だからお母さんの気持ちが分からないし、お母さんもお前のことが分からないんだ。」
目から鱗が落ちるようだった。

なんて情けない人なんだと親のことを思っていたのは、私との環境の違いもあったんだ。

父にはそれが見えていた。

父が「お母さんにはお前が何にも考えずに自分の道を進んでいるだけでもそうは見えてない。私を捨てるなとか我が子は自分の好きなようにできるんだからとかそんな風に思っているんだろう」
そういわれてなんて身勝手なと思った。
でも父は「ハッキリ言ってごらん。お母さんが思うように自分は寂しいという気持ちが分からない。それはその人がいなくてもいいという意味じゃなくてそこまで考え込む気持ちにならないように出来上がっているだけだって」

私は情けない人だと諦めていた母との関係に何か光が差し込んできたような気分になった。

そうだ自分と育ちが違う。それも極端に。それなのに同じ感覚でいないのがおかしいんじゃない。当たり前だったんだ。

父は「お前はお父さんと育っていないし、家の中に自分より上の男がいない。お前がいつの間にか父親のようになっていたんだろう。お母さんは甘えんぼだからな。女の子なのにそんな風に育つしかなかったなんてこれからの人生、お前は苦労するかもしれなんな」
そんなことをいっていた。確かに私は娘というより息子のようだ。父の息子。

「いっそ長男だったと思えばいいわ」というと「そんなわけにもいかんやろ」と言われた。

母に言った。父と話したことを踏まえて私にはお母さんと同じ感情が芽生えないことを伝えた。

母は黙っていた。

父に自分はどうしてこんなに気が短いのだろうということも相談した。

父は「お前は小さい頃からさばけた子だった。曲がったことが嫌いで、物事ねじ曲げたりするとなぜそうしなきゃならないのかとテレビのニュースを見ていてもいうくらいあった。友達のことも仲間はずれの子どもとかばっかり仲良くなるから保育園の先生もお前を頼るような感じでな。
そうかと思うと何度言っても話にならない相手のことは急に相手にしなくなったりして。今思うと、お前は人をほっとけない。でも本当はそんなに強くなくて自分を守るために度を超えた相手だったりすると離れようとしていたんだな。」

20年近くもいっしょに育っていない父なのにどうしてこんなに分かるんだと、深い親子の縁をしみじみと感じた。

父に、私が離婚したときの話をした。

すると父は「何にも変わってないなあ。お前はな、相手を必要以上に追い詰めてしまうんじゃないかと思ってる。だから自分から離そうとしてしまう。良く自分のことを分かっているからそうするんだよ。
不器用な話だけどお前なりに相手を憎みたくなくてその前に離れてしまおうとしてたんじゃないのか」

そんな綺麗な話じゃないけど「憎みたくなくてその前に離れてしまおう」というのはよく思っていた。嫌いになりたくないと冷たく突き放してしまった。
お父さんは「子どもにはそんなことできんのやからな。突き放したって子どもにはお前しかないんだぞ。一緒に死ぬ覚悟をしろ。子どもをこの世に出した責任は一生逃げられん。」


息子と二人になって、保育園に預けると決めたとき私は思った「母子家庭という現実をごまかさない」

そして私が小さい頃からずっといやだった「片親の子どもだなんて言われたくない」という母の台詞。
私はそれを一生息子に言わない。それがどうした。両親いたってやっかいなやつは大勢いる。
そんなことを理由に逃げさせたりしない。それが私が選んだ結果。息子が私を親にしたということ。

息子はどんどん大きくなり、普通より気の優しいというか人を疑わない子どもに育った。

幸か不幸か誰でも信用するし、分け隔てしないし何にも考えない。そのことで相手の腹黒さを知って傷つくこともあるけど騙すより騙される方がいい。

父に話すと「世の中ドロドロや。ホントにひどいやつがいるんだよ。そんなことが当たり前のやつからしたらおまえ達親子みたいに何にも考えてないだけのやつでも裏があるように見られてしまう。そんなやつは子どものうちならいいけど大人になってたらもう変わらないよ。
おまえ達がそんな人の腹を探ってくるようなやつに出会ってしまったとき短気にやり返すか仕方ないと諦めるか、時間をかけて自分たちのことを信じてもらえるまで待っているかだな」

息子は苦労するんだろうなと思ったけど、それはいいことなんだと思った。苦労しなきゃ。人の気持ちが分からないことほど生きにくいことはない。

思春期になってきた息子に弟が「お前、いつ反抗期は来るんだ」と言った。

息子は「一応ね、反抗期って来てるんだよこれでも。ただ、お母さんに反抗期なんてみせたらそれ以上にお母さんがバズーカをぶっ放すんだよ。」

すると弟は「ああ。なるほどね」と言った。

「どういう意味よ」というと弟の友達が「姉ちゃんってみんなの姉ちゃんって感じだったしよ、てか兄貴って感じだったつうかみんなまとめて面倒見てやる的って感じで相手がヤクザでも向かって行ってくれるくらい親分肌ってことでよ。でも俺達が間違ってたらすっげえ怒ったりしてよ。親分と雷オヤジが合体してるような母ちゃんってことだよ。反抗期みせたって相手しないだろうね」

すかさず弟が「コイツを操縦するやつって相当すげえって。」と言ってくれたけどそれはからかっているのかと思っていたら弟の友達が「姉ちゃんって昔の火消しの女将さんみたいな感じかな。で、人数足りなかったら自分でも火の中に飛び込むぜ的な」

暴れん坊将軍の目組の女将さんの姿が頭に出てきた。

じゃあ私が頼る男がいるとしたら北島三郎みたいな人ってことか。

父に、「私が結婚するとしたら火消しの親方みたいな人がいいんだわ」というと父は「そりゃいいわ。そういうやつならお前がついて行ける」と笑われた。

自分が気むずかしいやつだからと話すと父は「気むずかしいんというかな、矛盾が見えてるだけだと思うぞ。小さい頃からそういうところがあったから。もうちょっと譲れ。相手との違いってあるんやから分からんといかん。
お前にはバカみたいに見えるだろ。相手もお前が自分をバカだと思っていることを気づくよ。お前は感覚で気がつくことも人によっちゃ話さないと分からないんだ」

やっぱり。気がついていた。

「お前が自分をバカにしてるって人から思われても、お前はそんなことも分からん相手がおかしいと思うだけなんだろ。それだけ苦労してるしな。よく覚えておかんと。お前のような苦労するやつはそんなにころがっとらん。わからんのは仕方ないって思えよ」

そのこと自体、忘れてしまう。凄く覚えておこうと思ったのについ忘れてしまう。


最近思うようになった。なぜコイツはこんなに空気が読めていないんだという人に出会ったとき、自分はそうでなくて良かったといつも思っていた。
だけど大抵は空気なんて読めない。私もツボが違えば読めていない。

結局、変に気がついてしまうせいで気がつかないやつに振り回されている自分。

その自分に振り回される周り。


ただ私がひたすら短気で気むずかしいという印象だけを植え付けてしまうけど、私にしたら相手が無神経にしか見えていないのだ。


それが一人で生きることになれて育った私の落とし穴なんだ。協調性に頼らないで切り抜けてしまった私の落とし穴なんだ。

弟が言う「操縦できる人は相当すげえ」というのも分かる。
かなりの男気でもある頭脳派とかじゃない限り先回りする私は「いいかげんにせい!」と言うはずだ。


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