ちびたの日常

のんびり息子と猫たち&イギリス人ハニスケと

パワフルが40年

2013-02-25 | 自己啓発日記

私は小さい頃に病気をして、親が離婚したり、学費を稼がないといけなかったり、一人暮らしで放浪してたり、離婚してたり、子育てしてたり、仕事で頼られやすかったりなどで苦労する星の下に産まれてるんやわという生き方ばかりしている。


ということで、楽にまったりすることに慣れていないので 自分から気が赴くままに動いてしまう。

こんなに波瀾万丈な人生のおかげで、人が20年くらいかけて理解することを5年もかかっていない自信がある。

母に「あんたは人の一生を10年くらいでやってしまう」とよく言われる。

そんなこんなで『普通』というところが人と違う。
自覚はある。

人並に何かを出来ない人がいると大体その人の生い立ちを考える。

苦労の仕方が違うんだと思う。


私が嫌がることが起こると「こんなことが私に必要だと神様が言っているのか?」と思うようになっているんだけど、ほとんど「ああこれは私の課題か・・・」と考えるようにしている。

なんども起こることは大抵、前回私が投げ出している。


例えばパズルをクリアできずに電源を切ってもう一度始めると最初からやり直しという感じなんだけど、やっかいなのはセーブポイントからじゃないことだ。

最初からやり直し。


もしも、私が自殺をしたなら生まれ変わっても課題は同じだろう。セーブポイントからじゃない。
最初からやり直し。

しかもやっかいなのは知識や感情のコントロールなどクリアに必要な要素を全てリセットされていること。自分のゲージまで顕在的には0にされていること。



この時代で、私という時代で課せられた課題はいくつかクリアできずにまた降りかかっている。


人の人生経験を短い時間でやりこなすと言われても、課題はパターンを変えて同じものが出没してくる。


なぜ、自分はこうなるんだろうと思っても、それが自分のせいじゃないと思っている間はその課題はなんども現れる。人間関係を変えても、生きている場所を変えてもパターンを変えて同じものが現れる。そしてまた「なぜ、自分はこうなるんだろう」ということを繰り返す。

不思議と先祖が繰り返す因果もまたどこかで気がついて止めなければ自分の代で繰り返す。


旦那さんを大事にしない母の子として産まれた娘は夫のことを大事にしない。

因果を自分の代で勃発させる人もいる。そんな人は大体幼少期から青年期までほったらかしか、かまわれすぎかやられている。

その因果はその人の代から始まって次の代へ行く。途中で誰かが「嫌だから自分はやらないぞ」と志を持つまで繰り返される。


神様の課題なのか因果応報なのかはわからない。でも自分がそこに気がつくということ。

これは繰り返されている。自分の課題だ。逃げれば、言い訳をすれば、この課題はまた繰り返される。そこに気がついて来ると課題がクリアされて自分のゲージは上がる。

私はこんなことを小学生の頃に考え始めて、人は(当時は学習能力だけだと思っていた)そうやって生きていく生きものなんだとある意味感心していた。

そうやって40年も生きてきて、ステージがあがり、ステージごとのボスが現れる。

きっと寿命が尽きる前あたりになると、どんなボスも私には歯が立たなくなるんじゃないかと期待している。

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