ちびたの日常

のんびり息子と猫たち&イギリス人ハニスケと

後押しをされているプレッシャー

2010-08-28 | 私のお仕事(本業)
仕事でも私生活でも誰かの推薦を受けて引き受けてしまっていることがある。
最初は心から喜んだ。

時間が経つに連れて「その人に恥をかかせてはいけない」と思う気持ちがプレッシャーを与えるようになった。

私は望んでそうなったのではない。

だから自分のためにはやり遂げられない。

誰かのためだから、誰かが喜んでくれるから、そんな理由があるから向き合う心が続く。
そんなことならやめてしまえば良いのにと言われるかもしれない。
これから大変だなあと思う自分と、こんな自分に望みを託してくれるなんてありがたいことなんだからわがままを言ってはいけないと思う自分がいる。
自分でも「私ならやれるかもしれない。でももっとすごい結果をだしてやりたい」と自惚れてもみる。

正直裏切れない。やるなら良い仕事をしなきゃと思ってしまう。
手を抜こうとか思わない。
私的に好きか嫌いかではなく、私がする仕事なんだから手は抜かないという意識の方が働く。

今、とても大変なところに飛び込むはめになった。
お金になるかより誰かのためにする仕事だ。
ふと、おとといの会社での話を思い出した。
「お前の葬式は俺たちみんなで宴会開いて大騒ぎしてやるだろうな」
私は「いいですよそのほうが。姿はなくても私の分の酒も並べといてください。」と言った。

そうか、私にはそう言う仲間がいるんだ。
お金よりずっと嬉しい財産があるんだ。

後押しをされることがプレッシャーになるというより、どうやってこの人たちに喜んでもらいたいんだろうと思っているだけかもしれない。

私は私を信じてくれた人に喜んでもらいたいのかもしれない。
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子供心を持つということ

2010-08-28 | 自己啓発日記
子供心を持つとか、少年のような心というものを幼稚になることでクリアしていると勘違いしている人がたまにいる。

子供のような純粋でまっすぐな心ということを理解せずに、甘ったれたりわがままを通したり、幼稚に振る舞うことで自分がそうなったと思っているような人がいる。

正直うっとうしいだけだ。

いい歳をしていればなお面倒くさく見える。

ときどき自分が小さかった頃のことを思い出すと、善悪が綺麗にわかっていた。
子供だから悪いことがわからないというのはちがう。
全てじゃないけど本能で理解できることもある。
良い人と悪い人も本能的にわかることがあった。
大人とは違う、先入観がなくて、知恵にごまかされないところで理解していた。
初恋の相手が思ったほどタイプじゃないのに好きになったりしたことも、彼の内面を見ていた。

子供の心を持つという意味は口では簡単に説明できないけど、幼稚になることじゃないというのだけは確かだ。
コメント (2)
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