ちびたの日常

のんびり息子と猫たち&イギリス人ハニスケと

都城でオペラ

2008-03-15 | バンド活動など
先週、都城で盛大にオペラが開催された。私はチケットをもらったので母や子供も一緒に見に行った。
田舎でめったにないジャンルだからか見に来たお客さんがびっくりするほどバラバラな服を着ていた。ジャージの上下できた人もいれば、きちんと着物で来た人もいる。
未就学児は入場不可にもかかわらず赤ちゃんと来る人がいたりと、空気を読まないにもほどがあると思いながら上演が始まった。
本物のオーケストラの演奏のうえに出演者の主要なメンバーはすべて一流の人間で 終わるまでには3時間近くもあったというのにほとんどのお客さんが帰らなかった。
曲も一度は聞いたことがあるものが多くて少しも飽きなかった。
私の息子は「トムとジェリーで聞いたよ」と言っていた(あのアニメはためになる)
母は、カーテンコールのとき感動で泣いていた。
立ち見も出るほどの盛況ぶりで、いくら出演者の身内もいたと言ってもすごい人数だった。(チケットの割当があったらしい)
私の母は、めったに褒めるということをしない。その母が「チケットをくれた人にお礼を言ってて。また次も行くからと言ってね。」と言ったので相当な感激ぶりだろう。
職場にオペラの裏方をやっていたおばちゃんが来たのでそのことを伝えた。
「あれは赤字覚悟の大仕事だったからすぐ来年とかできないと思うの。でもありがとう」と言っていた。
現実にチケットのお金が助成金などの絡みなのかかなり安く、素人集団なのかと軽く考えていたほどの金額だった。
でも舞台が終わってみると「こんなすばらしいものをこんな格安で提供してくれて、ほんとにオペラが好きな人たちなんだな。なんて良心的でかっこいいアーティストだろう」と思った。
儲けようという意図が見えなくて、地元の人に喜んでもらおうとでも思っているのかこっちが遠慮してもう少し払った方が良かったんじゃないかと気を使いたくなるような気分だった。
何日かとても心が潤っていた。
こういう気分になることが伝わるということなんだな。バンドで歌う時、仕事で絵を描いているとき、自分の気持ちを相手に届けたいということは相手の気持ちの中に存在感を残すことなんだな。
と、あらためて思った。
目立ちたがりやで自己中な表現の人の方が大勢いる。
すごいと思われたいとか、そんなことがパワーになっている人もたくさんいる。
それはいいことでもあるけど、押しつけにならないバランスがいる。
オペラの上演があったあと少しして音楽仲間から電話があった。
「あの舞台は赤字で裏方ではどろどろと喧嘩があったりと大変だったようだよ」と誰から聞いたのか、この潤っていた私の心に水を差すことを言った。
「演出側の事情は知らない。でも見ていた人は感動したんだ。あの舞台を失敗のようにいうならどうやったら成功というのか教えてもらいたいもんだね」と頭に来たので言った。
いろんなことがある。でもお金というものを中心に置くと幸せに終われるものも損得になってつまらないものに代えてしまう。
あの上演をまた見たいと待っている私の母のような人のために アーティストとしての気持ちでのぞんでもらえたら、次の機会も赤字かもなんて気にならないように倍の金額を出してもいいのにと思う。
コメント (2)
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リストラを止められない

2008-03-15 | 私のお仕事(本業)
会社が大変になり、少しずつ社員も見切りを付け始めるものが出て来てますます残された人間は大変になって来た。
それでも、「ここを乗り切れば」と言う気持ちを胸にそれぞれがいろんな話し合いをしながらあがいている。
昔、まだ景気が良かった頃に今では幹部に昇進した人たちがまだ平社員で、現場の頑固オヤジにこなされていた時の話しを聞いたことがある。
社会勉強が大好きなおじさんがいて、まだ若造だった社員に「この仕事やっつけたら飲みに行くぞ!」とけしかけて また言われた社員も「これが終わったら飲みに行ける!」とそれを励みに頑張って、終わるとみんなで元気に街へ繰り出しうさん臭い外国の名前がついているような店へ行き、異常に薄い生地の服を着た下品な化粧のお姉ちゃんがいる横で馬鹿騒ぎをしていたようだった。
それを楽しそうに話しながら「昔は世の中を教えてくれる良くない先輩っていたよなあ」と笑いながら話してくれた。
私はそんな時代に働くことができた人たちのことを羨ましく思った。
私も仲間に入ってみたかった。(もちろん男ならだけど)
一生懸命働いて、それが晩酌のためでもいいじゃないか。
そんな先輩たちがいる職場で働けたことは人生という時間で見ると、ただ蟻のように働くよりずっと人間らしい。
今ではお金がないと言っちゃ飲みにも行けないという。
不景気のせいにして、生活を楽しむということはどうでもいいのだろうか。
お金は誠意のない人には敵になる。諸刃の剣そのものだと思う。
だからお金とは手段にすぎないと考えていなければ振り回されるのだろう。
もっと大切なところ、もっと基本なところ、ありがとうと思うこと。それが満足感を持つこつかもしれない。
大切なことをいかがわしく教えてくれた職場の先輩達はもう年を取り、お金以上の働きぶりとノウハウと愛社心を持っていてもただ時間が来たというだけでいなくなろうとしている。
本人の意思とは別に会社の状態もあってまるでいいタイミングだとでも言わんばかりの出来事だった。
私には(もちろんほかの人だって)彼らの代わりができるものか!
いなくなる日が来るなんて思ってもいなかった私はつい最近そのうちの一人と「この年になっても働くことができて良かったよ」と会話した。
車の中で思い出して涙が出て来た。
私が娘と同じ年だと言っていた人。旅行に行ったからといつもこっそりお土産を買って来てくれた人。
家へ帰ってもまた思い出して涙が出た。
まだ働きたかっただろうに。まだいさせてもらえると思っていただろうに。そう思うと自分の非力なことと、今までまだのんびりとしていたところがあったことが悲しくなる。
お金じゃないところで職場は楽しいと知っている人たちと、あと少しまだ一緒にいるうちにもっと昔の話しを聞いておきたい。
いつかまたそんな日が来るように知っておきたいと思う。
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